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新しいパソコンを購入した。
21.5型のディスプレイは、やはり大きい。
大きすぎて、インターネットの記事によっては、
両サイドに意味もなくスペースがあったりして、
なんとも不思議な感じだ。

キーボードもマウスもワイヤレスになり、
特にキーボードは、押しが浅いタイプであることが、
わけもなく高級な感じがして、
こんなにパソコンに疎い私か使用していいものかと、
なんとなく戸惑いさえある。

日曜日にセッティングを完了した。
セッティングは、カルチャー知人であるオーガニック・オオガミ氏の
サポートなしにはできなかった。
というか正しくは、彼がサポートしたというより、
ほぼ全部、彼がセッティングしてくれた。

一旦、セッティング・モードに入ると、
彼の表情や振る舞いは完全に職人モードになり、
私が関わることは、介入とか、干渉と呼ばれるに行為に
該当するような気がして、彼の邪魔をしないよう過ごしていた。
正直、私が彼のためにしたことは、コーヒーを提供したことだけだ。

私だけでは、間違いなくセッティングできなかっただろう。
パソコンが変わっただけなのに、メールとインターネットは再設定が必要で、
この作業は私なら確実に挫折しただろう。
どうしようもなくなって、何日も放っておいた可能性だってある。

オーガニック・オオガミ氏に心から感謝である。
業者に依頼していたら、1万円以上かかっただろう。
いまや彼は、医者、弁護士と並ぶ存在といって過言ではない。

↓新しいパソコン
新しいパソコン 

誤算だったのは、以前のパソコンに入っていたe-メールが
すべて消える仕組みになっていたことだ。
数は少ないものの、e-メールでやり取りしていた人のアドレスが
わからなくなった。
また、なかには、写真や音源を送ってもらったものがあり、
貴重なものや、良い思い出たるものもあったが、
それも消えてしまった。

古いパソコンに入っていたハードディスクも壊れていた。
正確に言うと、ハードディスクは作動し、
どんなデータが入っているのかは表示される。
そして、文書ファイルは100%正常に起動する。
ところが、写真と音楽という、最も生きていてほしいデータを開こうとすると、
○○が壊れています」みたいな表示がされ、その先へ進めないのだ。

これは、パソコン・キングのオーガニック・オオガミ氏も手に負えず、
「業者に相談するしかないですね」と手を引いた。
ハードディスクに入っていたデータ量は33GB。
うち音楽が24GB、写真が8GBだったようで、
すなわち結果的に、ほとんどのデータは壊れていたということだ。

そこで昨日、業者に復旧診断を依頼した。
どのくらいのマネーがかかるものか。
5万円くらいで収まるならば、写真はなんとしても復旧したい。
5年半に及ぶ、おそらく4,000枚くらいの写真があるはずだ。
もう二度とない場面や景色だけに、これはなんとかしたい。

音楽に関しては、改めてCDをインストールすればいいのだが、
前のパソコンに入っていた24GBは、かなりの量である。
それだけインストールすることを想像したら、
CDの読み込み機能もへたるだろう。
実際、前のパソコンは、CDの読み込みが遅くなったり、
時々、激しくガサガサした雑音が入ることもあった。
CDの読み込み機能が故障するのは痛い。
あまり無暗に使いたくない。
これも、なんとか以前のデータを復旧させたいものだ。

そういうわけで、新しいパソコンには、まだCD4枚しかインストールしていない。
インストールしたのは、斎藤和義のアルバム2枚と、
ローリングストーンズのアルバム2枚だ。
家にあるCDコンポは、1年くらい前から読み込み機能が故障し、
聴けない状態。
つまりパソコンでしか音楽を聴けない環境にある。
ちなみに、DVDレコーダーもDVDの読み込み機能が故障しており、
パソコンでしかDVDを見られない環境にある。

我が家は読み込めないものだらけだ。
読み込めないものばかりに囲まれていると、
人の気持ちも、自分の気持ちさえ読めなくなってしまうのではないか。

なにはともあれ、パソコン故障事故は一段落した。
故障した11月19日から約10日間、
古いパソコン・データの復旧と新しいパソコン探しで、
いくつも何度も店を回った。
そして、なんとか新しいパソコンを使えるようになったのが日曜の夜。
安心したのか、疲労が表れたのか、
逆にパソコンを使う気にならなかった。
そして、さっき、日曜の夜以来、2日ぶりにパソコンの電源を入れた。

振り返ってみると、これだけジタバタしたのは、
データバックをしておかなければと思いつつ、やっていなかったこと。
それと、CDの読み込みが怪しくなってきていたのに、
まあ大丈夫だろうと、危機意識をもたなかったことによる。

攻撃は、もう少し考えてみてからでもいい。
しかし、守りは、思ったらすぐやらないとだめだ。
それがパソコンと付き合う上での鉄則だと知った。
それと、相談できるパソコン知人を持つことだ。
やはり、結局は人だ。

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不思議なもので、パソコンが故障し、
自宅にパソコンがなくなってから、ブログの更新頻度が高まった。
私は、マイナス状態になると、やる気が高まる典型的なタイプなのか。
確かに、屈辱感や劣等感を味わうと、やる気を出すタイプではある。

「ほめると伸びるタイプではなく、負けるとがんばり始める」とか、
「競わせるとやる気を出すタイプ」のようなことを、
中学の時も、高校の時も、教師から言われたことがあり、
もしかしたら、そのことがずっと、無意識のうちに頭の片隅に住みつき、
そういう人間性になっていったのかもしれない。
逆に言えば、過不足のない状態だと何もせず、ひたすら現状維持を好み、
もっと上へ、もっと先へとは思わないタイプである。

それはそれとして、今回はブックレヴュー。
パソコンが故障しても、読書だけは変わらぬペースだ。
極めて面白かった作品もあり。
それでは、どうぞ。

■辻村美月「光待つ場所へ」(2010年)
   光待つ場所へ
素直になれない、プライドが邪魔をする、勇気が出ない、など、
何かすっきりせず、悔しく、恥ずかしく、息苦しい日々を送る。
そんな10代、20代の女性を描いた短編が、三作収められている。

辻村氏の作品ついては、いつも似たような感想を述べてしまうが、
誰のセリフなのかわからなかったり、
ちょっとした説明が省略されている感じがして、
どんな場面で、誰と誰が会話を交わしているのか、わからない箇所がある。

つまり、筆者の思いに、こちらの想像がついていけてないのだ。
一歩一歩、足跡をつけるような書きぶりではなく、
突如、ぽ~んと飛んだり、ふわっと浮いてとどまっているような展開になり、
何をどうしたいのか理解に苦しむのだ。
心情の描き方は、丁寧で緻密なのにもかかわらず、
展開がところどころ不可解なのは疑問。

それでも最後まで読ませるから、辻村作品は不思議だ。
もやっとしつつも、最後まで飽きさせずにページをめくらせ、
きちんとしたオチがあり、結果的に何を書きたかったのかが伝わってくる。
なお、文体や表現の仕方は、私の好きなタイプではある。

三作の短編のうち、「しあわせのこみち」は、画家を目指す女子大生の話。
内にこもりがちな性格の主人公が、
初めて飲み会に行ったり、大学の男子学生と電車に乗らずに歩いて帰り、
心を開いていく場面など、ほんとに上手に描いている。
終盤、過去を整理し、素直な気持ちを表していく様子は、
清々しく、そして、ほろっとくるような、いじらしさがある。

