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仕事関係者に、ちゃん森(チャンモリ)という男がいる。
年齢は30代後半。
私と彼の仕事は業種的に類似しているが、全く別組織に属している。
例えるならば、ジャスコとセブンイレブンのような間柄である。

先日、ちゃん森に、仕事上のある情報をメールで伝えるとともに、
ある案件に関して、近々報道発表をしたら、
その資料を送ってほしいと依頼。

程なくして、彼から返信があった。
その書き出しの文章を目にした途端、
私は反射的に吹き出してしまった。


書き出しはこうだった。
「貴重なジョーフォー、サンキューSOマッチです」

貴重な情報ありがとうございます、の意であることはすぐに理解できるし、
仕事メールとはいえ、カタカナ表記を織り交ぜられるのは嫌いではない。
むしろ好ましいとさえ思っている。
だとしても、「情報」を「ジョーフォー」である。
「サンキュー・ソー・マッチ」のうち、なぜか「ソー」だけが英語である。
何の理由もなく、何のいきさつもなく、いきなりこの書き出しだった。

「情報」が「ジョーフォー」で通用する世の中なら、
例えば、「放漫経営」という、やりっぱなしで、いい加減な経営も、
「フォーマン経営」とすれば、
なんとなく、人のために経営しているような献身的な言葉に感じる。
例えば、「法事」にしても、「来週、フォージなんだよね」とすれば、
ちょっとゴキゲンな行事に出かけるかのようである。
思わず、「いいなぁ~」と言ってしまいそうである。

ちゃん森は、「貴重なジョーフォー」の一行の後は、
いたって普通に、仕事の話を7、8行にわたって伝えてきた。
そのまま、メールが終わるのかと思いきや、
最後の行には、こう書いてあった。
「フォードー発表資料については、近日中にSOシンします」

「報道」を「フォードー」に、「送信」を「SOシン」にしてきた。
1行目でかましておき、その後は普通の文章にして仕事モードを強調。
そのまま終わると思わせておいて、最後にどんでん返しをしてきた。
まさに、SOテーGUYだった。

1行目の「ジョーフォー」と「SOマッチ」は伏線だったのだ。
最後の一言のための「フリ」だったのだ。
そして、40歳も近いのに、あえてこんな表現をしてくる彼のセンス。
そうしたことを考えると、喫煙所でも、帰り道でも、
リメンバー笑いを抑えることはできなかった。

「フォードー発表資料」は、高級外車のマル秘資料かのようだし、
「SOシン」は、文字の組み合わせの安っぽさと
くださらなさが最高である。

想像してみていただきたい。
そこまでの文章は普通なのに、最後に唐突に、
「送信します」を「SOシンします」と書かれたら、
とりあえず笑うしかないだろう。

誤りではなく、明らかに意図的なのだが、

「意図的」の程度と方向性がいい。
「いかにも」ではなく、植物に水をやるかのように
さりげないところがいい。
このような人が仕事相手で有り難く思う。

政府はガタガタ状態だ。
こうなりゃ、総務大臣は「SO無ダイジン」、
法務大臣は「フォームダイジン」となって、出直した方がいい。
アSO総理は、もはや死に体。
自民党の議員達でさえ辞めてほしがってるのに、
本人はやめたくない。
こうした「のさばり状態」が続くのは、
自民党内に「おくりびと」がいないからだ。
では、
SOユーことで、今日はここまで。
明日もトーフォー線に乗って仕事に行きます。

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テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記


仕事を終え職場を出る時、
室内用のビジネス・シューズから雪道用のブーツに履きかえる。
「ほ~ら 足もとを見てごらん」。
履きかえる時、右の靴下のかかとに穴が開いているのを発見した。
kiroro的には、これが私の歩む道なのかもしれない。
私の歩む道には穴があるのか。
しかし、落とし穴のような注意すべき穴がある反面、
「穴場」を見つけるかもしれない。
こうなりゃ、「ウエルカム穴」の気持ちでいくしかないぜオーライ!

