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小説・文学系作品の新刊本は、ほとんどの場合、
縦20cm、横14cm程度の大きさの単行本として発行される。
単行本は文庫本に比べて存在感がある。
「買った!」という達成感が得られる。
その作者と、その作品に対するリスペクトも示せる。
表紙のデザインが気に入り、飾っておきたくなる作品もある。
つまり、作品の中身以外にも、特別な何かを得られる。

ただ、体積が大きく、重い。
よって、携帯向きではない。
外出先への持ち運びも厄介だが、外出先で単行本を開いて読む時も、
文庫本のようなお手軽さはない。
また、仰向けに寝転がり、本を上にして読んでいるうちに
中途半端に眠りに入ったところで、
顔面に本を降らせてしまった経験をお持ちの方もいるだろう。
つまり、単行本は着席状態で読む以外は、使い勝手が良くない。

文庫本は、単行本リリース後、概ね3年程度経たなければリリースされない。
そこで、新刊本でも携帯して読みやすくなれば、
というニーズに対応するため、
新刊本は、単行本とともに、文庫サイズも
同時リリースしてもらえないかと思う。
CDとLPレコードの同時リリースよりも、手間がかからないだろう。
価格は、新刊本と文庫本が同じでいい。
だとしても、意外に文庫本サイズは売れるのではないか。

さて本日は、井上荒野(イノウエ・アレノ)の
「雉猫心中(キジネコ・シンジュウ)」という作品を紹介させていただく。
今年1月にリリースされた、まさに新刊本である。
いくつかの書評によると、評判は決して高くはなかったため、
あまり期待せずに読んだところ、
予想外に夢中にさせる圧倒的引力があったことから、
今回はこの作品オンリーの単枠指定での紹介である。

井上荒野/雉猫心中 
あらすじを端的に言うと、中年男女の不倫ドラマである。
男は古本業を営んでいる(40歳くらい)。
女は専業主婦(30歳くらい)で、その夫は中学教師。
この二人が、雉猫を通じて知り合い、深い仲になり、
あとは、なるがままに情事を重ねるだけのストーリーである。

あまりの身勝手さに、不快感と嫌悪感をおぼえる方は多いと思われる。
しかも、「で、結局、何だったの?」的な結末を迎え、
読後には、空疎感以外、何も残らない読者もいるだろう。
また、こういう恋愛をしたいという人は極めて稀だろうし、
共感も得られないだろう。

事実、最初の30ページ程度は、人物も、時間感覚も、
もやにかかっている感じで、何がなんだかよくわからなかった。
50ページまでいってこの調子なら、
読むのをやめようと思っていた。ところが。
40ページ前後から、次第に輪郭がはっきりしてきて、
50ページあたりから俄然面白くなり、読むのをやめられなくなった。

まず、作者の言葉の使い方やリズム感のようなものが、
私の感覚と合い、妙にしっくりきた。
例えば、主人公の女性の心情を書いたこんな一節がある。
「女は“はじまり”の話をするのが好きだと思う。
 “はじまり”は、いつでもくっきりとしている。
 くっきりとしている、ということは、結局のところ、
 一番幸福である、ということではないだろうか」
「全てが私の手を離れて進行しているような感覚があった。
 いつからそうなったのかわからない。
 あるいは、最初からそうだったことに、やっと気づいたのかもしれない」
こうした心の表現が、刺激的でもあり、納得させられるようでもあった。

この作品は二部構成になっている。
第一部は、主人公の女性が語り手になっている。
第二部は、相手の男性が語り手である。
つまり、同じ出来事を、同じ順序で、それぞれの目線で描いている。
そのため読者は、第一部と第二部とで、
同じ出来事に二回立ち会うことになるが、二人の目線がまるで異なり、
お互いの感情のスレ違いぶりが面白く、かつ、ぞっとする。

最初に、この作品は端的にいえば「不倫ドラマ」だと書いた。
かといって恋愛小説ではない。
なぜなら愛情や幸福が見えないからだ。
むしろ、官能小説である。
ひたすら情事を重ねる。
しかし、情事そのものの描写は少ない。
圧倒的に多いのは、情事につながっていく心理や感覚の部分である。
特に、飢餓感、焦燥感、閉塞感、寂寥感の流出量がすごい。
そうした感情という名の川の流れに乗ることができたから、
私は引き寄せられたのだろう。

人物にしても、場面にしても、説明不足な作品である。
ただ、不足というより、排除した感じである。
それによって逆に想像がかき立てられた。
と同時に、徹底して「男と女の心理」を軸として話を展開させることにより、
二人の心理の上に立った目線からは、登場する全ての人物が怪しい感じがし、
それが不思議なスリルをかき立てた。

二人は、とにかく自己中心的な勝手な理屈で情事を重ね、
崩れ落ちて、深みにはまっていく。
その様は、げんなりするが、痛快でもある。
そのせいか、情事を重ねる勝手な理屈が、唯一の理屈にさえ思えてくる。
そして、行き詰まると、「しかたがない」や「どうでもいい」で済ます。
共感する方は稀だろう。
私も共感はしない。
しかし、妙に理解できた。
ひたすらに淫らである。
愛情も幸福もないのに、何が二人をつないだのか。
二人を引き寄せた「引力」は、この作品の場合、
「淫力」と書くのが正しいかもしれない。


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テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌


昨年の春から秋にかけて、このブログに中で、
水崎杏美(ミズサキ・アミ)さんについて触れた記事が
いくつかあった。

最初は、北洋銀行のポスターに載っている、
あの愛くるしい女性は誰なんだ?と、高鳴る胸の内を吐露した。
そして、北洋銀行相談専門フリーダイヤルに電話し、
ポスターをもらえないかと問い合わせるという、
半ば狂信的な行動にまで及んだ。

その後、見ず知らずの方から、このブログに、
それは水崎杏美さんというご当地タレントだというコメントをいただき、
写真撮影会を見学に行き、彼女がたまに出演する番組「ワンサカ」を
毎週のように予約録画した。
ブログで、水崎さんの話をしばらく書かなかったら、
「どうして書かないの?」、「水崎さん、やめたんですか?」など、
水崎待望論ともいえるご意見まで頂戴したりもした。

ところが、私の水崎熱は、次第に降下していった。
その最大の原因は、私は「動く水崎さん」ではなく、
「フォトの水崎さん」のファンだとわかったからだ。
「動く」を、もっと具体的に言うと、動作ではない。表情の問題である。
「表情」の問題を突き詰めていくと、声と喋り方なのだ。
私が常々ひいきにしている井上真央と麻生久美子の良さも、
結局は、表情、声、喋り方なのだ。
それと、北洋ポスターの頃より、明らかに痩せた。
つまりは、フォトによってかき立てられた想像と、
実際はかなりの相違があったということである。


そして、区切りの時が来た。
水崎さんは、大学を卒業し、東京に就職することになり、
先日、北海道を離れた。
それでも、彼女のブログ「水崎杏美のお仕事日記」は更新されている。
北海道のデルモ事務所に在籍したままなのだろうか。
果たして今後、彼女は、北海道とどういう関わりをしていくのだろう。

いずれにしても、努力家であり、がんばり屋であった彼女である。
先日、保健師と看護師の両方の資格を取得したらしい。
頭の下がる思いである。ほんとに素晴らしいと思う。
新天地でも、水崎さんらしく生きていくことを願っています。

さて、水崎さんに代わって、というわけではないが、
最近、非常に気になっているキャスターがいる。
杉崎美香(スギサキ・ミカ)さんである。

先週、なんとなくテレビをつけると、
「HEY!HEY!HEY!」が放送されており、
たまたま、辻仁成のバンド「エコーズ」が出演していた。
エコーズは、大学時代に大好きで、ライブも見に行ったし、
初期のCDも4枚保有している。
曲の作りが大きくなった中期以降は興味を失い、
「ZOO」の頃は全く聴いていなかった。

私は、テレビに見入った。
その時、辻仁成の小説の大ファンだという女性がはしゃいでいた。
その女性が、「ああ、いいな、この人」と思えた。
かわいいとか、きれいとか、どこがいいとかというより、
直感的に「いい」と思えた。

何という名前なのかを知るため、テレビを見続けていたら、
「杉崎美香」さんだと知った。
その名前はかねて聴いたことがあった。
マニアックな話だが、爆笑問題がやっているラジオ放送
「爆笑問題カーボーイ」のヘビーリスナーである「藤田ハル」が、
セントフォースというキャスターを中心とした事務所のタレントが好きで、
時々、杉崎美香さんのことを投稿していたからだ。
なので、「この人が杉崎美香なのか」という思いだった。

杉崎美香090328-1 
早速私は、杉崎美香さんが出演している番組を調べた。
フジテレビの「めざにゅー」と「めざましどようび」に
出演していることを知った。
「めざにゅー」は、「めざましテレビ」の前に放送されているが、
北海道では放送れさてない。
そうなると、杉崎さんを見たければ、
「めざましどようび」を見るしかない。

「めざましどようび」は、土曜日の朝6時30分から
8時30分まで放送される。
これまで見たことがなかった。
3月28日、土曜日の放送を見るため、
寝坊対策も兼ねて予約録画をした。

それでも、ワクワク感が睡眠にも波及したのだろうか。
7時15分には完全に目が覚め、そこからはリアルタイムで見た。


やはりいい。土曜の早朝から彼女に釘づけになった。
表情、声、喋り方がいい。私の場合、まずはここなのだ。
そして、間違いなく私のハートをくすぐったのは、
アヒル口と八重歯である。
私はこれに屈しやすい。
痛い目にあわされても、アヒル口と八重歯の魅力に負け、
許してしまうのだ。

