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かつてNHKで毎週水曜日夜7時30分から、
「連想ゲーム」というクイズ番組が放送されていた。
昭和44年から平成3年までの22年に及ぶ長寿番組だった。

紅組(女性5人)と白組(男性5人)に分かれ、
出題された「ある言葉」を当てる。
どのように当てるのかというと、
出題された言葉を連想させる別の言葉を言うだけ、
というシンプルながら、深みのある方式だった。

この番組の出演によって、
知名度が飛躍的に上がったのが「壇ふみ」さんだろう。
才女ぶりを惜しみなく発揮し、
大和田獏氏との一騎打ちは、この番組の見せ場でもあった。
昨今の芸能人参加番組とは格の違うハイレベルな真剣勝負だった。
その頃は、壇ふみさんが将来、
エコなサラダ油のCMに出演するとは思いもしなかった。

そして、連想ゲームを語る上で欠かせないのは、
大和田獏氏と岡江久美子氏が、
この番組での共演をきっかけに結婚したことである。
岡江氏は、壇ふみさんとのバランス調整なのか、
おとぼけ&お茶目ぶりを発揮していたが、
相当に頭の回転は良いだろうと思って見ていた。

さて、ここからが本題である。
連想ゲームでは、「ワンワン・ニャンニャンコーナー」
というのがあった。
ワンワン、ニャンニャンといった、
繰り返しの言葉が出題されるコーナーだった。
例えば、「太陽」というヒントで、
「ぎらぎら」、「さんさん」、「かんかん」などの回答が
出されるような感じである。

そういうわけで、今回は札幌スープカレー界における
「ワンワン・ニャンニャンコーナー」系の店を紹介である。

■プルプル(札幌市中央区南2条西9丁目)
プルプル/ナット挽肉ベジタブル 

これまでの人生で最も訪問しているスープカレー店は、
マジックスパイスかサボイだろう。
その次となると、スリランカ狂我国か、ここ「プルプル」である。

ただ、ひと頃の刺激的なスパイシーさが薄れたような気がして、
この4、5年は、ほとんど訪問していなかった。
昨年は一度訪問し、ひきわり納豆と鶏の挽肉が具の
中心である看板メニュー、「ナット挽肉ベジタブル」(写真上)を食するも、
ひきわり納豆がスパイスのキレを消した感じがして、
ナチュラル・トリップ感を全く味わえなかった。
そのため、「2008・スープカレー・オブ・ザ・イア」においても、
20位以内にランクインしなかった。

しかし、4月初旬のある日、
やわらかマイルドで、強烈さの足りないスープカレーに
飽き飽きしていた私は、
プルプルの近くで用務を済ませた午後7時、

引き寄せられるように入店した。

プルプル/キーマ 
第二看板メニューともいえる「キーマ・カレー」をオーダー。
非常に美味しかった。
プルプルのカレーは、こんなに無骨でネイティヴな味だったか?と
いい意味での驚きがあった。
スパイスが深く、味が引き締まって、シャープである。
そして帰宅後も、しばらく身体がほてるほど、
スパイス・パワーが持続した。

具も安定感がある。特に、じゃがいもと人参は、
しっかりと味がして、ダイレクトに美味しい。
スープの量がやや少なめなのが難だが、
「これが本来の札幌スープカレーだよね」と言える老舗健在を
改めて感じた。
古い喫茶店風の店内も、店の方のさらっと柔らかい自然な対応も、
なんとなく居心地がいい。
今年のスープカレー・オブ・ザ・イアでは上位進出が期待できる。

■ばぐばぐ南1条店(札幌市中央区南1条西15丁目)
ばぐばぐ/チキン 
カレーは、土鍋の中でぐつぐつと沸騰しているような状態で

テーブルに運ばれてくる。
写真中、ピーマンの上の泡は、沸騰により生じているものである。

上島竜平氏(from ダチョウ倶楽部)も対応しきれない熱さである。
スープカレーは、「熱い」というだけでポイント・アップになる。
というか、ぬるいがために下がったテンションは
二度と上がることはない。

スープは、ルーカレーっぽい味である。
とろみは、それほどではないものの、
まろやかでコクが強めの黄色いスープ。
そのせいか、後半少し重たい感じがしてくる。
しかし、万人ウケする味ではなかろうか。
具もそれぞれに普通に美味しい。
特にかぼちゃは、甘みのあるいい味がした。

問題は中毒性に乏しいこと。
トリップ性もない。
食事はできるが旅はできない。
そういうことを標榜したカレーではないだろうが、いささか寂しい。
その寂しさは、店内の造りや雰囲気にも感じる。
小綺麗で広いのだが、空気感が味気なくドライなのだ。

きっと、その店に何かを食べに行くということは、
オーダーしたものを味わうだけではなく、
その店の雰囲気も味わっているはずだ。
客は、その店の一画を個室として賃借するのではなく、
店という1枚の絵の中に存在するのが望ましいと思っている。
つまり客も、店の景色の一部なのだ。
ところが、この店の雰囲気は、
自分が1枚の絵の中に描かれない距離感と疎外感が
漂っているような印象を持った。

ただ、これは私の一方的な偏った見方である。
スープカレー・ファミレス的な使いやすさはあると思います

■hirihiri V3
札幌市中央区北2条東4丁目サッポロファクトリー内)
hirihiri/チキン 
店名は「ヒリヒリ」と読む。
札幌市内に5店舗を有していることからも、
広く支持されているということだろう。
事実、何かの雑誌でランキングなどをやると、上位にくる店である。

ややとろみのある輪郭がしっかりとしたスープで、
まろやかなコクがあり、万人ウケするのは頷ける。
安定感も高く、間違いないのない味だと思う。

ただ、私とは性格の不一致を感じる店である。
その最大の要因は対応のあり方だろう。
私には、ノースマイル・言い捨て系に感じている。
例えば、「(オーダーが)決まったら読んでください」の言い方が、
言葉をかけるとか、言葉を置いていくのではなく、
言葉を捨てていってるように感じるのだ。
ファクトリーの店でもそうだったが、
札幌駅の高架下にある店舗でもそうだった。

それと、オーダーからカレーが出てくるまでの時間が長い。
これは、ほんとに注意した方がいい。
レジでマネーをペイする際も、

店員の顔は、別の方向を向いている。
客のハートをヒリヒリさせるためにつけた店名でもなかろうが、
この鋭角的で直線的な対応は、
短時間に日焼けさせられたような肌触りである。

知名度や店舗の場所からして、観光客も多く来るだろうし、
普段あまりスープカレーを食べない人も行きそうな店であり、
実際、安定した無難なカレーを提供するだけに残念に思いますよ。

■チャチャ(札幌市中央区南2条東1丁目 M'S二条横丁1F)
チャチャ/店 
二条市場のすぐ近くにある古い建物の中に店がある。
狭い通路を歩いていくと、
店というよりは、部屋の入口のようなそれがある。
いささかの不安を抱えながら入店すると、
店内は、さっぱりとしたレトロ・モダンな内装だった。
昭和という懐かしさではない。
子どもの頃になんとなく憧れた小さな洋館のようであり、
ミニシアターで上映するフランス映画に登場しそうな店である。

美味しかった。
これは「当たり」だった。
酸味のあるスープだが、すっきりとした旨みとのバランスが良く、
やわらかさの中にキリッとした慄然感がある。
店主は女性で、味も彩りも女性らしい。
油的な旨みや豪快さはないものの、
食べやすく、いい意味でのクセもあり、
どこかのカレーに似ていそうで、どこにも似ていないような
マイルドな孤高感がある。

チャチャ/チキンベジタブル 
ナチュラルな雰囲気もいい。
肩の力が抜けた感じで、空気がやわらかい。
場所柄か、知名度の無さか、パンチ力の無さかわからないが、
私が訪問した時は、先客も後客もなかった。
もっと人気があっていい穴場店だと思う。

唯一の難点は、辛さ上積み別途料金が高めなこと。
辛さ4番から別途料金が加算されるが、
5番(+100円)でも、もっと欲しいぜ!な気持ちだった。
とはいえ、再訪間違いなしの、誰かにオススメできる店である。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

なお、「ワンワン・ニャンニャンコーナー」系のスープカレー店は、
「ポレポレ」(白石区栄通17丁目)、「アロアロ」(中央区南3西3)など、
これらのほかにもあるわけだが、

大通り西20丁目にあった「JOIJOI」(ジョイジョイ)という店が、
いつの間にか無くなっていた。

1年半くらい前に行ったことがあるものの、
ほとんど味を忘れたため、先日再訪を試みたところ、
店の姿は全くなかった。

ところで、デジカメを買った。
2年半ぶりに購入したが、機能が格段に進歩しており、
これまでより鮮明で、暗いところに強い画像が撮れそうである。
携帯電話よりデジカメを使っている時の方が多い私にとって、
いい買い換え時だったのかもしれない。
ただ、レコーディング・シーンを一切フィルムに残せていないのが
悔やまれる。