ほかの二作の短編もそうだが、どろどろとした心境や、
誰しも思い当たりそうな青春の痛みみたいなものを軸にしつつ、
最後には、一番大切な気持ちを浮き上がらせ、
優しくほのぼのとした余韻を残す。
そして、どの作品も、登場人物の距離感がとても良い。
それだけに、こちらの想像で補えない点がいくつかあるのは残念。

(1994年)
   閉鎖病棟
1995
年の山本周五郎賞受賞作。
筆者の氏名は「ははきぎ・ほうせい」と読む。

精神科の閉鎖病棟に入院している患者達の物語。
彼らの閉鎖病棟における日常と、家族との関わり、
また、入院するに至った過去の出来事などを織り交ぜながら、
淡々と描いている。

いきなり大声でお経を唱えだす者、
特定の時間になると異常なまでに掃除に没頭する者、
並んでいる蛇口の端から端まですべて水を飲む者など、
患者達の奇異な行動が随所に登場。
これもまた、あくまで淡々と描いている。

病棟での演芸会、殺人事件、退院など、
ポイントとなる出来事が、いくつかある。
これもまた、当たり前の出来事のように淡々と描いている。

こうした一貫した淡々さが、静かな安定感を生み、
過激なシーンも、逆に、より読者に伝わるのかもしれない。
私の印象は逆だった。
もっとえぐってほしいな、もっと迫ってほしいなと思いつつ、
ちょっと歯がゆい思いで読了した。

特に、家族から厄介者にされ退院しても帰るに帰れないこと、
無愛想な医師に対する屈辱的な思いなど、
切なく、つらく、苦しい思いを、もう少し表面に出すとともに、
深く描いてくれてもよかったかなと。

内容自体は濃く、やりきれなくなったり、
ほろっときたりする箇所があるのに、いかんせん素っ気なく、
印象を薄くしている。
筆者と私との感受性の質の違いや温度差を感じずにはいられなかった。

ただ、ある患者の過去を描いている場面。
戦後の混乱と復興の中で、何かが捻じ曲がっていく様は
読み応えがあっただけに、全体としてもっとどうにかできたような。
文学の根本をわかっていない者の感想としてご容赦を。

■貴志祐介「悪の教典」(2010年)
悪の教典・上  悪の教典・下
非常に面白かった。
これほど夢中で読書をするのは、年に何度もない。
読書をするために早く家に帰りたいと思わせた作品である。

東京郊外にある私立高校の話である。
主人公は20代後半の英語教師。
教師達からの信頼が厚く、
親身でスマートな対応は、生徒達からも人気がある。
いわば、完璧な教師である。
しかし、その完璧さの裏には、
人間とは思えぬほどの「悪」が住みついていた。

この2か月くらいの間、最も読んでみたい作品だった。
ところが、札幌市図書館の予約は600件にも達し、
また、上巻と下巻があり、それぞれ1,800円ということもあり、
なかなか思い切れなかった。
しかし、思い切って上巻を購入。
あまりの面白さに、初日に100ページほど読み、
その翌日には下巻を購入してしまったほどである。

完璧と見られていた教師が次第に崩壊し、
信じがたい行動に出てしまう過程は、スピーディでスリリングで、
読むのをやめられなくさせる。
物語の流れは早いが、決して浅いわけではなく、
伏線の張り方も上手で、ウィットに富んだ英語のセリフも、
いいポイントになっている。

とにかくストーリーに圧倒される。
その点では、今年のナンバー1といっていい。
ネタバレになるが、かなりの人が殺される。
読んでいて不快になる方も多くいると思う。
それでも、緊迫感の高さと、どこへ行き着くのかの興味が、
不快感を超えてしまう。

この教師のクラスの生徒全員が登場するが、
生徒の棲み分けが巧みで、交通整理が行き届いているため、
読んでいて混乱することはない。見事だと思う。

正直、文学的な妙味は、それほどでもなく、
後にまた読みたくなるようなタイプの作品とは違うかもしれない。
しかし、映像がはっきりと浮かび(映像化されたらR-15は確実)、
いきなりノンストップの危険なドライブに付き合わされる。
ただ、過激で壮絶でありつつ、意外に意外性は薄い。
山、坂、カーブはあれど、たどり着くべきところにたどり着く感じ。
だからこそ、興味や集中をそらさず、ひたすら面白く読めたかも。
2010ブック・オブ・ザ・イアの上位は確実だ。

      ◇      ◆      ◇

ところで、本日(25日)、新しいパソコンを予約した。
日曜日には、パソコンが家にやってくる。
慌てふためき、振り回された日々も終わる。

しかし、新しいパソコンが届いたら届いたで、
パソコンのない生活に、あれほど弱気になり、
不安になっていたにもかかわらず、
「パソコンが新しくなったからって、何が変わるわけじゃないぜ」などと、
言いそうな気がする、そんな私。
ただ、それこそが、弱い自分をさらけ出しているようで、
逆に自分らしいような気がする。

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パソコンの故障により、落ち着かない日々を送っている。
パソコンではなく、自分が故障してしまったようで、なんとも情けない。
自分で自分をいたずらに振り回しているようでもある。
そんなハートの弱さを痛感している。
壊れてしまったものはしょうがない、お金で解決できるならいいんじゃないの。
などとは全く思えず、悶々としている。

とはいえ、修理対象にはしてもらえなかったからには、
新品にするか、中古にするか、いずれにしても、
パソコンを購入しなければならない。
というわけで下見に行って来た。

しばらくパソコン売り場を訪問していないうちに、ずいぶんと進化していた。
地上デジタルTVが装備されているモデルが多かったり、
ノートパソコンもデスクトップも、大して価格は違わなくなっていたり、
デスクトップは、パソコン本体が消え、ディスプレイに内蔵されたモデルが
主流になっていたりと、戸惑うばかりだ。

パソコンは、ほぼ音楽鑑賞と音楽研究とインターネット程度しか
使用していない私にとっては、
高度な画質や充実した機能は、それほど重要なことではない。
そのくせ、ディスプレイは大きいほうが好みだったり、
機能に全く関係のない微妙なデザインをやけに気にしたりと、
どうしたらいいのか、よくわからなくなっている。

故障したパソコンに関しては、ハードディスクを取り外して、
無事かどうかを確認してもらうため業者に依頼。
壊れたパソコンと新しいパソコン探しの間で、
あっちに行ったり、こっちに行ったり、
なんだか得体の知れない病気になり、
色々な病院を駆け回っているかのようだ。

いまやパソコンは、完全に生活必需品であり、
極端に言えば、ある意味、家族のような存在かもしれない。
例えば、恋人を失うより、パソコンのデータを失うほうのショックが大きい若者は
現実にいると思う。
すごい世の中だ。

このようなパソコン依存の生活に陥っていることへの自覚が足りなかった。
危機管理意識が低すぎた。
いまやパソコン保険があってもいいのではないか。
スタッドレスタイヤのように、まだ使えそうだけど安全と安心のため買い換える。
そんな意識がパソコンにも必要なのかもしれない。

