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ライブまで一週間をきりましたので、改めてお知らせを。

■2013年3月2日(土)18:45
■スピリチュアル・ラウンジ
  (札幌市中央区南2西4ラージ・カントリービルB1)
ACTLSD/ギルチ/JuilliardNo Color Actor
         THE HEART OF STONE
adv:前1,000円→当1,500

開演時刻が変更になり、我々ザ・ハート・オブ・ストーンの出番も
19時20分に変更
になりました。
今回のライブはトークを少なめにして、曲で押していく予定です。
来られそうな方はぜひご連絡を。チケット、キープします。
よろしくお願いします。

           

ノルディックスキー世界選手権でのジャンプ競技に感動した。
金曜日の深夜は女子ノーマルヒルを、日曜日の深夜は混合団体を、
午前3時まで食い入るようにテレビ観戦した。
昨年のロンドン五輪は、女子バドミントン、フェンシング、
男女のマラソン程度しか見ておらず、
サッカーのワールドカップ予選は全く見ていない私だが、
ジャンプ競技の世界戦は夜を撤して見るのだ。

高梨沙羅選手が素晴らしい。ほんとうに素晴らしい。
素朴で、純粋で、誠実で、タフで、非常に好感を持っている。
もちろんジャンプの技術の高さは言うまでもないが、
アプローチの滑りだけでも見事である。
普通にスキーでゲレンデを滑っても相当上手だろう。

インタビューへの対応も実にしっかりとしている。
口調はまだ16歳のあどけなさがあり、それがまたいいのだが、
常に謙虚で、きちんとした態度で応じる。
それは彼女のハートの強さでもあるが、周囲の人間のアドバイスが
的確にされていることの表れでもあるだろう。

女子ノーマルヒルは、惜しくも銀メダルだったが、
自分の力をきちんと出せた喜びが表情にあふれていた。
その清々しさに目が潤んでしまった。
完全に娘を見る目線である。

混合団体の金メダルは快挙である。
私にとって、近年のスポーツでは、
駒大苫小牧の夏の甲子園優勝以来の興奮だった。
高梨選手以外の3選手も実にいいジャンプをした。
相当なプレッシャーだったと思うが、よくぞ克服したと思う。
竹内択選手も、伊東大貴選手も、いい表情だった。
ずけずけ感がなく、いい意味でストイックな感じがした。
小川コーチまで格好良く見えた。

25日夜には、BS放送で高梨選手の45分番組が放送された。
「私は地味で根暗なので、ほんとは表舞台の華やかなところには
 出たくない。でも、女子ジャンプがもっと注目されればと思うから
「私がこうしてジャンプをできるのは、先輩達が女子ジャンプの道を
 切り開いて、つないできてくれたから」など、
中年男を泣かせるインタビューが随所にあった。

最も胸を打たれたのは、インタビュアーの、
「まだ16歳なのに、色んなものを背負って大変ですよね」の問いに対して、
「色んなものを背負っているのは私だけじゃないです」と応えたこと。
泣ける。不意に泣けてしまう。自ずと泣けてしまう。

高梨選手は来年のオリンピックに向けて、
今後ますます注目も期待も高まるだろう。
しかし、まだ16歳。
既に世界のあらゆる場所で、様々な人の中でもまれてはいるが、
心身ともに大人への階段を上る中で、
考えすぎたり、迷ったり、気づいたら余計なものを背負ってしまうなど、
様々な壁にぶつかるだろう。

間違ってもバラエティ番組には出演させないでほしい。
願わくばCMのオファーがあっても辞退していただきたい。
とにかく競技に集中させてあげることと、
普通のティーンエイジャーとして生活を確保することを切に願う。
なぜだか親のような気持ちになってしまう。
どうか元気に過ごして、気持ち良く空を飛んでほしいと願うばかりだ。