最近、エレクトリック製品が軒並み弱ってきている。
昨日は、i-podが突然機能しなくなった。
昨日は、車を5時間くらい運転したが、
i-podでしか音楽を聴けない私の車内は、
ずっとHBCレディオが流れていた。
購入して11年になるCDコンポも、
CDを読み込みにくくなってきた。

今年は、耐用年数限界イアーなのだろうか。
エレクトリック製品なら、それでもいいが、
私自身の耐用年数も限界であっては困る。
エレクトリック製品なら、新しいのに買い換えることができるが、
私自身はできない。
故障した箇所を直していくだけだ。
しかし、生き続ければ、成長できる可能性や、
希望を持てるチャンスがある。
エレクトリック製品の皆さんにはそれがない。
エレクトリック製品の皆さんには申し訳ないが、
人間としてこの世に登場して良かった。


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テーマ:スープカレー - ジャンル:グルメ


「絢香」(あやか)という女性シンガーがいる。
ヒット曲があるし、先日は結婚報告も行っており、
存在は知っていたものの、流れゆく景色のようで、
特に気にならない存在だった。

ところが最近気になっている。
現在「アジエンス」というシャンプーのテレビCMで流れている
彼女の歌う曲がすごく良い。
夕暮れノスタルジアを想起させるようなメロディもいいが、
こんなに暖かみのある豊潤な声だったのかと驚かされた。
リリースされていない曲らしいが、
CD化されたら買ってしまいそうな気がする。

こうした曲に心が動かされるということは、
私の心に、なにがしかの空疎感があるからなのかもしれない。

最近では、レコーディングに向けて、
いい状態で臨めるよう準備をし、気持ちを高めてきた。
ところが、バタバタ・ぐだぐだの展開となり、
プレイの面にも影響が出て、悔いが残る結果となった。
その後も、ミキサー側のスケジュール云々で、
レコーディング前の約束事は反故にされている状態である。

そんな中、仕事や飲み行為などで毎日は詰め込まれている。
住み慣れた部屋に帰ると、本来ならば、ほっとするのだが、
変わり映えのない部屋に、前へ進めていない焦りや、
何も越えられていない無力感をおぼえ、
なんとも虚しくなる日が、この頃は多い。

どうしたらいいのかと頭の中で考えを巡らせる。
ところが、どこにもたどり着けない。
こんな時は、余計なことはすべきではないと思い、
何もしないでいると、
ほんとに何も変わらない朝が来て、何も変わらない夜が来て、
昨日と同じようなストレスを感じる。

美味しいカレーでも食べようと、サタデーナイトに車を走らせれば、
1軒目は混雑で1時間待ち、2軒目はスープが切れて閉店、
次の店へ行く間も渋滞気味で、なかなか車は進まず、
やっと着いたかと思えば、外に行列ができている。
そんな感じで、市内を2時間近くも無駄に回った。

今日も、7、8週に一度くらい通っている真狩村への水汲みに向かうも、
南区の石山、藤野のあたりから、普通に雪が降っていたため、

夏タイヤでの中山峠越えは完全に無理と判断して引き返し、
往復約60km、時間にして2時間近くを無駄に過ごした。

そう、私は彷徨うことに圧倒的な時間を費やしている。
彷徨うことが人生か。
彷徨うことこそ人生か。
彷徨って歩き疲れた場所こそが生きる場所なのか。

何も変わらない幸せ、何も起こらない幸せは理解する。
確かに、平安、安心が幸福の基本ともいえる。
ただ、それは閉塞感も呼び起こす。
幸福とは退屈と束縛なのか?
退屈と束縛こそが安定なのか?
まんざら間違いではないように思う。

そんな気持ちでテレビをつければ、
国会議員の世襲制禁止の論議が盛り上がっている。
別に禁止しなくてもいいんじゃないかと思って見ている。
世襲制候補が嫌ならば、投票しなければいいのだから。

ただ、世襲ブランドが好きな国民は実際多いだろう。
また、親から引き継ぐ地盤、看板(知名度)、かばん(資金)は、
住民への浸透力の面でも、政党の公認を得る面でも、
明らかに大きなアドバンテージがあるだろう。

いずれにしても、有権者(投票する側)が、
もっと考えなければならない。
これから4か月余りの間に衆議院議員は行われる。
問題は、これまでの選挙結果からして、
直近2か月程度のことが投票行動の判断基準に
なっているように感じることである。

直近の国政選挙は、平成19年7月の参議院議員選挙である。
それから約2年を経ている。
この間、様々な出来事があった。
しかし、いざ投票となると、その時の政党の状況だけで
決めているかのように見えるのだ。
この2年を振り返って投票行動に反映させる人は
どれほどなのだろう。

私自身も、現在は虚無ストレスの中にあるが、
この2年を振り返ってみれば、決して散々な日々だったわけではない。
これから生きていく上で、すごく必要な2年だった。
今は、運の巡りが悪いだけだ。
「世界は真っ暗だ、明日は真っ黒だ」ということはない。
「明日はいい日だ」と言い聞かせて、明日も彷徨うのだろう。


テーマ:時事ニュース - ジャンル:ニュース


ロック知人・スミス西野氏は、
奥さんに内緒で、グラビア・アイドルのDVDを
何枚か保有していた時期がある。
単なるイメージ・ビデオであり、
アイドル的な可愛らしさを、きれいに撮影した作品である。

ある日、仕事から家に帰ると、
そうしたDVDが、さり気なく居間に置かれていた。
スミス氏は動揺した。
そのDVDには、「安めぐみ&磯山さやか」と
手書きで書いてあった。

奥さんが、話しかけてきた。
「このDVDに書いてある“&”っていうの、“S”の筆記体になってるよ」
スミス氏は、さらに動揺した。
グラビア・アイドルのDVDを隠し持っていたことを
指摘されたのではない。
“&”を、“S”の筆記体に書き間違えたことのみを指摘されたのだ。

スミス氏は、屈辱感を味わいながらも、
「そりゃあ、書き間違えることもあるぜ」とクールに対応。
そして、奥さんの目を盗み、そのDVDを隠した。
その後、奥さんは、DVDのことを一切話題にせず、
何もなかったかのように、普段どおりの対応をしたという。

「普段どおり」は、落ち着くことも、助けられることもある。
しかし、普段どおりが逆に緊張感を増幅させる時もある。
そういうわけで、今回は久しぶりDVDレヴューである。

■容疑者Xの献身
容疑者Xの献身 
原作は、東野圭吾氏の直木賞受賞作である2005年作品。
昨年、福山雅治氏主演で映画化された。
原作は、直木賞受賞作にしては面白かった。

安アパートに住む母子家庭に、
別れた夫がやってきて、暴力をふるい、金をせびる。
あまりの乱暴ぶりに身の危険を感じた母子は、夫を殺害してしまう。
これを知った、アパートの隣に住む高校の数学教師が、
母子を救うため、献身的とも狂信的ともいえる工作をする。
そして、福山雅治演じる大学教授が、その真相を突き止めていく。

これまでの東野作品の映画化は、「秘密」にしても、「手紙」にしても、
「変身」にしても、どこか厚みがなく、空疎感があったが、
この作品は、なかなか良くできているのではないか。
というか、これまでの東野作品映画の中で一番いいのではないか。

ストーリー自体、興味を切らさずに淀みない展開をするのだが、
下手をすれば、2時間サスペンス・ドラマになりかねないところを、
役者の好演と、原作に忠実だったことで、面白いものに仕上がっている。

福山雅治が良い。
「ガリレオ」なるテレビ・ドラマは一度も見たことがなく、
この作品で初めて、東野作品でお馴染みの湯川教授を演じる福山を見たが、
結構はまり役ではないか。
福山氏のナルシストぶりは嫌味がない。
ちょっと奇妙な変人役は、実に合っている。

松雪泰子は、「デトロイト・メタル・シティ」や
「フラガール」における高慢ちきなキャラより、
本作のように、シリアスさや焦り、儚げぶりを演じた方が味が出る。
「やっぱり役者なんだな」と、プロを感じさせる好演だった。

映像は、街、アパート、弁当屋、ホームレス、川など
原作を読んでイメージしたものに、かなり近かった。
原作を読んだ時、最も印象に残ったセリフが、
「人は時計を奪われた方が、規則正しく生活するようになる」だった。
ホームレスは、時計もなく仕事もないのに、
毎日、同じ時間に同じことをして、
同じ毎日を繰り返していくという場面で
湯川教授が吐いたセリフである。
これが映画でも使われるかどうかを期待して見ていたら、
しっかりと使われていた。

なお、堤真一演じる数学教師の、松雪への一方的な愛を、
献身と感じるか、狂信と感じるかによって、
切ないと思えるか、気持ち悪いと思えるかが分かれるだろう。
いずれにしても、東野作品らしい、「解決できない切なさ」は、
うまく表現された作品になっている。