ただ、いつまでもパソコンに振り回されてもいられない。
今年も残りわずかで、何かと忙しいし、
なんといっても、12月17日にはライブがある。
改めてお知らせさせていただきます。

■日時 2010年12月17日(金)
■場所 ホール・スピリチュアル・ラウンジ
      (
札幌市中央区南2西4)
■出演  ワタナベマモル/Dann and The Rythm Jerks/
      D.O.G/BAD SIGN/苦虫噛潰対/
         THE HEART OF STONE
■OPEN 18:00 START 18:30

■前売 1,500円 当日 2,000円

      ◇      ◆      ◇


今回のライブは、新しい曲と10年以上ぶりにやる古い曲を
織り交ぜてお送りする予定である。
ライブで披露するであろう新しい曲のひとつがこれだ。

ロックンロールナイト

あれこれもう山積みだぜ けれども忘れてしまおう
今夜はそうロックンロールナイト ひずんだ音 身をゆだね
面倒なことは全部後回し

ところがbaby 油断したら 現実忍び寄ってくる
振り切れbaby 気を抜くなよ 引き戻されたくないだろ yeah 
うっかりしたら がっかりするぜ

baby baby やらないといけないわけではないけれど
baby baby しびれてる ロックンロールに
うねる音の波の中を泳げば イッツ・オールライト

そんなことはできないぜと 気持ちを強く持つべきだ
だって今日はロックンロールナイト エネルギーは全てそこに
季節はずれの花火を上げよう

勇気なんか必要ない 理由なんかいらないぜ
楽しむのさロックンロールナイト 荷物降ろし かき鳴らせ
身軽になって 気軽にいくぜ

baby baby 飛び出せば 後から何かがついてくる
baby baby 突き抜けろ きっと出会えるぜ
今まで知らずにいたこと 素敵なことかもしれない
うねる音の波の中を泳げば イッツ・オールライト

      ◇      ◆      ◇

タイトルどおり、ロックンロールナンバーだ。
しかも、かなりベーシックロックンロールで、
ところどころローリングするストーンズ的なフレーズを盛り込んでいる。

この曲で言わんとしていることは二つある。
ひとつは、ロックンロールに臨むのは、けっこう大変だということだ。
刺激的で楽しいものなのに、
ふっと気を抜くと、現実が頭をよぎって、やや憂鬱になったり。
でも、そんなことは忘れなさいと。
無理してでも忘れなさいと。

また、ワンコーラス目のサビは、
「やらないといけないわけではないけれど」などと、
弱気だとか遠慮だとかを通り越して、言い訳ともとれるほど消極的である。
それでもやったらしびれてしまう。
ならば、それでイッツ・オールライトだろうと、正当化している。
それ以降は一転して強気な姿勢である。

もうひとつ言いたかったことは、ロックンロールの可能性だ。
厳しい状況の中でも、とにかくやり出せば、何かが動く。
そして何かに出会える。
それは素敵なことかもしれない。
まだまだ知らないことがたくさんある。
ロックンロールが扉を開いてくれる、そんな可能性だ。
ロックンロールが、自分にとって、こういう存在であることは
とても有り難いし、嬉しいことだ。

また後日、ライブに向けた記事を書きます。
今回は、自分でもほんとうに楽しみなライブである。
いいライブができると思います。
見に来てください。

テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽


金曜日の話だ。
パソコンの電源が入らない。
何度も試みるが入らない。
配線を確認したほか、他の電気製品の具合も確認。
何も異常はない。
とにかくパソコンの電源だけが入らない。
ほのかに電源の灯りはつく。
しかし、一秒も経たずに消える。

一時的に機嫌が悪いだけかと思い、その日はあきらめた。
翌日、再度試みる。
ところが、状態は変わらず。
いよいよ穏やかじゃなくなった。

土曜日はバンドの練習があった。
メンバーであるベースのミチはパソコンに詳しい。
練習後、彼に家まで来てもらい、
パソコン本体を解体し、症状を診断してもらった。
しかし、原因はわからず。

結局そのまま、ヨドバシカメラに修理に持ち込んだ。
見積もりが出るまで10日から2週間かかると言われた。
さらに、「購入から5年半が経過していたら、
修理を受け付けない可能性が高い」と言われた。
このパソコンは購入後55か月を経過しており、
なんとも微妙なところだった。

そしてパソコンのない週末を迎えた。
驚いた。
ほんとに驚いた。
世界から取り残されたかのような孤独感と不安感に苦しんだ。
パソコンのないことで、こんなに憂鬱になるとは思わなかった。

パソコンは毎日使っていたわけではない。
2日に1回くらいだろう。
とはいえ、テレビを見ている時間よりは
確実にパソコンの電源が入っている時間のほうが長い。
CDコンポが故障している私にとって、音楽を聴くときは完全にパソコン。
情報入手もパソコン。ブログの更新もできない。
その他もろもろ、知らず知らずのうちに、完全にパソコンに依存していた。
支配されていた。操られていた。すがりついていた。

昨日も今日も、パソコンがないことで頭の中が満たされ、
何をしていても、浮き足立っているような気持ちだった。
気になるのは、パソコンに入っていたデータだ。
動画はほとんど保存しておらず、写真と音楽と文章しか入っていないので、
容量的には余裕があったはずだ。
しかし、バックアップを全くしていなかった。

音楽データは、またCDからデータ入力すればいい。
問題は、この5年間にわたる写真と重要情報を記した文書だ。
不安の最大要因は、それを失うことかもしれない。

見積もりが出るまで10日から2週間、とは長すぎる。
見積もりが出されてから、また待たされるのだろう。
修理代も高くつくかもしれない。
そんなことを考えていた今日の夕方、バシヨドさんから電話がきた。
モデルが古く、修理の対象外だと言われた。
故障の原因さえ調べられていない。
それ以前の段階で払いのけられた。

こうなれば、新しいパソコンを買うしかない。
全くそんな気がなかっただけに痛い出費だ。
モデルを選ぶのも億劫だしい、その後の取り付けだなんやかんやが
非常に面倒だ。
そろそろいい時期だし、買い換えようかということで
パソコン選びをするなら楽しいだろう。
しかし、予期せぬ緊急事態が発生し、購入を急がねばならない状況は、
いまひとつ楽しみに欠ける。
しかし、どうしようもない。
今となっては、なきゃ困る。ほんとに困る。

たかがパソコンひとつで、何をあたふたしているのかと思う。
病気やケガ、大きなミスや事故に比べれば、なんてことはない。
それに、誰に迷惑をかけているわけではない。
なのに、この不安と焦りはなんだろう。

そして、このブログだ。
次はいつ更新できるかわからないので、
とりあえずパソコン崩壊の事態を知らせなければと、
ネットカフェなるところに来て、これを書き込んでいる。
ネットカフェなるところに初めて来た。
ここは、自遊空間札幌光星店だ。
1時間利用するだけだ。
なのに、入会金を徴収された。
ルールなのでやむを得ない。

