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現在テレビ放送されている水戸黄門では、
「助さん・格さん」を、東幹久氏と的場浩司氏が演じている。
私は、彼らより、ちょっと年上である。
つまり私は、今ナウ、助さん・格さんの年齢を超えている、ということだ、

高校球児が年下になった時や、力士が年下になった時、
年をとったと感じるという話は、よく言われている。
私にとって、その比較は、なんとも思わず、何の意味もなかった。
しかし、助格超えという現実は、少なからずショックだった。
なにせ、助さん・格さんという存在は、「おじさん」というより、
おじいさんの手前みたいなイメージがあったからだ。

しかし、この現実を受け入れずに、フューチャーはないし、
この現実を受け入れなければ、誰も私をフューチャーしてくれないだろう。

このように、不意に年をとったと感じる場面が増えた。
最近驚いたのは、セブンイレブンで「おでん」を選ぶ場面でのことだ。
具を5つ買うとしたら、大根、豆腐(又は厚揚げ)、玉子の3つは
マストアイテムで、残りの2つは、つくね、牛すじ、ちくわなど、
ややガツンとくるものをチョイスする。
ところが先日、3つのマストアイテムをオーダーした後、
次に食べたいと思ったのは、「しらたき」だった。

私は小さい頃から、しらたきを極力避けて生きてきた。
食べようと思えば食べられる。
しかし、見た目も食感も異様で、
さらに、味がしないようで、実は微妙な畑臭さがする感じがして、
自分の意志でどうにかなる時は、確実に食べなかった。

例えば、職場関係の飲み会で、複数人数ですき焼きを囲む時など、
控えてほしいのに、取り分けてくれる人なんかがいる。
そんな時は、頑なに、
「自分で取るからリーヴ・ミー・アロンでお願いします」と懇願する。
ところが、それでも取り分けると固持される。
そんな親切心を無下にもできない。
だから、ありがとうございます、と言う。
こういうときは、すいません、とは言わない。
なぜなら、逆の立場ならば、こういうことで、
すいませんと言われたくないからだ。

このような経過で取り分けられたすき焼きには、
100%の確率で、しらたきが入っている。
そして、何事もなかったかのように、
他の具と一緒くたにして、しらたきを食べる。
しらたきオンリーで食べるのは無理だ。
これは「食べ物」のカテゴリーに含めていいものなのか、
などと思いながら、のどからストマックへ強引に流し込む。

そんな存在だったしらたきだが、
おでん鍋に入っている姿を見た時、
胃腸に優しそうだし、食感もすっきりしていていいかも、と、
これまでと真逆の印象を持ったのだ。
自分に驚いた。
「しらたきを欲したのは、ほんとにオレ?」と、
自らの思わぬ欲求に戸惑い、セブンイレブンのおでんを前に、
3秒くらい固まった。

とはいえ、オーダーした。
そして、食べた。
しかも、しらたきオンリーで食べた。
すごく美味しい、とは思わなかった。
しかし、自分が求めていた食べ物であると実感した。
味以前に、なぜか欲するのだ。
おそらく、緩衝剤というか、調整役のような存在として、
私の心身が求めているのだ。
そう確信した。
それ以来、おでんを買うときは、しらたきがマストアイテムとなった。
相変わらず、すごく美味しい、とは思わない。
しかし、不思議と求めるのだ。
食べたがるのだ。


余談だが、以前から、春雨もできるだけ避けてきた。
ただ、しらたきほどの抵抗感はなかった。
それは、イクラは完全に食べられないが、
トビッコなら、なんとか食べられるのと似ている。
しらたきを制覇した今、春雨は好物と言える存在にまで、のし上がった。

こうした無意識の食嗜好の変化は、ほかにもある。
子供の頃に食べて以来、30年くらいも口にしていなかった
「フルーツゼリー」をやけに美味しく感じている。
盆に実家にて、たまたま食べたフルーツゼリーが、なぜかぴたっときて、
それ以来、つまりこの2か月くらい、週に二袋くらいのペースで、
フルーツゼリーを食べている。