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テーマ:スキー - ジャンル:スポーツ


まずは、ライブのお知らせを。

■2013年3月2日(土)18:30
■スピリチュアル・ラウンジ
  (札幌市中央区南2西4ラージ・カントリービルB1)
ACTLSDthe Dranckers/ギルチ/Juilliard
         No Color ActorTHE HEART OF STONE
adv:前1,000円→当1,500

ザ・ハート・オブ・ストーンにとって今年最初のライブで、
約3か月半ぶりとなる。
その間、年末年始をはさみ、ゆったりと活動をしていたが、
決して停滞ではなく、いい感じで充電していたことが窺えるライブに
なるのではないかと思います。

なお、出演時刻は19時05分の予定です。
よろしくお願いします。

                

さて、前回の記事で「わや」という言葉について語ったところ、
地域や世代によっては、「わや」の意味や使い方が違うことに
小さなショックを受けた。
このままでは、本来の「わや」が絶滅していく。
人々の遠い記憶の中にだけ存在する言葉とするには100年早い。
「わや文化」を継承していかなければならない。

思えば、北海道出身の有名人などが、
テレビやラジオで「わや」を使うことはなく、
北海道を舞台にしたドラマのセリフで、「わや」を聞いたことがない。
それどころか、北海道出身者以外の人による、北海道的なアクセントや方言を
用いたセリフはあまりにひどい。
「そんなふうに喋る北海道の人なんていない」、
「そのアクセント、どこの国からなのよ」など、
むしゃくしゃした気持ちになったことがある北海道人は多いだろう。

そんな中、映画「探偵はbarにいる」での阿知波悟美さん(今金町出身)は、
「そう、これなんだよ」と感動すらおぼえるほど、
実に正しい北海道のおばさんたるセリフだった。

CM
界では、あき竹城さんの「サビーナ」が、ザ・北海道たるアクセントだ。
あき竹城さん自身は山形出身だが、きちんと北海道ナイズされている。
「冬はやっぱりサビーナ」、「使ってみればいいっしょ」。
これが強烈すぎて、10数年間もこのCMが流れているのに、
「サビーナ」とはどういうものなのか、私はよくわかっていない。
というか、「サビーナ」が売られているところを見たことがない。

このCMの良さは、道内各地に住む素人女性が出演していることだ。
タレントを起用しているのにもかかわらず、
いかにも素人が出演しているっぽく見せるCMに、
「なんだかなぁ」と感じている方も少なくないはずだ。
その点、サビーナにおける素人のリアルさは素晴らしい。

タレントなのに、いい感じの素人的なリアル感を出しているのが、
野口観光の温泉バカンス47のCMだ。
40歳くらいの女性3人が、バスに乗って温泉に行く内容だが、
この女性達の普通感がちょうどいい。
もちろん素人に比べるとタレント・オーラはあるのだが、
タレント的な押しや場慣れ感がなく、
こういう女性達いるよなあ、と素直を引き込むような見事な人選だ。
最後に女性3人が声を揃えて、「無料送迎バス!」と言うシーンは、
この女性3人の高校時代を全く知らないのに、
高校生だった頃の面影が見えるような不思議な感覚を呼び起こす。

                ◆

北海道のCMつながりでもうひとつ。
だいぶ前から気になっているCMがある。
函館タナベ食品のCMである。
タラコだったか、いかシュウマイだったか、
函館弁丸出しのおじさんが出てきて、
「うまいべ~、食べてみれや」と言う。

何かおかしくないか。
「うまいべ~」は、現在食べている人に対する言葉だろう。
それに対して、「食べてみれや」は、まだ食べていない人に対する言葉だろう。
既に食べている人に対して、食べてみたらどうかと勧める矛盾。
今、いかシュウマイを食べているのに、
いかシュウマイを食べてみろと言われたら、どうしたらいいのだろう。