なんとも不思議な空間だ。
個室だ。
壁の雰囲気、照明、たくさんの電子機械が静かに作動しているような音。
なんとなく船の中にいるようだ。

私は近々パソコンを買うことになるだろう。
いまや、テレビ以上の必需品
しかし、壊れました、はい買いましょう、と、気持ちの切り替えが全くできない。
きっと明日も悶々と過ごすのではないだろうか。
誰かと話がしたい。
誰かに無性に会いたいような。
ほんとにパソコンに依存していたと反省する。
今回の事態は、そんな私への警告なのかもしれない。

p.s 自遊空間札幌光星店から、「ご利用半額券」なるものをもらった。
また、ここに、ブログを更新しに来るような気がする。

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今回は、全て東区のラーメン店。
年々、他の区にラーメンを食べに行くのが億劫になってきている。
例えば、ラーメンを食べに
西区へ行くのも、小樽へ行くのも感覚は同じで、
極端に言えば、
厚別区へ行くのも、旭川へ行くのも、
面倒さはそれほど変わらない。

今日は嫌味を言われましたわ。
知らんふりして受け流しました。
議論すると、後々面倒なので。
他の区にラーメンを食べに行くより何十倍も面倒なことになるので。
そして私はラーメンをすする。

■阿修羅(札幌市東区本町2条5丁目 環状通沿)
阿修羅/店
今、札幌で次から次に増えてきている、いわゆる二郎系ラーメン。
こちらも、いつからかメニューに登場。
そのメニューは「小阿ッ修」、「中阿ッ修」、「大阿ッ修」と表記されている。
読めない。
なので、メニューを指さしてオーダーした。
すると、「しょうあっしゅ、ですね」と言われた。

小阿ッ修(200g・正油)/780円
阿修羅/小阿ッ修(使用前)
「小阿ッ修」は麺が200g。「小」なのに、結構な量である。
二郎系らしく、麺は極太、ニンニクは相当強烈、スープの味も濃い目。
同じく二郎系の「てら」さんよりパワフルで、
「ブタキング」さんより洗練されている感じがする。
ちなみに、こちらのお店は、環状通をはさんで、
ブタキングさんの真向かいに位置する。

阿修羅/小阿ッ修(使用後)
それにしても、威力があるラーメンである。
威力がありすぎて、また、体調が万全ではなかったこともあり、
麺さえ完食できなかった。
ただ、体調が万全だったとしても、昼食で完食するのはきつい味と量。
スープと麺の強烈さだけではなく、チャーシューも分厚く大きい。
それが2枚だ。私は1枚すら食べきれなかった。

とりあえずもう一度食べてみたい。
というか、「挑戦したい」という表現が適切かもしれない。
その際は、チャーシューは1枚にしてもらおうと思う、エコのため。
二郎系が好きな方は、ぜひ食べてみるべき。
もっと人気があっていい店だと思う。

■拓味(札幌市東区中沼町29-30
拓味/店
モエレ沼公園の東側、それほど住宅があるわけではないところに、
目立たず、ひっそりとある店。
昼間でも、うっかりすると、見落としてしまいそうなほど。
それでも、きちんとお客さんが来て、適度に回転する。

拓味/つけ麺(しょぅゆ)
まず、つけ麺(しょうゆ)790円。
麺は、一般的なサッポロラーメン。
普通なようで実は、麺臭さがなく、歯ごたえが良く、
配慮されている麺との印象を持った。

つゆは、ベースが鶏ダシなのでしょうか。
あっさりしていながら、味は麺によく絡み、
また、粗びき黒胡椒のスパイシーさの加減も良く、美味しいと思う。
ただ、ゴマが多すぎか。途中から、ゴマ味のつゆのように感じてきた。
ところが、麺に添えられているレモンを絞ると、
これがすっきりとしていて非常に良い。
結局はどんどん食べられ、まだ食べたい気持ちを残して完食。
たまには、こういうつけ麺もいいかも。

拓味/しおラーメン
次に、しおラーメン(680円)。
鶏ダシが、奥深く穏やかに利いている。
魚ダシもほんのり香り、きちんとされているスープかと。
しかし、次第に何かの味が強いように感じてくる。
その正体は、ゴマ油だった。またしてもゴマだ。
麺は、やっぱりいい。
普通なのだが、存在感があるというか。
地味な佇まいも含め、不思議な魅力がある店だ。

■たけ田(札幌市東区北32条東18丁目 仲通り)
たけ田/店
ベタな言い方をすれば、「てつや」さんのラーメンに近いです。
背脂ベイベーは、きめ細かく食欲をそそります。
麺は強い黄色。縮れも太さも普通で、けっこう硬め。
これぞサッポロラーメンたる麺といえる。

しょうゆ/700円
たけ田/しょうゆ
私の味覚では、正油味が強めで、ちょっと苦みあり、に感じました。
見た目も質もよろしいと思いますので、
しょっぱさを抑えて、まろやかさがプラスされれば、
さらに美味しくなるような気が。

チャーシューは大きくて肉厚。ステーキ然としています。
私にはちょっと多いです。
お店の方は、ボクサーだったとか。真摯な対応でありました。
ただ、減量には完全に不向きなラーメンであります。

テーマ:ラーメン - ジャンル:グルメ


今回はブックレヴュー。
3冊を紹介。
よろしくどうぞ。

■道尾秀介「球体の蛇」(2009年)  
         道尾秀介/球体の蛇
主人公は高校2年生の男子。
両親は離婚し、母は家を出て、父は単身赴任。
そのため、幼少の頃から懇意にしている隣の家で暮らしている。
隣の家族は、父と中学三年生の娘(次女)の二人暮らし。
母と娘(長女)を数年前に事故で亡くしている。

ある日、亡くなった長女に似た女性(20代)を見かける。
主人公の男子は、彼女のことが気になって仕方なくなる。
異常な執着心の末、彼女と知り合いになり、
彼女の家にも訪れるようになる。
次第に仲が深まるうち、彼女が、隣家の母と長女が亡くなった事件に
関わりがあることを知る。
果たして真相は。

もう、なんとも変な感じで引き込まれる。
道尾作品らしい不吉な気配を漂わせながら、
薄もやの森の中へ引きずり込んでいくような展開。
行動の異常性や、どぎつさなど、読んでいて痛くなるが、
ぎりぎりのところで、すっと抑え、流麗な雰囲気にしてしまう。
陰鬱なことを品良く描いてしまえる、ほんとに世界を持った作者だと思う。

過去の過ちをひきずって悶々と過ごし、時に爆発してしまう。
特に、亡くなった長女に似た女性にのめり込んでいく様は怖くもある。
愛しさと優しさと衝動が入り交じり、結局傷ついてしまうような、
なんともいえない切なさがある。
きゅんとなるような切なさではなく、哀しい切なさである。

エンディングにおける逆転した真相は、果たしてほんとうなのか、
また、それは、希望なのか、後悔なのか。
もやっとしたところはあるが、驚きと切なさが、もやっと感を超え、
なんともいえない確かな余韻を残してくれる。

ただ、「球体の蛇」というタイトル。
なんとも馴染みにくい言葉で、全くピンとこない。
読み終わっても、このタイトルにした理由や効果がわからない。
彼の昨今の作品、「光媒の花」(こうばいのはな)の「こうばい」や、
「龍神の雨」(たつじんのあめ)の「たつじん」などにしても、
すっと入り込めず、読んでみようという気持ちの壁になっている。
ところが読んでみると、引き込まれる。
この「球体の蛇」は、これまでの道尾作品の中で、一番良かったかも。