フルーツゼリー
いざスーパーで、フルーツゼリーを物色すると様々な種類がある。
硬めのもあれば、柔らかいのもあり。
粉砂糖が降りかかっているタイプもあり、非常にお気に入りだ。
そして、微妙にちょっと高かったりする。
そんな、フルーツゼリーに私はイカれている、ハニー・ビー。

また、小さい頃から、ほとんど食べたことがなかったのに、
2010春―夏あたりから、思いのほか食べているのが「芋けんぴ」だ。
2010春―夏まで、あのスティック状のさつまいも菓子が、
「芋けんぴ」という名称だということすら知らなかった。

芋けんぴ
さつまいもは、決して嫌いではなかったが、
チョコレートやあんこのような、ど真ん中ストレートの甘さではなく、
外角低めへのチェンジアップのような甘さなのがネックだった。
また、さつまいもの天ぷらや、ユニバーシティいもは、
ごはんのおかずとするには中途半端な味で、腑に落ちなかった。

こうした、どっちつかずの難しいポジションにある食べ物だったが、
今年の春、とある中華料理店で、約20年ぶりに、
ユニバーシティいもを食べた時、やけに美味しく感じた。
そんな時に、ふとスーパーで見かけた「芋けんぴ」。
これを無性に食べてみたくなった。
それ以来、2週に一度くらいの割合で、芋けんぴを食べている。

それにしても、しらたき、フルーツゼリー、芋けんぴと、
かつては全く食べたいと思わなかったものを求めている。
どうして好きになったのか。
その理由はわからない。
好きになるのに理由なんかない、そんな恋と同じなのか。
いや、違う。
恋に関して言えば、好きになったのには必ず理由がある。
知りたいのは、芋けんぴなどを好きになった理由か。
いや、それはわからないままでもいい。
むしろ、芋けんぴの「けんぴ」の意味を知りたい。

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最近の私のブログの記事は、
山、食、本を繰り返しているようである。
確かに、それに時間は費やしている。
しかし、頭の中は音楽のことが多くを占めている。
新しい曲の製作に取り組んでいるからだ。

実際、一人で山に登っているときは、
歌詞と編曲を考えていることが多い。
家でも、曲作りに煮詰まると本を読む、というように、
実は音楽を優先する日々を過ごしている。

ところが、歌詞がなかなか作れない。
歌詞がしっくりこないと、曲に入っていけない。
私が書かなくても、誰かが書くような歌詞にはしたくない。
基本はとにかくそこなのだ。
私だからこそのタイトルで、
私だからこその世界観が必要なのだ。
そんな気持ちで、最近、仕上がった曲がこれだ。

はかない季節の太陽

つまらぬチャンスに浮かれ 焦って飛びつくなかれ
地面から足が離れ どこかに吹き飛ばされ
帰れる場所もいつしか消え

分厚い雲 夜明けのハイウェイ
はかない季節の太陽探す旅は始まる

水たまり映ったのは 味気ない電線だけ
それが紛れない現実 
あきらめることでしか前へは進めないと気づく

雨に煙る午後の空白
はかない季節の太陽探す 風を振り切って
花びらは散って さよならベイビー 戻れない日々

分厚い雲 夜明けのハイウェイ
はかない季節の太陽探す旅は始まる
叶わない夢 本当の愛 限りない欲望
忘れない日々 あの日の花火 さよならベイビー
果てしない旅

   
◇      ◆      ◇

歌詞を書いていると、意外なところで迷う。
例えば、歌詞の中で、水たまりに映ったのは「電線」である。
普通は、空、雲、ビルなどを使ってくるだろうが、
希望のない平凡な現実を示すアイテムは、私にとって「電線」だった。
ただ、「でんせん」という言葉は、メロディに乗りにくいため、
どうしようかと迷った末に使った。

