レコーディングが近づいている。
私にとって、2009年上半期の最大イベントとなるだろう。
レコーディング日は、4月18日土曜日。
その日が間近にせまってきたせいか、
雑然と過ぎゆく時間の中で、
ふと、レコーディングは無事にできるだろうかと不安になり、
なんとも落ち着かない気持ちでいる。
その影響からか、忘れ物をしたり、
デジカメを床に落として壊したり、
テーブルに足の親指をぶつけるなど、
自分の中で何かが乱れているのを感じている。
レコーディングをするのは、「見慣れた街を抜け出して」、
「壊れたままの砂時計」、「心配いらないぜ」の3曲。
いずれも、クグエ的ナチュラルボーン感覚の作品である。
曲を作る時の過程は、大きく分けて2種類ある。
ひとつは、「こんなリズムで、こういう感じのフレーズがある曲を
作ろう」と、形や枠組みから作るパターン。
もうひとつは、街を歩いていたり、ギターを適当に弾いているうちに、
なんとなくメロディが浮かんで出来てしまうパターンである。
今回の3曲は、いずれも後者である。
つまり、何の意図も理想もなく、何にも縛られない状態だと、
今のクグエ氏は、こういうメロディの曲を作る。
いや、作るのではなく、出来てしまう。
この3曲は、リズムもスピードも同じような感じである。
しかし、味わいは違う。
スープは同じだが、醤油か味噌かの違いが明確にあるし、
麺の種類は同じだが堅さは違う。
トッピングを変えて、違いを出すのを私は好まない。
そういうことだ。
うまく言えないが、そういうことなのだ。
レコーディングでは、ギターを3つのパートに分けて録音する。
3つのパートは何かというと、
まず、古い言い方で「サイドギター」がある。
現在、一般的に言われている言い方だと「リズムギター」である。
次に、一般的な言い方だと「リードギター」がある。
クグエ的表現では、「ソロを弾くパート」である。
そして、もうひとつが、隠し味的ギターである。
ルーカレーにおけるチョコレートであり、コーヒーである。
普段は、バンド内でギター担当は私1人である。
この3つのパートを、どう分けて弾くか。
昨日の夜は、その最終的な整理をした。
問題は、隠し味的ギター・パートを、
普段は全く弾いていないことである。
私の想像の中だけで潜在的に存在していたフレーズが、
レコーディングの場で初めて顕在化するのである。
それが馴染むかどうか、効果があるのかどうかは、
レコーディングをしてみなければわからいのだ。
いわば、ぶっつけ本番である。
コーラスも同様である。
自分の中では、コーラス・パートのフレーズはあったものの、
主旋律を歌っている本人が、
普段の練習で、同時にコーラスをやるのは不可能である。
つまり、これまで試していないコーラスを、
レコーディングの場で初めて試すのだ。
とはいえ、楽しみでもある。
自分が歌っているところに、自分でハモるのだ。
この馴染み感や同化感覚は、何にも代え難い快感でもある。
バレーボールで言えば、自分がサーブしたボールを
自分でレシーヴするようなものである。
曲のタイプや、そのボーカルの声の質などにもよるが、
レコーディングにおいても、
ボーカルと別の人がコーラスをやる場合が多いだろう。
私はコーラスを目立せたくない意向である。
同化させて、いい意味で埋もれさせたい。
「あれっ、ここハモってたんだ」というふうに、
さり気なく存在させたいのだ。
レコーディングは4月18日、土曜日。
スタート時刻は、驚くべきことに午前9時である。
スタジオ側も、ミキサーの方も、
夜は何時になってもいいようだったが、
ベースのミチの意向により、早い時間のスタートにした。
そして午後7時にはレコーディングを終了している予定である。
完全にサラリーマン的時間設定である。
普段、仕事をしている時間帯、つまり一日のうち、
活力のある時間帯にレコーディングをするのがベストである、
というのがミチの狙い、というわけではなく、
単に、帰る時間が遅くならないように、という意図だけだろうが、
時刻など関係ない。
誰かの耳と心に届くことを願い、想像し、
つまずき為しえなかった悔しさと、そして希望と喜びを、
ギターと声に託してやるだけだ。
もう18日までは余計なことはしない。
あと2日は、仕事と音楽と壊れたデジカメの対応方法だけを考える。
デジカメ故障は悩ましい問題だ。