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昨日は、職場の同僚、SK(エスケイ)氏の送別会だった。
クグエ・カルチャーの数少ない理解者のひとりであった彼は、
人事異動により、職場が変わることになった。
大きな痛手である。
しかし、彼のステップ・アップにつながることである。
セレブレイトして、セイ・グッバイしなければならない。

送別会の席で、私の向かい側に座ったのは、Y田(ワイダ)氏だった。
アルコールが苦手な彼は、1杯目はビールにしたものの、
2杯目はウーロン茶に切り替えた。
彼は30代後半で、趣味は山登り。
一年に一度、連続ホリデーを取得し、本州の高い山を巡るほど、
本格的なクライマーである。

そんな話で盛り上がっている最中、
ふと見ると、彼はコーラを飲んでいた。
コップに残っている量はわずかだった。
次の飲み物はオーダーしたのかと彼に聞くと、
既にオーダーしたとのこと。

しばらくして運ばれてきたのは、鮮やかな緑色の飲み物だった。
私は彼に聞いた。
「吉田さん、その飲み物、何?」
「メロンソーダです」
「中学生か!」

この「中学生か!」と発したタイミング、声の大きさなど、
ほぼ完璧な突っ込みだった。
ところが、Y田氏の隣にいたE氏(40代後半)が、間髪いれず、
「中学生じゃないよ」と、真っ当なことを当たり前の顔で返してきた。
私の素晴らしい突っ込みが、かき消された瞬間だった。
あなたは、突っ込みというものを知らないのか?

次の店で、向かい側に座ったのは、
氏名の「名」が、「ていじ」という方である。
年齢は50歳くらい。
職の階級的には、私より3段階くらい上のポジションにいる方である。
つまり、かなり上の方なのだが、
非常に気さくで、こちら側がトークしやすい雰囲気を作れる方であり、
突っ込みつぶしのような流れを止める反応もしない。

彼は、仕事に関連した余談的情報を、
職場の者に一斉にメール送信する時がある。
「一斉に」なので、中村NBRにも、山下MSTにも、M美にも
同じ内容のメールが届く。

そのメールの最後に、名前が記してあるのだが、
名字ではなく、「ていじ」と平仮名で記してある。
飲んだ席などでは、そのことに便乗して、
調子にのって、彼を職名で呼ばず、
「ていじさん」と、あえて呼ぶ時がある。


昨日もそんな状況になった。
私は、「“ていじ”もいいが、“TG”と表記してはどうか」と、
差し出がましくも、小粋な提案をしてしまった。
近くに座っていた山下MSTやSK氏は苦笑していた。

ていじ氏が「どうして?」と聞くので、
「キャッチーだし、アーチスティックですから」と回答。
「アーチスティックな必要ねえだろ」と、
山下MSTから的確な突っ込みが入り、周りは笑う。

とはいえ、あまり
調子に乗りすぎて、
このネタを引っ張って、不穏な空気になってはよろしくない。

だから、これでとどめるか。
と思った矢先、M美が発言。
「“TG”より、“TJ”の方が、カッコ良くないですか?」
衝撃的だった。
3段階くらい上のポジションの方に対するギリギリのネタに
さらにかぶせてきたのだ。
しかし、M美の言うとおりだ。
TGよりもTJの方が、よりアーチスティックであり、
かつ胡散臭くて良い。

M美のセンスに脱帽である。
大事に、かつ自由に育てるべき貴重な人材だと再認識した。


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今回の記事は本の紹介。
早速ですが、どうぞ。

■東野圭吾「夜明けの街で」

東野圭吾/夜明けの街で 
現在の日本の小説界で、最も人気のある作家の一人、東野圭吾の
2007年作品。
シンプルにいえば、30後半サラリーマンの浮気物語。
しかし、シンプルには進まない。
シンプルではなくしたのは、浮気相手のアラサー独身女性が、
15年前に起こった強盗殺人事件の犯人の疑いがあること。

彼女に隠された秘密は何か。
しかし男は次第に本気になっていく。
事件の時効は目の前である。
行く末を知りたくなる内容であり、
サクサクと展開していくため、中だるみをするこくなく没頭できる。

女性の強引さと毅然としたところが面白い。
何を言うか、どんな行動をするかと興味をもたせてくれる。
切なさや寂しさを感じさせないドライなキャラでありながら、
新潟のスキー場に現れるシーンは、いじらしく、
ちょっとほろっとさせられた。

クリスマス、年末年始、バレンタインなどに、
男が妻に嘘をついて密会する様は、読んでいてドキドキとトホホが交差し、
面白いのだが、辛い気持ちになる場面も多い。

そうしたことも含めて、東野作品らしく、読みやすく、わかりやすく、
それでいて、しっかりと最後まで引っ張ってくれる。
316頁の作品だが、時間に余裕があれば、一気読みできるだろう。
ただ、テンポが良かった反動か、全体としてちょっと軽い感じがした。
重厚感や、読んだ!という達成感がちょっと薄かったかなと。

■道尾秀介「鬼の跫音」

        道尾秀介/鬼の跫音 
タイトルの「跫音」は、「あしおと」と読む。
そんなに遠くないうちに、大きな賞を取りそうな
気がする
若手作家、道尾秀介(みちお・しゅうすけ)の2009年作品。
本書は、彼にとって初の短編集で、6話が収録されている。

いずれも読みやすく、すぐストーリーの中に入っていける。
しっかりと展開してくれるため、ページをめくるスピードも早くなる。
短編ながら、伏線が張られ、オチもあり、腑に落ちて終わる。

ただ、不吉で不気味な物語ばかりである。
狂おしく、捉えようによっては耽美的でもあり、
この世界観を受けつけない方はいるだろう。

6話の中で最も惹きつけられたのが「ケモノ」という作品。
とある引きこもりの青年。
ある時、彼の部屋にある椅子の脚が一本折れた。
その椅子は、刑務所作業製品として、
祖母が、かなり前に購入したものだった。

脚のつけ根(座席部分との接合部分)には、
服役者の氏名と、あるメッセージが刻まれていた。
興味を持った青年は、事件について調べる。
事件の内容は、両親殺害であった。
しかし、殺害時に家にいた、当時赤ん坊だった妹は殺さなかった。
青年は、その妹がどこに住んでいるのかを探し当てる。
そして驚愕の事実を知る。
短編にとどめるには、もったいなような深みと厚みのある作品だった。

そのほかの作品いずれも、猟奇的ながら面白い。
一旦読み始めたら、ずるずると最後まで読み切りたくなってしまう。
そんな「ずるずる感」を引き起こすのは、作者の技量だろう。
日常に疲れている時は、こうしたサクサクと読める猟奇的なストーリーが
意外と気分転換になったりする。

■奥田英朗「オリンピックの身代金」
         奥田英朗/オリンピックの身代金 
奥田英朗(おくだ・ひでお)は私の贔屓(ひいき)作家である。
綿密なのにくどさがなく、
丁寧なのにスケール感があり、
長編に関しては、確実に満足のいく読後感を与えてくれる。
この作品は、彼の2008年作品。
上下2段書きで524頁もある作品ながら、飽きることなく、
最初から最後まで惹きつけられた。

時は昭和39年。
10月に開催されるオリンピックが間近にせまった東京が舞台。
8月頃から、警察関係施設を狙った爆破事件が相次ぐ。
容疑者として浮かんできたのは、東大の大学院生。
彼は、8千万円を引き渡さなければ、開会式会場を爆破すると予告。
果てして結末はいかに。

大学院生と警察との攻防も面白いが、
最も引き込まれたのは、昭和39年という高度経済成長期の
日本における光と影の描写。
大学院生は、夏休みを日雇い土木作業員のバイトをして過ごす。
その現場の壮絶ぶりに圧倒される。

建設工事ラッシュで、労働者の数は不足。
多くの労働者は地方からの出稼ぎ。
過酷な労働条件の中で、東京と地方の貧富の差、支配と服従、
不公正と不平等、そうした様々な矛盾を思い知る。

上の者が下の者をたたき、下の者はさらに下の者をたたく。
最下部の者達は、本来は上の者と闘うべきなのに、
最下部の者同士で闘い、生き残っていこうとする。
こうした理不尽さや閉塞感の描き方は見事。

また、この時代、地方の山村に住む者は極めて貧乏だった、
そんな生活ぶりが描かれている。
特に印象に残ったシーンがある。
秋田から出稼ぎに来ていた男が亡くなった。
男の妻は、遺体を確認するために秋田から列車で上京する。
遺体と対面しても妻は淡々としていた。
結婚してから夫は、年中、東京へ出稼ぎに行き、
お金がなく、ほとんど秋田に帰ることができなかった。
妻が遺体を見てつぶやいた言葉は、
「この人、こういう顔をしてたんだねえ」だった。