■大崎梢「夏のくじら」(2008年)
         大崎梢/夏のくじら
主人公は四国・高知の国立大学の1年生。
高校まで東京で暮らしていたが、高知にやって来た。
そんな彼の、「よさこい」とともに過ごした夏を描いている。

札幌では、よさこいソーラン祭りが、すっかり定着し、
今や季節の風物詩といっていいほどである。
90年代は、よさこいソーラン祭りに相当な距離を置いていたが、
ここ数年は、なんら意見することなく傍観できるまでに私は寛容になった。

この作品を読んでみたのは、よさこいが、どうのこうのではなく、
青春小説として、じわっとした感動を味わえるとの書評を読んだからだ。
それと、私が行ってみたい都道府県ランキングで、
高知県は、沖縄県、長崎県とともに、確実に上位に入るからだ。

よさこいが、チームとして成立する過程を親切に書いている。
その中で印象に残ったのが、
高知では、「今年はどこのチームで踊ろうか」と、
毎年、チーム選びをする踊り手がたくさんいること。
また、人気の踊り手は、数チームから誘われること、である。
毎年、同じチームで踊るのが当たり前だと思っていたら、
高知では、どうやら、そういうわけでもないようである。
それが興味深かった。

物語は、なかなか前に進まない感じがして、
私の読書リズムとは、ちょっと合わなかったかなと。
展開が遅い中、主人公はいつのまにか、よさこいにはまり、
急に上達したように思えて、いまひとつ感触も得られなかった。
踊りの描写も、うまくイメージできなかった。
これは、私のよさこい力の低さも大きく影響しているだろう。

また、よさこい活動と平行して、恋愛も絡んでくるのだが、
主人公の熱い気持ちが伝わらず、なんとも歯がゆかった。
とにかく、全体を通して、じりじり感とふわふわ感があり、
なかなか気持ちが乗らず、読書速度も鈍った。

ただ、これを読んで、よさこいを見たくなる人は多くいると思う。
素直に青春小説として、高い評価をする人も多くいるだろう。
実際、タイム&マネーに余裕があれば、
私も、本場高知のよさこいを見てみたい。

ハッピーエンドの加減は良かった。
ひとつ大人の階段を上がったような清々しさと暖かさ。
それでいて夏の終わりのように、ちょっと寂しい。
それがなんであれ、何かにかけた夏はいいなあと素直に思える。

■乾ルカ「あの日にかえりたい」(2010年)
         乾ルカ/あの日にかえりたい
札幌出身の女性作家の作品。
6作の短編が収録されており、全て舞台は北海道。
どの作品も、「死」をベースにした内容である。
なお、漢字にかなり振り仮名がつけられていることから、
小中学生が読むことを考慮したものと思われる。

6作を簡単に紹介しよう。
「真夜中の動物園」
  ~寂れて入園者が乏しかった頃の旭山動物園

    と思われる動物園を舞台にした小学生の成長物語。
「翔る(かける)少年」
      ~北海道南西沖地震で被災した小学生と
その母親の話。
「あの日にかえりたい」
      ~特別養護老人ホームに入居している
偏屈なじいさんの人生に
          まつわる話。この老人ホームは真駒内ふきんではないかと予想。

「へび玉」
   ~高校卒業の時、15年後にまたここに集まろうと
          
約束した5人の女子高生の、15年経った今の話。
did not finish
      ~競技中に転倒した
プロスキーヤーが、死の間際に浮かんだ過去の話。
「夜、あるく」
      ~東京から札幌に転勤した女性が、
夜に近所をウォーキング
          している時に出会ったおばあさんの話。


どの作品も、なんというか途中から書き始めているような感じがして、
ストーリー上、どのあたりの位置を読んでいるのか、
なかなか把握できず、話の中に入っていくのに時間がかかった。
後半にきて、ストーリーはつながりを見せるものの、
次第につながっていくドキドキ感にも、ちょっと乏しい気がした。

とはいえ、読み終えると、心温まる作品だったと思える。
と同時に、思わず不意に涙してしまう作品もある。

「翔る(かける)少年」に登場する母は、小学生の父の再婚相手。
母と小学生は、なかなか上手くやっていけずに日々を過ごす。
そんな時に起こった南西沖地震。
後になって、実は二人とも、お互いに仲良くなりたかったことを知る。
ある瞬間から、突如、涙腺が緩んでしまうこと必至。
切なくて、悲しくて、胸が締めつけられ、
少しの間、何もできなくなってしまった。

「へび玉」も良かった。
この作品の舞台になっているH高校は、
15年前と現在とを比較した周辺地域の変化や、
JR線と地下鉄駅の位置関係などからして、
札幌北陵高校をイメージして描かれているのではないだろうか。
準主役の女子生徒は、隣町のA町からJRで通っている。
このA町は、
当別町を想定したものだろう。

高校卒業から15年。現在33歳の女性。
目の下のたるみ。鼻から口元への皺。張りをなくした頬。
そんな老いの気配に憂鬱になる毎日。
それに対して、終盤、準主役の女子生徒が言ったこと。
このセリフで、一気に泣けてしまいます。

今、ぱっとしない毎日や苦しい毎日を送っているとしても、
何年か、あるいは何十年か経ったとき、
かえりたい「あの日」は、もしかしたら「今」になるかもしれない。
そんな気持ちで歩き続けなきゃいけないぜ。
生きていることに感謝。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌


まずはライブのお知らせを。
12月17日(金)にライブに出演します。
詳細は次のとおり。

■日時 2010年12月17日(金)
■場所 ホール・スピリチュアル・ラウンジ
      (
札幌市中央区南2西4)
■出演  ワタナベマモル/Dann and The Rythm Jerks/
      D.O.G/BAD SIGN/苦虫噛潰対/
         THE HEART OF STONE
■OPEN 18:00 START 18:30
■前売 1,500円 当日 2,000円

ライブへの意気込みなどについては、後日書きたいと思います。
これまでで一番良いライブができると思っています。
チケットのご用命、随時受け付けております。

    ◇     ◆     ◇

さて、1か月ほど前の話。

i-podをシャッフルで聴いていた。
その時、偶然流れたのが、忌野清志郎氏の「誇り高く生きよう」。

夢助
この曲は、2006年にリリースされたアルバム「夢助」に収録されている。
これまで何度となく聴いた曲であり、
その時もなんとなく聴いていたのだが、
ふと、サビの歌詞が強烈に迫ってきた。

「口癖のようなありふれたラブソング
 今夜も君に歌うよ ほんとの気持ちだから
 風に消されそうなちっぽけなラブソング
 君が受け止めてくれる 強く抱きしめておくれ」


なんて暖かい歌詞なのだろう。
キヨシローが歌うからこそ伝わる暖かみであり、優しさであり、
固まった心がゆっくりと、ほどけていくようだった。

と同時に、まだ歌いたかっただろうに亡くなったことや、
自分の侘びしい毎日などと重なり、涙ぐみそうになった。

それ以来、すっかりこの曲にはまり、ヘビーに聴いている。
上記の歌詞のところで入ってくるキーボードなのか、シンセサイザーなのか、
それがすごくいい雰囲気を醸しだしている。
間奏の後半に入ってくるバイオリンも、この曲を気高いものにしている。