ただ、「めざましどようび」を見て気づいたのが、
杉崎さんはメインキャスターでありながら、
意外と映っているシーンが少ないことだった。
サッカー選手が試合中、ボールに触れる時間は
そんなに多くないのと同じである。
そこで、土曜日の夜、録画したものを編集し、杉崎シーンだけをまとめた。
すると、8分くらいに収まった。

43歳の男が、土曜の夜に何をやっているのだろう。
しかし、編集作業中は、「オレの人生はこれが全てだ!」ぐらいの
集中力を発揮し、生き甲斐すら感じていた。

8分に収めた杉崎シーンを再生する。
いやぁ、ほんとにいい。
杉崎さんを見ていると、ちょっと幸せな気持ちになる。
とりあえず、これは保存しておき、来週も録画して編集することにした。
それが私の今週のモチベーションとなるだろう。

さらに、ブログに彼女の写真を掲載するために、
テレビに映る彼女の写真まで撮った。
虚しさと背中合わせのギリギリのマインドで、
杉崎ファンを自負できることはやった。

杉崎美香090328-2 
杉崎さんは30歳である。
ピチピチ感が落ち着き感になる過渡期的雰囲気もいい。
アイメイクはやや濃い目だが、それが逆に、いい意味で30歳っぽくて良い。
ちょっとした目尻のしわも、たまらなくいい。
最高だ。

私は確実にかっこ悪い。馬鹿げている。
それでもいい。
なぜなら、楽しいからだ。
愛らしい人を見るのは、それだけで楽しいものだ。
また、杉崎美香さんによって、私の人生が狂うことはあるまい。
むしろ、杉崎美香似の女性が現れ、振り回されては、はたき込みをくらい、
ぼろぼろの日常が訪れる可能性の方が高いが、
それもありかな、とさえ思う。

「クグエ氏、大丈夫か?」、「虚しくないの?」と思う方もいるだろう。
しかし私は、「しかたがない」としか答えられない。


「朱に交われば赤くなる」ということわざがある。
人は、交際する人や環境によって、良くも悪くもなることの例えである。
これを突き詰めたことわざが、クグエ辞典に掲載されている。
「トマト味はタマネギを苦くする」である。

私はタマネギが好きである。
生のタマネギをスライスして食べると、なぜ甘いのか。
豚肉とともに串に刺して焼くと、なぜあんなに美味しいのか。
ルーカレーやハンバーグで、なぜあれほどの素晴らしい甘みとコクを
サポートするのか。
このようにタマネギは、料理の中にその形を残す、残さないにかかわらず、
非常に大きな役割を果たす。

ところが、トマト系の味と絡むと、嫌な苦さが前面に出てくる。
甘みはトマト味に消され、苦みだけがあぶり出されるかのようである。
タマネギは、名脇役にもなれば、名スタッフにもなれる優れた人材で
ありながら、トマトと付き合うことにより、
いつも苦い顔をして、協調性が欠落した存在になっていく。
このように、交際する人を間違えると、いいところは消され、
悪いところばかりが目立つようになることの例えが、
「トマト味はタマネギを苦くする」である。

トマト系の味と絡んで、タマネギが台無しになる代表例が、
イン・ナポリタンの場合である。
「どうだい?タマネギって苦いだろ」と、
タマネギの悪い部分を晒しものにしているようで、
タマネギがかわいそうになる。
こんな組み合わせは承服しかねる。
微妙に古い表現で簡潔に言えば、
「あたしゃ認めない」(BY スピードワゴン)である。

タマネギ・イン・ナポリタンのみならず、
イン・ミネストローネも、イン・酢豚も「I HATE」である。

そんな私は、先日、スープカレーにおいて、
こうした残念な境遇に置かれたタマネギに出会ってしまった。

■ouchi(札幌市中央区南3条西7丁目)
店名は「おうち」と読む。
狸小路を西へ向かい、アーケードが途切れたところを左に曲がると、
さりげなく存在している手作りレトロ・カフェ風な店。
女性的な生地感と丸みがあり、店名どおり「おうち」のように
くつろげる雰囲気を醸し出している。
6、7年前に一度行ったことがあったが、
当時の愛のメモリーも、カレーの味のメモリーも完全に喪失したため、
せめて味のメモリーだけでも取り戻すべく、久しぶりに訪問してみた。

チキン・ベジタブル1,050円 ・辛さ4番(ほとんど辛みなし)
ouchi/チキンベジタブル 
完全トマトベースの酸味のあるカレーだった。
カレーではなく、カレー味のトマトスープのようだった。
これはカレーなのか?と疑念が渦巻くとともに、
奥行きがない、というか、物足りない感じで、
カレーを食べた気がしなかった。

具は、それぞれに味があまりしなかった。
特にチキンは、揚げてあるタイプなのだが、鶏の旨みが抜けきっていた。
唯一、味が強かったのがタマネギ。
タマネギがスープの中に容赦なく入っている。
食べても食べても減った気がしなかった。
しかも、シャキっとした歯ごたえが残るくらい、生テイストになっている。
トマト味に生テイストはきつかった。

ところが店は盛況だった。
訪問したのは平日の午後8時30分頃だったが、少しして満席になった。
7:3で女性客が多く、女性ひとり客もいた。
トマト系あっさり味+タマネギの支持者は多くいるということだ。
事実、何年も店が続いていることも、それを物語っている。

なお、カレーを運ぶ店員の女性は、
万人が認める美人とは言わないが、
一部には強烈に支持されるであろうフェイスと、
妙になまめかしくも愛嬌のあるトランジスタ・グラマラス・ボディを
もっている。
極端に言えば、この店は、「トマト系あっさり味+タマネギ」を除けば、
全てがオッケイオーライである。

「トマト系あっさり味+タマネギ」は完全に好みの問題である。
この味が苦手なオレが悪いのさ、そけだけのことさ、で済む話である。
ただ、思い返してみても、強さと決め手がない味だったような気がする。
正直、自宅でも作れるかもと思ってしまった。
だから、「オウチ」という店名にしているわけでもないだろうが。
なまめかしくも愛嬌のあるジョカノを、もう一度みたい気もする。
ただ、トマト+タマネギじゃなあ…。
彼女のボディ同様、悩ましい。
あると思います。

■てら家中央店(札幌市中央区南8条西15丁目・電車通沿い)
6、7年前だろうか。
白石区に、この店がオープンした頃に一度訪問した。

今年2月、行こうとした店が、
スープなくなりましたクローズをしていた。
失意のまま、電車通り西線を北上していると、不意に「てら家」を発見。
ここにも支店があるのか?と思いつつ、
しばらく食べておらず、またしても愛のメモリー、味のメモリー双方とも
完全にロストしていたため、なんとなく入店した。

チキン・ベジタブル950円 ・辛さ「火」(激辛)(もっと辛くてよい)
てら家/チキン 
表面に油の膜があり、なんとなくアジャンタのカレーのテイストに近い。
いわば、アジャンタよりスパイシーさをマイナスし、
コクをプラスしたようなスープである。
ところが、残念ながら、スープが重たく、すっきり感がない。
また、味のポイント、というか軸が見えない。
下地は悪くないのだが、伝わってこないのである。

具もそれぞれ欠点はない。
むしろ個々にきちんとしていると思う。
しかし、それらの具が、器の中でスープと出会うと、
一枚岩になっていない感じで、迫るものがないのである。
パーツは決して悪くない。
しかし、パーツ同士による相乗効果がないのだ。
パーツの足し算をしているだけで、掛け算が発生しないカレーなのだ。

この印象は、いくつかの対応や雰囲気も影響している。
例えば、スープカレー屋には珍しく、
水はコップ1杯のみがオン・ザ・テーブルで、
おかわりの水は、言わなければ持ってきてくれない。

メニュー表には、「卓上のスパイスで辛さの調整を」と書いてありながら、
卓上スパイスなど、どこにもありゃしない。
他のテーブルを見ても、どこにもありゃしない。
卓上スパイスを頼むと、「えっ、スパイスいるの?」的フェイスで
対応された。
水といい、スパイスといい、こちらが悪い人かのような気分にさせられた。

また、駐車スペースは3台分あるが、
雪かきがなおざりで、2台分しかない。
しかも、1台分は店の軽自動車が駐められているため、
事実上1台分しかない。
こうしたことが、いちいちしっくりこなかった。
終始、ボタンの掛け違い状態だった。

また、女性店員の愛想の無さも痛かった。
ノー・スマイル運動を展開中なのかと思った。
トッピングに「笑顔」というものがあったら、
お金を払ってでも追加注文したと思う。

根本的にはしっかりとした作りをしており、カレーの見た目もいい。
華やかさも本格さもあり、食欲が湧くはずだ、ノーマルな心ならば。
それだけに惜しいような残念なような気がする。
酷評ばかりで申し訳ないですが。

■カレマニアン(札幌市中央区南10条西14丁目・電車通沿い)
かなりルーカレーに近い、とろ味の強いカレー。
試しに、ライスの上にかけてみると、
ライスにスープが染みこまず、ルーカレーとさほど変わりない。
そして、スープは相当に甘みが強い。
タマネギをふんだんに使っているのだろう。

ただ、スープは甘く濃いのだが、深くはなかった。
そのせいか、途中から飽き気分になった。
野菜類も、手がかかっているのはわかるが、
油を使いすぎなのか、素材の味が消されているような印象を持った。
特に、いもとナスの油の多さには辟易した。

しかし、チキンは非常に美味しかった。
そして、一番美味しかったのが、ライスである。
ライス自体にきちんと甘みがあり、堅さも完璧。
おかずなしで食べられるレベルのライスだった。