また、夫婦には子供もいたが、旅費がかかることと、
父親のいない生活が当たり前だったから、
遺体と対面するほどではないとして、上京しなかった。
そういう時代だったのだろうか。
地方の貧困さに、なんとも胸が締めつけられるシーンだった。


遺体は秋田に運ばず、東京で火葬し、
遺骨とともに秋田へ帰ることにしたのだが、

妻は、秋田行きの列車をひとつ遅らせる。
「夫が東京で亡くならなければ、一生東京に来ることはなかった。
 死ぬまで、あの山の中で、農作業と家事に追われていたと思う」
そう言って、東京タワーなど、しばしの東京見物をする。
少し楽しんでいるようでもあり、一生に一度という刹那感などで、
非常に切なくなるシーンだった。

とにかく読み応えがあった。
すごい映画を見たような気分でもある。
ただ、気になった点を言わせていただくと、
大学院生が、日雇い労働者を始めた経緯が弱いかなと。
それと、麻薬、爆弾事件、身代金と墜ちていく過程が、
あまりに短期間かつ一気だった印象がある。
その辺りの心理描写の厚みがもう少しほしかった。

とはいえ、読後の達成感も満足度も高かった。
昭和39年。日本が変貌を遂げていくすごい時代だったのだと思う。
明らかに、「心」よりも「物質」の時代だった。
現代は、「物質」よりも「心」の時代と言われる。
いや、現実はそうでもないかも。
「子ども手当」なる、ばらまき施策が評価されるくらいだから。
せめて、例えば年収が低く、ほんとに困っている家庭に対して
手当するものならば異論はないのだが。
というか、お金を多く与えれば子供が増えるという政治家の発想が、
全くもって理解できません。

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前原国土交通大臣が、群馬県・八ツ場ダムの建設中止に
向けた話し合い
のために、23日、現地入りした。
クリアしなければならない問題が大きく、しかも多く、
この先どうなっていくのか気になるところである。

それより気になっているのが、この案件に対する報道のされ方である。
中立的な立場の私から見ると、
前原大臣と建設推進派の争いばかりを見せられているようである。
もっと特化していえば、建設推進派の意見ばかり聞かされているようである。
建設反対派の地元民の声も聞きたい。
それとも、建設反対派の地元民は極めて少数派なのか?

そんなこともなかろう。
民主党は、建設反対の声があるから、
それを受け止め、熟慮した上で、マニフェに書いたのだろうし、
その辺りの経緯をもう少し知りたいなと。

なお、前原大臣は、国土交通大臣のほか、
沖縄北方・防災担当大臣も兼ねているわけで、
北から南まで、忙しい日々が続きそうだ。
かくいう私も、北から南まで忙しい。
ただし、私の場合、札幌市内を北から南までである。
移動手段はクロスバイク、目的はラーメン。
スケール小さいだろ。
それでもいいぜ。
身の丈に合ったことをやろうぜオッケイオーライ!


■ジュン(札幌市南区簾舞1条5丁目9-1)
住所の「簾舞」は、「みすまい」と読む。
国道230号線を札幌市内から南下。
住所は、川沿、石山、藤野ときて、簾舞となる。
簾舞で住宅街はとぎれ、定山渓までは家屋が点在する。
人によっては、住宅街は藤野でとぎれる、と見ている方も多いだろう。
それぐらい簾舞は南側にある。
札幌市中心部からだと、車で40分以上かかるだろう。

定山渓方面から国道230号線を北上してくると、
簾舞の交差点が現れる。
そこにはセイコーマート、サンクス、ガソリンスタンドなどがある。
それとともに、「チャンポン」と書かれたのぼりが、いくつもある。
あまりにのぼりが多いので、以前から気になっていた。

しかし、ちゃんぽんを提供するような、そげな店は見当たらない。
のぼりが立てられている方へ向かうと、完全な住宅地に突入。
訝しげに左右を見ながら彷徨うと、確かに店は存在した。
驚いた。完全に普通の住宅ではないか。

ジュン/店 
驚きはそれだけではない。
暖簾をくぐると、全く普通の住宅の玄関。
食べ物を提供する店の雰囲気は皆無である。
奥から「いらっしゃい」の声。
靴を脱いで、家にあがる。
目の前には「店はこちら」と、矢印とともに書かれた紙が貼ってあり、
その方向へ進む。
たどり着いた先は、全く普通の居間である。
どこからどう見ても、家庭の居間である。
呆気にとられて、立ちつくす私に、改めて「いらっしゃいませ」の声。
私は、無意識のうちに「おじゃまします」と言っていた。
「おじゃまします」と自然に言わせてしまうほど、リアルに居間なのだ。

居間には、大きなテーブルが置かれ、そこが客の席である。
普通にテレビが置かれ、サイドボードがあり、神棚まである。
料理をするのは、一般家庭にある普通の流しである。
つまり、一軒家を食堂のように改修した箇所はまるでない。
一般住宅をそのまま店として使っているのだ。

居間の隣りは畳の部屋で、こちらも客が座れるようになっている。
が、これまた全く普通の一般住宅の和室である。
なんだかわからない置物がいくつもある。
居間に入ったとき、線香の匂いがした。
私は、その和室に仏壇があるのではないかと思った。
亡くなった方の写真があるのではと探してしまったほどだ。

これらのスペースの写真を撮っていないのは残念である。
もろに民家の居間を撮影するようだったため自粛させていただいた。

店名は、「ジュン」。
ちゃんぽん店とは思えない店名である。
地方にある喫茶店、しかも壁には、メニューが書かれた色画用紙が
たくさん貼られている喫茶店を想起させる店名である。

メニューのメインは、「長崎ちゃんぽん」と「長崎皿うどん」。
なのだが、どういうわけか、馬刺しや森伊蔵(焼酎)があるなど、
メニュー構成も不思議だった。

ジュン/長崎ちゃんぽん 
で、肝心の「長崎ちゃんぽん」(750円)である。
スープは臭みのない、やわらかなコクのある豚骨。
カドがなく、クセがなく、それでいて旨みがつまっている。
すごくバランスの良い優しい味である。
麺は太めのストレート。
この食感もいい。

具は写真のとおり、様々なものがインされている。
豚肉、イカ、タコ、なると、さつま揚げに野菜いろいろ。
これはもろに、家庭のフライパンで炒めたテイスト。
イカとタコが結構インされているのは有り難かったが、
なるとの切り方が雑で、写真の上のなるとは、棒状だった。

とはいえ、ノーマルな心で判断すれば、十分に美味しいちゃんぽんである。
残念なのは、ノーマルな心になれなかったこと。
やはり、線香臭い居間での食事は、テンション・ダウンである。
私が食べているとき店の方(2人)は、
流しの近くの食卓テーブルで食事をしていた。
この店は、家庭的とは呼べない。
なぜなら、家庭そのものだからだ。
ただ、この雰囲気が好きな方もいるはずだ。
私は、妻がいない妻の実家で食事をしているようで全く落ち着かなかった。

■山嵐(札幌市豊平区平岸1条9丁目 環状通沿い)
仕事が終わった後、まっすぐ家に帰るには、
何か物足りなく、どこか寂しい気がした9月上旬のある日。
帰り道と反対方向である札幌サウス方面へとクロスバイクを走らせた。
気づくと電車通りを走っていた。
行くあてのない私は、そのまま電車通りを南下し、山鼻あたりをぶらぶら。

この辺りの住所は、南○条西○丁目となっているが、
「山鼻」という住所にすべきだと、かねて思っている。
条西丁目はわかりやすいが味気ない。
「山鼻」という、この広い世界で札幌にしかないと思われる貴重な地名を
生かしてほしいと思う。
ついでに言わせていただければ、「桑園」、「美香保」、「北光」も
条西(東)丁目とせず、住所名として存在してほしいところ。

そんなことを考えつつ、電車通りをスローペースで走ったわけだが、
やがて日は沈み、冷たい風が吹き抜けてきた。
行くあてのない私は行き詰まった。
そして、虚しい気持ちを抱えたまま家に帰るのだ。
しかし、それこそが私を語るに最も相応しいシチュエーションである。
「虚しさ抱えてゲット・バック・ホーム」が、私の生き様といってもいい。

山鼻あたりから、環状通を平岸方面へ。
南19条大橋を渡って豊平川を越え、中の島へと坂をくだる。
と思ったらすぐに、中の島から平岸へ坂を登る。
登り切ると、左側には、人気ラーメン店「山嵐」がある。
外まで行列ができているのをよく見かける店だが、
この日は、平日の午後7時30分くらいだったせいか、
店内の客はまばらだった。