同様に、「空白」という言葉も、メロディに乗りにくく、
さらに、耳だけで聞いたら、「くうはく?」となるのではないかと懸念した。
「午後の空白」ではなく、「空白の午後」ならば、
耳だけでも意味がわかるかもしれない。
しかし、雨に煙るのは、「午後」ではなく「空白」にしたかった。

このような、歌詞の軸ではない箇所で、
マニアックなこだわりを持って作っているのだ。
では、何がこの歌詞の軸なのか。
「あきらめることでしか前へは進めない」である。

前へ進むために捨て去るという、私にとっての世界観が、
「風を振り切って 花びらは散って
  さよならベイビー 戻れない日々」であり、
「叶わない夢 本当の愛 限りない欲望
 
忘れない日々 あの日の花火 さよならベイビー 果てしない旅」である。
これらの言葉と、言葉の流れは、非常に気に入っている。

世の中は、あきらめないで、という内容の歌が圧倒的に多い。
真矢みきだって、何度も言ってる。
この曲は、そういうことに対するアンチテーゼではない。
あきらめるけれど、前へ進むという曲なのだから。
一般論としては、この年齢になると、
未来はあらかた決まってしまったのかもしれないが、
なかなかどうして、未来は決まっていないことの方が圧倒的に多いんだぜ。

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天気の悪い週末は、読書が最適です。
今回は、ブック・レヴュー。
よろしくどうぞ。

■湊かなえ「贖罪」(2009年)
湊かなえ/贖罪
小学4年生の女子5人。
学校のグラウンドで遊んでいた。
そこに現れた作業服姿の男。
彼は、プールの更衣室の換気扇の点検に来たという。
一人の女子が、その手伝いを頼まれる。
残った4人は、またバレボールを始める。
そして、手伝いに行った女子は男に殺害された。

4人の女子は、身体に不調を抱えたり、
引きこもったり、ぐれたりなど、
それぞれに事件を引きずったまま、いや、囚われたまま
大人になっていく。
そんな4人が、25歳になって今、起こしてしまったことと、
そこに行き着くまでの経過を描いている。

結末がどうとか、暗いとか、不快になるとか、
そういう感想を持たれる方はいるだろう。
しかし、そんなことはどうでもいい。
ぞくっとするようなタチの悪さに惹きつけられ、
本の中の世界に吸い込まれていくような感覚で読んだ。

前半、ところどころピンとこない箇所があるのだが、
読んでいくうちに、真相が浮き彫りになっていき、
つながりを持たせ、きちんとパズルを埋めてくれる。

特に、人間の持つ弱い部分や陰の部分を、
醜くも切実に、それでいて娯楽的に描いているのがすごい。
陰湿なのにスカッとしているというか、
とにかく不思議な圧倒力がある書きぶりである。

湊かなえ氏は、2008年の「告白」で大ブレイクした。
その衝撃の大きさのせいか、その後の作品が薄まっているような書評を
よく目にするが、「告白」ではなく、この作品を先にリリースしていても、
大きな反響を呼んだのではないだろうか。

良い作品かと聞かれれば、なんとも言い難いが、
夢中になって読める非常に面白い作品だと、はっきり言える。

■東野圭吾「聖女の救済」(2008年)
         東野圭吾/聖女の救済
東京に住む結婚1年の夫婦。
ある日、妻は、実家の父親が体調を崩したため、泊まりがけで帰省。
その夜、夫は、自宅で飲んだコーヒーに毒が含まれていたことにより死亡。
その死の真相を描いた作品。

まず、犯罪のトリックがわかりにくい。
並々ならぬ根気と情熱が必要なトリックだということはわかるが、
どこにどう仕掛ければそうなるのか、私はイメージができなかった。
これは、物語の登場人物と私との間での、
飲み水に対する生活スタイルの決定的な違いによるところが
最大の理由である。

