ここ数年のことだが、日曜日の正午、自宅にいる時、
「NHKのど自慢」を見てしまうことが少なくない。
カラオケが街にあふれている現代。
いまやカラオケは、歌うことが好きな人にとっての娯楽というだけではなく、
コミュニケーション手段としての位置づけを確固たるものにしている。
とはいえ、私は未だに、人前でカラオケを歌うのは、
結構恥ずかしかったりする。
他人の歌詞を、機械の演奏で歌うというスタイルに、
いまひとつフィットできないのだ。
これは長年、自分の曲を自分の演奏で歌うことに慣れきって
しまったことの弊害であり、かつ、順応性の低さによるものだろう。
カラオケが大好きな方、得意な方はたくさんいる。
それはそれで結構なことだ。
ただ、「NHKのど自慢」というツールを使って、
テレビに出演して歌う、というのはすごいことだ。
度胸があるなあと、ある意味感心してしまう。
なにせ、のどを自慢するのだ。
自慢することを前提としてテレビに出るのだ。
中途半端な気持ちで出られるものではない。
「弟が勝手に応募して…」など、自分の意思で出演したわけではないことを
言いつつも、しっかり予選会場に行くのは、
結局のところ、自分の意思なのだ。
◆
のど自慢の出演者は、あらゆる点において調整されていると思われる。
10代からお年寄りまでの年齢構成と性別のバランスが、
毎回ほぼ同じである。
その日のゲストの曲を歌う人が3、4人。
職場の仲間同士による出演者が3、4組。
保育士、看護師、教師などの余興的なノリのパフォーマンスが多い。
鐘3つの人は6、7人になるようにする。
こうした出演者選定に当たっての作為的な部分を探るのも楽しめる。
ただ、様々な疑問もある。
のど自慢は、毎週全国のあらゆる場所を転々とし、
人口規模が小さい市町村で開催されることも珍しくない。
そういう時に起こる現象が「遠隔地参加」である。
例えば、滝川市でのど自慢を開催した際に
札幌市在住者が出演するパターンである。
滝川開催であれば、砂川や深川の方が出演するのはいい。
80kmも離れた大都市札幌から乗り込むのはどうなのかと。
その地域の人を見たいのだ。
その地域の人の歌を聴きたいのだ。
鐘3つの人と2つの人との人数的なバランスや、
年齢構成が多少偏ってもいいじゃないかと。
滝川開催なら、中空知地区在住者に限定してほしいし、
倶知安開催なら、羊蹄山ろくの町村在住者に限定してほしい。
倶知安開催で岩内町や余市町から出演するのでさえ、
ちょっと縄張りを荒らすような気がする。
また、「なぜこの人が鐘3つで、あの人が鐘2つなのか」と
思うことが少なくない。
鐘の数は10代、20代に甘く、特に、最近のふわふわしたバラードを、
あやをつけて歌った人に有利に働いているように感じる。
中高年が素朴に伸びやかに歌うパターンは、「なんで?」というくらい、
評価が低い。あやがついていないと心に響かないのか。
うがった見方になってしまうが、なんとなく予選の段階で、
鐘3つの人がある程度決められているような気もする。
そのため、本番で大化けしても拾われていないのではないか。
私は、ものまね王座決定戦の審査も、THE MANZAIの審査も、
ボクシングの採点もやってみたいとは思わないが、
のど自慢の審査はやってみたい。
◆
さあここからサビのいいところ、というタイミングで鐘2つ鳴らされ、
歌っている人が、ちょっとコケる仕草をするのも毎週ある。
がっちりレッスンを受けてます的な人や、
いかにも店で歌ってます的な人も、結構出演する。
そうした人の場慣れ感に引きつつも、心のどこかで微妙に面白がるのも、
のど自慢の醍醐味である。
さらに、いつからそうなったのかは知らないが、
ステージの後ろに控える他の出演者の有り様が非常に気になる。
ゆっくりした曲はみんなで横揺れ、
ポップな曲はみんなで手拍子して、キメの部分でポーズを合わせるなど、
リハをやっているのではないかと思うくらい、不自然に統一されている。