山嵐_店 
当初はラーメンを食べるつもりはなかった。
しかし、「空いてる山嵐」を目にしたとき、
これは良いタイミングかもしれないと思い、
吸い寄せられるように、川の流れのごとく入店。
なんらの期待も意欲もなかった分、
逆に穏やか、かつ素直な気持ちでラーメンに臨めた。

山嵐/白スープ 
看板メニューである「白スープ」(750円)をオーダー。
濃厚背脂トンコツの塩味っぽい醤油味。

ベタな表現をさせていただくと、
「山岡家の醤油+てつやの醤油」から、トンコツ臭さを除いたような感じ。

旨みが凝縮されており、すごく美味しいと感じた。
脂っぽいのだが、後味はなぜかあっさりとしている。
パンチやキレがあるタイプではなく、まろやかで、べったりとしている。
このべったり感が妙にクセになり、どんどんと箸が進む。
しかも濃いのに飽きないから不思議ちゃん。

麺は山岡家チックな太めのストレート。
もちもち感がたまらなく、濃厚スープともマッチし、
魅力的なものになっている。
チャーシューも濃すぎず、柔らかく、非常にいい塩梅である。

ただ、このラーメンは好き嫌いが分かれるかもしれない。
臭みはなく、すっきりしているが、べったり濃厚なことには相違なく、
食後のもたれへの不安が頭をよぎる。
とはいえ、スープ、麺とも、やや少なめなのが功を奏していたのか、
スープまで完食した。

■貴州屋(札幌市北区あいの里4条4丁目 道教育大学正門前)
8月のある日、当別町のI原(アイハラ)氏から、仕事上のメールが届いた。
「別添のとおり提出します。よろしくお願いします」
というメッセージとともに、書類が送付されていた。
ポイントは、その書類ではない。
メッセージの後に、追伸的な意味合いで、
さりげなくラーメン情報が添えられていた。

あいの里にある「貴州屋」(きしゅうや)のラーメンにはまってまして。
時々、無性に食べたくなって、当別から車をとばします。
機会があれば是非。
そんな内容だった。
このような余談的メッセージが私を熱くする。
というわけで、あいの里まで、またしてもクロスバイクで行ってきた。

あいの里は、石狩市当別町と隣接した札幌市の北端である。
清田区民ならば、北広島市や恵庭市に行くよりも遠く感じ、
手稲区民ならば、小樽市に行くよりも遠く感じる地域であるが、
東区元町界隈ながら、伏古に近いところに住む私にとっては、
クロスバイクで片道40分程度の距離である。
そして、またしても、クロスバイクを店フォトにインさせるところがいやらしい。

貴州屋/店 
午前11時30分に訪問したが、既に7割くらいの席が埋まっていた。
看板メニューである「赤みそ」(750円)をオーダー。
きりっとした渋みのある大人の味である。
ベーシックで安定した力のある味で、
目立ちはしないが、放っておいても宿題はきちんとする生徒を彷彿させる。

貴州屋/赤みそ 
注文をつけさせていただくと、
抑えたり、丸めたりして、形や印象を良くしているが、
ちょっと小さくまとまっちゃったかなという感じ。
どこか、はみ出す部分があると、そこがポイントになり、
魅力が増すように思えた。
ただ、安定感と安心感が集客に結びついているのだろうと思われ、
札幌北部における貴重な店であることは頷ける。
I原(アイハラ)氏の余談的メッセージに感謝。

■けせらせら(札幌市北区太平7条5丁目2-5)
札幌市を東西南北に4分割した場合、
東の中心地は白石及び新ポロサツ、西はニーコト及び手稲、
南は平岸、澄川ということになろう。
北の中心地はどこか、となると、一般的には「麻生」だろう。
しかし、ラーメン目線で見ると、北の中心地は「太平」(たいへい)である。
今回紹介する「けせらせら」のほか、「fuji屋」、「はちまき屋」など、
人気店が数多く存在する地域である。

「けせらせら」に関しては、2月に塩ラーメンを紹介している。
丁寧にとられた鶏ダシを、まろやかテイストに仕上げた
完成度の高いスープだった。
このプースーなら、醤油も美味しいはずと思い、
初雪が降る前には行かなければと機会をうかがっていた。

そんな折、「けせらせら」でつけ麺を始めたことを知った。
あの鶏ダシまろやか系スープなら、つけ麺としては弱いのではと思ったが、
どうやら濃厚トンコツ魚介系のプースーにしているらしく、
これは食してみなければと、好奇心と使命感をもって訪問した。

けせらせら_つけ麺(醤油) 
驚いた。
美味しすぎた。
一口食べて、「どうすりゃいいの、こんなに美味しくて」と、
困った顔になってしまったほど。

濃厚トンコツ魚介系のプースーにしては、ややあっさりしているが、
しっかりと麺に味を巻き込むパワーがある。
ややとろみはあるが、どーんとくるというよりは、ライトにシャープ。
というか、柑橘系風味がインされており、
それが「重さ」や「しょっぱさ」を、見事に調整している。

麺は太めで、ちぢれは弱い。
やはり、濃厚トンコツ魚介系つけ麺は、こういうタイプがマッチする。
食感もよく、食べる楽しさを感じさせる麺である。
そして、チャーシューが完璧。
分厚く大きいのだが、柔らかくスマート。
これを、ほんのりと炙ってあり、極めて美味い。
スープと出会うことにより、チャーシューに味がしみて
良い塩梅になるよう、綿密に計算しているかのようである。

とりあえず指摘のしようがない見事なつけ麺である。
どうしても、強いてひとつ指摘するならば、
プースーとチャーシューが完璧なのに比べ、
麺はどこか素っ気なさがある。
とはいえ、十分に許容範囲である。
今年のラーメン・オブ・ザ・イアのトップ5入りは確実。
トップ3入りも現実味を帯びてきた。
そう思わせる珠玉の一杯だった。

けせらせら_店 
訪問したのは日曜日の13時過ぎ。
たまたまタイミングが良かったのか、先客は3人で、すんなりと座れた。
ところが、私が食べ始める頃には満席に、
そして、食べている途中に行列ができた。

隣に座った男性客は、席につくなり、メニューも見ずに、
「つけ麺の塩、麺は300gで」とオーダー。
常連なのだろう。
その人に出された「つけ麺・塩」もすごく美味しそうだった。
ほんのり漂う香りで、つけ麺・醤油のプースーとは
根本的に別物であると見てとれた。
麺の太さも色も、明らかに、つけ麺・醤油のそれとは異なるものだった。
そして、見た目と香りで、美味確率が極めて高いことがうかがい知れた。

つけ麺・塩も、近いうちにどうしても食べてみたい。
そのうち食べたいとか、タイミングのいい時に、ではない。
近いうちにどうしても食べてみたい。
というか、食べなければいけない。
まさに、マスト・イートな一品であるという期待に気持ちが昂ぶる。
私は、「けせらせら」に、はまりつつあるということだ。
「けせらせら」にはまる人は増えていくだろう。
そういう人達は、そのうち「ケセラー」と呼ばれるのではないだろうか。


テーマ:ラーメン - ジャンル:グルメ


連続ホリデーズなので実家に行った。
21日の朝はストーブをつけるほど冷え込んだ。
外は曇っていた。
しかし、実家の窓からは岩内岳が、くっきり見える。
登ってみよう。
何も支障はない。
ならば、なさねばならぬ。

登山口は実家から車で約20分。
積丹半島の西海岸を背に登っていく。
登っていくうちに次第に空から雲が消えていく。
そこにある道を歩いていくうちに邪念も消えていく。
頂上にたどり着き、振り返ってみればこの景色だ。

090921岩内岳1 
実に素晴らしい。
岩内湾を一望し、積丹半島の先まで見える。
写真を見ているかのごとく鮮明で、逆にリアリティがなかった。
これほど晴れ渡る日が、一年に何日あるだろう。
そんな奇跡が、この胸にあふれていた。
きっと今は自由に空も飛べるばす。
そんなふうに思えてくる、かと聞かれれば、
全くそんなことは思わない。

この景色の反対側は、羊蹄山に向かって、
チセヌプリ、イワオヌプリ、アンヌプリなどのニセコ連峰が目の前に伸びる。
それがこの景色だ
090921岩内岳2 
もう嫌になっちゃうくらい圧倒された。
この写真より右側には、洞爺湖まで見えた。
こんなに見えてしまっていいものかと、逆に恐ろしくなった。
遠いところへ来てしまっていることを実感した。