■デトロイト・メタル・シティ
デトロイト・メタル・シティ 

お洒落な渋谷系ミュージシャンとしてプロになることを夢見て、
田舎から上京した内気で弱気な青年が、
なぜか、デスメタル・バンドのボーカルとして人気を博してしまい、
自分のやりたい音楽との間でドタバタする内容。

原作本は、留萌のスープカレー店「ZION」や、
札幌のスープカレー店「ポルコ」で、それなりに読んだことがあり、
面白い作品だと気になっていた。
映画も、素直に面白かった。
やはり音楽を好きだったり、自ら音楽活動をしていると、
たとえ好みの音楽のジャンルは違えども楽しく見られる。

内気青年とデスメタル・ボーカルを演じる主演の松山ケンイチの、
ギャップ・バランスが良かった。
彼は、ちょっとコミカルな役をやる場合、
変な気取りがなく、徹底している感じがして、比較的好感を持っている。
なお、ギターを弾く姿は、結構サマになっていて驚いた。

加藤ローサも良かった。
まだ演技の振り子の幅は小さいものの、
どんな作品に出ても、雰囲気のいい芝居をする人である。
実はずっと松山を好きだったという設定もいい。
彼女がライブで次第にノッてくるシーンは、
ほろっとくるような可愛さがあった。
ナイスキャストだと思う。

ファン役の大倉孝二も素晴らしい。
この俳優は、これまではずしたことがない。
実は失敗のない確実な演技をする上手な俳優だと見ている。
コミカル・キャラを演じることが多いが、
シリアスな役も、ほろっとさせる役もできる人だと思う。

松山が、田舎からライブ会場へ向かうシーンが間延びし過ぎなのと、
KISSのジーン・シモンズとのギター対決が、
意味がよくわからないというか、しょぼい感じがしたこと以外は、
飽きることなく単純に面白いと思えた。

とにかくミス・マッチぶりが楽しめた。
松山が、トイレで後輩と歌うシーンは、思わず微笑んでしまうし、
ヒーロー・ショーのシーンも、自然と声を出して笑ってしまった。
エンディングも、「この先が見たい」という気分にさせられ、
いい意味で腹八分目で見終われた。

さえない青年が、実は人気バンドのボーカルであるという、
スーパーマンやスパイダーマン的なところはあるが、
実はこの人が…、的なのは、時代が変わっても楽しめるものだ。
面白かった。

■ミッドナイト・イーグル
ミッドナイト・イーグル 

雪の北アルプスを登る新聞記者(玉木宏)とカメラマン(大沢たかお)。
そこで偶然に、自衛隊と北朝鮮軍が銃撃戦を
繰り広げているところに出くわす。

新聞記者とカメラマンは、1人の自衛官(吉田栄作)から、
事の真相を聞き出す。
米空軍のステルス爆撃機が北アルプスに墜落した。
その爆撃機には、北アルプスの山々が一斉に雪崩を起こすほどの、
とんでもない威力の爆弾が積まれていることを知る。
一斉に雪崩が起これば、東京までも飲み込まれる。
これを阻止するため、玉木、大沢、吉田VS北朝鮮軍との死闘が始まる。
同時に、大沢の家族や日本政府の対応に緊迫する、というストーリー。

何の期待もせず、なんとなく見てみたら、なかなか面白い作品だった。
いくらなんでも、一斉の雪崩で東京まで飲み込むか?
戦闘の素人を含む3人で、多勢の北朝鮮軍と戦えるか?
あの吹雪の中じゃ遭難するだろうって。
など、疑問や不自然さを言い出したらキリがないが、
そうしたことを度外視して見ると、
迫力あり、サスペンスあり、愛ありで、
全く飽きることなく、予想外に引き込まれた。
微妙な比較だが、「ディープ・インパクト」よりは面白かったし、
「ホワイトアウト」より役者の質が良かった。

大沢たかお、吉田栄作は30代後半になって、
なかなか渋みのあるいい俳優になったなと感じた。
また、竹内結子は、やはり力のある女優なのだと感じた。
この年代の女優では、格上的存在かなと。
ただし、女性としては好みではない。

ラストは、ベタな内容ながら、涙が出ちゃうかも。
一般的な評価はそれほどでもなく、
制作費のわりに、興業的にはコケたらしいが、
そんなに悪くない作品だと思う。
エンディングに流れる、ミスチル桜井氏の「はるまついぶき」も
良い曲だし、作品の余韻を残す意味でもグッド・チョイスである。

■クローズZERO
クローズドZERO 

鈴蘭高校を暴力だけで制覇する生徒同士のケンカを描いた作品。
この作品の第2弾が、現在、映画館で上映されている。

暴力的なケンカに強い奴が一番という、わかりやすい作品。
授業シーンや日常生活シーンが全くなく、
警察、教師、家族なども、ほとんど登場しない。
事件性や愛情なども排除している。

あくまで鈴蘭高校という極めて狭い社会での出来事であり、
高校の外では、一切もめたり、トラブルとなるシーンはない。
つまり他人に迷惑をかけているシーンがない。
死や大ケガもない。

そのせいか、リアリティがない。
暴力ファンタジー映画といってもいい。
あるいは、暴力娯楽作品である。

ただ、高校内の生徒同士の暴力に特化したことにより、
軸がぶれず、話の本質がわかりやすくなっている。
ワル高校生映画や、ヤクザ映画は大嫌いな私だが、
徹底したそぎ落としぶりが潔く感じ、最後まで集中して見て楽しめた。

転校生(小栗旬)が、次第に各クラスを制圧して勢力を拡大し、
鈴蘭高校ナンバー1と言われる芹沢軍団(山田孝之)と
鈴蘭高校制覇をかけて戦う。
いわば、極めてスケールの小さい関ヶ原の戦いのようである。
小栗軍には、こういう強者が加わって、
山田軍には、こういう曲者がいて、というように、
互いの軍団のメンバー構成や、
なぜそういうメンバーになったのかという経緯が、
テンポ良く描かれている。
つまり、ストーリー性がきちんとしているため面白いのだ。

とはいえ、心に響くものは全くない。
おそらく作り手もメッセージ性など求めてないだろう。
その点では、マスターベーショナルな作品である。
ただ、こうしたワル作品は、確実に需要がある。
これを、カッコいいと感じる男達、女達が多くいるってことさ。
そのセンスが理解できねえな。
でも、どうでもいいぜ。
それで、おいらの毎日がどうなるわけでもないからな。

テーマ:DVDで見た映画 - ジャンル:映画


4月18日のレコーディングにおけるバタバタ疲れに加え、
レコーディングをやるからと後回しにしていたことに追われ、
忙しい数日を過ごしている。

そんな中、昨日(21日)は、
私が会長を務める「シーアカ・ファンクラブ」の飲み行為を開催した。
「シーアカ」さんは、恵庭市在住の仕事上の知り合い女性である。
彼女を囲んで飲み行為をするのが、3年越しの希望だった。
それが、昨夜実現した。

この実現に当たっては、恵庭市在住の仕事知人であるマコト氏と
職場の同僚、中村NBRの尽力によるところが大きい。
ただ、6、7人の飲み会の予定が、
なんだかんだで16人も出席。
「シーアカ・ファンクラブ会合」という大看板が見えなくなり、
ほとんどシーアカさんと話す機会はなかった。

というか、シーアカさんが結婚していたことを、昨日初めて知った。
つまり人妻である。
私は、何も知らなかった。
何ひとつ知っちゃいなかった。

半年ほど前、中村NBRが、
「シーアカさんは結婚してますよ」と話していたことがある。
私は「でも、シーアカさんは指輪をしていないぜ」と反論。
「マコトさんが言ってましたけどねえ」との証言に対しても、
「オレを惑わせようったって、そうはいかないぜ」と、
再度、意味もなく語尾に「ぜ」をつけて反論した。

しかし、中村NBRの言っていたことは正しかった。
中村NBRの魂の叫びを受け取れなかった私は、
懺悔(ざんげ)の値打ちもありゃしない。
さらに、一般人である他人の妻のファンクラブを設立して、
飲み行為まで開催している自分が愚鈍に思えて仕方がなかった。

とはいえ、恵庭市民の皆さんとの親睦は深まった。
親睦を深めるつもりが、溝が深まる飲み行為が多い中、
価値ある夜を過ごさせていただいた。
ただ残念なのは、デジカメ故障により、
フォトのひとつもありゃしないことだ。

今日の夕方、デジカメの修理に出しているカメラヨドバシから
フォンが入った。
予想外に早く、修理代の見積もり金額が提示された。
ところが、15,000円もかかるという事実を知らされた。
即答で修理をキャンセルした。
新デジカメを購入する決意が固まった。

ただ、残念なのは、壊れたデジカメの中には、
パソコンに移し替えていないフォトが20枚くらいあったことだ。
なかには、平日の11時から18時までしか営業していない店の
ラーメンなど、レア・フォトもあっただけに、悔いが残る。

しかし、そんなことは言っていられない。
私にはデジカメが必要だ。
不意のミスにより、出費がかさむことになったが、
花に水を、私にデジカメを。
そういうことだ。
寝耳に水を、猫に小判を、私にデジカメを。
そういうことだぜオーライ!