とはいえ、東野氏の作品らしいテンポの良さが、
どんどん読ませてくれる。
つまりは、トリックが不可解で理解できないものであっても、
妻と夫の関係や、その周辺の人物の有り様、
また、刑事と大学教授が連携し、次第に真相に迫っていく過程だけで、
それなりに面白い作品だということだ。

ところが、読後感は軽く、余韻に乏しい。
なんとも平坦で、引き寄せる緊張感がないというか。
もちろん、あまたある現代の推理小説に比べれば、
読み物としてのまとまりや洗練ぶりに納得する。
ただ、東野作品ということで期待値が大きいだけに、
東野作品にしては…的な、なんというか、
ガツンとくるこってりしたメーランを食べたいときに、
あっさりとしたストレート細麺の「しょうゆらーめん」と、
平仮名で表記されたラーメンを食べたような印象である。

余談だが、安易に平仮名表記にすることに、
以前から、しっくりこない感じを持っている。
特に、市町村名と食べ物における平仮名表記は、
もういい加減、食傷気味だ。


■中島京子「冠・婚・葬・祭」(2007年)
中島京子/冠・婚・葬・祭
タイトルどおり、「冠・婚・葬・祭」にまつわる4つの短編で
構成された作品。
なお、「冠」は成人式を、「祭」はお盆を題材としている。

率直に言って、「冠」と「葬」の物語は、感触に乏しかった。
一般的には、人のつながりを根底にして、
きれいにまとめた作品だと評されるものと思われるが、
成人式に関して、ちょっとした誤りのある記事を書いた記者が、
それを理由に退職するとか、
取引先の会社の依頼で、ある老女を葬儀会場に送迎する会社員とか、
そもそもの設定に違和感があり、いまひとつ入っていけなかった。
また、どこかふわっとしていて、読後の余韻もなかった。

一方、「婚」と「祭」の物語は、人生の機微を上手く捉えているなと。
「祭」は、中年になった三姉妹が、お盆に、
今は誰も住んでいない、亡くなった親の家に久し振りに集まるという話。
古き良きお盆の姿を、さりげなくも味わい深く描いており、
懐かしいような、愛おしいような気持ちになった。

また、お盆のあり方を考える意味でも有用な作品だと思うし、
三姉妹が、二対一のような状態にあるという設定も、
なんともリアリティがあって良い。

どの作品も、ちょっとした希望を漂わせたエンディング。
偏見含みだが、しみじみ、ほのぼのムードで、女性的な作品かなと。

この作品の中で、最も印象に残った箇所。
「婚」にまつわる物語の主人公は68歳の女性。
58歳の時に夫を亡くした。
以来、毎日、仏壇に炊きたてのごはんを供え、一緒に食事をし、
寝る前に一日のことを報告して終わる。
だから、夫が亡くなってからも、まだ連れ添っている気分である。
こうした、亡き夫の「不在の豊かさ」が、
結婚から得ることのできた最も大切なものの一つだったという箇所である。

年をとったときに自分を支えてくれるのは、
その時誰がいるとかいないとかではなく、

それまでどう生きてきたかなのですね。

テーマ:読んだ本の紹介 - ジャンル:本・雑誌


しばらくスープカレーの記事を書いていない。
しかし日々、それなりに食べていた。
記事にせず、おざなりになっていただけだ。

スープカレーといえば、
これまでは、かなりの確率でチキンを食べていたが、

6月頃から、チキンをあまり欲しなくなった。
その理由は自分でもわからない。
中国という国も、よくわからない。

そういうことで、このごろは専ら、チキン以外のメニューを食べている。

そこで今回は、ついついリピートしてしまうお店の、
チキン以外の美味しいメニューをお送りしたい。
今回のは全部美味しいです。

■キング(札幌市豊平区平岸3条16丁目 平岸通沿)
納豆挽肉カレー950円+辛さ9番(100円)
キング/納豆挽肉カレー
私の選ぶ2009・スープカレー・オブ・ザ・イアで
第1位を獲得したお店である。
納豆が入っているのに、納豆の味に覆い隠されることなく、
しっかりとキングのスープカレーらしい旨みとコクにあふれている。