ところで私の場合、靴下がすり減るのは、
決まって左足のかかと部分からである。
そのため、すり減りが気になってきた靴下は右足に履く。
そしたら今日、右の靴下のかかとに穴が開いた。

こういう時のために、同じ靴下を複数買っておき、
穴の開いてない同士の組み合わせにすればいい。
ところが私は、衣料品に関して、同じものを複数買わなイズムがある。
同じものの色違いさえ買わなイズムがある。
靴下でさえその対象である。
よって私は、まとめバイ向きではない。

同じ衣料品は、Yシャツの下に着る半袖の白いシャツだろう。
同じものの色違いはバスタオルだけだろう。
発寒のジャスコの1Fにある「new style」という店で売ってる
バスタオルがかなりお気に入りである。
1,300円くらいだったと思うが、
肌触りが良い大きめのバスタオルである。
この店には、掘り出しモノのポロシャツなどもあるため、
私にとっては、3か月に一度は行くべき店である。

さて本日は、ここまでの話と一切関係ないが、
1月から2月にかけて読んだ本の紹介である。
いきなり本の紹介をするのも味気ないから前置きをしただけだぜ。
それでは、どうぞ。


■宮部みゆき「楽園」
宮部みゆき/楽園・上 宮部みゆき/楽園・下

宮部みゆきの2007年作品。
フリーライターである前畑滋子(マエハタ・シゲコ)は、
萩谷敏子という50代の女性を紹介される。
敏子の息子は、先日交通事故で亡くなった。
息子は絵を描くのが好きだった。
遺品となった絵を整理しているうち、
何枚かの絵から、いくつかの事件を予知していたことに気づく。
敏子は、息子には、そうした特殊能力があったのではないかと考え、
これを解明すべく前原滋子に依頼した。


「特殊能力?」と疑い、最初は乗り気ではなかった前畑滋子だが、
息子が予知した事件を調べていくうち、
事件の隠された真相が明らかになっていく。

「名もなき毒」以来、約2年ぶりに宮部みゆきの作品を読んだ。
相変わらず、心の機微や何気ない仕草まで丁寧かつ適確に拾い、
わかりやすく話を運ぶ。
また、言葉の使い方がスマートで、こなれているところに感心する。
こうした文章力だけで、読む価値があるとさえ思える。
私にとっては、お手本にしたい表現がいくつもあった。

ただ、この作品は上下巻合わせて、777頁に及ぶ長編である。
丁寧で卒がないのはいいのだが、ところどころ深追いしすぎたかなと。
例えば、登場人物それぞれの生い立ちなど、
展開上それほど重要ではない人物まで、必要以上に掘り下げている。
そのせいで中だるみを招いている箇所がある。

それでも、きちんと引きつけてくれる内容だった、下巻の中盤までは。
下巻の中盤以降が、
いきなり飛び道具を使われて見えなくなってしまったような、
辻褄を合わせてエンディングに持ち込もうとするあまり、
本筋とずれたようであり、
伏線と思われたものが
最後まで生かされなかったようでありで、

クライマックスは消化不良気味だった。

それと、終始「そりゃないよ」と思ったのが、
宮部みゆきの大ヒット作「模倣犯」(2001年)のことを、
随所に絡めていること。
前原滋子は、「模倣犯」でも主役だったため、
模倣犯事件を引き合いに出しているのだが、
「模倣犯」を読んでいない方は、のどに魚の骨がひっかかったまま
読み進めることになるだろう。
そして最後まで骨は残ったままである。
「模倣犯」を読んでなくても、本作を楽しめるとは思うが、
常にもやもやしたものを抱えながら読むことになるともいえる。
裏を返せば、「模倣犯」を読みたくなるともいえるが、
宮部みゆきの意図するところがわからなかった。