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4月18日、レコーディングを行った。
レコーディング直前の準備として最も重要視した体調管理と
心のリラックスについては、いい状態で臨めた。

しかし、心はレコーディング後半から乱れ、
それを落ち着かせるのに必死で、
全てを出し切ったレコーディングはできなかった。

ライブとも、普段のスタジオでの練習とも異なる
レコーディングという特別な雰囲気と作業の中で、
これまでの経験上、100%の力は出せないだろう、
85%の力を出せれば御の字だという気持ちだった。

午前10時過ぎから、ドラム、ベースとギターの一部を
同時にレコーディング。
12時40分頃、終了した。
ドラム、ベースとも、95%程度の力は出せたと思う。

その後、短い昼食を挟み、セッティングを変えて、
13時30分頃からギターのレコーディングを開始した。
16時には終わるだろうと思って臨んだが、
これに予想外に手間どった。

まず、ギター・アンプから出ている音に比べ、
録音された音がかなり細くなった。
ギター・アンプからは、普段出している音より、
相当こもり気味にしても、
録音された音は高音部分が目立つ音色になった。
使用するギターアンプは事前に聞いており、
それは普段使用しているものと同じだったため安心していたが、
いざスタジオ・インすると、話が違った。
なかなかイメージどおりの音が出せずに、
何度も音を調整しながらの
レコーディングになった。

ギターは、1曲を通して弾くパートもあれば、
1曲の中で部分的に弾くパートもある。
なぜか1曲を通して弾くパートは、すんなりいくのだが、
部分的に弾くパートの方でミスをする。
普段そういう弾き方をしていないこともあるが、
部分、部分だと、何かノリきれないのだろう。

この作業において、ミキサーの方と私との間で
手法の違いが表面化した。
ミキサーの方は、部分的にミスをしたところだけ取り直そうとする。
それはそれでいい。
しかし、ミスしたところを特定するのが遅く、
また、曲の途中から流して、そこだけ取り直すのだが、
どこの箇所を流しているのかわからないなど、
スムーズに振興せず、お互いがイライラしてきた。
そのため私は、例えば「間奏の前までまるごと取り直させてくれ」と言う。
ところがミキサーの方は、
あくまでミスしたところだけ取り直しをさせたがる。
その食い違いから、次第に空気が重たくなり、溝も生じてきた。

この溝が深まった最大の理由は、
スタジオ内にいる私と、ミキサー室とのコミュニケーションが
うまくとれないことだった。
こちらから話したいことがあっても、
向こう側が、こちらのマイクをオンにしてくれない。
そのため、いちいちスタジオを出て、
ミキサー室に説明しに行く繰り返しとなった。
つまり、総括的に指示をする「しきり役」が、
ミキサー室にいない状態だったのだ。
これが円滑かつテンポのいい作業を導けなかった。
もう1人の自分をミキサー室に置いておきたかった。

それとギターソロである。
「心配いらないぜ」は2テイク目でOKだったが、
「見慣れた街を抜け出して」と「壊れたままの砂時計」の2曲は
てこずった。
てこずった箇所が、いずれも決して難しくはない出だしの
2小節程度の部分である。

普段は、確実にできる箇所である。

これは、コミュニケイトできない状況のイライラもあるが、
流れの中でソロを弾くのではなく、
そこだけ弾くことで、気持ちが乗っていけなかったこと。
つまり、少し状況が変わるとできない完全な私の実力不足である。
メンバーも疑問だっただろう。
全く不安視していなかった箇所での相次ぐミスである。
何度もやり直すうち、普段、どの指で弾いていたのかも
わからなくなったほどだ。
結局、ギターソロの出だし部分をクリアして最後まで弾いたのは、
「見慣れた~」も「壊れたままの~」も2テイクだけである。

こうして、ギター録りは18時近くまでかかった。
もう少しリラックス状態でやりたかった。
弾いている時間は、それほどでもないのだ。
ギターの音を調整したり、部分的にやり直す位置を探したり、
説明しにミキサー室へ行ったり、意見が食い違ったりで時間を多くとられ、
私自身は、そんなに弾いた気がしていないのだ。

そして最後にボーカル録りである。
ギター録りに多くの時間を要したため、残り時間は少なかった。
その結果、3曲ともボーカルは、2テイクしか録っていない。
コーラスもそれぞれ2テイクしか録っていない。
1テイク録って、聴いてみて、良くない部分を確認し、
もう1テイク録って終わったのだ。
「これから調子が出るのに」のところで終了した感じである。

ボーカル録りは、時間がないのはわかっていたし、
そこまでの過程の食い違いなどにより、

ミキサーの方の機嫌が変化していくのも感じていたので、
「さっさと終わらせてやるぜ、ちくしょう」の気持ちで、
相当気合いが入った。
と同時に、この状況と戦うために歌うのではなく、
どこに向かって歌うのか、どうしてこの曲を作ったのかを考え、
落ち着いてやることに気をつけた。
それでも、普段よりも力んでしまったのは否めない。
もう少し、さらっと、それでいて伸びやかに歌いたかった。
とはいえ、2テイクしかできない状況にしては御の字だろう。

ただ、レコーディング終了後、メンバーと車内で話をしている時も、
私の口からは、「もっとやれた」、「まだやりたかった」の言葉が
連発された。
胸の中の思いが、かたまりの状態のままで、
体内にじわっと「いい疲れ」という形で浸透していかなかった。
その状態は今日も続いた。

レコーディング後の車内で、ドラムのオダ氏が、
しきりに「ラーメンを食べたい」と言っていた。
久しぶりのレコーディングで、緊張し興奮し、
塩分が吸い取られたのだろう。

確かに、ビールよりは、ラーメンを欲する感じだった。
オダ氏も、ミチも、レコーディングは午前中で終了したが、
私がギターとボーカルを録っている時も、
私と一緒にスタジオの中にいるような気持ちだったのだろう。
私の突然のレコーディング宣言に快諾し、実現させてくれた彼らに、
改めて感謝である。

こうしてレコーディングは終わった。
ミキサーの方によると、ミックスダウンなどの作業をし、
我々がそれを確認して、という過程を経ると、
完成するのは5月下旬だと言われた。
予定していたより遅い。
5月30日のライブのせめて1週間前にはリリースしたかっただけに、
それもまたショックだった。

ミックスダウンをして、果たしてどんな出来になるのか。
レコーディングをしてすぐに聴くのとでは、印象も違うだろう。
いずれにしても与えられた環境の中で、やれることはやった。
実力不足も改めて感じたが、
音楽をやっていなかった7年間、その後、またオリジナルの曲を作り、
音楽活動を始めた1年間の思いは凝縮されている。
思えば、レコーディングをしようと思ったのも、
聴きたいという方々がいたからである。
そうした方々への「届け君に」の気持ちを込めて歌い、演奏した。

とにかくレコーディングができて良かった。

リリース情報はおってお知らせします。
多くの方々に聴いていただきたいと思います。
よろしくお願いします。


テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽


動揺している。
レコーディングが明日にせまっている。
それで動揺しているわけではない。
デジカメが故障したからだ。
そして、いつ修理が終わり、修理代はいくらなのかが
全くわからないため動揺は深まっている。

「何をデジカメが故障したぐらいで、動揺なんかなすって」
と言いたくなる方もおられるだろうが、
私は、デジカメ故障の現実に、クールに微笑んだり、
仕方ないさと悠然とソファに座れるような強い人間ではない。
不惑の40代でありながら、
戸惑って、手間取って、彷徨っている。

今回のデジカメ故障により、いかにデジカメに依存した生活を
送っているかを気づかされた。と同時にそんな自分に驚いた。
デジカメが、いつもそこにあるのが当たり前だった。
空気や水であるかのように、不存在的に存在しているものだった。
それを失ったショックは大きい。
失くして気づく切なさよ。

デジカメ依存の最大の要因は、このブログの存在だ。
ちょっとした遠出や行事で使うのではない。
何気ない景色や、美味しいものを撮影する。
それは日々出会うし、いつ出会うかわからない。
そのため、基本的に毎日持ち歩いてる。
それが持ち歩けなくなってしまった。

デジカメの代わりは、デジカメにしかできない。
衣服が破損しても、別の衣服がある。
洗濯機が壊れても、コインランドリーがある。
人員削減をしたい会社で1人が欠けても、代わりはいる。
しかし、デジカメの代わりは、デジカメにしかできない。
そう、君の代わりは誰にもできないようにな。

ブログにおけるフォトは重要だ。
ブログは文章メインではあり、
極端な話、フォトなしでも通用する。
しかし、フォトの効果は大きい。
目で見せる情報量は、言葉に比べて圧倒的に大きく、
まさに、目は口ほどにものを言う。ということだ。