このCMは10年以上前からあり、放送されない時期がありつつも、
何年かに一度リニューアルし、今でもたまに見かける。
リニューアルしても、セリフは常に「うまいべ~、食べてみれや」である。
この矛盾に、クライアントも広告代理店も気づいていないのか。
それとも、気づいているのに、あえて矛盾を楽しんでいるのか。
あるいは、スポーツ体罰のように、気づいているのに言えない空気なのか。

なお、「食べてみれや」は、隠れた北海道弁ではないか。
標準語は、「食べてみれば」、「食べてみたら」だろう。
これに類似する言葉して、「やめれ」がある。
英語で言うと、「STOP」である。
北海道の人しか使っているのを聞いたことがない。
標準語は、男性なら「やめろ」、女性なら「やめな」だろう。

「やめれ」は、私の世代でいえば、
高校時代に同級生とふざけ合っている場面で、
「やめれって」と言うのがまず思い浮かぶ。

「やめれ」は、「やめろ」に比べると、
どちらも命令口調だが、「やめれ」は、「やめろ」に比べると、
きつさが小さく、温かみさえ感じる。
私も歳をとったということだろう。
歳をとったからこそ気づいたことでもある。
歳をとったからこその発見、出会いは結構面白いものだと思う。
アンチ・アンチエイジング路線で過ごしていきたい。

テーマ:北海道 - ジャンル:地域情報


2月11日月曜日、札幌CUBE GARDENに、
オカモトズのライブを見に行ってきた。
ソリッドでありつつ、突き抜けるようなサウンドは、
余計な形容をするよりも、実にロックらしいロック
と言った方が適切だろう。

「みんなと一緒に歌いたいと思ってこの曲を作ったんだ」、
「次は新しいアルバムの曲だぜ。みんな聴いてくれるかい?」など、
ちょっと古いスタイルのブルース色のあるMCも全く違和感がなく、
いい空気感を作ることができるバンドだと感心した。

オカモトズのメンバーは21歳と22歳。
それより年下のお客さんはあまり見かけなかった。
30歳前後の人が一番多かったように思う。
40歳以上と思われる人は1割くらいいただろうか。
ちなみに客の入りは、周囲の人との距離感にストレスや苦痛を
感じない程度に満員。300人近くいたのだろうか。

そういうわけで、お客さんのほとんどは彼らより年上。
20代前半のバンドでこの状況は素晴らしいことだ。
彼らは、決して若さに任せて突っ走るのではなく、
音楽に誠実に向き合っているのが伝わってくるし、
メンバーのトークも、お客さんに対して基本ため口なのに嫌味がなく、
むしろ人の良さみたいのがにじみ出ていた。
そんな彼らを、年上のオーディエンスは暖かく、微笑ましく
見守っているようにも見えた。
と同時にそれは、古くからある王道ともいえるロックンロールを
好きな人達にとって、彼らが期待の若手であることの表れだろう。

                 ◆

トークの中で、雪まつりを見に行ったという話をした。
メンバー4人で出かけ、こういう雪像を見た、こんな雪像があった、
こんなエピソードがあった、など延々と話したのだが、
お客さんの反応は、「へぇ~」や「ああ~」など。
そこでオカモトズは気づいた。
札幌市及びその周辺の市町村の人達は、
ほとんど雪まつりに行かないことを。

「えっ、もしかしてみんなあまり雪まつりに行かないの?」の問いに対して、
「行かな~い」の声多数。
「ちょっと待って、雪まつりに行った人、手をあげてみて」
すると、手をあげたのは30人くらい。
続けて、「じゃあ、毎年行かない人ってどのくらいいるの?」と問うと、
軽く100人以上が手をあげた。
「雪まつりの話をしたら盛り上がるかと思ったのに…。
 雪まつりに行ってはしゃいでる俺達って田舎者だよね。
 でもみんな、雪まつりには行かないけど、
 オカモトズのライブには来るんだ」
いい雰囲気を持ったバンドである。