カツオ・昆布等の和風ダシ+黒酢のスープは、
ここにしかない独特の味で、他の追随を許さない強さがある。
そして、強いのだが、すっきりとしており、ほんとに美味しいと思う。
おそらく2010年も、こちらの店が1位になるような気がする。
平日の夜でも、タイミングによっては行列待ちになるのでご留意を。

■ポルコ(札幌市東区北14条東丁目 西向き)
牛すじ(950円)+辛さ14番(0円)
ポルコ/牛すじ
牛すじがスープカレーに合うのか?と思いつつオーダー。
かなりマッチしたので驚いた。
お店のご主人は、バンダナを頭に巻いており、
それも別の意味で、マッチしている。

こちらのカレーはギンギラギンではないが、さりげない。
というか、やや野暮ったいともいえる。
ところが、スパイスのキレが見事。
小松辰雄のストレートや、平松のシュートに匹敵するキレである。

具は、おそらくスープに入ってない状態で食べても美味しいと思う。
抑えめの味つけなのだが、しっかり芯まで味が丁寧に行き渡っている。
2010年の第2位は、こちらの店で決まりのような気がする。

■マジックスパイス(札幌市白石区本郷通8丁目南 仲通り)
キーマビーンカレー(1,050円)+辛さ・虚空(230円)
マジックスパイス/キーマビーン
鶏の挽肉と豆が入りまくっている。
チキンやポークなど、大物の肉ではないが、、
野菜の量も豊富なので、量的に十分満足できる。

いつ行っても、常に行列があった数年前と比べれば、
今は随分とすんなりと着席できるようになった。
以前より、やや大衆的な味になったかなと思うところはあるが、
あっさり旨み系スープの中のトリップ性は健在。
今でもやっぱり魅力的な味だと思います。

■カンクーン(札幌市中央区南2条西5丁目 北向き)
ネバーネバーカリー(920円)+辛さ9番(50円)
カンクーン/ネバーネバーカリー
納豆、オクラなど、ネバネバ系の具がふんだんにインされたメニュー。
こちらのスープは、私にとって最もベーシックに感じる味で、
武骨さ、手作り感、土着感がたまらなく良い。

ローリングさんの、ジャンピン・ジャック・フラッシュのようであり、
クリームの、サンシャイン・オブ・ユア・ラヴのようであり、
ザ・キンクスの、ユーリリガミのようである。

そう、私は、ザ・キンクスの、「ユー・リアリィ・ガット・ミー」を
歌う機会があったとしたら、間違いなく「ユーリリガミ」と歌うだろう。
というか、カタカナ英語しかできない私は、
「ユーリリガミ」と歌うしか、なす術がないだろう。
それがナチュラルな姿なのだ。

こちらのカレーが美味しいのは、余計な味がしないからかもしれない。
様々な工夫や施しをしていると思うが、
洗練されたナチュラル・ダイレクトな雰囲気が漂うのが嬉しい。

■ヒロチャン(札幌市北区北13条西3丁目 西向き)
モツカレー(950円)+辛さd(0円)
ヒロチャン/モツカレー
まろやかな豚骨スープのカレー。
スープはやや白濁している。
かといって、それほど重たいことはなく、
コクがしみる、ほっとするようなスープである。

モツも、カレーに合うものです。
おつなものです。
モツの量は結構あり、しばらくモツ不要な気持ちになります。
キャベツも結構入っております。
モツにはキャベツが合いますな。
というか、やはりモツに臭みはあるもの。
キャベツが、それを緩和してくれるのです。
そんなキャベツのような人になりたいと思う。
かと思いきや、それほど思っていないかもしれない。