なお、ここを訪問したのは、昨年の12月の初め。
店内はとにかく寒かった。
カレーへの集中力を明らかに低下させる寒さだった。
店内にいた他の客に、暖房経費増額の署名を依頼しそうになったほどだ。
組合を結成して、団体交渉しようかと考えたほどだ。

また、店内は薄暗かった。
それが店のコンセプトであり、生きざまかもしれないので、
薄暗さに関しては沈黙を保ち、カレーの写真を撮っていたら、
店の方が、その時だけ照明をパワーアップしてくれた。
お礼を言い、再度、撮影する。
それでも、写真はこの出来である。

チキン・ベジタブル(料金、辛さともメモをとらず全く覚えていない)
カレーマニアン 
とろ味が強く、甘コク・テイストが好きな方であれば、
支持者は多くいると思う。
私は、サラサラ旨み系好きであり、
このカレーの野菜対応に疑問符がつくが、
チキンとライスは、相当いけるので、
個々の調整と全体バランスの見直しにより、大化けしそうな気はする。

■KING(札幌市豊平区平岸3条16丁目)
平岸街道を走ると、いつも目に入り、気になっていた店。
南平岸から澄川へ向かい、坂を登り始めるところに存在するが、
駐車スペースがなさそうに見える上に、
後戻りできないような細い道の前にあるため、
ふらっと立ち寄れないポジショニングがネックとなり、
見送るだけの存在になっていた。

メニュー表には、次のとおり、スープの説明がされていた。
「鳥ガラ、ゲンコツを2日間じっくりコトコト煮込み、
 香味野菜を加えたコクスープと、
 昆布、煮干、かつお節を贅沢に使った和風ダシの旨みスープのWスープを
 ユズと黒酢でさっぱり仕上げた自慢のスープです」

チキン900円 ・辛さ9番+100円(もう少し辛くしたいが、辛さ料金アップがネック)
キング/チキン 
これは美味しかった。
達成感のあるカレーだった。
旨みがキャッチーであるため、一口目から美味しい。
コクもしつこさがなく、旨みとのバランスがいいため、
深みがあるのにさっぱりした感じで、最後まで美味しく食べられた。

和風ダシは、食べていて感じたが、
香味野菜、ユズ、黒酢は、「言われて見ればなんとなく」程度だった。
だからこそいいのだ。
隠し味は、隠れてこその存在感の方が、全体がまとまり引き締まる。

具も美味しかった。
チキンは、揚げタイプには珍しく肉が柔らかく、しかも味が抜けていない。
ウズラの玉子まで美味しかった。
ライスも文句なし。堅めなのに、適度にもちもち感があり、
トップクラスの出来。

しっかりとした味つけながら、飽きることなく、重くなることなく、
また、量的にも丁度いい。
そうした満足度合いが、胃袋的にも心の面でも丁度良かった。
注文からカレーが出てくるまでの時間が短いのも好印象。
とりあえず、今年食べたスープカレーの中では、
店名どおり、キング的ポジションにある。

辛さの段階は0番から10番。
それより先は、ジャック、クイーン、キング、ジョーカーと段階が上がる。
つまり、トランプである。
店名の「キング」も、トランプから取ったものだろうか。
それに気づいた途端、
店の人は皆、ポーカーフェイスのような気がしてきた。
そういうわけで、今回はこれで、ページワン・ストップです。

で、終わりたいところだが、ひとつ書き忘れていた。
クグエ辞典における「トマト味はタマネギを苦くする」とは、
交際する人を間違えると、いいところは消され、
悪いところばかりが目立つようになることの例えだと書いたが、
これによって藤原紀香氏を想像する方はいないだろう。
残念ながらイメージされるのは、玉置浩二氏のような気がする。


テーマ:北海道のグルメ - ジャンル:グルメ


今日、ワールド・ベースボール・クラシックの決勝戦が行われ、
ジャパンが勝利し、世界一の座についた。

私は、この試合を見るために、有給休暇を取得した。
試合は午前10時30分からだった。
微妙な時刻である。
職場にいると、前半と終盤が見られない。
昼休み45分間にテレビを見ることができるのは、
試合の中盤から後半にかけての一部分である。

序盤はあきらめ、昼休みから引き続き1時間だけ仕事を
休もうかとも考えたが、
職場からテレビのあるところに移動する間に、
重要なシーンがあるかもしれない。
もしかしたら、ゲームセットをしてしまうかもしれない。
また、序盤で試合を決めてしまう決定的場面があったとしたら、
それ以降は、義務的に消化するだけの状況になる。

そういうことでは済まされない。
なにせ野球世界一が決まるのである。
たかが野球、されどWBCである。
スポーツこそ、リアルタイムで見なければ感動と興奮を得られない。
そこで、24日朝から試合終了まで、有給休暇を取ることにした。
ただ、試合が終了してから職場に行ったのが、私の器の小ささでもある。
ちなみに同僚、中村NBRは、迷いもなく丸一日休んだ。

引き締まったいい試合だった。
手に汗にぎる、予断を許さない緊張感のある展開だった。
その要因は岩隈氏のナイス・ピッチングであり、
日本の決定力の無さも逆に盛り上げた。
終始、日本が押し気味の展開だった。
ところが、チャンスメイクは多いものの、最終的には得点に結びつかない。
つまり、肝心なところでヒットが出ず、残塁のマウンテンだった。
完全な負けパターンである。
韓国が数少ないチャンスを生かして、一気にひっくり返すのだろうと
思って見ていた。

まず、栗原選手の先発起用に大疑問だった。
先発出場はまだいいとしても、1打席目の三振を見たら、
明らかに無理があるのを感じた。
にもかかわらず、2打席目、1アウト満塁の場面でも変えなかった。
2打席目の最初の空振りの後、完全に目が泳いでいた。
ここからでもいいから変えろ!と思った。
そして、結果ダブルプレーにきってとられた。
このシーンを見て、負けムードの明確な始まりを感じた。
栗原小巻を打席に立たせた方がまだましだった。
小巻なら、三振でアウトをひとつにとどめたか、
あわよくば四球(死球)で、押し出しで点を取れたのだから。
なんで、広島の栗原ではなく、栗原小巻を追加招集しなかったのかと、
取り返しのつかない人選をしたと口惜しかった。

9回裏の日本の投手交替で、負けを確信した。
絶好調の杉内投手がマウンドに上がったのに、
代打で右打者が出てきたことにより、
投げないまま、ダルビーに交替した場面である。
流れに逆らうようで、非常に嫌な予感がした。
正直、逆転されなかったのがラッキーだと思った。

10回表に2点をとってからも、ダルビーが不安で、
小松辰雄が現役だったらと、心底思っていた。
北別府か、鈴木孝政が25歳若かったらと悔やんだ。
また、鶴岡(日ハムの捕手)を呼べ!とも心で叫んでいた。

気のせいかもしれないが、韓国に気迫が感じられなかった。
日本に勝って、マウンドに国旗を立てた試合がピークで、
準決勝は大味な試合となり、
決勝は、それまでの貯金で試合をしているようで、老後か?と思えた。
その意味では、今日の試合にピークがきた日本の勝ちなのだろう。

表向きは、引き締まったいい試合で、興奮も感動もあったのは事実。
しかし、裏を返せば、日本の決め手の無さと韓国の燃え尽き症候群が、
バランス良く作用した側面もあった。

などと苦言を呈したが、世界一を勝ち取ったのは素晴らしい。
すごく楽しませてもらった。
選手の皆さんにお疲れさんであり、敬意を表したい。
MVPは松坂大輔投手で、それはそれで納得だが、
岩隈、杉内、内川、青木選手など、要所で非常にいい働きをした。
内川選手は、あごが出過ぎているせいで、かみ合わせが悪く、
それが視力低下を招き、なかなか一軍で活躍ができなかった過去が
あることも知った。
そして、なんといっても、今大会のジャパンにおける最高の名言は、
「ベンチにいる時から試合に出ていた」の川崎選手だろう。

延長10回のイチローの打席は見応えがあった。
イチローの目つき、顔つきが、これまでの打席とは違った。
韓国側は、際どいところに投げて、結果歩かせてもいい、
という方針だったのだろう。
ところがイチローは、見逃せばボールになる球まで全てファールにした。
そうなると、投手は投げる球がなくなる。
まさに、イチローが粘って引き寄せた1球だった。

ところで、「侍ジャパン」というのには、ずっと違和感があった。
とかくメディアは、男子ブロ・スポーツに関しては、
武士的なキャッチ・フレーズをつけたがる。
私の持つ武士感は、(暴力団+(警察官+自衛隊))÷2である。
よって、全くいい印象はない。関わりたくない。
どうもメディアは、侍や武士を美化しすぎな気がしてならない。
今、日本のプロ野球選手を侍ジャパンと称することは、
200年後のドイツのサッカー選手が、
ナチス・ドイツと称されるのと、大して変わらないような気がする。

ところが、原辰徳監督はビールかけの前に、
「お前さん達、ほんとに強い侍になった!」と声を張り上げた。
侍と呼ばれることに抵抗がなく、
ナチュラルに「お前さん達」と言ってしまう、
そうした、あっけらかんとした人が監督だから、うまくいったのだろうと、
妙に納得した。
それにしても、楽しませていただいた。
昼休みだけテレビ観戦をし、インターネットで結果を知る状況では、
喜びも楽しさも90%OFFだっだろう。
日本チームも万歳だが、有給休暇バンザイでもあった。


テーマ:WBC - ジャンル:スポーツ


イギリスのロックバンド、オアシスの
JAPAN TOUR 2009 札幌公演に行ってきた。

3月20日から22日の3連休は、「弛緩ホリデー」と名付けて、
だらだらと過ごした。
面倒くさいことは後回しにした。
何かに向かって意識を強くし、
緊張感を持って、ひたむきにやることは大切だ。
しかし、心身のバランス上、だらだらすることも必要だ。
そこで、ひたむきにだらだらしてみた。