昨日(木曜日)の夜、ヨドバシカメラへ修理相談に行った。
ヨドバシカメラの店員の対応は良いという話がある。
週刊ダイヤモンドが実施している顧客満足度調査では、
「旭山動物園」、「オリエンタルランド(東京ディズニーランド)」、
「リッツ・カールトンホテル」ほど上位ではないものの、
ヨドバシカメラは、常にトップ20にはランクインされるらしい。

確かに対応の良い店員はいる。
しかし、6割くらいだろう。
残り4割は、「もうちょっとなんとかならんかねえ?」と思ってしまう。
こちらレベルやこちら目線ではなく、
店員レベルの店員目線で、冷淡かつ一方的に説明されるのだ。

例えば、「こういう使い方はできるのか?」と聴き、
とりあえず、YESかNOかだけ知りたい場面で、
YESなのかNOなのかわからなくなる、マニアックな説明を始める。
まず、YESかNOかを確認し、その上で、次の質問をしたいのに、
話を聞いていないのか、受け止め方を間違っているのか、
全く的はずれの話を延々と始める店員が4割だ。

私と店員とで、スタート地点は同じだと思う。
しかし、私の知りたい方向とは別の方向へ店員の頭は回転する。
つまり、スタート地点は同じでも、矢印が向かう方向は異なる。
よって矢印は同一線上になく、
矢印が伸びるほど、矢印の間の距離や面積が大きくなるのだ。
それを小さくしようと、話をスタート地点に戻すが、
店員は、同じような説明を繰り返す。
方向が違うし、飛躍し過ぎているのだ。

どうして相手の質問を、きちんと把握しないのか。
どうして相手の理解度を見ながら説明することができないのか。
目の前に「相手」がいるんたぜ。
君の商品説明講演会を聴きに来たわけじゃないんだぜ。
君は丁寧な説明だと思っているのかもしれないが、
こちらにとってはしつこいだけだ。

会話がキャッチボールされていない。
レシーブしてもらえない。パスを受け取ってもらえない。
よって、何もかもが成り立たない。
このストレスは、電化製品を買う時の最大のネックでもある。

昨日のヨドバシ修理担当店員も、自分ペースで一方的に話すだけで、
そこにいること自体がストレスで、
早く立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。
特に、「修理代がおおよそどのくらいになるか、いつわかるのか」
の質問には、

「ゴールデンウィークを挟むのでわからない」の一点張りだった。
修理が終わって戻ってくる日ではなく、
おおよその修理代がわかる日ですら、そんなに日数を要するのか。
また、「ゴールデンウィークを挟む」と言うが、
ゴールデンウィークは、まだ2週間先だ。
いったいどうなってるんだ。

店員の当たり、というか、店員の巡り合わせが悪いだけで、
大型家電店の中で、ヨドバシは平均すれば良い方だとは思う。
確かに、店名とは真逆にワーストな対応をする大型家電店もあれば、
その家電店のCMタレントのごとく「ダメだこりゃ」な店もある。
それらと比べれば、ましだろう。
ただ、もう少し、相手の意図を読み取る努力をしてほしい。

壊れたデジカメに動揺しているのは、
明日(18日)のレコーディングで使いたかったという事情もある。
また、消耗や老朽化によって、機械の具合が悪くなったのではなく、
デジカメ落下という私のミスと万有引力の法則に屈したことが悔やまれ、
自分の中で割り切れないのだ。

私のこれまでの経験上、「物を忘れる、失くする、壊す」というのが
続く時は、心身のどこかに乱れがあるか、あるいは乱れる前兆である。
とりあえず、この週末はデジカメのことは忘れよう。
なんといっても、明日18日は、朝9時からレコーディングがあるのだ。
ただ、この記事を書いて、
デジカメのない虚無感と焦燥感が蘇ってしまった。

不注意でデジカメを落とした自分への後悔。
先の見えない修理状況。
「そこまで落ち着かないなら、新しいのを買ってしまえば」
と思う方もおられるだろう。
確かに、修理代は1万円超になるように思う。
しかも、いつ戻ってくるのかが見えない。
ならば、前向きにあきらめて、新しいのを買うか。
誰にも迷惑をかけず、3万円以下で解決できるのなら御の字か。
人生にはもっと厄介なことがたくさんある。

ただ、やはり金銭的負担は心を重くする。
とりあえず、自転車購入は断念だ。

もう忘れよう。
いいレコーディングをする。
それだけ考えよう。
デジカメも自転車もどうでもよくなるようなレコーディングをしよう。
デジカメも自転車もどうでもよくなるようなロックがここにあるのだから。


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レコーディングが近づいている。
私にとって、2009年上半期の最大イベントとなるだろう。
レコーディング日は、4月18日土曜日。
その日が間近にせまってきたせいか、
雑然と過ぎゆく時間の中で、
ふと、レコーディングは無事にできるだろうかと不安になり、
なんとも落ち着かない気持ちでいる。

その影響からか、忘れ物をしたり、
デジカメを床に落として壊したり、
テーブルに足の親指をぶつけるなど、
自分の中で何かが乱れているのを感じている。

090401スタジオ・イン2 
レコーディングをするのは、「見慣れた街を抜け出して」、
「壊れたままの砂時計」、「心配いらないぜ」の3曲。
いずれも、クグエ的ナチュラルボーン感覚の作品である。

曲を作る時の過程は、大きく分けて2種類ある。
ひとつは、「こんなリズムで、こういう感じのフレーズがある曲を
作ろう」と、形や枠組みから作るパターン。
もうひとつは、街を歩いていたり、ギターを適当に弾いているうちに、
なんとなくメロディが浮かんで出来てしまうパターンである。

今回の3曲は、いずれも後者である。
つまり、何の意図も理想もなく、何にも縛られない状態だと、
今のクグエ氏は、こういうメロディの曲を作る。
いや、作るのではなく、出来てしまう。

この3曲は、リズムもスピードも同じような感じである。
しかし、味わいは違う。
スープは同じだが、醤油か味噌かの違いが明確にあるし、
麺の種類は同じだが堅さは違う。
トッピングを変えて、違いを出すのを私は好まない。
そういうことだ。
うまく言えないが、そういうことなのだ。

レコーディングでは、ギターを3つのパートに分けて録音する。
3つのパートは何かというと、
まず、古い言い方で「サイドギター」がある。
現在、一般的に言われている言い方だと「リズムギター」である。
次に、一般的な言い方だと「リードギター」がある。
クグエ的表現では、「ソロを弾くパート」である。
そして、もうひとつが、隠し味的ギターである。
ルーカレーにおけるチョコレートであり、コーヒーである。

普段は、バンド内でギター担当は私1人である。
この3つのパートを、どう分けて弾くか。
昨日の夜は、その最終的な整理をした。
問題は、隠し味的ギター・パートを、
普段は全く弾いていないことである。

私の想像の中だけで潜在的に存在していたフレーズが、
レコーディングの場で初めて顕在化するのである。
それが馴染むかどうか、効果があるのかどうかは、
レコーディングをしてみなければわからいのだ。
いわば、ぶっつけ本番である。

コーラスも同様である。
自分の中では、コーラス・パートのフレーズはあったものの、
主旋律を歌っている本人が、
普段の練習で、同時にコーラスをやるのは不可能である。
つまり、これまで試していないコーラスを、
レコーディングの場で初めて試すのだ。

とはいえ、楽しみでもある。
自分が歌っているところに、自分でハモるのだ。
この馴染み感や同化感覚は、何にも代え難い快感でもある。
バレーボールで言えば、自分がサーブしたボールを
自分でレシーヴするようなものである。

曲のタイプや、そのボーカルの声の質などにもよるが、
レコーディングにおいても、
ボーカルと別の人がコーラスをやる場合が多いだろう。
私はコーラスを目立せたくない意向である。
同化させて、いい意味で埋もれさせたい。
「あれっ、ここハモってたんだ」というふうに、
さり気なく存在させたいのだ。

090401スタジオ・イン 
レコーディングは4月18日、土曜日。
スタート時刻は、驚くべきことに午前9時である。
スタジオ側も、ミキサーの方も、
夜は何時になってもいいようだったが、
ベースのミチの意向により、早い時間のスタートにした。
そして午後7時にはレコーディングを終了している予定である。
完全にサラリーマン的時間設定である。

普段、仕事をしている時間帯、つまり一日のうち、
活力のある時間帯にレコーディングをするのがベストである、
というのがミチの狙い、というわけではなく、
単に、帰る時間が遅くならないように、という意図だけだろうが、
時刻など関係ない。
誰かの耳と心に届くことを願い、想像し、
つまずき為しえなかった悔しさと、そして希望と喜びを、

ギターと声に託してやるだけだ。
もう18日までは余計なことはしない。
あと2日は、仕事と音楽と壊れたデジカメの対応方法だけを考える。
デジカメ故障は悩ましい問題だ。