この前日は余市岳を制覇した。
登山口は、キロロ・スキー場である。
最初の1時間近くは、車も走行できる砂利道歩きで退屈だが、
その後の2時間近くの登山道は、休みのない上り坂が続きつつも、
変化が多く、非常に楽しめる山である。
で、頂上にたどり着いたら、この景色だ
090920余市岳1 
またしても羊蹄山が見える。
岩内岳から見た羊蹄山は西から見たもの、
余市岳から見た羊蹄山は北から見たものである。
写真を見ているというより、
写真の中に自分が入ってしまったような錯覚をした。
ちなみに、ここからも洞爺湖が見えた。
そして、羊蹄山方面とは反対側の景色が、こちら

090920余市岳2 

札幌市南区から定山渓へと連なる山々が間近に見える。
キロロから登ったのに、なぜに定山渓が近くにあるの?と
位置関係がよくわからなくなる。
そんなマジックめいた位置に来ていることに少し酔った気分になる。
さらに、西に90度、目をやれば、こんな景色

090920余市岳3 
石狩湾が一望できちゃってるよ。
やはり登山は天気のいい日にかぎる。
紅葉は始まっていたが、ピークは1週間後くらいだろう。

しかし、予想以上に頂上は寒かった。
1
週間後だと紅葉はピークだっただろうが、
その素晴らしさをかき消すくらい寒かったかもしれない。

どこまで車を走らせてもこの景色は見られない。
しかも、連続ホリデーズにおける横移動は、どこも混雑している。
だから縦移動だ。
遠出をせずとも、縦移動によって、普段は見られない景色が見られる。

ただ、岩内岳登山口から札幌までの移動時間は、
登りに要した時間以上だった。
つまり、縦移動よりも横移動に時間を要している。
そんな手間もオッケイオーライだ。
いとおかし。


テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ


仮に、この世の中に「ロック大学」なるものがあるとする。
アメリカン・ロック学部、パンク学部、ハードロック学部など、
いくつもの学部があり、
例えば、アメリカン・ロック学部には、
ビリー・ジョエル学科、イーグルス学科などが置かれるだろう。

つまり、学部はジャンルによって、
学科は業績や後世に与えた影響の大きいアーチスト名によって
置かれるとしよう。
アーチスト名が学部になり得るのは、
ビートルズ学部とローリング・ストーンズ学部くらいか。
いや、もうひとつある。
レッド・ツェッペリン学部である。

レッド・ツェッペリンの全盛期は60年代後半から70年代の半ば。
70年代半ばの私は10歳である。
つまり、ツェッペリンが終わってから音楽を聴き始め、
ツェッペリンを聴かずに私は育った。
大人になってからも、ツェッペリンを熱心に聴いたことはない。

これは、ロック・リスナーとして真っ当なあり方ではない。
そのことに、少しの負い目とコンプレックスを感じつつ生きてきた。
しかし、ツェッペリンを昇華していないことで
特に不自由はなかったし、不利益を被ることもなかった。

なぜ、ツェッペリンをきちんと聴けなかったのか。
その理由はおそらく、
歌メロの存在感が薄いこと、ゆえにメロディを口ずさめないこと。
ハイトーン・ヴォイスのボーカルに抵抗感があったこと。
アレンジにおいて、だらだらと間延びした箇所が多く、
気持ちが乗っていけないこと、などが挙げられる。

ただ、「ツェッペリンは聴くべきだよ」的な会話になることは
何度もあった。
私のロック人生で最も多く薦められた回数の多いアーチストだろう。
30代前半の頃、当時の上司であったボーツー氏の、
「ツェッペリンはBGMとして聴けない。
流したら聴きこんじゃうんだよね」というコメント。
30代後半の頃、留萌のラジオ知人、ヒデ菊田氏の、
「やっぱりツェッペリンはいいよ」というコメント。
そんな、いくつものコメントが今も私の中に生きている。
また、バンドのメンバーであるダーオ小田氏にからは、
約20年の長きにわたって、ツェッペリンは聴くべきだと促されている。

そして私はついに、ツェッペリンにはまった。
ベスト盤のみであるが、CDは保有していた。
つまり、ツェッペリン学部に入学するための願書は取り寄せていた。
しかし、受験するには至らなかった。
それがこの1週間くらいは、ツェッペリンばかり聴いている。
正直、入学できるレベルには達したと思っている。

直接のきっかけは、9月9日に高校の同級生である
タイガー阿部氏とコンバット北野氏と飲んだときのこと。
「『移民の歌』のリズムはかっこいいのに、歌メロがぱっとしない」
という私の発言に対し、コンバット北野氏は、
「移民の歌?ああ、イミグラント・ソングのこと?」
と、わざわざ英語タイトルに言い換えた。
キャリアを見せつけるように、すかして鼻で笑いながら言い換えた。

その後も「移民の歌」とは言わず、
「イミグラント・ソング」で押し通してきた。
そのことに、ツェッペリンに浅いという微妙な屈辱を味わった。
また、「カシミールなんて最高だけどな」、
「アキレス最後の戦いはすごいよ」など、
ツェッペリンの話にあおられ、まくられた。

その2日後、ダーオ小田氏とスタジオに入ったときも、
ツェッペリンの話になった。
様々な話をしたが、「ブラック・ドッグのリフはほんとに素晴らしい」
というダーオ小田氏の発言がやけに気になっていた。
その翌日から、ツェッペリン漬けである。

私はひとつの壁を超えた。
歌モノとして聴くべきではない音楽であり、
構成の妙、高い演奏技術、密度の濃さや奥行き、
そうしたものを「聴く」というより「体感する」音楽であると
強く認識し、ついに受け入れられるに至った。

今更だが、ほんとに凄い。
聴けば聴くほど、聴きどころが増えてくる。
そして唯一無二の存在であることを改めて思う。
ビートルズ学部の下には、いくつもの学科が置かれるだろうが、
レッド・ツェッペリン学部の下には、
レッド・ツェッペリン学科しか置かれないだろう。

確かに、BGMとしては聴けない。
音から様々なエネルギーが発せられ、そこに集中せざるを得ないのだ。
ひとりで聴きたくなる音楽であり、
一緒に聴くなら、ツェッペリンを知っている人と聴きたくなる。
そうしたある種のマニア性の強い音楽だと思う。

「Baby I‘m Gonna Leave You」など、
ひとりの夜の帰り道の車中、不意に流れてきたら相当しみるだろう。
「グッドタイムス・バッドタイムス」のギターソロは、
それまでの演奏が止まって、いきなり入ってくる興奮に血圧が上がる。
サビ前のAメロとBメロのギターの違いなども聴きどころである。

「幻惑されて」は、私がツェッペリンに入学できなかった象徴的な曲である。
洋館を彷徨うようなオカルトっぽい怪しいフレーズが多く、
最後まで聴くには耐え難い雰囲気の曲だった。
それが今では、「ダン・ダン・ダン・ダダダダダダ」というリフが、
ボディ・ブローのように効いてきて、いまや完全に圧倒されている。
その部分だけだが、聴きながら一緒にギターを弾いているほどである。

ダーオ小田氏が絶賛した「ブラック・ドッグ」のリフもたまらない。
ある日の帰り道、「ブラック・ドック」のリフが頭から離れなくなった。
家に着いてからは治まっていたが、
もう寝ようかという時間になって、頭の中で再度繰り返し流れた。
ベッドを飛び出し、思わずギターを手にとって、
そのフレーズはどう弾くのかと試してみる。

思いの外、簡単に雰囲気をつかめた。
楽しくなってきた私は、「ブラック・ドック」を流しながら一緒に弾いた。
一緒に弾けるのは、そのリフの箇所だけである。
それでも気持ちいい。
ツェッペリンを弾いている自分に嬉しくなった。

これにとどまらなかった。
正確性を期するために、翌日、仕事の帰りに、島村楽器へ行き、
ツェッペリンのソング・ブックを見て、
「ブラック・ドック」のリフをタブ譜で確認。
1箇所違っていたことを知り、帰宅後、早速弾いてみた。
なるほど、と思う。
これって、まさに勉強ではないか。
ツェッペリン学部の学生である自分を実感した瞬間だった。

私は、「あの頃勉強しておけば良かった」とか、
「あの頃、この本を読んでいたら」などという後悔は全くない。
もちろん、もっと以前からツェッペリンを
聴いていれば良かったとも思わない。
むしろ逆である。
ツェッペリンの凄さを知ることができるキャリアに達したことを嬉しく思う。
それはつまり、私の音楽的成長だと思っている。
と同時に、ツェッペリンを理解できる能力を有していたこと、
そしてそれが40歳を過ぎてから開眼したことがハッピーである。
まだまだ未来はあるぜアラフォー!


テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽


アメリカ・メジャーリーグのイチロー選手が
9年連続200本安打という前人未踏の大記録を達成した。
単年度で200本の安打を打つ選手でさえ限られているなか、
それを9年もの間、突破し続けたことは本当に凄い。

もちろん強靱な精神力があってこそ成し得たという意見に全く異論はない。
ただ、単純な話、野球センスが飛び抜けている。
投げる、打つという才能だけではない。
ケガをしないことや、スランプからきっちり立ち直ることなども含めて、
とんでもなく秀抜な野球センスを持った人である。

コメントや振る舞いを見ていると、正直、カッコつけな人だと思う。
しかし、安打に関しては、泥臭いものも多い。
当たりそこねのゴロが安打になる場合も多い。
それでも安打は安打。
安打をたくさん打てる人はカッコいい。
攻撃は塁に出なければ始まらない。
そうした野球の原点を見せてくれる人でもあり、改めて偉大だと思う。

今回の記録のほかにも、シーズン安打記録や日本人最多安打など、
これまで数々の偉業を成し遂げた。
また、一般人にとってはリアリティのない年俸をもらっている。
彼のモチベーションは何なのだろう。
「まあ、これだけやったし、もういっか」
と感じることはないのだろうか。
おそらく一般人とは比較にならない意識の高さがあるのだろう。

まさに、手の届かないような孤高の人である。
というか、数々の大きな記録を打ち破るために、
孤高の人格を形成していったようにも思える。
周りを排除し、研ぎ澄ましている雰囲気が漂う。

誰にも邪魔されない空間を確保し、
身の安全を守るためのセキュリティを徹底し、
考えられないほどストイックに自己管理をしているのだろう。
時に、クール過ぎたり、偉そうなコメントもあるが、
必死で自分をコントロールしていることの表れではないか。

イチローという人は、整理する力に長けているのだと思う。
そうした頭の良さがある人だと感じる。
あれだけの人になれば、内から外から、様々な誘惑も多いだろう。
年齢を重ね、知識や経験が増えることで、
逆に飽和状態になって、なんだかわからなくなる人も多いはずだ。
しかし彼は、必要のないものは捨てる、あるいは忘れる。
そうした能力が秀でているのだと想像する。

10代は、壊れそうなものばかり集めてもいい。
頭の中にそれを保管しておけるだけの容量があるからだ。
しかし、40代ともなれば、容量は限界にきている。
年齢とともに、人の名前を思い出せなくなるのは
至極当たり前のことなのだ。

だから、いらないものは捨てたり、忘れたりして、
新しいことや次のことを考えるスペースを
作ってあげなければいけない。
詰め込む力より、得た知識や経験を必要に応じて引き出せる力こそ
重要である。
つまり、いかに増やすかではなく、いかに使うかなのである。
イチローは、それをよくわかっているのだ。

記事の前半で、イチローの偉業は、精神的なこと云々より、
根本的に野球センスが飛び抜けているから成し得たと書いた。
ところが気づいてみると、自分をコントロールする力とか、
整理する力があるとか、精神的なことばかり書いている。
整理する力を語る私自身こそ、整理する力を身につける必要がある。


テーマ:イチロー - ジャンル:スポーツ


前回の記事で、自転車による留萌行きを、
雨予報により断念したことを書いた。
日曜日の朝、目を覚まし、窓から外を眺めると、
路面は濡れていた。
しかし、既に雨は降っていなかった。
おそらく未明に降りだし、夜明け頃には止んだのだろう。

その後も、曇ってはいるものの、
雨が降り出すような空模様ではなく、
もしかしたら留萌往復は実施可能だったのではないかと
複雑な気持ちになった。
その気持ちを払拭してくれるのは、雨が降ることだった。
私の判断が間違いではなかったことを証明してくれるのは
雨しかなかった。

留萌方面や空知方面は雨が降ったのだろうか。
その方面の人にメールしてみようかと思った。
が、やめた。
現実を知るのが怖かったからだ。
彼女の気持ちを知りたいのに聞けないのと同じである。

人は白か黒か決着をつけたがる。
わかりやすい真実を求めたがる。
しかし本件は、真実を知ることによって、
無意味にがっかりサンデーとなる可能性が高かったため
メールはしなかった。

週末に丸二日フリーになる機会は、
あと1か月余りのうちに、もう一度くらいは作れるだろう。
問題は天気の巡り合わせだ。
雨と強烈な風さえなければいいのだ。
もちろん、からからの天気に越したことはないが。

いずれにしても無理はしない。

そういうわけで、今回はスープカレー店訪問記。
からからの天気を期待して、まずは「からからや」という店から。
話のもっていき方が完全に無理している。

■からからや(札幌市白石区栄通19丁目4-7 コープの向かい)
からからや/とろーりチキン 
◇とろーりチキン 900円+辛さ7番 50円

正統派的に美味しい。

トマト系のスープながら、あまりトマトマしていないのが良い。
ベースのダシがしっかりとしており、スパイス感も程よく、
非常にまとまりのあるスープである。

具の美味しさは申し分ない。
特に、じゃがいもとカボチャは、歴代でもトップクラスである。
カボチャ入りのスープカレーは、ほんの少しの抵抗感がある私も、
この店ならば、カボチャ・カモーン!アンド・モアなほど
ウェルカムなテイストである。

とにかく全体としてきちんとしている。
アカデミックだと言ってもいい。
ところが、ダイナミックではない。
ここが難しいところである。
残念ながら、記憶に残りにくい。

昨年も一度訪問し、美味しかった印象はあるものの、
味のメモリーをロストしており、
「2008・スープカレー・オブ・ザ・イア」に
ランクインできなかった経緯がある。
「評価」という点では、不利を受けやすいタイプだろう。

からからや/店 
辛さの番号を増すと、その分しっかりと辛くなる点も好感。
対応も、いい意味で、からっとしていて過ごしやすいかも。
なんというか、良質のBGMのようである。
たまたま行った店で流れているBGMについて、
「いいよね、こういう曲」と思うものの、
そのCDを買い求めるには至らないみたいな。
微妙な例えをしたが、美味しいことには違いなく、
確実、堅実な味である。

■心(札幌市北区北15条西4丁目 シティハイムN15 1F)
人気店である。
いつも混んでいる。
なのに駐車場の位置がよくわからない。
サラサラ旨み系のスープが好きな私にとっては鬼門となる
濃厚トマト系のスープ。
こうした、お店と私の事情のせいで、なかなか足が向かなかった。
しかし、人気店ゆえリポートしなければと、
誰にも求められていない使命感が私を動かした。

◇骨付きチキン 950円+辛さ30番 50円
心/骨付きチキン 
見た目、かなり美味しいのではないかと胸が膨らむ。
そんな期待感を持って一口スープを飲む。
美味しいです。
以前よりトマト味は抑えられ、コクが増したように思う。
とともに、和のテイストも利いているなど複雑かつ濃厚な旨味がある。

ところが食べ進むうちに、コク=油のような感じがしてくる。
ブイヨン系スープで、スパイシーさに乏しいせいか、
すっきりと抜けていかず、もったりとしてくるのだ。
サラサラ旨み派にとっては飽きやすいかもしれない。

じゃがいも、人参は素材の味を前面に出しているのかもしれないが、
ちょっと生々しい。もう少し手を加えてもらった方が好み。
チキンは旨みが抜けてるようで、玉子にいたっては無味に近かった。
このように具のフィーリングは私と合わなかった。

とはいえ、客は次から次に訪れる。
濃厚トマト系スープの支持者は多いのだ。
確かにスープの完成度は高く、人気店となるのも頷ける。
この店がアピールするものと、私の味覚やセンスがずれている。
それだけのことだ。
誰が悪いわけでも、間違っているわけでもない。

心/店 
世のオヤジどもがウハウハする人気女優、黒木瞳。
私は、彼女になんらの色気も優しさも温もりも感じないのと同じである。
見た目、喋り方、言葉の奥にある雰囲気などからして、
ずっと以前から、黒木瞳とはうまくやっていける気がしなかった。
その気持ちが決定的になったのは、
何年か前、「チューボーですよ」に出演した際、
薄いビニールの透明手袋をつけて料理をしている姿を見た時である。
そんなにまでして料理番組に出るかね。っていうか、出すかね。