その影響からか今日も、オアシス・ライブの開演3時間前である15時頃、
どうしようもなく昼寝をしたくなり、
目覚まし時計をセットして1時間眠った。
それくらい、ライブに対するテンションは上がらず、
普通に飲みに行くような感覚で、会場へ向かった。

090322オアシス入口1 
会場に着いたのは、開演の20分前。
会場に入っても、特に気持ちの高ぶりはなかった。
席は、スタンド席の後ろの方で、ステージからは遠かったものの、
肉眼でメーンバーの全身を見られることに安堵した。
むしろ、アリーナ席は平らなので、
メンバーの顔しか見えないんだろうなと、勝手に気の毒に思った。

メンバーがステージに登場してもなお、興奮しなかった。
「ほんとに本人か?」と、この期に及んで疑っていた。
1曲目は、ファースト・アルバムの1曲目に収録されている、
「ロックンロール・スター」だった。
いきなりこの曲をやったか!という驚きや、
ほんとにオアシスが札幌に来たんだな、という感慨はあったが、
妙にリアリティがなかった。

しかし、ライブには徐々に引き込まれた。
まず選曲が素晴らしかった。
基本的にヒット・パレードだった。
オアシスのベスト盤に収録されている曲を中心にして、
ところどころ、昨年リリースした最新アルバムの曲を
絡めるような
選曲で、わからない曲はひとつもなかった。
「リヴ・フォーエバー」と「サム・マイト・セイ」以外は、
オアシス・スタンダードは全部やったと言っていいだろう。
これこそファン・サービスである。


今回、生で見て、強烈に気づいたのが、
オアシスの曲は、曲の始まりのワン・フレーズで、
どの曲か、すぐに判別がつくことだった。
今まであまり気にしなかったが、
実にキャッチーで特徴的な始まり方をする曲ばかりである。
つまり、超ウルトラ・イントロ・クイズ向きだということだ。

ライブ自体も良かった。
奇をてらわず、リラックスした感じで、
そのままのオアシスを見られた気がした。
これを、「気合い不足」、「いまいちのテンション」と評価する人が
いるかもしれない。
しかし、客を煽らず、客に無闇にノリを求めず、
プレイ集中、曲勝負というスタイルがすごく良かった。
というか、私はこういうスタイルのバントが好きなのだ。

ボーカルのリアム・ギャラガーは、
これまでDVDで見てきたそのまんまだった。
後ろに手を回して歌い、間奏中は仁王立ち。
この仁尾立ちも絵になっていた。
それを見ていたら、オアシスを生で見られた喜びが湧いてきた。
オアシスは、ギターのノエル・ギャラガー仕切りのバンドであることは
否定しないが、やっぱりリアム・ギャラガーの存在感あっての
オアシスだと改めて思った。

ノエル・ギャラガーも、バックステージでのビックマウスが
嘘のように、ステージ上では至って慎ましく、
謙虚に、そして淡々とプレイしていた。
そして、もうひとりのギターのゲムがカッコ良かった。
DVDを見ていて、ギターの弾き方がいいなと思っていたが、
実物も派手さはないが、ノリ方がイカしていた。
私がソロ・アルバムをリリースできるとして、
何の条件もなくギタリストを選べるなら、ゲムにするだろう。
この人のギターを弾く姿と、リズム・ギターの堅実さは素晴らしい。

↓開演前に席から撮影(係員了承済)。ライブ中に撮影する最悪・最低人間も結構いた。
  印象としては100人に1人が撮っていた気が。もう全てのライブに来るな!
090322開演前 
MCでは、「こんにちは」と「ありがとう」という日本語は出たものの、
それ以外は、全て英語だった。
「FIRST TIME」と「IN SAPPORO」を
続けて喋っていたあたりは、なんなとく理解でき、客も盛り上がったが、
それ以外は、全く理解できなかった。
そんな中、自分の少し後ろの席で、こんな会話が聞こえてきた。
「今、なんて喋ったんだ?」
「花畑牧場は、札幌から遠いのか?って言ったような気がする。
 “ハナバタケ”って聞こえたもん」
「ノエルも生キャラメル食べるのか」
「北海道に来たから、スマッシュ(今回のライブの興業会社)が、
 食べさせたんじゃないの」
「でも、わざわざMCで言うか」
「すごく美味しかったんじゃないの」

客層は、30代が最も多かった気がする。
20代後半と40代が同じくらいだろうか。
意外だったのは、女性がそれなりに多かったこと。
男女比は、6:4くらいに思えた。

選曲が良かったことを前記したが、
やはり、オアシスは曲自体が良い。
メロディが、私の感覚にしっくりくるのだ。
メロディへの言葉にのせるリズムもしっくりくるのだ。
だから、英語はわからなくとも、なんとなく口ずさめるのだ。
そうした曲自体の持つパワーやクオリティの高さを強く感じた。

ライブが終わった後の帰り道、車の中でオアシスを聴いた。
ライブ前は一切聴かなかったのに、
ライブが終わったらすぐに聴きたくなった。
そして、今、この記事を書きながらも聴いている。

ライブは、2時間弱だった。
私の目から見たベスト・アクトは、
「モーニング・グローリー」と「ホワットエヴァー」だろうか。
「シャンペン・スーパーノヴァ」も良かった。
ライブ前はテンションが上がらなかったが、
見ているうちに、じわじわと効いてきた。
ライブを観に行くと、なんとなくだれる時間帯があるものだが、
オアシスに関しては、全くそういうのがなく、
ずっとステージに惹きつけられた。
終わる時は、もっと観たい気がした。
物足りなかったわけではない。
純粋にオアシスっていいバンドだな再認識し、
まだ観ていたいと思ったのだ。

このライブを観たことによって、明日から何かが変わるわけではない。
しかし、オアシスのファンで良かった。
そして、おそらく最初で最後の可能性が高い札幌公演に
参加できたことを非常に嬉しく思う。
札幌まで来てくれたオアシスのメンバーにも感謝である。
ひとつだけ残った疑問は、
オアシスのメンバーが、生キャラメルを食べたかどうかだ。


テーマ:LIVE、イベント - ジャンル:音楽


3月22日に、イギリスのロックバンド、オアシスの
札幌公演を見に行ってくる。
もう3日後である。
ところが、全くワクワクするものがない。

待ちに待った楽しみなイベントというより、
関わりの浅い職場関係者の結婚披露宴に行くような、
実家に夏タイヤを取りに行くような、
髪が伸びたのでカットしにいくような、
そんな義務的感覚に近い。

まず、オアシスが札幌に来ることの現実感がない。
また、実際ライブをやったとしても、肉眼で見ることはままならず、
巨大ヴィジョンを見るだけに終わるのではないか。
そもそも席は、ステージの真横や真後ろなのではないかなど、
ネガティヴ発想しかできない。

おそらく、こんな気持ちのまま当日を迎え、
こんな気持ちのまま真駒内セキスイハイム・アイスアリーナまで
行ってしまうだろう。
正直、オアシスのライブのことより、
ライブの後、どこで何を食べてかばかり考えている。

しかし、本物を見たら、間違いなく興奮するはずだ。
とはいえ、少なくとも1か月はオアシスの曲を聴いていない。
じゃあ何を聴いていたのかと聞かれれば、
以下のとおりです、と答えます。

■キングス・オブ・レオン「ONLY BY THE NIGHT」
KINGS OF LEON/ONLY BY THE NIGHT 
キングス・オブ・レオンは、アメリカの4人組バンド。

この作品は、2008年9月にリリースされた、彼らの4作目である。

前回のCDレヴュー(2009年2月9日)の際、
レーザーライトのアルバムを買いに行ったのに、それを買わずに、
偶然目にしたブルース・スプリングスティーンのアルバムをバイ。
結果、失敗だった、という記事を書いた。

それから2週間後、再度、レーザーライトのアルバムを買いに
タワーレコードへ。
レーザーライトのアルバムを手に取る。
ところが、どういうわけか、レジに持っていくパッションにならない。
そしてその後、なんとなく別のアルバムを見ているうちに
買ってしまったのが、このキングス・オブ・レオンのアルバムである。

アルバムを買おうと思い、何度か店に行き、手に取る。
しかし、レジに足が向かない。
それを買おうと思って来たのに、レジに行けない。
そうした縁のないアルバムがあるものである。
そして、買う予定のなかったアルバムを買ってしまう。
これが運命というものだろう。
我々の日常生活においても、
こうした巡り合わせやタイミングの妙があるものだ。

このアルバムは「当たり」だった。すごく良い。
ロック偏差値の高い人が作ったサウンドという感じ。
ひとつひとつの音がクリアに聴こえ、芯が強く、突き抜けて聴こえる。
メロディやアレンジ以前に、音の良さに圧倒される。

最小限の楽器で、うるさくやっているわけではないのに、
大きなサウンドに聴こえるところもハートを揺さぶった。
例えるなら、U2やアーケイド・ファイアに近い印象を持った。

歌メロは決してキャッチーではないのだが、
ボーカルのスモーキーな声と、若いのに味のある歌い方が、
サウンドといい具合に絡まり、独特のグルーヴ感を生んでいる。

サウンドのダイナミックさとグルーヴがありながら、
一言で言えば、「IT‘S SO COOL」である。
彼らの過去の作品も聴いてみたくなるほど、「当たり」だった。
また、メンバーが皆、長髪、ヒゲ面で、ちょっとイケてない感じもGOOD。