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札幌市東区の東7丁目と8丁目の間のストリートは、
「北光線」(ほっこうせん)と呼ばれている。
公的な路線名は「東8丁目篠路通り」らしいが、
この地域の方々にとっては、「北光線」の方が認知度が高く、
愛着もあるだろう。

「北光線」と呼ばれているのは、中央バスの路線名に由来する。
北光線は、地下鉄南北線と地下鉄東豊線に平行して
南北に走る路線であるが、
いかんせん、どちらの地下鉄路線までも微妙に距離がある。
よって、バス路線は昔も今も貴重な存在なのだろう。

北光線は、昔から飲食店や商店が多くあったような面影がある。
賑やかな通りだったことが想像できる。
今は築年数が経過している建物が目立ち、
道路も片側2車線にしては中途半端に狭い。
また、どことなく雑然とし、薄暗い印象がある。
しかし、地下鉄東豊線沿いよりは、アナログ的活気を感じる。
事実、飲食店の数は、地下鉄東豊線沿いより多いのではないか。

特に、ちょっと古めの中華料理店が、適度な間隔で存在しているのが
かねて気になっていた。
そこで今回は、北光線沿いにある中華料理店から
4店をピックアップしてみた。

なお私は、中華料理店では、ラーメンは食べない。
ラーメンはラーメン専門店の方が確実に美味しいからだ。
中華料理店はメニューが多い。
様々な料理を食べてみたい。
しかし、そのためには4人以上が必要だ。
一人、あるいは二人で行くときは、
「麻婆豆腐」、「青椒肉絲」、「中華飯」のいずれかを注文してしまう。
そんな私の食癖を踏まえて上で、どうぞ。

■興盛飯店(札幌市東区北41条東7丁目)
興盛飯店/店 

一口に中華料理店といっても、タイプは様々である。
興盛飯店は、味も佇まいも「家庭的中華食堂」である。
料理は、高級感や強烈さにはやや欠けるものの、
いわば、いい意味で素朴であり、
それでいて、香りや火の通り具合など、きりっとした雰囲気が漂う。
味は、嫌みやクセのない、ほっとする旨みを感じられ、
万人受けポピュラー度は高い。

ザーサイや、漬け物のもやしも、薄味ながら、
市販されているものとは明らかに違う本格的手作り感がある。
ライスも、中華料理店にしては、きちんとしている。

そして、安い。
例えば、麻婆丼は550円、中華飯は600円、
回鍋肉定食600円、青椒肉絲定食650円である。
注文してから料理が出てくるまでが早いのも好感。

興盛飯店/青椒肉絲定食 
店は、年数を感じる木造モルタル造り。
25年前の家庭のダイニングにありそうなテーブルとイス。
本棚、衝立(ついたて)、座布団なども、ナチュラルに古臭く、
それが逆に、何も気にせず落ち着ける場所にしている。
置いてあるマンガ・雑誌も、半年前のものが主流である。

味だけなら、女性ウケするのではないか。
今回紹介する4店が同じ場所にあるとしたら、
最も訪問するのは、この店だと思う。
気軽さがありながら、本格ぶりが垣間見える穴場店である。

■大連(札幌市東区北23条東8丁目)
大連/店 

私の勝手なイメージであり、おそらく事実とは違うと思うが、
この店の佇まいは、元々はラーメン中心の店だったものの、
次第に中華系定食のオーダーが増え、
いつからか定食メインになった。そんな感じがする。
言うなれば、「ラーメン屋的中華食堂」である。

前記の「興盛飯店」は、
中華単品メニューも多く、実は本格中華の店なのに、
良心的価格の定食メニューを充実させ、
食堂的佇まいにしているのに対し、
「大連」は、ラーメンの延長戦上のメニューを、
中華に特化したような雰囲気である。
事実とは違うだろうが、そういうイメージである。

◇麻婆豆腐定食 680円
大連/麻婆豆腐定食 
優しい味である。
カドのないマイルドな味で、普通に美味しい。
麻婆豆腐は正油味が抑えめで、辛みはほとんどなく、
豆腐あんかけのよう。
口当たりはあっさりだが、底辺にはコク旨エッセンスを感じ、
中華にしては量が多くはないことも相俟って、
まだ食べたい気持ちを残す。

なお、この店を「ラーメン屋的中華食堂」と称したが、
一般のラーメン店におけるサイド・メニューとしての中華丼や
チャーハンとは明らかに一線を画す旨みがある。
いわば、毎日食べられる中華であり、リピート度は高いだろう。
特に、外回りの仕事をしている方の支持が高そうだ。
店の前には、シータクや社名入りの車が駐まっているのをよく見かける。
営業者が、ふと立ち寄るにはうってつけの店だろう。

■渤海飯店(札幌市東区北16条東7丁目)
渤海飯店/店 

今回の4店の中では、最も知名度が高く、
北光線沿いの中華系の店の中で、最も目に入る店だろう。
店のつくり、雰囲気、味、メニュー、全ての面において、
まさしく本格的中華料理店である。

メニューの種類が、とんでもなく多い。
メニュー表が2種類ある。
ほとんどが単品メニューであり、定食系メニューを探すのに苦労する。
定食系メニューは、どういうわけか、
2種類のメニュー表に分散して掲載されており、
しかも、目立たない方のメニュー表に、
お得感のあるものが多いので注意したい。

◇青椒肉絲飯 819円
渤海飯店/青椒肉絲飯 
確実な味である。
強烈さや異国的味わいは小さく、
かなりジャパニーズ向けにしているように感じる。
とはいえ、青椒肉絲は、中華もやってる食堂のそれとは異なり、
明らかに中華料理店たる雰囲気のあるつくりである。
ピーマンに比べて、肉が多めなのも嬉しい。
ただ、定食系メニューに限った意見だが、
中華専門店にしては、ちょっとこぢんまりとしている気もする。
もう少しクセや豪快さがあってもいいかなと。

その反面、万人ウケはするだろう。
店の広さ、雰囲気ともファミリー向きであるし、
職場の飲み会や、ちょっとした打ち上げにもいいだろう。
やはり、こうした店では、様々な単品料理を食してみたい。

■北華飯店(札幌市東区北14条東8丁目)
北華飯店/店 

イメージを一言でいえば、「中華メニュー中心の一般食堂」。
「家庭的中華食堂」でも、「ラーメン屋的中華食堂」でもない。
雰囲気、味とも、あくまで一般食堂がベースであり、
中華メニューを中心にオーダーされる店である。

回鍋肉定食が一番人気だろう。
豪快な回鍋肉である。
肉もキャベツも特別というわけではない。
味噌味と油の量が凄まじく、強烈な味にしている。
肉とキャベツでライスが進むのではない。
味付けをした味噌ダレで、ごはんが進むのだ。
この味噌は味が濃い。
しかし、濃いだけではない。
味噌と油が焼けた感じがして、香ばしくコクがあるのだ。
ほんの少し「すみれ」のラーメンの味噌ダレ風味も感じる。

北華飯店/回鍋肉定食 
店内にいる全員が、回鍋肉定食を食べていたこともあるほど、
完全な看板メニューである。
ライス、回鍋肉とも量は多め(写真で見るより実際はかなり多い)。
これで650円なら十分に安い。

麻婆豆腐も強烈。
油多めの強い味で、水分を吸い取られた感じがし、
翌日の朝も、口が渇いて目が覚めるほど。
毎日は食べられない中華である。
一度食べたら、しばらくは中華にグッバイしたくなる。
ただ、確実にアンチ・ヘルシー路線だが、
ガツンと刺激が欲しい夜は、北華飯店にベイビー・トゥナイ!

北華飯店/麻婆豆腐定食 
完全にファミリーに不向きな店。
札幌光星高校の生徒から50代まで客層は広いが、
最も多いのは、10代、20代の男性だろう。
店の前を通ると、必ず客がいる。
これまで、店に客がいないシーンを見たことがない。

なお、この店は、ラーメンの種類もそこそこあり、
カレー、親子丼、カツ丼もメニューにある。
しかし、オーダーは圧倒的に回鍋肉定食が多い。
店内の隅には、いつも大玉のキャベツがいくつも置いてある。
この回鍋肉は、他区や他市町村からでも、
一度食べてみる意味は十分にあると思う。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

以上、今回は、札幌市東区の北光線沿いにある中華料理店という
極めて狭いエリアにおける4店を紹介した。

小さめの中華的食堂に行くと、いつも気になることがある。
「渤海飯店」のように、店内が広く、
壁などに中華的グッズを散りばめている店は、

BGMとして、チャイナ・ミュージックが流れていることが多い。

それに対して、小さめの中華的食堂は、

総じて、大音量でテレビが流れている。
そして、チャンネルはバラエティ番組であることが圧倒的である。
しかも、店員がそれを見て、笑ったり、突っ込んだり反応するのである。
皆さんも思い当たる店があるのではないか。

ラーメン店で、それをやられると不快な気持ちになるが、
家族経営的中華料理店では、どういうわけか、仕方がないこととして、
許容してしまう。
ただ、気が散って、会話がままならないし、本も読めない。
つまり、言葉を奪うのだ。
今回の「興盛飯店」、「大連」、「北華飯店」も、それに該当する。
ただ、雑然とした喧噪の中で食べることが街角中華の醍醐味
なのかもしれないし、何か秘密がありそうな気がする。
それぐらい、「大音量+バラエティ番組+店の人の目が
画面に釘付け」の
3点セットの家族経営的中華料理店は多い。
誰か理由を知らないか?