■RASATA(中央区南2条東2丁目 スープカレー横丁内)
2008年4月にオープンしたスープカレー横丁。
これだけスープカレーに関して、ああだこうだと言っている私だが、
恥ずかしながら2009年8月まで入店したことはなかった。
横丁スペースに何度か行ったことはある。
しかし決定的に行きたい気持ちになった店がなく、
結局は、横丁以外の別の店へと流れてしまっていた。

横丁のオープン時は6店あったが、
現在、常時営業しているのは3店である。
事実、混雑しているところを見たことがない。
この原因の一端は、足を運ばない私にもあると
勝手に責任を背負い込んでみた。
そこで、心配と応援の気持ちを持って、ついに入店を果たした。

ラサタ/店 
平日の21時過ぎに横丁に行くと、2店しか営業していなかった。
なんとなく、目的もなく、予習もないまま「ラサタ」という店に訪問。
どこか空気がぎこちなく、何かが自分と違う感じをもったまま席につく。
えっ!と思った。
高かったからだ。
チキンカリーで1,280円というメルセデスな価格。
チキンにベジタブルがつくと1,580円である。
そこに辛さ料金がプラスされる。
さらに、スープを「こってり」にすると+50円、
「コク旨」にすると+100円。
価格ばかりが気になってしまい、
カレーを味わう前に、プロレタリアート感を味わってしまった。
「搾取」という言葉が頭をよぎった。

しかし、価格相応の何かがあるはずと気持ちを切り替える。
スープは、ほんのりタマネギ味のするあっさり系。
ほかで出会ったことがない不思議な塩味が含まれていると思いつつも、
パンチがないというか、旨みもスパイスも中途半端かなと。
それでも、高価格の秘密を探るべくスプーンを進める。

◇骨付きチキン 1,280円+辛さ6番 50円
ラサタ/骨付きチキン 
具は全て、まあ普通に、といった感じ。
手はかかっているのは見てとれるが、
味に反映されていないというか、なんというか、何かが足りないのだ。
明らかに足りなかったのはライスの量。
コンビニのおにぎり1個程度の量に思えた。

最後まで高価格の謎は解けなかった。
1,280円というメルセデスな価格に縛られた私に否があるだろう。
1,280円前提での見方しかできなかった私の器の小ささよ。
店を出た私は、地下鉄に乗らず、家まで歩いて帰り240円を浮かせた。
そうしなければ明日にも引きずるような気がしたからだ。

■クレイジー・スパイス(札幌市北区北16条西5丁目 KWビル1F)
6月22日の記事「店名に惑わされてはいけない」に関する
タビオカ鈴木氏のコメントにおいて高評価をしていた店である。
そんなタピオカ氏にインスパイアされ訪問した。

◇とろーりチキン 940円
クレイジー・スパイス/チキン 
ありがちかなと思えるスープながら、ベーシックに美味しい。
スープ、具、ライスとも、いい意味でクセがなく、
ダシの味を残し、素材の味を前に出しつつも、
カドのないまろやかな味にまとめている。
辛さもピリッとキレがあり、まとわりつかず、すっきりしている。

店は外から見ると、客がどのくらい入っているのかわかりにくく、
どちらかといえば、客が入っていないように見えてしまう。
店内はレゲエが流れ、南国テイストの装飾。
入口スペースが広く、また、各席がいい具合に仕切られているのが良い。
駐車場スペースも広く、使いやすい店といえる。

クレイジー・スパイス/店 
このように何も問題はない。
安心して過ごせる店である。
それだけで素晴らしいことだと思う。
が、決定力がないかなと。
まとまっておりクセがない分、クセにもなりにくいタイプである。
とはいえ、店名とは裏腹に、よく調整された食べやすいカレーである。

余談だが、この「クレイジー・スパイス」と前記の「心」は夜に訪問した。
しかし、店の写真は昼間である。
つまり、店の写真を撮るために、
食事をした日とは別の日に、写真を撮るために明るい時間に訪問した。
捉えようによっては、徹底していると言えなくもないが、
いい歳をして、そんなことに時間を費やしていいものかと、
自分自身、不安になってしまうアラフォー!


テーマ:札幌スープカレー - ジャンル:グルメ


天気を恨む。
この週末、自転車で札幌から留萌までの130kmを走り、
一泊して帰ってこようと目論んでいた。
「オレは行くぜ、ほんとに行っちゃうぜ」と、
一部の留萌の方にもアナウンスした。

ところが、土曜日の夜から日曜日の日中は雨が降ると気象庁は言うのさ。
天気予報に関しては気象庁にかなわいので、それに従うしかない。
残念だが断念するしかない。
無念だが観念するしかない。

そんな気持ちで、整形外科へ行った。
8月下旬から、頸椎(けいつい・首の後ろ)の
ヘルニアの具合が芳しくなく、人知れずリハビリに通っているが、
快方に向かっていない。

そこで今日は、診察を受け、ヘルニアの近況を報告した。
するとドクターは、治療のメソッドをチェンジすると、ヒー セッド。
これまでは牽引と電気治療だったが、
別の電気治療にするとともに、新たにマッサージが加わることになった。

マッサージをしてくれたのは、川平慈英似の方だった。
最初に、自宅における首のストレッチについて指導を受けた。
「このストレッチ、結構痛いんですけど、
30秒も続けていいんですか?」と聞くと、「いいんです」と返ってきた。
口調も、川平慈英似だった。

ただ、マッサージを受けながらのトークは、
川平氏が天然ボケなのか、話を聞いてないのかと疑問を感じた。
最初は問題がなかった。
と、いうより、
「痛みを感じるのは、脳である。
マッサージをされてる時、気持ちいいのは、
脳がそう思うだけであって、患部が良くなってるわけではない。
でも、それで治っていくものなのです」
そういう話をされ、なるほどと思った。

確かに、脳に気持ち良く感じさせればいいという理論はわかる。
事実、自宅にいる時の方が、仕事中よりもヘルニア痛は弱い。
イライラやストレスがない状況、つまりリラックスしていると、
ヘルニア痛は緩和されているように思えるのだ。

私は、そのことを川平氏に言った。
「仕事中は、腕とか、肩胛骨(けんこうこつ)とか痛くて、
ほんとストレスになるんですよ。
でも、家に帰ると、その傷みが消えるんです。
だから、メンタル的な部分や環境によって、
痛みというシグナルを発したり、発しなかったりするのかなと思います」

それに対して、川平氏は言った。
「なるほど。わかります。
やっぱり、何かに集中している時って、痛みを忘れるんですよ」
「そうですね。仕事に集中してないから、
仕事中に痛みを感じるんですよね」って、おい!

私は、ノリ突っ込みをするために、リハビリに通ってるわけではない。
川平!もう少し患者本意で話の流れを読めよ。

しかし、そんな批判はできない。
なぜなら、「痛みというシグナル」という、
ぱっと聞くとカッコよさげな言葉を、無意識に使った自らの言葉センスに
「オレってすげえ」と少し酔ってしまったからだ。
川平を批判する前に、自らが謙虚であらねばならぬ。

テーマ:日記 - ジャンル:日記


6日日曜日からの私は、仕事もプライベートも一段落し、
差し迫ったことに追われない10日間に突入した。
「時間がほしい」、「何もしないで休みたい」と
日頃思うことの多い私にとっては、願ってもない時期である。

ところが、何もせずに夜を過ごしていると、
「こんなに何もしないでいいのか?時間がもったいなくないか?」と
焦り始め、落ち着かなくなってきた。
かといって、何かをしようにも腰が重い。
結局は休みたいのだ。
ならば、何も考えずに休めばいいのに、
時間がもったいない気がしてくる。
心がチープなのだろう。

何かをしようとする。しかし面倒になってやめて、
結局、全てにおいて中途半端に終わる。


秋である。
私の人生も秋なのかも、と思う。
筋肉は衰え、髪の毛の量は減り、身体は硬くなり、
体重は変わらずも脂肪は増え、しわは増え、
疲れは取れにくくなり、最近知った人の名を思い出しにくくなっている。
だから、今やらなければできないのでは?と妙にもがき、
じたばたハートが疼くのだ。

虚しくはない。
焦っているのだ。
しかし、こんな時こそ、何もしない方がいい。
何もせずに、これまでの、あれやこれやを醸成させるべきなのだ。
何もせずに寝かせておけば、そのうち何かをしたくなり、
自然に起きてしまうだろう。

そう、こんな時こそ、本を読めばいいのだ。
あれこれ考えず、じたばたせずに本を読め。
それでいいのだ。
本を真剣に読んでいるときは、邪念が押し寄せず没頭する。
それがリラックスにつながっていく。
そういうわけで今回は、ブック・レヴューでよろしくどうぞ。