この曲には、「どんなに暗い夜も乗り越えていける」という一節がある。
「暗い夜」の「暗い」が、「CRY」に聴こえてしまうキヨシローの
歌唱にも改めて感動する。

私は、この曲のギター・コードをコピーした。
大きな声で歌わずにはいられなくなり、
この曲を歌いたいがためにスタジオに行った平日の夜もあった。
そこまで夢中にさせるキヨシローの音楽というのは、
言葉では軽くなるほどに偉大だ。
いい表せはしない。


GO GO 2・3'S
「誇り高く生きよう」とともに、はまったのが、
「いつか観た映画みたいに」という曲である。
1992年にリリースされたアルバム「GO GO 2・3S」に
収録され、当時はよく聴いていた。
オールド・ロックのテイストと、キヨシローのソウルが
見事に融合した、途轍もなくしみるラブソングである。

サビで、「もう泣かないで」という歌詞が出てくるが、
この言葉が、キヨシローほど似合う人はいないだろう。
「愛がポロポロこぼれる物語さ」というフレーズがある。
この「物語さ」という部分は、
完全に「もの“ガッタ”りさぁ~」と聴こえる。
「ガッタ」ありきで、「物語さ」という歌詞にしたとしか思えないフィット感である。

この前の水曜日、諸々のストレスにより気分は低下。
キヨシローの曲なしには帰れない夜だった。
午後8時45分に帰宅して夕食。
もやもやしたものが全く抜けず、
「誇り高く生きよう」と「いつか観た映画みたいに」を
大音量で聴くためにドライブに出かけた。
外はどしゃ降りだったにもかかわらずだ。

気分転換のためにひとりで夜のドライブに出かけるというのは、
一般的には決して珍しくもないのかもしれないが、
私にとっては極めて異例だった。
それほどまでに、キヨシローのヴォイスを欲していたのだ。

車が走り出した時から、もう一緒に歌っていた。
車は北へ。石狩市との境界あたりで引き返し、
篠路から拓北、あいの里と、わざと遠回りして帰ってきた。
ところが、まだまだ走りたい気分だった。
そこで、再度出発。今度は、江別市との境界あたりで引き返してきた。
帰宅した時は午後11時30分頃だった。

何をやってるんだろう、とは思う。
しかし、それとなくすっきりした。
なんとなく気が済んだ。
どう思われようが自分の人生だろ、と
キヨシローに言われた気分だった。

テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽


先日の土曜日、旭川に行ってきた。
目的はラーメンを食べることだった。
目指した店は、旭川で最も人気があるだろう「ふるき」だった。

これまで食べたことがなかった。
目指したのは初めてではない。
5回近く訪問、あるいは訪問を試みている。
しかし、一度も食していない。
なぜなら、混みすぎていて断念したことや、
午後2時過ぎに行ったら既に閉店したことがあったからだ。

また、留萌に住んでいた頃のこと。
旭川に仕事に行った際、同乗していたE本(イーモト)氏に、
「ふるきに行きたい」と懇願。
しかし、彼から「よしの」に行くことを提案され、
年長者である榎本氏、いや、E本氏の意向に背くことははばかられ、
あえなく断念したこともあった。

その後、札幌に転勤したこともあり、
旭川でラーメンを食べる欲求はなくなっていた。
ところが今年、旭川に住んでいたART(エー・アール・ティー)氏と
職場を共にすることになり、
彼から、ふるきのラーメンの圧倒的な美味しさを何度となく聞かされ、
ことあるごとに、ふるきに行きたいぜ、と吐露していた。

彼は、「土曜日は混むので平日に休みを取っていくべきですね。
それぐらいの価値はありますから」とまで大絶賛。
しかし、なかなか行くタイミングがなかった。
このままでは、彼に対して失礼ではないか。
失礼どころか、軽蔑されるのではないか。
そんな不安にかられ眠れぬ夜があった、かと聞かれれば
そんなことはないのだが、
今年の必修科目と位置づけ、
「ふるきのラーメンを食べなければニューイヤーは来ないぜ」を
スローガンに掲げ、日々を過ごした。
そして機会は巡ってきた。

■ふるき(旭川市緑が丘3条1丁目 仲通り)
ふるき/店
一口スープを飲んだ印象は、「甘い」だった。
ふたくち目は、「濃い」だった。

正直、前半は、味噌の味の強さに、
私の味覚が追いつけない感じがあったが、
食べていくうちに、厚みを感じてくる。
正しく「濃厚」なスープである。

甘くて濃いのだが、スープの奥に、魚ダシを感じるし、野菜的な甘みを感じ、
雑味なし、苦みなし、そして、実は脂が少なく重たくない。
わかりやすい強烈な旨みの特徴があるというよりは、
土台がしっかりして、見事にまとまっている濃厚味噌である。

みそラーメン/700円
ふるき/みそラーメン
私は、ラーメンに、もやしと玉ネギは、あまりなくてもいいと思っており、
というか、全く入ってなくてもいいと思っているが、
この濃厚スープは、もやしと玉ネギがないと対峙できない。
ちなみに、具はクセが全くなく、全て美味しい。

は細めで、ほんの少し縮れた、いわゆる旭川麺
スープにしっかり絡むが、柔らかめで、
堅い麺が好みの方は、ぼんやりしている、というか、
はっきりしない感じを持つかもしれない。
 
この日は13時30分到着で、席に座るまで30分待ち。
14時10分頃には、暖簾が降ろされた。

店のすぐそばには、プラタナス並木が立ち並ぶ「ロマンティック街道」と
呼ばれる通りがある。
葉は黄色く色づき、プラタナスのトンネルのような状態になっていた。

その始点、というか、終点に「ザ・さんくろうど」という菓子店がある。
ここの黒糖饅頭(正式品名は「釜蒸し蔵」)が大好きである。
5個買い、店の駐車場で2つ食べてしまった。
生地はしっとり柔らかめながら、しっかり黒糖の甘みがあり、
あんがあっさりしているのが、たまらなく良い。
世界で一番美味しい黒糖饅頭の座は揺らぐことはなかった。

ふるきのラーメンを食べるという念願だった目的を達成。
食べる目的だけで出かけた小さな旅の帰り道は、なぜか寂しい。
次の目的がないからだろうか。
しかし、そんな寂しさも、ちょっと好きだったりする。

以下、今年訪問した、札幌以北のラーメンをどうぞ。

■つるや(旭川市4条通19丁目)
つるや/店
今年、旭川では、もう一軒、「つるや」のラーメンも食した。
夏に留萌でライブをした翌日、塩狩峠を訪問した帰り道、
こちらに立ち寄った。
午後1時過ぎだったが、行列があり、着席まで10分くらい待った。

正油ラーメン/680円
つるや/正油ラーメン
油膜のできた熱々スープは、魚ダシが品良く、
少しだけ焦がし気味なところも含め、
正統派の旭川ラーメンという感じ。
もちろん麺は、細めで緩い縮れの、もそもそ系。
やりすぎず、きれいにまとめ、完成度の高いラーメンだと思う。

あとは好みの問題。
魚ダシも肉系ダシも、もう少し押しが強くてもいいかなと。
しかし、これがベストバランスなのかもしれないし、
いずれにしても、積み重ねというか、伝統のようなものが、
しっかり味に反映されていると思う
ちなみに、チャーシューは脂身が少ないタイプで、かなりいいです。