アンコールでは、メンバーが物販のセールスをした。
「このタオル、かわいいでしょ。すごくかわいいでしょ。
 いや違う、めんこいっしょ」
この北海道向けトークに拍手が沸くとともに、
お客さんから、「なまらめんこい!」の声がかかる。
ここで、オカモトズは「なまら」というものを知る。
「“なまら”って、とても、とか、すごくって意味なの?」
会場から、「そう、そう、そう」の声多数。
そこからオカモトズは「なまら寒い」、「なまら美味しい」など、「なまら」を連発。
ひとしきり盛り上がって、少し飽きた頃、
「“なまら”のほかに、北海道弁なんかなんの?ちょっと教えて」
と客席にふる。
それに対して、客席前方から、「わや」の声がとんだ。

問題はここからだ。

オカモトズ「“わや”って、どういう意味?」
前方の客「すごいっていうこと」
オカモトズ「どんなふうに使うの?」
前方の客「“なまら”と同じ」
オカモトズ「えっ、“なまら”と同じなの?わや寒いとか」
ここで一部の客は盛り上がった。

おかしくないか。
「おい、それ違うだろ」と思った客は多いはずだ。
会場最後方の私を含めたオーバー40歳エリアでは、
違和感のせいなのか、ちょっとざわついた。

私が幼少の頃は、「わや」という言葉を使う大人がたくさんいた。
しかし、私の世代は、ほとんど「わや」という言葉を使わない。
高校の同級生では、音楽知人である赤井氏と矢作氏が使っていた記憶が
あるくらいで、私自身使ったことがない。
とはいえ、意味はわかる。
私は、「ひどい」、「どうしようもない」、「めちゃくちゃだ」みたいな意味で、
なんとなく乱雑な状態であることを表現しているものと理解している。
「なまら」と同じということは断じてない。

面倒くさい説明をすれば、「なまら」は形容詞を修飾する。
つまり、「なまら」+形容詞である。
英語で言えば「very」、訳せば「非常に、甚だ」である。
政治家が中国の行為に対して、「甚だ遺憾だ」と言う。
北海道弁で言えば、「なまら遺憾だ」である。

これに対して、「わや」は形容動詞なのではないか。
「わやである」なのだ。
昨日、網走の人は、「断水して、もうわやだ」と言ったはずだ。
英語で言えば、「heavy」とか、「hard」みたいな感じだろう。

オカモトズは調子づき、「わや面白い」、「わや眠い」など連発。
変な使い方に、心がきしむ感じがして、
オカモトズは、「わや」の使い方を誤ったまま、
札幌を後にするのかと考えたら、ライブどころではなくなり、
集中してアンコールのステージを見られなかった。
私の気持ちが、わやになった。

ただ、北海道の若者が、「わや美味い」などと使っているのを
耳にしたことがあるような気もする。
だとすれば、どこかの世代から「わや」の意味合いが違って
捉えられているということだ。
これは非常に気になる。なまら気になる。
皆さんのご意見を伺いたいほどだ。

今回、「わや」の使い方を考えてみて、
「わや」の前に、「もう」という言葉が付くのが自然だと
いうことに気づいた。
これは、「終わりだね」の前には、「もう」を付けるしかないのと同じだ。

私が北海道弁なのかどうか気になっている言葉は、「ばふらっと」だ。
「これちょっとまとめてみて。ばふらっとしたものでいいから」のように、
「大まか」、「ざっくりとした」みたいな意味で使われる。
北海道以外の人が使っているのを聞いたことがない。

オカモトズは、前述したとおり、「わや面白い」、「わやかわいい」など、
誤った使い方なのにもかかわらず、「わや」を面白がって多用した。
そんな中、合わせ技で「なまらわや」と言ったメンバーがいた。
その使い方は間違いじゃないような気がした。

テーマ:北海道 - ジャンル:地域情報


2月8日金曜日、新さっぽろのサンピアザ劇場に
芝居を見に行ってきた。
新さっぽろまでは地下鉄で行こうと考えていたが、
職場で近くに座っているJR通勤者から、
札幌駅から新さっぽろに行くならばJRで行った方が早いし安い、
とのアドバイスをもらったので、
たまにJRに乗るのもいいかと思いJR札幌駅へ。