■大沢在昌「狼花」
       大沢在昌/狼花 
2006年発刊の、大沢在昌の「新宿鮫シリーズ」の9作目。
タイトルは「おおかみばな」と読む。

新宿で起こった外国人同士の傷害事件。
その原因は、大麻の奪い合いだったことが浮かび上がってくる。
捜査を進めていくうち、
盗品をインターネットで売買している裏マーケットや、
そのマーケットの乗っ取りを目論むヤクザ組織、そして警察庁。
この三者が複雑に絡み合う中で、「新宿鮫」こと新宿署の鮫島刑事が
事件の核心に迫っていく。

ハードカバーで557頁に及ぶ長編ながら、
全く中だるみがなく、展開は次々に変わるものの、
ぐいぐいと引きつけていく。
とにかく文章に力がある。
3頁くらい読んだだけで、完全に世界に引き込んでくれる。
大沢在昌という作者の持つ文章力のレベルの高さを
存分に感じさせてくれた作品だった。
大沢作品は4、5冊しか読んだことはないが、
その中では一番良かった

濃厚なのにくどくない。
スピード感があるのに奥行きがある。
明快な文章なのに緊迫感がある。
会話の妙により巧みに人物像を描く。
それと、裏社会の姿がリアルに綴られていることに感服。
相当に綿密な取材や調査をしているのだろう。

読んだ時期が、酒井法子in湾岸署の時期だったせいもあるが、
ヤクザが、今回の主役の中国人女性を麻薬バイヤーに育てるために、
大麻、覚醒剤、MDMAなどの説明をし、
ひとつだけ試してみるシーンは、あまりの文章の引力に口が渇いたほど。

大沢有昌の作品が私を惹きつけるのは、
文章に主張や哲学がさりげなくもしっかりと存在しているからだろう。
「警察官という職業は、人間の最も人間的な面を直視する。
それは憎しみの汚泥に首までつかる仕事だ」
「役人とは、結局そういう連中なのだろう。
人民の財産は国家の所有物で、国家とはつまり役人の財布だと思っている」
ストーリー自体も面白いが、こうしたスマートながらも重厚感のある言葉を
堪能できる深みのある作品である。

■立川談春「赤めだか」
立川談春/赤めだか 
立川談志の弟子、立川談春が、
高校を中退して弟子となった昭和59年頃から、
真打昇進を果たした平成9年までを綴った自伝的作品。
各方面で話題になっていた作品だったので、
今年2月に札幌市図書館に予約。
人気作品だったのか、待つこと実に半年、
やっと私の借りる順番がまわってきた。

前半の半分は、入門からの4年間程度のエピソードなのだが、
師匠である談志や、同期の4人とのエピソードが断片的で、
エピソード同士をつなぐ出来事や心情をもう少し丁寧に描いてほしかった。
それと、唐突に場面が変わるため、
場面に入っていくまでに余計な時間を要した。
そのため、今ひとつぼやっとして、リズム感も私に合わず、
心をつかみに、文章から手が伸びてこなかった。

ところが、後半の100頁は(全体で283頁)一気に面白くなる。
文章のテンポが変わるとともに、場面に連続性が出てくる。
落語家は、前座→二ツ目→真打ちと昇進していくが、
二ツ目の試験のシーンから俄然面白くなる。

弟弟子に二ツ目の試験を先を越され、失意のあまり、
競艇場で悶々とするシーンには非常に良い。
自分を情けなく思う気持ちに共感するとともに、
話の運びが良く、辛い心情なのに語りを聞いているようで小気味良い。

真打昇進をかけた会のゲストに、談志の師匠で、絶縁関係にあった
柳家小さん師匠を呼ぶあたりの経緯も引き込まれた。
小さん師匠の孫である柳家花緑に相談し、
間を取り持ってもらうあたりのやり取りは、
ノンフィクションならではのリアリティと緊迫感がある。

後半にかけて一気に引き込み、最後にはホロリとさせる。
物語の作りとしては、よろしいと思う。
ただ、物語とか、作品というよりは、エピソード集との印象が強い。
とはいえ、著者である立川談春という方の落語は見てみたくなった。
それはつまり、私の心に何かは響いたということだ。

また、談志師匠のいくつかの言葉に、はっとした。
「よく芸は盗むものだというがあれは嘘だ。
盗む方にもキャリアが必要なんだ。盗めるようになりゃ一人前だ」、
「最後には己の人生と己の語る作品がどこでフィットするか、
この問題にぶつかっていく。
落語さえ上手ければ何とかなるという時代ではない。
落語に己の人生をフィットさせて、
俺がつくった作品だと言えるようになってほしい」など、
なるほどと思わせる談志師匠の言葉がいくつもある。

■重松清「とんび」
         重松清/とんび 
重松清(しげまつ・きよし)ファンは多いだろう。
淡々とした読みやすい文章ながら
、ほろりとさせる作風は、
すんなりと入っていきやすく、しかも、すいすいと読めてしまう。
私も、年に1
冊程度は必ず重松作品を読む。
どの作品も途中でリタイアすることなく、確実に最後まで読み切れる。

とはいえ、このブログにおいて、重松作品は初登場である。
なぜなら、例えば「流星ワゴン」のように、
都合が良すぎたり、非現実的で、
今ひとつしっくりこない作品もあるからである。
その反面、「その日の前に」のように、
うまく出来すぎているのに、なんのひっかかりもなく、
涙する作品が多いのも事実。

この「とんび」と言う作品は、2008年の作品。
昭和37年、主人公のヤスさんに長男が誕生。
妻は長男が幼少の頃に他界。
男手ひとつで長男を育てる泣き笑いの姿が描かれている。

物語は、息子の誕生から20代半ばになるまでが描かれているので、
1963年から1990年くらいまでである。
時代背景の絡め方が過度ではないのが良い。
時代背景の絡め方は、しつこくなると良くない。
さりげなく、ちょっと郷愁を呼び起こすくらいがいい。
そのあたりのバランスは見事。
特に昭和40年代から50年代にかけての変化は懐かしくも愛おしい。

話のメインは、子育てに悪銭苦闘する父の姿である。
父として、人間として、共感するところもある。
しかし、意固地で、不器用で、素直になれない父親の姿がしつこく感じ、
疲れ、呆れてしまうシーンも多かった。

父親目線の勝手さが、ちょっと濃すぎだかなと。
こんな父親から、こんな優秀な息子は育たんぞと、
突っ込みを入れたくなる部分は多かった。

それでも泣かせるから重松氏はすごい。
ベタなのに、組み立ての良さによって、きっちりと泣かせる。
主人公が行きつけの居酒屋の女店主のところに、
別れて夫に引き取られた娘が会いに来るシーン、
主人公の息子が中学生の思春期、反抗期の時期、
幼少の頃、よく面倒を見てくれた和尚の見舞いに行かないシーンなど、
非常に丁寧にリアリティをもって描かれ、ジーンとこずにはいられない。

私が最も感動したシーン。
息子は結婚し、東京に住む。
主人公は広島県の備後に、一人暮らし。
ある時、息子夫婦から、東京で一緒に住もうと言われる。
心は完全に東京暮らしに傾く。
ところが、結局はこう言って断る。
「ケツまくって逃げる場所がないといけなのよ、人間には。
錦を飾らんでもええ、そげなことせんでええ。
調子のええときには故郷など忘れときゃええ。
ほいでも、つらいことがあったら思い出せや。
最後の最後に帰るところがあるんじゃ思うたら、
ちょっとは元気が出るじゃろう」

私は年齢を重ねるごとに、故郷のことを考える時間が増えている。
故郷に行くのが面倒な時もある。
しかし、故郷があるっていいなと思うことが、ほんとに増えた。
故郷に肉親や知り合いがいることは、それだけで幸せなのかもしれない。
そして、人生とは、故郷で生まれ、故郷に帰っていく旅なのかなあと、
しみじみと感じることもあるわけです。


テーマ:本の紹介 - ジャンル:本・雑誌


このブログにおいて、いつからか食べ物ネタが多くなった。
食べ物ネタであっても、
クグエ哲学を匂わせなければ意味がないと思いながら書いている。
しかし、食べ物ネタばかりが多くなることは、
決して望ましいことではない。
なぜなら、ロック・ミー・ベイベーさが薄れる危惧があるからだ。
一方的に勝手に批評している自分についても、
これでいいのか?と、しばしば葛藤を感じている。
そうしたことを踏まえ、食べ物ネタは、
記事3回に1回以下にしようと意識している。
それもあって、食べ物ネタの時は、複数の店が登場するのである。