■萌(留萌市五十嵐町3丁目 国道231号線沿)
萌/店
夏に留萌でライブをした日の昼食は、
留萌市内の「萌」(もえ)の塩ラーメンだった。

スープの魚ダシの雰囲気が良い。
魚ダシというより、海鮮ダシといった方が近いか。
肉系ダシの旨みも程よく、あっさりしていていながら、
しっかりと足跡を刻ませるような奥行きがある。
美味しいです。

塩ラーメン/650円
萌/塩ラーメン
麺は、旭川麺のような細さと弱い縮れだが、
それよりはほんの少しだけ太く、そしてポップ。
それが留萌麺なのだ。
本格的というより大衆的な食感で、ちょっと懐かしさがある。

チャーシューは、私が一番好きなタイプ。
ぐるっと巻かれたタイプで脂身は少なめ。
薄目に切られ、味つけ弱め、しかし、肉の旨みはしっかりある。

「萌」のほかにも、「海栄」、「ひさや食堂」、「丸長」など、
留萌のラーメンは、もっともっと評価されていい。
ラーメン・ブロガーなどと呼ばれている人達よ、留萌はラーメンの穴場だ。
これからの季節、吹雪でも行くべし。

■しらかば茶屋(美唄市茶志内3区 国道12号線沿)
しらかば茶屋/店
6月にクロスバイクにて
奈井江町まで行った際、
途中でこちらに立ち寄り、ラーメンと「とりめし」を食べた。
この日は、最初から、こちらでラーメンとりめしを食べようと決めていた。
8年ぶりくらいの訪問である。

久し振りに食べたが、やはり美味しかった。
鶏のダシがすっきりと出た、やや甘めのしょう油味。
苦みがなく、しみるような柔らかいスープである。
また、このタイプには珍しく、最後までスープは熱々である。
ちなみに、ラーメンの単品だと650円。

ラーメンととりめしのセット/880円
しらかば茶屋/ラーメン&とりめし
やはり、こちらでは、とりめしも食べないわけにはいかない。
これまた鶏のダシが、すっきりと、それでいて深く味つけされ、
美唄名物万歳な気持ちになる。

たまにデパートで、「全国うまいもの市」みたいのをやっていて、
実は意外に足を運ぶ私である。
そのような場で、とりめしのような、炊き込み系ごはんを
買って食べてみることがあるが、美唄のとりめしには全く及ばない。
美唄のとりめしは、私にとって、世界一の炊き込み系ごはんだ。

というか、「全国うまいもの市」みたいので買う和菓子や漬け物、
あと、ご当地弁当やラーメンなど色々とあるが、
いつも北海道の店のものの方が美味しいと感じてしまう。
「食」に関して、北海道に足りないのは「ういろう」と「八つ橋」ぐらいだろう。
この二つの和菓子は、ほんとに好きだ。
心から好きだ。
まあ、ロックンロールほどではないが。

テーマ:ラーメン - ジャンル:グルメ


一昨日の夜、借りていた本を返却するため、元町図書館へ行った。
既に閉館していたので、夜間・休日用のポストに本をインした。
そして帰宅。
テーブルの上には、一冊の本があった。
それは、今、返してきたはずの本だった。
そう、私は、借りた本ではなく、自ら所有している本を、
返却ポストに入れてきてしまったのだった。

翌朝、図書館が開いてすぐの時刻に電話し、事情を説明したところ、
誤って投函した本の存在を確認できた。
そして、週末に取りに行くことで話はついた。
ただ、「来館してカウンターで言ってもらえればいい」とだけ言われ、
こちらの名前すら聞かれなかった。

電話で対応した人が、当日カウンターにいるとは限らない。
いざカウンターに行ったら、「そんな話は聞いてない」
ということになり、面倒な展開にならないか。
そう思った私は、面倒だったが、
自ら名乗り、相手のネイムを確認し、
訪問日時を告げた。
訪問してから面倒になるよりはいい。

ちなみに、返却しそびれた本は、昨夜、返却ポストに投函してきた。
今回は、その作品から紹介だ。

■野沢尚「反乱のボヤージュ」(2001年)
野沢尚/反乱のボヤージュ
東京にある国立大学の敷地内に存在する学生寮。
大学事務局は、寮の廃止を打ち出すが、寮生は抵抗。
両者の折衝は平行線をたどる。
結局、今後、寮の規則を破ったら、即取り壊しということになり、
大学事務局は、寮生の監視役として、元刑事の50男を
「舎監」として寮に送り込む。

舎監と寮生は、当然のことながら、対決姿勢に。
舎監は厳しく、ときには容赦なく寮生達を打ちのめすようなことも言う。
その反面、舎監の実直さが、次第に寮生達との距離を埋めていく。
複雑な親子関係にある者、就職取り消しで自暴自棄になる者、
ストーカー被害に遭う者、
舎監は、そんな寮生達の相談役として、大人として、父として、
そして最終的には仲間として絆を深めていく、そんな物語。

良い作品だった。
と同時に、上手に書いてるなと思った。
大学事務局と寮生の対立という、ちょっと古めかしいストーリーながら、
生きることの難しさや、日常の機微みたいなものを巧みに織りまぜて、
単なる青春小説ではなく、深みのあるものにしている。


例えば、現代の若者について、こう綴っている箇所がある。
「漂いながら、障害物を避けて通っている。
 世の中の矛盾を前にしても、まあいいか、と簡単に諦めてしまう。
 自分の半径二メートルの生活さえ安泰ならばいいと思っている」。
見て見ぬふりをするとか、自分だけ良ければいい、など安易に
書くのではなく、こうした骨のある表現が随所にある。

また、焚き火のシーンが多くある。
舎監と寮生が語り合う場面で使われている。
焚き火を囲んで、寮生は胸の内を語る。
焚き火のような小さな火を見ていると、なぜか吸い寄せられ、
ぼぅーと意味もなく集中したり、心が和んだりする。
物語の中の焚き火が見えるようだし、
自分も焚き火をしたい気持ちになる、いい場面である。

両親が離婚し、父親とはしばらく会っていない寮生に関する、
久し振り父親とのやり取りは、思いがけず泣けるし、
その寮生の、あまりイケてない同級生との恋も素晴らしく、
これまた最後に思いがけず泣ける。
焚き火シーンも含めて、暖かくなれる作品である。

■瀬尾まいこ「幸福な食卓」(2004年)
瀬尾まい子/幸福な食卓
主人公は、女子中学生。
彼女の家族を取り巻く物語である。
両親は別居。しかし、決して仲が悪いわけではなく、
家を出てアパートを借りている母は、毎日、家に来る。
父は「父を辞める」と宣言し、塾でバイトをしている。
兄は秀才でありながら、なんだか、ぼうっと生きている。

つまりは変な家族なのだ。
家族同士、うまくやっていくために、かなり気を使っている。
しかし、のほほんとしていて、ふわっとしていて、
微妙に暖かく、一見穏やかで、でも内側には緊張感があり、
なんともつかみどころのない家族である。
街角の小さな雑貨店兼カフェのようである。
商売としてやっていけるのか、いつも気になってしまう。
そんな家族である。