ところが、電車が来ない。
発車予定時刻の直前になって、
「吹雪で電車が遅れている」とアナウンスが流れる。
結局15分ほど遅れて電車は走り出した。
冬にJRに乗るのは、ちょっとした賭けだ。

午後6時30分くらいだったこともあり、車内は激しく混んでいた。
寒い中しばらく待たされ、しかも満員。
札幌という地方都市ではあるが、
JR
で通勤するのは私にとってはかなり難儀なことだと思った。

しかし、毎日通勤する人達は慣れてしまうのだろう。
「慣れる」ことは、「忘れる」ことと同様、
生きていく上で極めて重要な能力だ。
おそらくや、ストレスから解放されるために最も必要とされる能力は
「慣れる」ことと「忘れる」ことではないのか。

               ◆

電車の遅れはあったものの、無事会場に到着。
サンピアザ劇場はキャパ約250の小さなスペース。
芝居を見るにはこのくらいがベストだ。

見に行ったのは、札幌の劇団「千年王國」(せんねんおうこく)の
「狼王ロボ」(おおかみおうロボ)。
1月19日から2月22日まで、
「札幌演劇シーズン2013-冬」と題し、
過去に札幌で公演されて好評だった5作品を、
再度公演するイベントである。

狼王ロボ 

5作品のうちどれを見に行こうか決めあぐねながら、
札幌演劇シーズンのホームページを見ていたら、
「狼王ロボ」は土日祝日の公演が全て完売、
チケットが残っているのは2月8日(金)だけだと知った。
このことで逆に興味が高まった。
それほど人気がある作品ならば是非見てみたい。
動物、肉体、派手な衣装という私が苦手な分野の芝居であり、
平日なので万が一行けなくなるかもしれないというリスクはあったが、
人気の高さに引きずられてチケットを購入した。
いつもは長い行列ができているラーメン屋が、
その日だけは行列がなかったので、
それほどラーメンは欲していなかったが入店したようなものだ。

そんな失礼かつ不純な動機で見に行くことにしたのだが、
ほんとうに素晴らしい芝居だった。
私は、毎年数回コンスタントに芝居を見に行くような本物ではなく、
気まぐれに年に2、3回見に行くような微妙な芝居好きであり、
履歴書の趣味欄に、「音楽鑑賞」とは書けても、
「芝居鑑賞」とは書けるほどのキャリアもハートもない。
そんな私が言うのもおこがましいが、
これまでに見た芝居の中で最も感動したといえる。

この芝居の原作は「シートン動物記」。
舞台は1800年代後半のアメリカの広大な平原地帯。
家畜を食い荒らすオオカミと、オオカミ退治を依頼された
シートン博士との壮絶な戦いを描いている。

まず心を持っていかれたのは、
狼役4人と動物(牛・犬など)役2人の身のこなし。
強さとしなやかさ、そして躍動感があふれる身のこなしだった。
ばらばらに動いているのにまとまりがあり、
単に激しいのではなく、細部の動きも行き届いており、
よく計算され、かつ鍛錬されたものだった。

なんというか、狼や動物の動きを良質のアニメにし、
それを実写化したような雰囲気があり、
ここは劇場の舞台ではなく、平原であり、荒野であり、谷であるかのような
心地よい錯覚をおぼえさせてくれた。
特に動物役の坂本祐以(さかもと・ゆい)さんの動きは素晴らしかった。
キレがありつつ、滑らかで柔らかく、
背中から膝の裏側にかけての身体能力の高さを感じた。
もっともっと活躍の場を広げていける才能を持った方だと思う。

芝居中のバック・ミュージックが生演奏であることも実に良かった。
南米の民族音楽のような郷愁を誘う演奏は、
人間をより動物らしく見せるとともに、
実体験はないのに、動物と人間が共生していた時代を
懐かしく思わせるような力があった。