■MGMT「オラキュラー・スペクタキュラー」
MGMT「オラキュラー・スペクタキュラー」 
アメリカの男性2人組ユニット「MGMT」が、

2008年にリリースしたデビュー作。
日本のロック月刊誌「クロスビート」誌では、
2008年にリリースされた洋楽アルバムの第1位に、
同じく「ロッキン・オン」誌では第14位にランクした作品である。

そのことを知るまで、存在すら知らなかったユニットだが、
聴いてみると、これが悪くない。
基本的にはシンセサイザーを駆使したポップなサウンドで、
ちょっとサイケで、アートロックな雰囲気もある。
私の音楽性とは異なるタイプなのだが、
なんとなく音楽が欲しい時の良きBGMになりそうである。
特に、暖かい時期のシーサイド・ロードをドライブするのに
合っているかもしれない。

歌詞やメロディより、サウンドづくりに
重点を置いたような印象を持った。
歌は楽器の一部だと割り切っているように思える。
実際、様々な機械的な楽器が複雑に使われている。
ところが、意外にすっきりと聴けるような仕上がりである。
複雑に作り込まれているが、届け方はシンプルなのである。
これがいい具合に作用した。
入口を広くして、中に入る抵抗感を小さくした。
そして、中に入ってみると、外側からは見えなかった奥行きを感じた。

このことは、コミュニケーションの基本でもある。
特に、上司としてあるべき姿である。
間口を広げ、まず部下の声に耳を傾けることが大切である。
ただ、間口は広いものの、自分の意見しか言わず、
しかも、それを押し通すことしかしない人も多いので注意せよ。
間口が狭いにもかかわらず、部下にかまわれないと、
いじけたり、愚痴る上司も多いので同様に注意すべし。
そして問題は、そうした上司が、そういう状態にあることを
自覚しているかどうかである。

こうした上司の根底にあるのは、「寂しさ」と「威厳」なのだろう。
それはわかる。
職場のみならず、家庭においても、そういう父親はいるだろう。
結局は自分発信の目線でしか周囲を見られないのである。
組織や家族の全体を上から見て、
自分の位置を考えることができないのだ。
「それぐらいわかってやれば」と申す方もいるだろう。
それもわかる。
だから、あきらめて、割り切って、それなりに対応する。
でも、面倒くさいっすよね。どうすか、皆さん。

■ユニコーン「シャンブル」
ユニコーン/シャンブル 
16年ぶりに再結成したユニコーンが、先日リリースしたアルバム。

メンバー全員それぞれが作詞・作曲を担当し、
それぞれがボーカルもやっている。

そもそも、解散前のユニコーンには全く興味がなかった。
奥田民生も、さほど気になる存在ではなかった。
きっかけは、奥田民生のセカンド・シングル「息子」を、
ミュージック・ステーションで見て感動したことである。
それ以降は、アルバムがリリースされればバイしている。
彼のライブも結構な頻度で見ている。

ユニコーンが終わって、奥田民生の凄さを知り、
ユニコーンを知らずに、僕等は大人になった。
大人になった今、私のユニコーン感は16年前とは違う。
奥田氏は超ロック化し、他のユニ・メンバーも
年齢を重ねたことにより、大人のロックぶりを見られる気がした。
そのため、これまでとは違った肌触りで、
新しいユニコーンを感じられるのではないかと大きな期待を持って聴いた。

メンバーそれぞれが作詞・作曲・ボーカルを担当することで、
あるアーチストのアルバムというより、
何組かのアーチストによるコンビネーション・アルバムのように感じた。
企画モノの色合いが濃く、軸を感じなかった、というのが率直な感想。
全体としてポップである。
それぞれの曲がユニークであり、お遊び感もあり、演奏も上手い。
しかし、そうした企画モノ的ポップ感が、私のセンスとは違うのかなと。
それがユニコーンというバンドの特徴かもしれないが。

最も印象に残ったのは、奥田民生のボーカルの格の違いである。
声の通りが違う、厚みが違う、器が違う。
彼も力を抜いて、この企画にのっかっちゃえ的に
軽いタッチで楽しんでいる感じがするが、
実は武骨で渋いボーカリストであることを再認識した。
なによりすごいのが、ぱっとしない曲でも、
彼が歌うと、いい曲に聞こえてしまうことである。

正直、奥田民生ボーカル以外の曲は、ぐっとくるものがなかった。
また、メンバーのうち、阿部義晴という人の歌い方が、
奥田民生の物まねのように聞こえて、非常に気になった。
ただ、評価が辛いのは、期待が大きかったことによる反動ともいえる。
解散前からのファンにとっては、たまらないものがあるのだろう。

■モリッシー「YEARS OF REFUSAL」
モリッシー「YEARS OF REFUSAL」 
イギリスのロック・ミュージシャン、モリッシーの3年ぶりの新作。

今年で50歳になるモリッシーだが、
年齢を重ねても青っぽい雰囲気があり、よれっとした歌唱と相まって、
私の中では、つかみどころのないアーチストであった。

ところが、この作品は、明らかにロック・アルバムだった。
特に前半の数曲は、現代のUK若手バンドのデビュー作かのような
勢いと意気込みを感じた。
バックバンドも若手を揃え、ぐいぐい押してくるサウンドになっている。
この明らかなロック化に、多少戸惑った。
しかし、好意的な戸惑いである。
勢いがありつつも、メランコリックなメロディは健在で、
タイトで安定した良質の大人のロックである。

そして、サウンド音楽よりも戸惑ったのが、ジャケットの写真のとおり、
どういうわけかボディが逞しくなっていること。
繊細でなよっとした印象が強かっただけに、
あえて小さめのシャツを着て、
はちきれそうなボディに見せているのが不思議である。
ただ、シャツのメーカーがフレッドペリーなのは、
イギリス愛があって良い。


私のロック知人・スミス西野氏は、この作品を絶賛している。
そもそも、「スミス西野」という名称は、
モリッシーが80年代に率いたバンド「ザ・スミス」に由来する。
それほどに、彼はモリッシー・ミュージックへの造詣が深い。

スミス西野氏の絶賛ぶりは次のコメントのとおり。
「このアルバムをバイして、早速リスンしたんですけど、
 今年のアルバム1位は、3月にして決定してしまいました。

 この先いかなるアーチストの作品が発表されようと、
 1位はモリッシーで不動ですね。
 今年の残り9か月半は消化試合みたいなものですよ。
 唯一、このアルバムを脅かす存在があるとしたら、
 モリッシーが年内にもう1枚アルバムをリリースした場合だけですね。

 モリッシーを超えるのはモリッシーしかいないでしょう」

さらにスミス西野氏は、昨年12月にイギリス限定でリリースされた、
ザ・スミスのシングル・レコードのBOXセットをバイしている。
レコード・プレーヤーを持っていないにもかかわらず、
シングル・レコードの、しかもBOXセットをバイしたのだ。
もはや彼にとっては、聴くことより、
保有することがステイタスであり、モリッシーへの敬愛なのだろう。
そんな彼の盲目的な大人バイぶりと、狂信的なワンフーぶりは、
この時期、何かといえば人事の話題しかしない、つまらない大人とは
完全に一線を画すソウルである。
イカシてるぜ、スミス!
職場でロック談義ができないもどかしさを抱えている奴は多いぜ。
おいらもその一人さ。

でも、職場でロック談義ができない状況こそロックだと思うぜ!
そうだろ?

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私の職場はビルの5階にある。
エレベータが苦手な私は、5階までの上り下りに階段を使う。
エレベータを使うのは、誰かと付き合いで乗る時だけである。
一人の場合は、滅多に乗らない。
荷物が多い時と、よっぽど具合の悪い時だけである。

階段は南側と北側の2か所ある。
南側の階段を上る時は右回り、
北側の階段を上る時は左回りである。
そこで、ずっと気になっていることがある。
どういうわけか、ほとんどの人は、
右回りの時は階段を内側を歩き、
左回りの時は階段の外側を歩いている。

私は、上りは内側、下りは外側を歩くクセがある。
そのため、この変なルールとかみ合わず、
階段の途中で、立ち往生し合うことが少なくない。
例えば私が、左回りで階段を上っているとする。
私は階段の内側を歩いている。
上から下りてくる人は右回りで、
この人もまた階段の内側を歩いている。
お互い内側で、立ち止まる。
ところが、どちらも道を譲らない。
「上り優先じゃないのか?」と思いつつ譲ると、
舌打ちをしていく男もいる。
そういう人に限って口臭がきつい。

右回りは内側を歩き、左回りは外側を歩くというのは、
一般的なルールなのか?
つまり、階段は右側通行というルールがあるのか?
下から上ってくる人が見えている下りの人が
よけるのが普通じゃないのかと思うが、その考えは誤りなのか。
どなたか、この真相についてご意見をいただければと思う。

ところで、なぜ私はエレベータが苦手かというと、
知らない人と、あの狭い空間にいるのがストレスなのだ。
混雑している時の、人に触れられない緊張感や、
なにがしかの不快な匂いが充満するのが辛いのだ。
それらのせいで、軽く船酔いしたような感覚になり、
気持ち悪くなるのだ。

今回は、本の紹介である。
まずは、エレベータ以上に気持ち悪くなった作品を紹介したい。

■平山夢明「独白するユニバーサル横メルカトル」

平山夢明/独白するユニバーサル横メルカトル 
日本推理作家協会賞を受賞した表題作を含め、
8つの作品を集めた短編集。
2006年の作品を対象にした「このミステリがすごい!」においても
第1位を獲得。
ならば読んでみよう、ということで、予備知識もないまま臨んだ。

第一印象は、とにかく気持ち悪かった。
事前情報をまるで得なかった自分を悔やんだ。
なにせ短編の最初の作品が、死んだ人間の肉を食べる男の話。
本を持つ手に力が入らなくなり、中断しながら読んだ。
その後の作品は読み応えのあるミステリかと思いきや、
殺害や死体切断シーンの多い作品の連続。
しかもリアルすぎて、読んでいるだけで腐臭が漂ってくるような
嫌悪感や不快感をおぼえた。