そんな不思議な家族の日常を描いた作品ながら、
内容的に違和感をおぼえさせず、非常に読みやすい。
読み飽きさせない流れるような展開も見事。
言葉の使い方のリズムも良い。
音読しやすい作品だと思う。
こうした技術力の高さゆえ、どんどんページがめくれていく。

家族がそれぞれ抱える心の闇が次第に表に出てくる。
ただ、やはり、さらりとしていて、グッとこない。
また、この作品の根底にあるのは、「再生」だと思われるが、
「再生」というものの考え方が、筆者と私はちょっと違うかなと。
むしろ、主人公の恋にまつわる部分が良い。
甘酸っぱく、それでいて、意外に器用なところもあり、
そして、こんな展開になるとは、という意外性。
恋愛部分だけでも、十分に面白い。

本来、心の中の重たい部分が前に出るような設定だが、
ふわっと、さらっと、暖かい部分を見せている。
一般的な評価も高い作品である。
ただ、偏見覚悟で言えば、圧倒的に女性ウケする作品ではないか。
やはり、街角の小さな雑貨店兼カフェのような印象だ。

■貫井徳郎「乱反射」(2009年)
貫井徳郎/乱反射 
非常に面白かった。
圧倒的な筆力で、読み進むほどに、ぐいぐい引き込まれた。

道路拡幅に伴う街路樹の伐採に反対する主婦。
過酷な医療現場にうんざりして、怠慢に職務をこなす救急医。
日中は混んでいるからと、救急外来ばかり通う若者。
犬のフンの始末をしない常習の高齢者。
車庫入れ恐怖症の姉を思いやらない家族。
極度に潔癖性な造園業者。

こうした、自分さえ良ければいい、こんな小さな悪事など
誰でもしているという勝手な自己愛。
それが悲惨な事故を招き、取り返しのつかない状況を生んだ。

嫌な人間の行いと心情を、テンポ良く丁寧に描いており、
どんどん感情移入していく。
怒りとやり切れなさで、読まされてしまう凄い作品。
現代の世相を集約していると言ってもいいかも。

事故後、関係者は皆、自己弁護をして、関係ないと言い張る。
その様に、どうしようもない気持ちになるが、
その中で、造園業者の在り方には共感。
この作品における唯一の救いのように思えた。

ラストにおける、被害者の新たな一歩も、
一般的な解釈としては、「救い」にあたるだろうが、
私には、やはり辛い気持ちが強かった。

事故にまつわる連鎖の組み立ても見事だが、
登場人物の心の動きと、周辺人物とのやり取りが絶妙。
それが物語を厚みのあるものにした。
引き込まれます。

     ◇      ◆      ◇

最近の傾向として、なんでもかんでも、
ラー油を入れれば美味しくなると思ってないか。
それでいいのか。

テーマ:読んだ本の紹介 - ジャンル:本・雑誌


この1週間でめっきり寒くなった。
冷たい雨の日が多く、
濡れた落ち葉を踏みしめながら通勤する。
その途中に見える山々には、雪が張り付いた。

こうなると、夏山登山ライフは自ずと終了である。
今シーズンは、8月半ばまで、はっきりしない天気が多く、
ことごとく登山を断念せざるを得なかったが、
盆明けからは、好天ウィークエンドが多かった。

その恩恵にあずかり、これまでよりも幅広い範囲で、
登山を楽しむことができた。
特に、10月下旬には、ついに日高管内にまで足を伸ばした。
様似町のアポイ岳に日帰りで行ってきた。

土曜日の朝6時に出発。
そんな早い時間にもかかわらず、どういうわけか国道36号線は
車輌の数が多く、登山口まで4時間30分を要した。
ちなみに帰りも同じ時間を要した。
この日の走行距離は420kmだった。
帰りに温泉に寄ったこともあり、帰宅は午後10時をまわった。
登山よりも、運転で疲れた。

アポイ岳は、なかなか楽しめる山だった。
前半は、森の中を散歩するように緩やか。
登山道は広く、よく整備されており、非常に歩きやすい。
101023アポイ岳1
中盤からは、勾配が急になり、ところどころプチ岩登りのような箇所がある。
しかし、完全に視界が開けており、
下界の景色と、目指すべき頂上までのルートが見渡せるため、
全く飽きることなく、疲れを感じることもなかった。

こうした山に珍しく、頂上には草木が多く、景色が見えにくい。
特に、南側にある襟裳岬方面が、よく見えないのが、やや残念だった。
反面、北側の海岸線は美しかった。
101023アポイ岳2
様似町では、アポイ岳に登るのと、もうひとつ大きな目的があった。
それは、「おやき」を食べることだった。
店名は「中村おやき店」。
暖簾がなければ、普通の民家として、通り過ぎてしまいそうな佇まいだ。
中村おやき/店
登山後では閉店している可能性があると考え、
登山前にイートした。
おやきは、浅田飴の缶のような形ではなく、
どら焼きのように、ふちが閉じられているタイプで、
素朴ながらも明らかに商売人の作品だと感じる強さと優しさのある味だった。
今までに食べたおやきで、最も美味しかったと言っていいだろう。
なぜなら、これ以外に一位となるべきおやきが思いつかないからだ。
様似町・中村おやき 

今年はこのほか、積丹半島にも足を伸ばし、積丹岳も登頂。

ピンネシリ、神居尻岳という空知方面・樺戸山地や、
徳舜別山、ホロホロ山という大滝方面にも足を踏み入れた。
盆前まで、あまり登れなかった反動か、
9月から10月前半にかけては、毎週のように登っていた。

こうした中、衝撃的だったのは、樽前山である。
支笏湖の南側に位置する、今も火山活動が活発な山である。
頂上にあるドームの迫力はすごかった。
10樽前山ドーム
登っていき、ドームの頭が見えてきたときは、
巨大な生き物のように感じた。
あまりに非現実的で圧倒的な岩山を目の前にし、
ある意味、外国にいるような、
もっと言えば、世界の果てに来たような感覚になった。

↓樽前山を登った日には、隣にある風不死岳(ふっぷしだけ)にも登った。
  風不死岳の頂上から、支笏湖の対岸にある恵庭岳。

10風不死岳から恵庭岳 

少しでも雨の気配があれば登らない。

なので、レインウェアは持参していくが着用することはない。
熊に出くわさないかと常に不安はある。
常に鈴を鳴らしてしいるが、恐怖は消えない。
テントを持参し、山に泊まってまで行く気は全くない。
そんなやわな登山愛好家である。

それでも山は良い。
やはり、下界における煩わしさから解放された気持ちになれるからだろう。
ならば、下界でも解放された日々を送れるようになったら、
山に行かなくなるだろうか。
そんなことはないだろう。
何かを求めて山に行ってるようで、実はそうじゃないように思う。
どちらかというと、何も求めたくないから山に行くような気がする。

というか、下界で完全に解放されたら、
逆に何もする気がしなくなるかもしれない。
ストレスこそがエネルギーになることは間違いない。

なんてことを言ってるが、山を歩いているときは、
そんなことは全く考えもしない。
考えることのほとんどは、下山したら何を食べようかである。
登り始めてからすぐに、それを考えるときもある。
そんな気持ちになれるのは、ラッキーなことかもしれないぜ。

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