もちろん、人間役の皆さんのセリフ回しも間合いも素晴らしく、
一人で複数の役を演じているにもかかわらず、
違和感や混乱を全く感じさせなかったのはすごい。
展開も淀みがなく、心を引っ張られたままラストまで駆け抜けた。
大自然の厳しさ、狼の怖さと頭の良さ、そして仲間を愛しく思う心。
子どもから大人まで楽しめる作品だと思う。

狼が疾走し、動物たちが野を駆け回るエンディングでは目が潤んだ。
それは、こんなに素晴らしい作品を作りあげ、
演じきったことに対する賞賛と、
瑞々しい感性のようなものを呼び起こされたような感動によるものだ。
いつかまたこの作品を公演してほしいと思う。

公演後、酒でも飲みながら、誰かとこの作品について
語り合いたくなった。
しかし私はひとりだった。
ひとりだからといって一匹狼というキャラでもない。
私は為す術もなく、まっすぐ帰宅した。
おお!神よ。

テーマ:演劇・劇団 - ジャンル:学問・文化・芸術


昨年12月19日の記事「おおしま通信」に関して、
はからずも、いくつかの反応をいただき、ありがたく思っている。

「おおしま通信」は、私の職場の昼休みにセールスに来る
生命保険会社の23歳の女性が、ほぼ週一のペースで配布している
A
5判のチラシ、今風に言えばフライヤーである。
生命保険については一切触れられていない。
最近は、当たり障りのない季節の出来事+クイズというパターンが多く、
時々思いがけず彼女の私生活の一端が書かれている。

おそらくや彼女が担当しているエリアの人達に自分を知ってもらい、
コミュニケーションを図る目的で発行しているのだと思うが、
もう半年以上も継続しており、現在は30号に達している。
この彼女のがんばりは素直に賞賛できるものだし、
力があるからこそ継続できているのだなと感心している。
また、おそらく配布している人達から反応があるから
継続できている面もあるだろう。

                  ◆

さて、昨年12月19日に、おおしま通信に関する記事を書いて以降も、
彼女は週に2回のペースで私の職場を訪れた。
なのに、おおしま通信を置いていかない。
発行がストップした。
私はやきもきした。
かといって、「おおしま通信、今週は発行されないんですか?」などと
20歳以上も年下の保険セールスレディに対して、
業務ではないことを問い合わせるなど、
恥ずかしくてできるわけがない。

彼女は、ビアガーデン、ハローウィン、ボージョレーなど
パーティ系のネタを必ず触れてくる。
ならば、クリスマスのことを書かないわけがない。
それに、礼儀正しく、押しつけのない柔らかな陽気さを持った彼女が、
年末の時期、「お世話になりました」的なことを書かないわけがない。
にもかかわらず発行されない。

年末なので色々と忙しく、発行できなかったのだろうと思い、
このやりきれぬ思いを、胸に閉じ込めることにした、一旦は。
しかし、おさまりがつかなかった。
何かがおかしい。
あの律儀な彼女が2012年最終号を発行しないわけがない。
おおしま通信への疑念を抱えたまま年を越せない。

そこで私は、別の部署にいる知り合いのところへ、
「おおしま通信、最近来てる?」と聞きに行った。
すると、「昨日か、おととい持ってきてましたよ」とのこと。
さらにまた別の部署の知り合いに確認すると同様の反応だった。
「あれ全部、取っておいてるんですか?」、
「久しぶりに何の用事で来たのかと思ったら、おおしま通信とは・・」など、
いい年して年末に何やってんですか的な呆れた気持ちが内包された言葉を
返されたもしたが、それもオーライだ。自覚している。
残念ながらこの迷走ぶりは愚かだとしか言いようがない。
欧米の人々はこんな私をステューピッドだと言うだろう。