■クレイジースパイス(札幌市北区北16条西5丁目 北大通り沿い)
なっとうキーマカレー(950円)+辛さ25番(0円)
クレイジースパイス/なっとうキーマ
非常にバランスが良く、食べやすい。
私がやや距離を置いているトマト・玉ネギ系のスープながら、
抑制が利いて、適度なキレを構築しており、
上手にまとめていると思う次第です。

納豆というクセの強い食材が入っていても、
納豆味に負けないスープの強さがありつつ、くどくない。

23時まで営業していることと、駐車場が広いことは、
やはり、行こうかなという気持ちにさせる大きな利点。
タピオカ鈴木氏もオススメの店である。

      ◇      ◆      ◇

現在、チリの鉱山落盤事故の救出が行われている。
全員無事に救出を終えればと願う。

事故後、地上と地下とが電話でつながった時、
地下に閉じこめられた作業員達は、まず、チリの国歌を歌った。
日本で同じことがあっても、国歌を歌う人などいるだろうか。
国歌が、日々の生活に根づいているのだと驚いた。

この状況で、私に「歌う」という行為は生じないだろう。
仮に歌うとすれば、どんな曲だろうと考えた。
しかし、あの状況では歌えないだろうなということに帰結する。
ただ、ひとつはっきりと思ったのは、
「ユーリリガミ」は歌わないだろうということだ。
けれども初期のザ・キンクスはかっこいいぜ。

テーマ:カレー - ジャンル:グルメ


この2週間ほど忙しかった。
日付が変わる手前に帰宅する日が続き、
身体のリズムが、望んでいるノリとは異なり、
気持ち良くない演奏をしているような気分だった。

10月2日、3日の土日は、
昨年成し得なかった、クロスバイクによる留萌ツアーをしようと
スケジュールを調整し、あとは天気次第という状況だった。

ところが、3日の午後から雨が降るという天気予報の前に断念。
その前後の日は、秋晴れのいい天気だっただけに、
またしても巡り合わせの悪さに悔しさが募った。
しかも、結果的に雨が降り出したのは、
3日の夜になってからだっただけに、
なんとも苛立たしい週末となった。

ただ、天気が良かったら、ほんとに行っただろうか。
無理だったような気がする。
仕事の疲れにより、土曜の朝には、出発するテンションに
ならなかったような気がする。
スケジュールは調整したが、ボディ&ソウルは全く調整できず、
完全なる敗北だった。

9日からの3連休もチャンスだった。
10日、11日は、フリーな状況に持ち込めた。
忙しいことには変わりなく、疲れは残っているが、
季節的に、今年、クロスバイクによる留萌ツアーを敢行できるのは、
あと10日くらいの間だろうと思い、トライすることにした。

ところが、またしても雨にやられた。
3連休の真ん中、10日だけ雨が降るという、
どうにもならない巡り合わせとなった。
ウイークデーは天気が良く、どうしてこの日だけ降るかねと、
ストレスのたまる結果となった。

どうやら今年も、クロスバイクによる留萌ツアーを
成し得ずに終わることが濃厚となった。
これにこだわるには理由がある。
私には、昨年来、留萌に関して成し得たい三つのことがあった。
そのひとつが、クロスバイクによる留萌ツアーだった。
あとの二つは、留萌でのライブと暑寒別岳登山だった。

今年の春の段階では、三つのうち最も実現が近いのは、
クロスバイク・ツアーだと思っていた。
6月から7月の時期、奈井江、浦臼、苫小牧などに、
クロスバイクによる日帰りを果たし、

あとは、二日連続のフリーな状態と、天気とがかみ合えば、
留萌行きは実現することができると思っていた。

ところが、天気がかみ合わない。

そうこうしているうちに、突然、8月に留萌でのライブが実現。
そして9月12日のことだ。
天気は「曇り時々晴れ」と、いまひとつな状況ではあったが、
予定していたことが飛び、
これは、残り少ない暖かい日を楽しまなければと、