テーマ:ご当地グルメ - ジャンル:グルメ


しばらく、このブログで触れていなかったが、
職場に、「ガリガリ君」という全くそりが合わない同僚がいた。
「最近、ガリガリ君のネタ、書かないですね。
 あれ面白いですけどね」などと、
リクエスト的ご意見をいただくこともあったが控えていた。
なぜなら、私からの一方的な悪口となるためである。
それによって、読者の中には気分を害する方もいるだろうし、
私の人間性も、さらに歪むような気がしたため自粛していた。

この4月、ガリガリ君は人事異動により、私の職場を去った。
異動が決まってからも私は淡々としていたが、
申し訳ないが、内心は毎日カウントダウンをしていた。

そもそも「ガリガリ君」という名称は、
一日中パソコンの画面から目を離さず、
マウスをガリガリし続けていることからつけたものだ。
その音がうるさく、また、彼のパソコンの1m先にいる私を
虚ろな目で見ているようでもあり、気持ち悪かった。
なにせ、食事の時も、誰かに話しかけられても
マウスをいじり続け、画面から目を離さない人だったのだから。

この1年の間に、周りに人がいない時、
「決裁を受け取る時ぐらい、画面から目を離しませんか?」、
「上の人だけじゃなく、中村さんや山下さんが、朝、挨拶したら、
 返してもらえませんかね」など、
彼に対し、私にとっての常識を投げかけたこともあった。
彼の中では常識ではなかったようだが、
挨拶については、かなり改善してくれた。

そもそも性質が違うのだ。というか変なのだ。
不祥事をコソコソと小バカにしたり、
変な画像を取り込み、ため込んでは、
気の合う僅かな同僚に見せびらかしたり、
コンビニでパン1個を買っただけでも必ずレジ袋をもらっては、
気の合う僅かな同僚に、エコなんてくだらないとほざいたり、
信じられない音量でラーメンをすすっては、
集中豪雨で河川が氾濫したかのごとく大音量で鼻をかむ。
私にとっての不愉快ポイントが、
彼にとっての普通だったのだろう。
それにしてもパン1個でレジ袋はないだろう。

異動になって本当に良かった。
双方にとって良かったと思う。
職場だけに限ったのストレスなら70%減くらいの効果がある。
昼休みも快適である。
心おきなく読書や睡眠ができる。
昼休み読書量は確実に30%はアップした。
というわけで、今回は最近読んだ作品の中から3冊を紹介です。


■石田浅海「扉は閉ざされたまま」
石田浅海/扉は閉ざされたまま 

「このミステリーがすごい」で第2位、
「本格ミステリベストテン」でも第2位を獲得するなど、
業界で高い評価を得た2005年作品。
ちなみに、その年の第1位は、
いずれも東野圭吾「容疑者Xの献身」であった。

登場人物は大学のサークル仲間7人(男4人、女3人)。
彼らは約10年ぶりに集い、
ある洋館で、1泊2日の同窓会的パーティを開く。
この7人の中の一人の男が、別の男を、洋館の中で殺害するところから
物語は始まる。
殺害された男は、内側からカギをかけた状態で死んでいる。
つまり、あるトリックを使い、自殺あるいは事故と見せかけたのだ。

殺害された男は、部屋から出てこないが、
旅の疲れで眠ってしまったのだろう、じきに出てくるだろう、と、
事情を知らない他の5人+犯人の男の6人はパーティを始める。
しかし、いつまで経っても、男は部屋から出てこない。
皆、不審に思い始める。
一方、犯人の男は、ある事情により、翌日まで部屋には入れさせたくない。
そうした双方の心理戦のような物語である。

「謎解き」という面での構成力はすごい。
経過を丁寧に描き、論理的な詰めていく流れは、卒がなく緻密。
それでいて、わかりやすいため、評価が高いことにはある程度納得する。

ただ、「卒がなく緻密」の裏返しとして、
ちょっとした発言や、ふとした表情に、
いちいちチェックが入っているような「しつこさ」がある。
なんというか、ちまちました心理戦の繰り返しのようで、
はがゆさを感じるシーンもあった。

また、本の表紙に、6人の人物が描かれているが、
一番大きく描かれている男は、どう見ても、大沢たかおにしか見えず、
そのイメージが頭の中に張りついてしまった。
にもかかわらず、主人公のキャラは、
大沢氏とは全く異なるタイプであり、そのズレが終始気になった。

殺人の動機は、高尚すぎて庶民感覚にはないものであり、
リアリティに欠けているかなと。
登場人物達の出身大学は、偏差値がかなり高い設定だろう。
くだけたトークでさえ堅苦しく、ジョークさえ理知的で、
いまひとつ感情移入できなかった。
そう、情に訴えるものがないのだ。

とはいえ、きちんとした謎解きミステリであり、
わかりやすく一気に読ませる筆力もあるため、
時間つぶしに読むにはいいだろう。
なお、私とガリガリ君の関係は、最後まで、この作品のタイトルどおり、
扉は閉ざされたままだった


■早見和真「ひゃくはち」
早見和真/ひゃくはち 

主人公は東京に住む26歳の新聞記者。
彼には、つきあい始めて3か月の恋人がいる。
ある日、彼女から不可解なことを打ち明けられる。
「二人は高校時代に会っていた」というのだ。
しかも、それは彼女にとって、あまりいい思い出ではないらしい。
彼は高校時代へと記憶をたどる。

彼は神奈川県の高校野球名門校の補欠選手だった。
寮生活と厳しい練習。
そうした環境ではあったが、酒、タバコ、ナンパなど、
野球部員らしからぬ遊びもたくさんした。
そんな日々を思い返していく中で、
今も越えられずにいる辛い出来事があった。

昨年、王様のブランチや紀伊国屋書店の書評で高評価を
受けていたことから

興味を持ち、昨年秋に図書館に予約した。
3月上旬に貸出の順番がまわってきたが、
時間が経ちすぎたせいか、読みたい気持ちが下降しており、
少し読んで面白くなかったら、すぐにやめようと思って臨んだ。

ところが、読み始めてすぐに引き込まれた。
特別な言葉や手法を用いているわけではないが、
文章に躍動感があり、テンポがいい。
特に、試合、練習、寮での野球部員とのやり取りなど、
直接的に野球に関係するシーンは、
高校生らしい戸惑い、安っぽさ、気取り、友情などを
非常に活き活きと描いており、気持ちが乗ってくる感じがした。
また、過去の秘密が明かされていくというミステリ要素も含んでおり、
最後まで飽きることなく読み通せた。

ただ、疑問と注文もある。
まず、主人公のキャラが、単なるお調子者なのか、
結構勉強ができる努力家なのか、
全体を通して人物像が一致しなかった。

主人公の彼女は、それ以上に、ぼやっとしたイメージだった。
ストーリー上、重要な存在なのに、性格が見えず、外観も想像できず、
現在と過去とを結ぶ調整役として登場させただけか?と思えた。

頻繁に合コンをやっているような記述が多いことも違和感があった。
今時の高校生は、寮生活をしていても、
そんなに合コンの機会があるものなのか?
そんなに時間があるのか?というか、そんなにお金を持っているのか?
また、タバコと野球部監督の暴力については全くの無法状態。
作者は、これを肯定しているのか、否定しているのか、
どう伝えたいのか全く見えなかった。

また、野球関連部分の引き込みパワーは強い反面、
野球以外の、友情や恋愛部分の描写や展開は、
ちょっと強引で、こなれていない感じがしたのが残念だった。

とはいえ、楽しめた作品だった。
心身を煩わし悩ませる妄念を「煩悩」(ぼんのう)と言う。
煩悩の数は「108」、硬式ボールの縫い目の数も「108」。
この作品タイトルは、そこからとったのだろう。
名門高校野球部の日常を中心としながらも、
一人の高校生としての煩悩をうまく絡め、
なかなか良い適確なタイトルだと思う。

■伊坂幸太郎「フィッシュストーリー」
伊坂幸太郎/フィッシュストーリー 

伊坂幸太郎の2007年作品。
短編4作品が掲載されているが、
表題作の「フィッシュストーリー」が圧倒的に良い。

他の作品も、淀みがなくスマートな展開であり、
それでいて味わい深く、かつスリリングであるという、
伊坂氏らしい上手さがあるのだが、いずれもオチが弱かった。
ただ、あくまで、伊坂氏の安定したクオリティを踏まえての評価である。
一般的に見ると、どの作品も面白く、かつ切なく読める。
しかし、「フィッシュストーリー」が際だって良かったので、
この作品に特化して解説させていただく。