結局、年内に私のもとに「おおしま通信」が届くことはなかった。
私は悶々とした気持ちで年を越した。
これではいけない。
けじめをつけなければいけない。
おおしま通信に一喜一憂している中年は、どう考えてもみじめすぎる。
欧米の人々はこんな私をミズリーとでも言うのだろう。

                 ◆

新年を迎え、私は「おおしま通信」と距離を置くことを決意した。
仕事始めから数日経った頃、
久しぶりに「おおしま通信」が彼女から手渡された。
「おおしま通信ばなれ」をするため、至ってクールに対応。

一応、「おおしま通信」に目を通す。
「年末年始は実家に帰省せず、高校時代の部活仲間と忘年会をしたり、
大学時代の友人と年越しをしました」、
「大掃除をしてゴミ袋5つくらい物や服を捨てました」(原文のまま)。
そんな、どうでもいい情報がたまらなく面白い。
「物や服を捨てました」という表現が琴線に触れる。
「物」という言葉をここで使うか!
「物を捨てました」である。
この独創性に衝撃を受けた。
保険のセールスレディが飾らない心で書いているから良いのだ。
そういうわけで、気づけば、おおしま通信に心を奪われていた。

しかし同時にショッキングでもあった。
年明け最初にもらったのがNo.27。
昨年最後にもらったのがNo.25。
やはりNo.26は私の部署には配布されていなかった。

これはなんとしても入手しなければならない。
しかし、恥ずかしさゆえ自分からは言えない。
困った。でも手にしたい。
私は、職場で隣の席にいる若手のM氏に、
「大島さんから、No.26をもらってくれ」と懇願した。

数日後の昼休み、彼女がいつものようにセールスに訪れた。
M
氏「おおしま通信、ひとつとんだよね」
O
島さん「えっ、去年の最終号、配ってなかったですか」
M
氏「もらってないよ」
O
島さん「ほんとですか」
M
氏「今度、持ってきて」
O
島さん「持ってきて、どうするんですか」
M
氏「まあ一応、全部とっておいてるから」
O
島さん「ほんとですか。嬉しいです。今度持ってきますね」
M
氏「あのぉ、2部ほしいんだよね」
O
島さん「なんでですか」
M
氏「俺以外にも欲しい人がいるから」
O
島さん「ほんとですか。そんな人いないですよ」
M氏「いやいやいや。俺より楽しみにしてる人いるから」
私の心の声『ここにいる。すぐ隣にいるぞ』
O島さん「わかりました。2部持ってきます」

この会話を隣で聞いていて、
「俺以外にも欲しい人がいるから」のあたりで、
私のことを言い出したらどうしようとドキドキしていた。

それから何日かして、欠番になっていたおおしま通信No.26が
届けられた。
ところがだ。
微妙にショックを受けた。
おおしま通信は、No.1から一貫して、
パステルカラーの用紙に印刷されていた。
No.
26は白いコピー用紙だった。

1301おおしま通信 

言われたから、とりあえずコピーしてきました的なやっつけ感が漂う。
何か軽視されたような印象。
それでも忘れずに持ってきてくれたのだ。
というか、私は彼女の営業に何らの貢献ができていない。
にもかかわらず、おおしま通信をください、と一方的に要求するだけでは
都合が良すぎる。
おおしま通信に対して、もっと謙虚にならなければいけない。

                  ◆

その後は、以前と同様に、週一で発行されている。
表題の横に書かれたクマらしき動物は「星子」という名らしい。
「今年ひいたおみくじは中吉でした。去年も中吉でした…」
「先日滑って転びました。今年は一度も転ばないと決めていたのに…」
「恵方巻きを食べるのはいいけど、南南東がどっちなのか、
  南南東に向けるのかが心配です」
「今年は一人ででも豆まきをしようと思います。
  でも私は豆が食べられないんです」

じゃあ、どうしろっていうのだ。
相変わらずの有益でも無益でもない、どうでもいい話。
実に良い。たまらなく癒やされる。
おおしま通信は、私の中で、共同通信、時事通信と並ぶ、
日本の三大通信だと思っている。
「おおしま通信社」と法人化してほしいくらいだ。