完全に読み手を選ぶ作品である。
拒絶度が高く、好き嫌いがはっきり分かれるだろう。
ところが、気持ち悪さを除けば、けっこう面白いのだ。
場面設定や人物設定など、読み手へのイメージのさせ方が上手い。
話を展開させるタイミングも良く、展開の方向が巧みである。
よって、わかりやすく、興味を持って物語の中に入っていけるのだ。

そして、この作品の最大のポイントは、美しさがあることである。
残酷さや裏切りが漂うのに、その中に純粋さと誇りのようなものが見えて、
どことなく気高く美しいのだ。
初期のブランキー・ジェット・シティの歌詞のようである。
「絶望という名の地下鉄」や「D.I.Jのピストル」にあるような、
狂気の中のロマンシズムがある。

また、言葉の使い方や世界観、想像の方向性などは、なかなか魅力的。
洋画にありそうなクール&ダンディな雰囲気を醸し出し、
ハード・ボイルドっぽくもあり、ウィットに富んだ会話もある。
ミステリ的なトリックはないものの、オチはきちんとある。
気持ち悪さを除けば、スピーディに読んでしまえる面白さがある。
特に後半の4作品は、もう一度読んでもいいかと思える。

トマトケチャップという名の血で染められたオムライスを、
ナイフやフォークという名の凶器で切り刻むような作品だが、
実はチキンライス部分には旨みがあり、
玉子のふわふわ具合とのバランスも絶妙である。
賛否は分かれるだろうが、私は、ありかなと思えた。

■角田光代「ロック母」
角田光代/ロック母 

1992年から2007年の間に執筆した短編7作品をまとめた作品。
表題の「ロック母」は、「ロックはは」と読む。
出産のために、故郷の瀬戸内の島に帰ってくると、
実家の母は、ニルヴァーナのCD、「ネバーマインド」を
大音量で聴く母に変貌していた、という内容であることから、
ずっと読んでみたいと思っていた作品である。

率直な感想は、浅かったかなと。
こちらの心をえぐる以前に、心に届かなかった感じである。
ニルヴァーナのCDは、
娘が島で生活していた高校時代に聴いていたもの。

それから10年以上経った今、母が聴きまくっているのだが、
なぜ、そうなったのかが漠然としていた。
また、決してニルヴァーナを熱く語っている作品ではないので、
ロック・テイストを期待して読むと、がっかりするぞ。

表題作を含め、いずれの作品も、
普通の生活からはみ出てしまった普通の人を描いているといってもいい。
喧嘩ばかりしている両親にうんざりしている娘の壊れ気味の日常、
同性愛者の男性が旅先のバンコクで会った男との話、
家族から見放された父の死に対する本心などである。

いずれの作品も、日常のちょっとしたズレをきっかけに、
それが連鎖して、どうにもならなくなくなる様の描き方は上手い。
状況と気持ちの変化を、丁寧かつテンポ良く書いている。
特に、「イリの結婚式」という作品における、
ハムスターをきっかけに婚約を解消した経過は見事である。
会話における「嫌な、あの雰囲気」みたいなものが見えるようである。

ところが残念ながら、ドラマ性に乏しく、大して面白くない。
共感するにも至らない。
まず、ストーリーの導入部分が、もやっとしており、
なんとなくつかみどころがないまま、淡々と進んでいく。
はみ出た人、壊れた人の「救い」の部分もわかりにくかった。
この話を作品にする必要があったのか?と思えるものもあった。

ところで私は、ほとんどストーリーや心理描写に影響しないのに、
無駄に性交渉場面が描かれる作品は、どうも苦手である。
特に、吉本ばななの作品のように、
あっけらかんと普通のことのように持ち出すのが嫌なのだ。
「昨日は、久しぶりに恋人の○○に会った。
 話すこともなくなったので、セックスして、ぼうっとしていた」
みたいな場合である。
セックスがもったいないのだろって。
セックスの無駄遣いをするな!と、吉本に言ってやりたい。
感覚の違いだから仕方ないが、どうにも
やりきれない気持ちになる。

「ロック母」のひとつめに掲載されている「ゆうべの神様」という短編は、
まさにその典型だった。
展開上、特別必要もないのに、高校生同士の性交渉場面を
ところどころに入れてきた。
それが、オチにつながる、その高校生の心の闇を見えにくくした
気がしてならない。


全体を通して見ると、家族や仕事相手などとの不協和ぶりを、
うまく描いたと評価する方も間違いなくいると思うので紹介したが、
私には、リリースに至らなかった未発表作の寄せ集めのような気がして、
達成感に乏しかった。

■松本清張「点と線」
松本清張/点と線 

初めて松本清張の作品を読んだ。
松本清張を読んでみようと思った特別な理由はない。
なんとなく立ち寄った「ブック・オフ」で、
この有名作品が105円で売られていたので、
なんとなく買っただけである。

福岡の海岸で男女の死体が発見された。
男は高級官僚、女は小料理屋の女中だった。
心中自殺として処理されたが、これに疑問を持った福岡と東京の
二人の刑事が真相を解明する話である。

事件の発生から、解明に至るまで、
順を追って描いているため、非常にわかりやすい。
刑事は捜査の壁にぶち当たるも、ひとつずつ解決していく様が、
読者を置いていくことなく、読者と同じスピードで描いている感じがした。
展開は、怪しい人物のアリバイを除々に崩していくという
基本的なパターンながら、
余計な人物は登場せず、登場した人物を皆うまい具合に
関わりを持たせるなど、まとまりのある作品だった。

この作品が出版されたのが昭和33年。約50年前である。
東京から札幌や福岡への連絡手段が電報だったり、
東京から札幌へ行くのに、列車で1日半かかったりという、
当時の社会状況が反映されており、
今読むと、なかなか面白いものである。

「心中」ではなく、「情死」という言葉が使われているのも新鮮だった。

現代の小説と比べてしまうと、スピード感や衝撃に乏しく、
物足りなさはある。
展開がわかりやすい反面、意外性に乏しい。
この順を追った、シンプル展開は、なんとなく
2時間ものサスペンス・ドラマを見ているような感覚にもなった。

とはいえ、しっかりと地に足のついた作品である。
タイトルも、ストーリーの本質を突いており絶妙である。
この作品と並んで、松本清張の代表作とされる「ゼロの焦点」と
「砂の器」も、そのうち読んでみるべきという気持ちになった。

ところで、話をぶり返すようだが、
階段の右回りは内側を歩き、左回りは外側を歩くというのは、
一般的なルールなのか?
右回り優先は、右利き社会の弊害か?
右回りで下ってくる人が、よけてくれない確率は80%くらいだ。
皆さんも試してみていただきたい。
思い返してみると、階段は右回りで上るタイプが
圧倒的に多いような気がする。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌


ライブをやります。
5月30日、土曜日。場所はスピリチュアル・ラウンジ。
詳しくは、今後随時お知らせしていきます。

約6か月ぶりのライブとなる。
今回は、「THE HEART OF STONE」として、
バンド名義で出演する。
THE HEART OF STONEとしてのライブは、
昨年3月と12月に行い、いずれも4人体制で臨んだ。
今回は、4人でいくかどうか正式決定はしていない。
ギター担当のTNKタナカ氏(斜里町在住)の参加が微妙だからだ。
なにぶん札幌からかなり遠い場所に住んでいるため、
なかなかスタジオインをできない事情がある。

そして、今回演奏するのは全て、
2008クグエ・ロックからチョイスする。
初披露の曲もあれば、初のエレクトリックギター・バージョンで披露
する曲もある。
昨年12月のライブ以降、一度も会っていないタナカ氏は、
そうした曲を知らない。そこがネックになっている。

彼がギター・ソロを弾けるかどうかなど、さして問題ではない。
ギター・ソロは、分離可能である。
ギター・ソロのバックの演奏は他の3人がやるという下地がある。
よって、極端に言えば、私が普段弾いているギター・ソロを
コピーして弾けば通用するのだ。

問題は、ギター・ソロ以外の箇所である。
つまりボーカルが入っている箇所や、
私がギター・ソロを弾く場合のバッキングのギターである。
この点で、曲に馴染んでできるか、そして、
他の楽器とバランスがとれるのかがポイントになる。
ここが重要なのだ。
そのために同じ曲を何度も繰り返し、微調整しながら、
本番につなげていくのだ。

090305スタジオ 
次のライブでやりたい曲は、いくつもある。
その中で、4人編成でなければ非常に厳しい曲がある。
「新しいギター」という曲である。
この曲は、昨年4月に、アコースティック・ギターを購入した際、
改めて音楽への目覚めと、私にとっての音楽の有り難みを感じ、
ギターを買ったその日の夜に、8割方作った曲である。
詳細は、2008年4月18日の記事に掲載しているが、
その記事に書いていることが、概ね歌詞になっている。

この曲を作った時は、歌メロと一緒にギター・ソロもできた。
歌メロの延長で、ギター・ソロまで自然と口ずさんでいた。
同時に、ドラム、ベースもイメージできていた。
つまり、歌詞もメロディもアレンジも同時にできたような曲である。

ただ、丸みがあって転がりつつ、はねるリズムの曲であり、
我がバンドが演奏上、最も苦手としているタイプのリズムである。
過去を振り替えっても、この手の曲はボツになることが多かった。
丸くならず、「ため」ができないのだ。
そのため、この曲に取り組む時は、
時間がとれる時に集中的にやろうと温めてきた。

で、この曲が、なにゆえ4人編成でなければ非常に厳しいのかというと、
新しいアコースティック・ギターを手にした時の気持ちを綴った曲である。
その本人である私は、そのギターを持って歌う責任がある。
ところが、アコースティック・ギター1本では、
間奏部分がスカスカになるのだ。
手数の多いギターソロだが、アコースティックギター1本ではもたない。
3人練習の時はエレキ・ギターでやっているが、
アコースティック・ギターがあってこそ、色合いが出る曲である。
果たして、この曲を次のライブで披露することはできるのか。
いい曲なんだけどなぁ。

↓全く音符を書けない私の、独自のギター・ソロ用楽譜。
新しいギター/タブ譜 


新しいギター

新しいギターを買った やっと手に入れた
新しいギターを弾いて オレは変わるのさ
過去を悔いて 今を嘆き 未来を憂いてた
何も信じられずにいたのさ
Oh Yeah 始まるぜ
Oh Yeah 変わるのさ

新しい曲が生まれそうな予感がする
君に聴かせたい曲 作りたがってる
このときめきを この切なさを 胸の高鳴りを
言葉とメロディにしたいのさ
Oh Yeah 歌うのさ
Oh Yeah もうすぐさ

気づかないうちに どこかに忘れ物をした気がするけど
きっとそれほど大事なものでもなかった そうだろ?