突如、思い切って暑寒別岳に登ることを決意した。

そして登頂を果たした。

留萌に住んでいた三年間で、
やり残した最たることが、暑寒別岳登山だった。
その当時は、登山には、ほぼ興味がなく、
しかし、留萌に住んだ以上、間近にある名峰、暑寒別岳に登ることは、
この地域に対する私の責任のようにさえ考えていた。

その頃、みんなで暑寒別岳に登ろう的な話はいくつかあった。
しかし、朝6時に登山口集合という朝の早さに面倒になったり、
近くなんだから確実に快晴の日を選んで登りたいという勝手さのせいで、
実現できないままだった。

というか、留萌に住んでいる頃、
留萌市内から、増毛連峰を見ていて、どれが暑寒別岳なのかさえ
知らなかった。
当時の職場の同僚等に聞いても、いまひとつはっきりとわからなかった。

そのため今回、暑寒別岳の登山口に向かうべく、
増毛町内の国道から、山中へ続く道を走っていても、
どの山を目指しているのかわからなかった。
100912暑寒別岳1
しかし、登山口が近づいてくると、
明らかに雰囲気が違う、雄壮として、それでいて悠然とした山が
目の前に現れる。
これが暑寒別岳なのかと、それだけで、それなりの感動があった。
また、周りの山々も雄々しく迫り、
この登山道までの道は、山に登らずとも、
ドライブするだけでも楽しめるのではないだろうか。

実に味わいのある山だった。
前半はひたすら緩やか。
中盤は岩場が増えるが歩きやすく、
そして7合目からは、さえぎるものが一切なくなり実に爽快。
眼下の景色を楽しみながら山肌を登っていく。

↓7合目を過ぎると、こんな感じで完全に開ける。
100912暑寒別岳2 

天気は、ほぼ晴れだった。

頂上付近は、方角によっては雲もあったが、ほぼ360度一望できた。
無意根山や恵庭岳、さらには羊蹄山まで、小さくだったが、はっきりと見えた。

上りは5時間近くかかると聞いたことがあったが、
思いの外、歩きやすく、ほぼ無風の晴れという条件にも恵まれ、
さらに、越年の念願だった暑寒別岳登山を果たすという
気持ちの高まりのせいか、160分で頂上に着いた(下山は130分)。
100912暑寒別岳3
徒歩距離は片道9kmと長いが、急坂は5合目から7合目くらいで、
あとは緩やかで、道も広く歩きやすいので、
片道2時間の山を登れる山ガールならばこなせるだろう。

100912暑寒別岳4  
↓中央からやや左の土の色をしたところが雨竜沼湿原、だと思われる。
100912暑寒別岳5 
頂上からすぐ近くに見える浜益岳、群別岳、西暑寒別岳なども

素晴らしい姿を見せてくれたし、
雨竜沼湿原もよく見えて、来年は訪問しようという気持ちになった。
ただ、増毛から留萌にかけての海岸線が、思ったより遠く感じた。
霞んでいたせいもあるが、なぜか海が見えるという感動は
それほどでもなかった。
海岸線以外の眺望があまり素晴らしかったので、そう感じたのかもしれない。
 
リピート確実の魅力的な山だった。
なんとなく愛おしくなり、去りがたい気持ちにもなった。
100912暑寒別岳7 
↑留萌市内より。中央やや左側の一番高い山が暑寒別だと、この日初めて知った。

下山後、増毛の遠藤水産にてタコとエビを買い、
その後、日曜の夕暮れに人や車が少なくなっていく留萌の街を見たくて、
留萌で1時間ほど過ごしてから、札幌に向かった。
帰り道の途中、完全に日が暮れた。
なんて素晴らしい一日だっただろう。
こんな日は、今度いつあるだろう。
楽しく充実した帰り道に、切なくなってしまうのはなぜだろう。



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