いつもありがとうございます。
求める一方で、ほんとうに申し訳ありませんが、
地道に続けていただければと思います。
そして幸せをつかんでください。

彼女にとっての幸せとは、夢とは。
夢は見るものじゃなくて叶えるものだと成功者は言いますが、
叶わないのもまた夢であり、
ただ、夢を描き、夢に向かって何かをし続けていると、
たまに夢の方から近づいてきてくれることがあります。
それをフォゲットせず、公私にご活躍ください。

テーマ:つれづれ日記 - ジャンル:日記


AKB48のメンバーが、男性とのお泊まり発覚により
丸刈りにしたという。
これに対して、擁護する向きが強いと感じている。
年頃の女性だし仕方ないんじゃないの、
本人も反省しているからいいんじゃないの、
丸刈りになんかなる必要はなかったんじゃないの、など。

AKB
48という狭い社会におけるルールを破っただけのことであり、
ましてや犯罪などではないのだから責められるものではないし、
というか、私にとってはどうでもいい話ではある。
だが、ちょっと言わせていただきたい。

本人も、総監督とかいう女性も、謝罪コメントは、
「ご心配、ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」だ。
これは、仕事の相手先と内輪のスタッフに対しての言葉だろう。
それは間違いだとは言わないが、少なくともファンに対してではない。
表向きに最初に出すコメントならば、
まずファンに向かってもいいのではないか。
彼女達に限らず、この手の問題が起こると、
謝罪コメントはいつも「ご心配とご迷惑」だ。

ファン心理としては、「心配」や「迷惑」より、
「がっかり」、「幻滅」ではないのか。
AKB48における恋愛禁止制度の重みがよくわからないが、
私が見てきた限り、恋愛禁止はAKB48の結構な「売り」というのか、
大きなセールスポイントだと思う。
そこを欺かれたようなものである。
「無農薬栽培」を売りにしておきながら、
農薬まみれだったようなものである。

AKB48メンバーの恋愛問題は、これまでにいくつかあった。
そして、その後どういう道をたどったのかを見てきている。
にもかかわらず、堂々とお泊まりしてしまう。
それでも主力メンバーは擁護してくれる。
ならば、恋愛禁止ルールなどやめてしまえ!
どうして私が熱くなるんだ?

丸刈りのメンバーは、研究生とやらに降格とか。
でもほとぼりが冷めれば元に戻る。
郵政民営化に反対し離党させられたが、
そんなに時間が経たないうちに復党させるのと同じだ。

AKB48には、Aチーム、Kチーム、Bチームというのがあるらしい。
何か意味があるのだろうか。
政党の派閥とも違うのだろう。
どうせなら、どれかのチームは恋愛OKにしてしまえ、と思う。
それができないなら、「恋愛生活が第一」みたいな派閥を作るべきだ。
それで総選挙を戦ってほしい。


いずれにしても、こうした恋愛沙汰を繰り返していると、
メンバーの士気に影響するのではないか。
あほらしいと感じているメンバーもいるだろう。
また、見つからなければいい、見つかっても周りがなんとかしてくれる。
こうなると、ファンのモチベーションが下がるだろう。
「恋愛禁止なんて、所詮ポーズなんだろ」で済まされ、
「どうせみんな、それなりに恋愛してるんだろ」と、
必要以上の想像や誤解を招くことになり、
メンバーへの興味や信用が失われ、
AKB48がつまらない存在になるのではないか。

なんらかんら言いつつ、AKBはアイドルでありファンに夢を与えている。
その夢を壊されたような気持ちになるだろう。
結果、若者のAKB離れが強まってくるのではないか。
しかしそれは危惧すべきものではない。
若者の政治離れに比べれば、どうだっていいことだ。

テーマ:芸能一般 - ジャンル:アイドル・芸能



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