時々、みんなどういう振り付けをするのかと不安になり、
周りを見て合わせようとする方も毎週目にする。
演歌の曲の際、どういうわけか、漁師が網をひくような振り付けをする
パターンもよく見られる。
漁師がらみの曲ならそれでもいい。
「さざんかの宿」や「酒よ」でも網をひく。
曲の中身は関係ない。演歌ならば何も考えず網をひくのだ。
「演歌=網をひく」という固定観念は払拭していただきたい。
せっかくの名曲が冒涜されているような気になる。
そして、ここ数年のNHKのど自慢において最も気になること。
のど自慢に出演した背景や、会場に来ている家族や知り合いを
殊更に取り上げることだ。
「若い頃迷惑をかけた親に感謝を込めて」、「入院している祖母へ」、
「来月結婚する友人に」、「苦労をかけている妻へ」など、
のど自慢に出演するには大儀がなければならないのかと思うほど、
殊更に取り上げる
まるで、「ルックルックこんにちは」でやっていた「女ののど自慢」の
ようである。
苦労話を切々と語った後、感情を込めて歌う伝説のコーナーである。
さらに、歌い終わった後、司会者が聞く。
「今日はご家族の方、会場に来てるんですか?」
「職場のお仲間の方の応援がすごかったですね」
そして、会場が映し出される。
大きな横断幕や、手をふる家族や仲間。
まるで、リーブ21の発毛日本一コンテストのようである。
このコンテストも謎である。
発毛したならそれでいいじゃない、と思うのだが、
発毛したことを人前でアピールし、
入賞した方はバンザイやガッツポーズをしている。
しかも、テレビCMで見る限り、結構な観客動員があり、
横断幕まで作って、家族や仲間らしき人が応援している。
法被や鉢巻きをつけている人もいる。
まるでアイドルの親衛隊である。
内情が色々とありそうなコンテストだ。
そういうわけで今週末もNHKのど自慢を見てしまいそうだ。
「NHKのど自慢」を見てしまうことが少なくない。
カラオケが街にあふれている現代。
いまやカラオケは、歌うことが好きな人にとっての娯楽というだけではなく、
コミュニケーション手段としての位置づけを確固たるものにしている。
とはいえ、私は未だに、人前でカラオケを歌うのは、
結構恥ずかしかったりする。
他人の歌詞を、機械の演奏で歌うというスタイルに、
いまひとつフィットできないのだ。
これは長年、自分の曲を自分の演奏で歌うことに慣れきって
しまったことの弊害であり、かつ、順応性の低さによるものだろう。
カラオケが大好きな方、得意な方はたくさんいる。
それはそれで結構なことだ。
ただ、「NHKのど自慢」というツールを使って、
テレビに出演して歌う、というのはすごいことだ。
度胸があるなあと、ある意味感心してしまう。
なにせ、のどを自慢するのだ。
自慢することを前提としてテレビに出るのだ。
中途半端な気持ちで出られるものではない。
「弟が勝手に応募して…」など、自分の意思で出演したわけではないことを
言いつつも、しっかり予選会場に行くのは、
結局のところ、自分の意思なのだ。
◆
のど自慢の出演者は、あらゆる点において調整されていると思われる。
10代からお年寄りまでの年齢構成と性別のバランスが、
毎回ほぼ同じである。
その日のゲストの曲を歌う人が3、4人。
職場の仲間同士による出演者が3、4組。
保育士、看護師、教師などの余興的なノリのパフォーマンスが多い。
鐘3つの人は6、7人になるようにする。
こうした出演者選定に当たっての作為的な部分を探るのも楽しめる。
ただ、様々な疑問もある。
のど自慢は、毎週全国のあらゆる場所を転々とし、
人口規模が小さい市町村で開催されることも珍しくない。
そういう時に起こる現象が「遠隔地参加」である。
例えば、滝川市でのど自慢を開催した際に
札幌市在住者が出演するパターンである。
滝川開催であれば、砂川や深川の方が出演するのはいい。