生きていくために どうしても必要なもの
太陽や月や火 水や気と土とお金
それに君と新しいギター それさえあれば
生きていけるって思うのさ

Oh Yeah 歌うのさ
Oh Yeah 生きるのさ

気づかないうちに 大切な何か失った気がするけど
もっと大切な何かがここにあるだろ

気づかないうちに どこかに忘れ物をした気がするけど
もっと大切な何かがここにあるだろ そうだろ?

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

今年1月に極度のダウン状態に陥った私は、
その後ひとりでスタジオに通い、自分の曲に元気づけられたという話を
以前に掲載した。
その曲は、「見慣れた街を抜け出して」であり、「心配いらないぜ」であり、
この曲である。

「それに君と新しいギター それさえあれば
 生きていけるって思うのさ」から、
「Oh Yeah 歌うのさ Oh Yeah 生きるのさ」
のところで、君にとって歌うことは生きることなんだよ、
生きていきたいなら歌いなさい、と言われたようで、
感極まるものがあった。

大切な何か失ったかもしれないが、もっと大切なものがある。
どこかに忘れ物をした人生かもしれないが、
その忘れ物より、もっと大切なものがある。
だから、過ぎたことを悔いずに、今あるものを大切にしなさいという、
この作品を作った当時の私の気持ちが、
ダウン状態にある私にもろに伝わり、
「いい歌、書いたよなあ」と、過去の自分に感謝してしまった。
こういう曲を書ける才能があるなら、
他のことは多少しくじっても、しょうがないとさえ思えた。
ストレートに自画自賛して申し訳ありません。
しかも、なんら控え目でもなく、慎ましさもなく、
自画自賛しっぱなしで
今日の記事が終わることを、お許しください。

半年ぶりのライブは、その間にダメージ状態はあったものの、
ただでは起き上がらなかった成長ぶりを見せられると思います。
詳しくはまた後日。よろしくお願いします。


テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽


今回は、札幌市以外のラーメン店についてである。
昨年の夏から今年の初めにかけて訪問した店の中から、
美味しかった4店をピックアップした。

昨年は、この10年間の中で、最も札幌市以外へ出向かなかった
ような気がする。
それは、音楽活動を週末にやる日が多かったり、
あらゆる苦悩により、エナジーが外側に向かなかったからだろう。

札幌以外の土地へ行くと、そこで何を食べるか、というのが、
私の最大の楽しみだといってもいい。
そこでしか食べられないものを食べたいのだ。
「それ、札幌でも食べられるだろう」的なチェーン店には、
一切目を向けない

ところが、どこへ行こうとも、
山岡家のラーメンを食べたがる同僚が中村NBRである。
昨年秋、仕事で恵庭市に行った際、
そんな彼を説得して訪問したのが「おとん食堂」である。

■おとん食堂(恵庭市漁町13番地)/小鳩ラーメン 550円
中村NBRの説得に当たっては、
「中村さんは山岡家へ行け。オレはおとん食堂に行く」などと、
一緒に仕事で行っていながら、別々の店で昼食をとる提案もしたし、
中村NBRに金銭的支援をすることにより、
こちらの要求をのんでもらうという西松建設的発想も浮かんだが、
最終的には、恵庭での一度の昼食に、とことんこだわりを見せる私を
面倒に思った中村NBRがおれた恰好となった。

店は、恵庭市の中心街、市役所などがあるあたりの、
ほぼ旧
国道36号線沿いにある。
本店は栗山町にある醤油屋本店らしい。
写真のラーメンどんぶりに書いてあるので、昭和30年創業なのだろう。

おとん食堂/醤油ラーメン 
この店の最も基本的なメニューである「小鳩ラーメン」をオーダー。
名前に惑わされるが、鶏ガラベースの透明な醤油ラーメンである。
スープの色は濃い目だが、濃い色醤油に見られるべたつきや苦みはなく、
丸い甘みを感じる、食べやすいラーメン。
麺は縮れが強く固めなのも、私の好みであり、
このスープに合っている。

醤油味で透明感の強いあっさりスープを、
安易に「昔風ラーメン」だとか、「懐かしい味」と称することに
私は否定的である。
リアルに昔あったラーメンでも、リアルにだいぶ前に食べた味でもなく、
単にラーメンの種類として、「昔風ラーメン」なるカテゴリーを作り、
それが暗号化され、誰しも使っている言葉のように思う。
そんな私だが、ここの醤油ラーメンは、
リアルに小さい頃に食べた味に近いような気がした。
スープもさることながら、麺まで懐かしい感じがした。

おとん食堂/店 
余談だが、昔風ラーメンを、
リアルに昔のラーメンを知らない若者が作るのはいいのだが、
「おふくろの味」と銘打った現代的な食堂チェーンの料理を、
マニュアルに沿って、バイトの若者が作っているのかと思うと、
なんとも言えない気持ちになる。

なお、あと10年もしたら、「おふくろの味」と言われるのは、
カレイの煮付けや肉じゃがなどではなく、
カレーライスやオムライスになるだろう。
もしかしたら、スーパーのお総菜を、「おふくろの味」だという人も
多くなるのかもしれない。

渡海家(小樽市稲穂3丁目7-14)/醤油ラーメン 650円
小樽市内で食事をする機会が、年に何度あるだろう。

今は5回くらいなものだろうか。
そんな時はまず、私の選ぶ世界一の中華料理店「五香(ウーシャン)」に
行こうとしてしまうため、なかなかラーメンを食べる機会がない。

10~15年前は、年15回程度は小樽で食事をしていた。
倶知安に住んでいた時期があり、
また、レコーディングのために
小樽に通った時期があったため、
そのくらいの数に達していた。

その頃よく行ったラーメン屋は、「一番」、「福富軒」、「初代」だった。
福富軒は閉店してしまったが、
今でも、福富軒を懐かしむ小樽関係者は多いのではないか。

今回紹介する「渡海家」は、「とかいや」と読む。
JR小樽駅前の交差点を、小樽駅を背に海岸方面へ100mほど
下った左側にある。来店客は、向かい側にある
パチンコ店「ハッピー」の駐車場を使用できるらしい。

渡海家/醤油 
魚ダシをベースに、鶏ダシ・豚骨ダシがバランス良く交わった
上品な味のスープ。
「北海道ラーメン界の摩周湖」と呼びたくなるほどスープの透明度が高く、
一瞬、スープが入っていないのか?と錯覚するほどである。
見た目は、塩ラーメンのようである。

あっさりスープであり、後味もすっきりしているのに、
根底にあるダシ・パワーが強く、麺に上手い具合に絡んでくる。
物足りなさは全くない。
麺自体も、白色・柔らか系で美味しく、
炙りチャーシューもいい意味で高級感があった。
総合的に締まりのあるクオリティの高いラーメンだと思う。

渡海家/店 
行ったのが昨年の秋であるため、様々な記憶が薄れているが、
店内は入口から少し奥まったところにあり、
窓はなく、柔らか薄暗照明だったためか、
とにかく店内は黒色だらけだったような印象がある。
そこに長いカウンターがあり、ズージャが流れ、
雰囲気は、さながらBARである。
それが、クグエ感覚では少し落ち着かなかった。

その落ち着かなさは、店の人のムードにもある。
淡々としている、というか、「淡々」より「冷淡」に近かった。
なんというかサービス心が伝わらなかった。
サービスはあるのだが、心が入っていないような…。
そのため、ラーメンが出てくるまでのワクワク感に乏しく、
食べ終えると、そそくさと店を出たい気持ちになった。

完成度が高いラーメンだけに、非常に惜しい。
「いやぁ、美味しいラーメンだったよ」と素直に言いたいのに、
「いやぁ、美味しいラーメンだったよ」の後に、
「でも…」をつけざるを得ない。
とはいえ、あっさり味のため、強烈リピート性にはやや欠けるものの、
ラーメン自体にマイナス点は見当たらないのは事実。

■誼や(岩内町万代15-1)/醤油ラーメン 700円
私の地元枠から1店登場である。
店名は「よしみや」と読む。
岩内町は、古くからラーメン過疎地と言ってもいいだろう。
人口規模のわりにラーメン専門店は少なく、
「岩内でラーメンといえばここ」というような代表店がない。

そんな状況の中、この店がオープンしたのは10年近く前だろうか。
当時、一度足を運くだ。
これまで、安易なサッポロラーメン的ラーメンしかなかった岩内町に、
魚系ダシが前に出るラーメンが登場したのかと、
少なからず驚いた記憶がある。
2月某日、それ以来、久しぶりに訪問した。