ただ、食べものネタは、意外に反響がある。
「紹介してた店に行ってきた。すごく美味しかった」と
言われれば嬉しいし、
「あの店も美味しいから、一度行ってみて」と
情報をいただけるのも嬉しい。
理屈っぽく考えなくていいだろう。
イメージを過度に気にする必要はないのだろう。

そういうわけで、今回は、美味しいランチ&夕食。
それぞれの分野で、ナンバー1といってもいいものを集めてみた。
よろしくどうぞ。

■蛯天駅前店
  (札幌市中央区北4条西4丁目 札幌日興ビル地下1階)
 
蛯天/店 
とにかくこの店は、かきあげ天丼(通常850円、ランチタイム750円)。
ランチタイムで最もオーダーが多いメニューであり、
初めての訪問ならば、必ず「かきあげ天丼」にしてください。

まず、具が良い。
具は、エビ、イカ、ピーマン、三つ葉、アスパラ?。
これらが、ほぼ7mmの正方形に切られており、
たくさん入っているのが魅力的。
かき揚げのどこを食べても、必ず複数の具がインしている。
しかも、エビとイカが、ふんだんにインしている。
それって楽しいことじゃないか。
僕らの夢を形にしてくれたといってもいい。

蛯天/かきあげ丼 
タマネギ、人参、ゴボウは、決して嫌いではないが、
かき揚げに入っていると、良さが消える。
特にタマネギとゴボウは、衣の中で、味も食感も他の具を圧倒する。
かき揚げ界のパワー・ハラスメント食材として、
常々、除外してもらいたいと思っている具である。
この三悪食材がインしていない蛯天のかきあげは素晴らしい。
かき揚げとは何たるかをよくわかってらっしゃる。

かきあげは、カウンターの目の前で揚げている。
最も食べやすい厚さであり、見事な円形である。
サクサクし過ぎなほどサクサクしている。
タレが濃すぎず、甘ったるくないのも嬉しい。

それとライスが申し分ない。
つやがあり、弾力があり、きちんと一粒一粒が立っている。
米自体も素晴らしいが、炊き方が見事なのだと思う。
ライス軽視の天ぷら屋が多い中、ライスを重視している気概を感じ、
何かの形でこの店に協力したい気持ちにさせる。

これまで、これを超えるかき揚げには出会ったことがない。
ちなみに、これに次ぐかき揚げは、
西野にあるそば屋「続八条庵」の「イカと竹輪のかき揚げ」である。
それ以外、美味しかったとすぐに思い浮かぶかき揚げはない。

■盤渓そば
  (札幌市北区北7条西6丁目 チュリス札幌第2ビル1階)

盤渓そば/そば定食 
そば定食(680円)がいい。
かけそば又はもりそばに、山菜ご飯+小鉢3品くらいのセットである。
そばは黒く太め。いわゆる田舎そばである。
噛み応え十分で、かつ、香りもいい。
それより素晴らしいのが、山菜ごはんと小鉢。

山菜ごはんは、やや薄味で、まろやかな旨みが秀逸。
和風の炊き込み系のごはんは、正油っぽい味の主張が強く、
和風味のカドが出過ぎているパターンが多いが、
ここの山菜ごはんは、甘みにも似た鶏ダシ的なコクがたまらなく良い。

小鉢も、料理の上手な人が作った大衆的な味で、いつも感心する。
小鉢の種類は、日によって異なるが、はずれは一度ない。
どれも、和テイストなのだが、
ちょっとした油系の味がアクセントになっていて、旨みがよく出ている。
6,000円の和食コースで出てくる小鉢クラスのレベルにあるだろう。

盤渓そば/しょうが焼き定食 
そば定食以外にも、定食が日によって6、7種類ある(いずれも680円)。
そのなかでオススメは、しょうが焼き定食。
かけそば又はもりそばに、しょうが焼き+ライス+小鉢3品くらいの
セットである。
豚肉の薄さ加減や、甘みと旨みの加減が素晴らしい。

なお、ここのそばは、冷たいそばの方が美味しさを感じる。
温かいそばの場合、つゆに和風味の強めクセがあり、
体調が芳しくないときは、これが結構堪える。
ただ、このクセがたまらなく好きな人はいるはず。

盤渓そば/店 
近所にあったら、ヘビーローテーションの店である。
12時~12時25分の混み方は激しい。
しかし、それ以降は、かなり余裕をもって座れる。
品出しも早く、回転がいい。
もっともっと混んでいい店だと思う。
繰り返しになるが、こんなに美味しい山菜ごはんに出会ったことがない。

■焼肉やまと(当別町弥生2175番地
やまと/店 
愛すべき町・当別町の繁華街の真ん中に、目立たない感じで存在する。
車で走っていたら、見逃してしまいそうである。
当別町以外の方の知名度はかなり低いだろう。
私も、当別町のK村氏に、ここに連れて行かれるまでは、
全く知らなかった。

定食は15種類くらいあり、ほとんどが800円。
店の方に、最も注文の多い定食は何かとたずねると、
しばし迷った後、「チキンカツかなぁ」とのこと。
「では、チキンカツ定食でよろしくどうぞ」と私は即答。

まさに家庭料理的な定食。
チキンカツはけっこうなボリューム。
スーパーでセルされているお総菜とはまるで違う手作り感。
特に衣のアットホームさがいい。

やまと/チキンカツ定食 
味噌汁代わりなのか、定食には小ラーメン(塩味)がついてくる。
味は、ちょっと高めの袋入りラーメンの味で無難なのだが、
写真だとわかりにくいが、意外と量が多い。
いわゆる「半ラーメン」よりは多いだろう。

正直、昼食としては、チキンカツとラーメンで十分な量である。

そこへきて、ライスの量も多い。
確実に茶碗2杯分はあるだろう。
とにかく満腹になりたいのなら、ここへ行くべき。
なお、訪問した日は、当別ダムの工事関係者の方々と、
当別消防署の方々で座敷はほぼ満席だった。
その手のアウトドアで作業する方々にとっては、
うってつけの店ではないか。

いい意味で素朴な味で、同じ当別町の店比較でいえば、
「なんとか会館」や「マークウェイ」よりはこちらの店の方がタイプ。

■カリー軒(札幌市豊平区月寒中央通2丁目1-16 コスモビル1階)
以前は、長く豊平に店を構えていた、札幌を代表する洋食店。
店名はカリー軒だが、メニューはハンバーグとスパゲッティが中心。
もちろんカレーのメニューはあるが、
圧倒的にオーダーされるのがハンバーグである。

大人気店である。
土・日は行列ができているのをよく見かけるし、
平日でも、夜7時までに来店しないとハンバーグは品切れだろう。

カリー軒/ハンバーグ 
ハンバーグは180g。
しっかりと形が整い、分厚く、頑強な雰囲気。
ところが、ハンバーグをカットすると、肉汁警報が発令される。
肉汁の洪水が皿を襲う。
そんなに出てこなくも…、というくらい出てくる。

ハンバーグは、あっさりとした独特の風味があり、
ベーシックな味なのだが、家庭では作り出せない強さと重みがある。
外食ハンバーグのうち、自宅ハンバーグより美味しいと認めているのは、
カリー軒とびっくりドンキーだけである。
それ以外は、自分で作った方が完全に美味しい。

なお、ハンバーグの量は成人男性にとっては少ないだろう。
ライスも少なめ。
それで、ハンバーグ+ライスで1,150円。
このあたりの量と価格のバランスは微妙。
しかし、普通っぽいのに格別な美味しさは素晴らしく、
納得のできる価格といってもいいだろう。

なお私は、ハンバーグでライスがあまり進まないタイプである。
ハンバーグはおかずだが、ライスを欲する食べ物ではない。
余談だが、餃子はその傾向がもっと強く、
餃子で普通のライスは全く食べられないといってもいいほどである。
ゆえに、餃子のほかに、別のおかずがなければライスを食べられない。

店内は、いい意味での古さがあり、
温かいモダンさと癒されるクールさを醸し出している。
店内の壁は色紙だらけ。
ここの色紙には、店で撮られたその人の写真も添えられている。
ここ2、3年に登場した芸能人のものも多い。
そんな中、北海道関係者のサインが多いことに好感。

圧倒的に多いのは、チーム・ナックス関係者のもので
同じ人物のサインや写真が複数ある。
それは何の問題はない。
問題は、座った席のすぐ近くにあったのが上地雄輔のサインだったこと。
テンションが下がり、席替えを申し出たい気分だった。
しかし、ハンバーグを食べたら、そのことを忘れた。
カリー軒のハンバーグは、
下がったテンションを吹き飛ばす美味しさである。


テーマ:おいしい店紹介 - ジャンル:グルメ



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