「フィッシュストーリー」は、35年くらい前に、
あまり売れなかったバンドが残した最後のアルバムの中の1曲。
その曲の持つ意味、その曲に偶然であった若者、
航空機で偶然隣り合わせになった女性、そこで偶然起きた事件。
そうした時間を超えた偶然が、素敵に連鎖して世界を救う。

この作品は、今年3月に映画化され、現在も上映中である。
小説では50ページ程度の作品だったが、軸がしっかりした話なので、
映像によって人物や状況を深めれば、
さらに面白さや感動が増すような気がする。
その意味では、映画向きの作品かもしれない。

読後感が非常にいい。
エンディングは、現実的には気恥ずかしくなるようなキザっぽさがあるが、
素直に受け止められる爽快感があった。
「どうもこうもねえよ。でも、それが人生だ」と語ることの多い私だが、
「君の強い思いは、必ず誰かに伝わっている」と元気づけられ、
「人生ってやつは、まんざらでもないぞ」と思えた作品だった。
そう、希望が見えるストーリーなのだ。
そして、エナジーをもらえたような気がする。

そのエナジーは何に使うのか。
「いつか」のため準備しておくことに使うのだ。
今は、何をやってもうまくいかなくて、さえない毎日を送っていても、
いつか訪れるチャンスのために準備しておくことが大切なのだ。
気持ちを込めたもの、人生をかけたものは、
時代を超えて誰かにつながって生き続けていく。
素直にそうした前向きな気持ちになれた、後味のいい作品である。
ちなみに、ガリガリ君とは後味の悪いまま終わった。

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自転車を買おうかどうか迷っている。
現在保有している自転車は、購入後10年くらい経過している。
車体には傷が増え、泥よけ部分はところどころへこみ、
自動点灯ライトの調子も芳しくない。
しかし、走行に関しては全く支障がない。
移動手段として十分に機能を果たしている。

なのに自転車購入を検討しているのはなぜか。
見た目が、ちょっとカッコいい自転車が欲しい。
それだけだ。
乗り物としてではない。グッズとして欲しいのだ。
自転車は、車やバイクと同じジャンルではなく、
時計、靴、カバン、帽子などと同じジャンルと捉えているのだ。

どんな道でも走れるタフさなど求めてはいない。
颯爽とクールな顔をして駆け抜けるスピードなどなくていい。
「おっ!カッコいい自転車乗ってるなあ」と、ふと何気なく気に止められ、
「ちょっと、その辺のチャリと違うだろ」と、さりげなく誇示したい。
それだけなのだ。

昨年まで、自転車に興味などなかった。
シンプルな形をしていて、3段切り替えがついていればそれでよかった。
そんな私のバイシクル感を変えたのが、
職場の同僚であるアウトドア・マン、「エフノリ」(男・30代)だった。
ちなみに彼の理想の女性芸能人は、蛯原友里と安田成美である。
理想の女性芸能人は誰かと聞かれて、平成21年の段階で、
安田成美の名前を出すということは、心からファンなのだと思う。

昨年秋、どういうわけか登山に目覚めたり、
アウトドア系メーカーの商品に強く興味を示すなど、
私の中で、何かが始まりつつも、変わりつつもあった。
そんな私に、「あのメーカーはコスト・パフォーマンスがいいですからね」、
「あのメーカーは高いですけど、モノはほんといいですよ」など、
積極的な食いつきを示したのがエフノリだった。

彼は、高身長でバランスのとれた体型をしており、
極太フレームのメガネをかけている。
イギリスのバンド、ブラーのメンバーにいそうな感じである。
物腰が柔らかく、どちらかといえば受け身的キャラなのだが、
アウトドア系ブランドの話になると、強い押しを見せる。
一方的にアウトドア系ブランド雑誌を貸してくれたこともあった。
リュックを買うときも、エーグルの長靴を買うときも、
ダウジャケットを買うときも、彼は適確なサポートをしてくれた。

昨年の夏、「来年は自転車を買う」と、彼に宣言したことがあった。
彼は、その言葉を2008年から2009年にかけて忘れていなかった。
真冬にもかかわらず、「この店はこういう品揃えだ」、
「あの店はこういう特典がある」など、
自転車ショップ情報を提供してくれた。

ある時は、「どんな自転車を買うんですか?街乗りですか?」と、
「街乗り」という、バイシクル慣れをした言葉を使ってきた。
それにびびってはいけないと思い、
「そうだね。街乗り、っていうか、タウンユースだね」と、
すかした言葉で返すと、彼は苦笑した。

自転車カタログ1 
3月のある日、彼は、「GIANT」という自転車メーカーの
カタログをくれた。
「これ早めに予約しないと、なかなか納品しないですよ」と、
焦りを換気させて購入に踏み切らせるかのような
セールス・トークをしてきた。

ところが、カタログを見たところ、価格が高すぎた。
ちょっといいやつ、となると、5万円以下の商品は僅かしかないのだ。

冷静に考えてみると、私は頻繁に自転車に乗るわけではない。
まず、スーツ姿では自転車に乗らない。
スーツが汚れるのと痛むのを嫌ってのことだ。
そうなると、通勤外で出かける時だけである。
なお、札幌中心街の走行は、歩行者を不快にさせるので、
極力、乗り入れないようにしている。
その反面、なんとなくブラブラ走っているうちに、
北広島や銭函まで行ってしまう、そんな私である。

このように、私にとって自転車は、完全に遊び手段であり、
実用性にこだわりはなく、実生活に不可欠のものではない。
そこで、ちょっとイカした自転車購入については、
金銭面を理由に断念する方向で、気持ちは固まりつつあった。

ところが、たまたま立ち寄った東急ハンズや、
苗穂のジャスコのスポーツ店などで、
カタログに掲載された自転車の実物を見ると、
物欲神経が刺激され、ゲットしたい気持ちに傾いてきた。
自転車選びに熱を帯びたのは、小学校高学年の時の、
スーパーカー・ライトの自転車以来である。

ごっつい自転車は趣味ではない。
超スマートな自転車のキャラでもない。
アグレッシブなシティライドによって、
スポーツマインドを熱くしたいわけではない。
気軽な街角ライディング仕様で、
「大量生産タイプとはちょっと違うぜ」程度がいいのだ。

「ちょっと違うぜ」程度の一例は、カゴ装着はNGであること。
実用性の面でかなり劣るが、エフノリに言わせれば、
「カゴをつけたら、死ぬほどカッコ悪いですよ」である。
見た目、穏和な彼から発せられたその言葉は、大きな衝撃だった。
カゴはNGで、自転車に乗る際は、
肩からかけるバッグかリュックを必需品とする。
それが、「ちょっと違うぜ自転車」の流儀なのだ。

自転車カタログ2 
前記のとおり、今回の私の自転車欲は、
移動手段としてではなく、時計、靴、カバン、帽子などと同じジャンル。
つまり、ファッション感覚なのだ。
ある意味、ファッションとは我慢である。
寒いのに薄着をしたり、歩きにくいのに長時間履いたり、
一見ラフな恰好なのに、汚さないようにと実はすごく気にしたりなど、
ファッションには、多少の無理がつきものである。
楽だけを求めていては、何も為し得ないのだ。

そういわけで、カゴ排除は、自分の中で簡単に踏ん切りがついた。
問題は、車輪を覆うようについている「泥よけ」である。
泥よけも、ない方が見た目はカッコいい。
しかし、雨上がりの道路や、突然の雨に遭遇した場合、
背中や足部分の衣類が泥まみれになってしまう。
ならば、路面が濡れている時、あるいは濡れそうな時は
乗らなければいいのだが、それも切ない。
「ファッションとは我慢である」というクグエ理論からすれば、
泥よけ排除でオッケイオーライなのだが、悩みどころである。
というか、完全に私は買う方向で検討しているではないか。

昨日、今日と、何度かエフノリに自転車相談をした。
そんな私にエフノリは、
「おそらく近いうちに買ってしまうと思いますよ」と、
してやったりの微笑を浮かべながら断言した。

果たして私は買うのだろうか。
実用性の面でのメリットは少ない。
健康のためでも全くない。
環境のためでもない。
むしろマナーの悪い自転車走行は、平和な環境を破壊する。

ファッション感覚で欲しいだけだ。
自転車を、身につけるものとして捉えている「やわ」な考えなのだ。
ネックなのは、とにかく金銭面である。

誰かに自慢したいわけでも、共感を得たいわけでもない。
完全な自己満足によるものである。
しかし、この世に自己満足以外の満足はあるのか?
相手を満足させたい気持ちの中には、
同時に自己も満足したい気持ちが存在しているのではないか。
つまり、相手が満足することで、自分も満足することも多いだろう。
というか、今回の自転車の件で、まだ何も自己は満足していない。
自己満足をするのも手間がかかるぜ。

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