誼や/店 
この店の位置はわかりにくい。
完全に仲通りにある。しかも、道が細い。
岩内町界隈(岩内町・共和町・泊村・神恵内村)に住んでいる人なら、
「映画館と福井庵の間のとこにあるべや」とか、
「清寿司の本店と支店のちょうど中間のとこよ」などと言えば、
勝手に見つけられるだろうが、
岩内町界隈以外の方は、下調べが必要だろう。


誼や/醤油ラーメン 
味は、あっさりタイプの旭川ラーメンという感じか。
肉系ダシと魚系ダシのバランスが良い。
スープが柔らかく、優しい味である。
雑味もなく、食べやすい。
その点では、旭川の「梅光軒」と比較しても負けていないと思う。

ただ、あらゆる点で「強さ」がない。

まず、スープがぬるい。
中太のストレートに近い麺も、なにか元気がない。
そして、店の方の雰囲気に覇気を感じなかった。
大変申し訳ないが、「ぬるい」、「元気がない」、「覇気がない」は、
全て「やる気」と関連してるのでは?と思えてしまった。

下地はしっかりとしたラーメンであるのは間違いないだけに、
なにがしかの外にアピールするパワーがほしいところ。
もしかしたら、それはラーメンではなく、気持ちの部分かも。

■鳥よし(苫小牧市勇払27-3)/ラーメン 500円
住所は苫小牧市であるが、市街地から車で30分程度の時間を
要する、苫小牧市とは別の街かと思えるような、海岸沿いの
小さな集落の中に、「鳥よし」は存在する。
周辺は、飲食店などあるような雰囲気ではなく、
この店自体も一般の住宅のようでわかりにくい。
店の周りに駐められた車の多さにより店を発見。
店内は、外の閑散ぶりが嘘のように、
午前11時前にもかかわらずほぼ満席状態だった。

鳥よし/店 
10年来、気になっていた店である。
しかし、苫小牧市のはずれにあることや、
営業時間が10時30分から13時と極めて短時間であることから、
札幌方面の人にとっては、苫小牧方面へ行ったとしても、
鳥よし訪問をメインの目的にしなければありつけない環境に屈していた。

ラーメンのメニューは「ラーメン」の1種類しかないのが嬉しい。
私は、選択肢の少ないラーメン屋の方が好きである。
「うちのラーメンはこの味しかないから」という自信と潔さが
伝わるようで、こちらのモチベーションも上がるのだ。
好きな女は、この人が一番で、この人が二番、あの人が三番かな。
そんなんじゃダメなんだよ。好きなのは君だけなんだ。
そういうスピリッツを感じるのだ。

鳥よし/ラーメン 
スープは、豚骨塩味の白濁。
かなり美味しかった。
ダシがしっかりしており、コクも深いが、なにより「旨み」がいい。
いい意味で、子供の頃に感じたインスタント・ラーメンが、
とんでもなく美味しく感じた時の旨みである。

豚骨白濁でありながら、雑味はなく、まろやか過ぎずキレがある。

麺の色は白に近い。コシを感じない元気のない麺である。
ところが、スープには非常に合っている。
食べやすいだけではなく、食べても食べても飽きない。

営業時間は10時30分から13時と、
強気なのか、自分本位なのか、ラーメン本意なのかわからないが、
いずれにしても、条件を狭めることによって、
逆に付加価値を高めているともいえる。
繁盛店だからこそ設定できる営業時間なのだろうが、
ラーメン同様、強かさが窺える。

店員のおばさん達は皆ぶっきらぼう。
かといって、なめてるわけでもなければ、上からでもない。
というか、店に入った時の匂いや雰囲気で、
美味しいラーメンが食べられるかどうか、なんとなくわかるもので、
この店は、それを感じたため、対応はどうでもいいわと思えた。

客は途絶えず、どんどん来る。
ラーメンができるのが早く、客の回転が早いため、
たとえ行列ができていても、そんな待たされないのではないかと思う。
とはいえ、早く食べなきゃ的な微妙なプレッシャーがかかるのも事実。
それでも、いつかまた再訪したいと思えた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ところで、たまにラーメンマニア的なブログを見ると、
例えば麺に関していえば、
カンスイを使用していないとか、加水がどうだとか、
どこの製麺屋だとか、
構造やプロフィール的情報が載っているものを
よく見かける。
私は、そういうものに触れない。
なぜなら、わからないからさオーライ!

そうした情報は、それはそれでいいと思うが、
マニア的な情報であり、
一般的ラーメン庶民である私には、
さして重要ではない。

パーツのこだわりより、がさっとしていながらも、
わかりやすいイメージにしたいのだ。
要は美味しいか、そうでないか。
どのくらい評価しているのか、ということが伝わるようにしたい。


「人」というものを説明するとした場合、
脳があって、胃や肝臓や肺があり、
それぞれの機能はこうですよ、と「パーツ」重視の説明をするか、
「人格」重視の説明をするかの違いである。

そもそも私は、食記事に関して、情報提供をしている意識は全くない。
「こんな店に行った日記」や「こんな店に行った自慢」を
したいわけでは全くない。
食べ物を媒介とした日常ストーリーを描きたいのだ。
もっと突き詰めて言えば、クグエ哲学を示したいのだ。
この勘違いぶりと胡散臭さが、
私の泣かず飛ばずの日常と無関係ではあるまい。
ほっといてくれ!


テーマ:北海道のグルメ - ジャンル:グルメ


昨日の朝、仕事へ向かうため、家を出る直前のことだった。
必要なものを鞄に入れ、時計をはめ、カギを手にする。
そして、i-podをコートのポケットに入れる。

その時、突如、セックスピストルズを聴きながら通勤したい
衝動にかられた。
彼らの曲は、i-podにインしていない。
インするためには、パソコンを立ち上げ、
CDをパソコンに取り込んでなければできない。
そんなことをしていたら確実に遅刻する。
1時間休もうかとも思ったが、私の職場には、残念ながら
「ピストルズ休暇」という制度がないため、断念して職場へ。
通勤途中は、心の中で彼らの曲を演奏していた。

それにしても、なぜセックスピストルズを聴きたくなったのだろう。
高校生から20代前半にかけての時期、
カセットテープで何度となく聴いた。
30歳になる頃、「ロックマンとして彼らのCDは
保有していなければならない」と、自らを律してCDを購入。
ところが、その頃から、ほとんど聴かなくなり、
少なくとも最近5年間は、セックスピストルズを一度も聴いておらず、
いわば、セックスレス状態だった。

SEX PISTOLS/Never Mind the Bollocks 
こうした基本パンクを聴きたくなる兆候はあった。
1か月ほど前から、しばらく聴いていなかった
ブランキー・ジェット・シティやミッシェル・ガン・エレファントを、
朝の通勤時に毎日聴くほど、激しいロックを欲するようになっていた。
3週間くらい前も、タワーレコードで流されていたピストルズのDVDを
無意識のうちに見入ってしまった。
先週あたりから、バッキンガム宮殿が、ファッキンガム宮殿に思えていた。
そして、昨日の朝、ついに引き金が引かれた、というわけである。

職場にいる間ずっと、セックスピストルズを聴きたくてたまらなかった。
昼休みにタバコを吸ってる時も、
「プリティ・ヴェイカント聴きてえなぁ」と思ったり、
近くのカラオケ屋に行って、「サヴミッション」だけ歌って
帰ってこようかと考えたりした。

同僚との会話すら満足にできなかった。
「3月の3連休は、どこか行くの?」と上司に聞かれれば、
「連休?ホリデーズ・イン・ザ・サンですね」。
現在、新婚旅行中である同僚のM美(エムミ)に関して、
「今日あたりは、スイスに滞在してるんすかね。
 いいっすよね、ウィーンに行けるなんて」と後輩に聞かれれば、
「オレの場合は、ゴッド・セイヴ・ザ・ウィーンだけどね」。
そんなふうに、誰にも伝わっていないことを承知で、
ピストルズ的言動に終始した。

同僚は、ぽかーんとしていた。そして、冷めていた。
しかし私は興奮していた。
「オレの場合は、ゴッド・セイヴ・ザ・ウィーンだけどね」と、
自然に言葉に出てしまう自分が愛おしくなった。

愚かなことではある。
でも、そんなことはどうだっていいのさ。
近くの同僚より、遠くのピストルズ・フリークにわかってほしかっただけさ。
「人のセックスピストルズを笑うな」的パンク・スピリットで、
この日、私の意に沿わないことは、
全て「勝手にしやがれ!」と「わかってたまるか!」で押し通した。

帰宅後、早速ピストルズを聴いた。
鳥肌が立った。その後、血が熱くなってくるのを感じ、
寒いのか暑いのかわからくなるほど刺激的だった。
久しぶりに風呂に入ったかのように、
心の中の汚れやわだかまりが消えていくかのようでもあった。
それにしても、すごい存在のバンドである。
なんといっても、「ノー・フューチャー!」と歌われることによって、
なぜか自分の中の負の部分が
救われていくような気持ちにさえなるのだから。


ピストルズは、歌い方こそ、直情的で扇情的だが、
実は優れたポップ・ソングであり、演奏は、もろにロックンロールである。
しばらく聴いていなくても、やっぱり聴きたくなる。
懐かしさなど全くない。むしろ今を感じるロックである。
40歳を過ぎないと、ピストルズのほんとの凄さは
わからないのではないかとも思う。

今日は、昼休みにずっと聴いていた。
仕事の休憩時間に聴くピストルズは最高だ。
今後、休憩時間にピストルズを聴く時は、
「アナーキー・イン・ザ・休憩」と呼びたい。


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