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お経を聴くのは嫌いじゃない。
なぜなら、心が安まっていくのを感じるからだ。
心が無になるような感覚になり落ち着くのだ。
なにげに流れているボブ・ディランの曲にほっとする感覚と
遠くない。

ただし、お経が上手な僧侶の場合に限る。

お経は、まさしくミュージックである。
メロディがあり、歌詞があり、展開もする。
さらには、木魚をはじめ、楽器的なものまである。

「お経はミュージックである」と捉えるならば、
当然、上手な人と下手な人がおり、
向いている人と向いていない人がいる。
私は、そこに敏感である。

お経が上手な僧侶は、声の厚み、深み、つやなどが違う。
発音も違うし、抑揚のつけ方もきれいである。
迫力タイプもいれば、実に味のあるタイプもいる。
いいお経を聴いた後は、ありがたい気持ちにもなる。
逆に下手な僧侶のお経は、ジャンル的には雑音に属するため、
時間が経つのが長く感じるし、損をした気分にさえなる。
「練習しろって」、「センスねえなあ」など、
失礼なことを考えながら聴いていることもある。

なお、お経を聴くのは、実家に僧侶が来た時や、
法事や葬儀の場だけである。
つまり、ライブでしか聴かない。
僧侶の方々は、もっとライブを大事にすべきだと思う。
それに、ある種のサービス業意識も持っていただきたい。

今後、この国が経験したことがない高齢化社会となる。
僧侶の需要も高まるだろう。
それによって、僧侶の質が落ちることが懸念される。
一方、過疎化が進む地域の寺はやっていけるのかと
心配になることもある。
ただ、間違いなく言えることは、
私には、僧侶や寺のことより、他に懸念したり、
心配したりしなければならないことがあるだろうということだ。
僧侶や寺より、自分の心配をした方がいいんじゃね?
ということだ。

なお、「お経はライブのみ」の私は、
もちろん、お経CDなどは持っていない。

私の車に乗り、カーコンポからお経が流れて来たら、
とりあえず、すぐに降りたくなるだろう。
また、i-podにお経を入れていたら、やばいだろう。

私は仏教への造詣が深くない。
仏教の教典や歴史の知識もかなり中途半端である。
ただ単純に、素晴らしいお経はいいよね、と、
BE-POP感覚で、あるいは芸的感覚で思うだけである。

自分で唱えようとも思わない。
完全受け身志向である。

高校を卒業するまで実家にいた。
その頃、毎朝、祖母はお経を読んでいた。
月命日(月3回くらいあった)には、家に僧侶が来てお経を唱えた。
このように私は、お経を身近に感じられる環境で育ったことが、
現在の状況に影響しているかもしれない。

しかし当時は、お経が退屈で、不必要に長く、
なんとも煩わしいもののように感じていた。
ところが、10年くらい前から、感じ方が変化してきた。
いくつになっても、まだまだ新しいものに出会いたいと思っている。
ところが、それと同時に、年齢を重ねるごとに、
小さい頃、身近にあったものに、
無意識のうちに出会っているようなことがある。
あるいは、意識的に出会いたくなることもある。
人生は不思議だ。
人生は前に進んでいるのに、
故郷へ帰る旅のような部分もあるのだと感じている。

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テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記





お経が生活の一部になった私から。これからの日本は高齢化が進み、核家族化が進んでいくでしょうね。それにともなって『仏壇を見ていく家庭の減少』と『仏壇を管理している人間の高齢化=管理体制が体力的に困難になってくる状態』が訪れるでしょう。まだまだ要素は沢山ありますが、僧侶の品格と共に、宗教が生活の中に確立が難しい?今の状態が続くと日本の仏教はどうなっていくかわからないですね(^^;
【2008/11/16 15:06】 URL | ころん太 #-[ 編集]

ころん太さん、コメントありがとう。
このネタで、コメントをいただけて光栄です。

仏壇管理は、現実的な大きな問題ですね。
仏壇を置く家庭が減り、ほんとにどうなっていくのでしょう。
ただ、手のひらを合わせて、目を閉じるだけで、
心は落ち着くものです。
今後、仏教との付き合い方は多様化するかもしれませんが、
ずっと生き続けていくものであることは間違いないでしょう。
【2008/11/16 23:03】 URL | クグエSW #-[ 編集]















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