80kmも離れた大都市札幌から乗り込むのはどうなのかと。
その地域の人を見たいのだ。
その地域の人の歌を聴きたいのだ。
鐘3つの人と2つの人との人数的なバランスや、
年齢構成が多少偏ってもいいじゃないかと。
滝川開催なら、中空知地区在住者に限定してほしいし、
倶知安開催なら、羊蹄山ろくの町村在住者に限定してほしい。
倶知安開催で岩内町や余市町から出演するのでさえ、
ちょっと縄張りを荒らすような気がする。
また、「なぜこの人が鐘3つで、あの人が鐘2つなのか」と
思うことが少なくない。
鐘の数は10代、20代に甘く、特に、最近のふわふわしたバラードを、
あやをつけて歌った人に有利に働いているように感じる。
中高年が素朴に伸びやかに歌うパターンは、「なんで?」というくらい、
評価が低い。あやがついていないと心に響かないのか。
うがった見方になってしまうが、なんとなく予選の段階で、
鐘3つの人がある程度決められているような気もする。
そのため、本番で大化けしても拾われていないのではないか。
私は、ものまね王座決定戦の審査も、THE MANZAIの審査も、
ボクシングの採点もやってみたいとは思わないが、
のど自慢の審査はやってみたい。
◆
さあここからサビのいいところ、というタイミングで鐘2つ鳴らされ、
歌っている人が、ちょっとコケる仕草をするのも毎週ある。
がっちりレッスンを受けてます的な人や、
いかにも店で歌ってます的な人も、結構出演する。
そうした人の場慣れ感に引きつつも、心のどこかで微妙に面白がるのも、
のど自慢の醍醐味である。
さらに、いつからそうなったのかは知らないが、
ステージの後ろに控える他の出演者の有り様が非常に気になる。
ゆっくりした曲はみんなで横揺れ、
ポップな曲はみんなで手拍子して、キメの部分でポーズを合わせるなど、
リハをやっているのではないかと思うくらい、不自然に統一されている。
時々、みんなどういう振り付けをするのかと不安になり、
周りを見て合わせようとする方も毎週目にする。
演歌の曲の際、どういうわけか、漁師が網をひくような振り付けをする
パターンもよく見られる。
漁師がらみの曲ならそれでもいい。
「さざんかの宿」や「酒よ」でも網をひく。
曲の中身は関係ない。演歌ならば何も考えず網をひくのだ。
「演歌=網をひく」という固定観念は払拭していただきたい。
せっかくの名曲が冒涜されているような気になる。
そして、ここ数年のNHKのど自慢において最も気になること。
のど自慢に出演した背景や、会場に来ている家族や知り合いを
殊更に取り上げることだ。
「若い頃迷惑をかけた親に感謝を込めて」、「入院している祖母へ」、
「来月結婚する友人に」、「苦労をかけている妻へ」など、
のど自慢に出演するには大儀がなければならないのかと思うほど、
殊更に取り上げる
まるで、「ルックルックこんにちは」でやっていた「女ののど自慢」の
ようである。
苦労話を切々と語った後、感情を込めて歌う伝説のコーナーである。
さらに、歌い終わった後、司会者が聞く。
「今日はご家族の方、会場に来てるんですか?」
「職場のお仲間の方の応援がすごかったですね」
そして、会場が映し出される。
大きな横断幕や、手をふる家族や仲間。
まるで、リーブ21の発毛日本一コンテストのようである。
このコンテストも謎である。
発毛したならそれでいいじゃない、と思うのだが、
発毛したことを人前でアピールし、
入賞した方はバンザイやガッツポーズをしている。
しかも、テレビCMで見る限り、結構な観客動員があり、
横断幕まで作って、家族や仲間らしき人が応援している。
法被や鉢巻きをつけている人もいる。
まるでアイドルの親衛隊である。
内情が色々とありそうなコンテストだ。
そういうわけで今週末もNHKのど自慢を見てしまいそうだ。
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