とはいえ、ストーリー的には十分に面白い。
読みやすく、長編だが飽きずに読み進められる。

文章の上手さといい、話の運び方といい、
身近な日常的シーンを奥深いものに見せるテクニックといい、
まさに実力者であり、人気作家であることを感じさせる作品ではある。

■和田竜「忍びの国」
和田竜/忍びの国 
「のぼうの城」でブレイクした和田竜の2008年作品。
時代は戦国。
その中でも、織田信長が着々と勢力を拡大している時代の話。
舞台は伊賀。
伊賀は、三重県の西部にあたる地域で、近隣の国は「伊勢」。
「伊賀の影丸」なる作品があるように、
伊賀は忍者で有名なところであった。


この物語は、伊勢を支配している織田信雄(信長の次男)の大軍と
小国である伊賀との戦い(天正伊賀の乱)を、
ひとりの忍者の生き様を軸に描いている。
と、わかったのは、物語も中盤に近づいてからである。

読み始めてしばらくの間、誰が主役なのかわからなかった。
出だしから、次から次に、
様々な人物の「人となり」やエピソードが語られる。
話の進み方や展開はわかるのだが、
色々な人にスポットがあたるため、
前半は焦点がぼやけた状態で読んだ。
ジャニーズ系ユニットでいえば、「嵐」のような感じで、
誰がグループの中心人物なのかわからなかった。


中盤を過ぎてから、伊賀の忍者である無門(むもん)が主役なのだと
わかってくる。ここから一気に面白くなった。
動と静が、バランス良く区分されており、
特に動の箇所は、エンターテイメント的で、
スピード感と躍動感がみなぎる書きぶりになっている。
抑揚のつけ方が上手な噺家が講談形式でやると、
面白さが倍増しそうな書きぶりである。

ストーリーはわかりやすい。ベタといってもいいかもしれない。
そこに忍術を駆使した展開を絡めてくる。
例えば、とんでもない早さで木から木へ飛び移ったり、
肩の骨をはずして縛られたロープからくぐり抜けたり、
弓が射止めたのは着ていた服で、
その寸前に身体は飛んで逃げていたなど、

バーチャル感が満載で、平たい物語に厚みをもたせている。
さらに、人間関係や戦略、心情の変化なども、うまく融合し、
特に中盤以降は引きつけられ、読むスピードも上がった。

作者である和田竜の前作「のぼうの城」は、
各方面で評判の高い作品であったが、この作品も、全くひけをとらない。
というか、私は、こちらの方がすんなり読めたような気がする。
それにしても、「のぼうの城」が埼玉県の行田(ぎょうだ)が舞台。
「忍びの国」は三重県の伊賀が舞台と、
戦国時代においても、現代においても、
全国的にはあまりメジャーではない地域を題材にし、
さらには、登場人物も知名度が低く、マイナーな戦を取り上げている。
そうしたチョイスとチャレンジは好感が持てるし、
マニアでなければ知らないような戦であるため結末を知らないことが、
逆に興味を高めたともいえる。

人間離れした忍術が多く、漫画っぽいところもあるが、
面白さとともに、迫力と臨場感たっぷりのドラマに仕上げている。
史実に基づいた作品であり、かなり調べ上げてることを思わせるが、
そうした努力をさらりと触れる程度にしているところも好感。

■桐野夏生「メタボラ」

桐野夏生/メタボラ 
桐野夏生の2007年作品。
記憶を失った青年の、一から始まった現実と、
次第に取り戻していく過去の記憶との間のギャップを、
偶然出会った若者の生き方や、沖縄の人達の生活、
さらには、派遣労働者や自殺などの要素を織り交ぜながら
展開される物語。

目が覚めると記憶喪失になっていた青年。
場所は沖縄の山中。
自分は誰なのか、なぜ沖縄にいるのか、なぜ何も持っていないのか。
青年はわけもわからず山を下っていく。
すると、どこかから逃げてきたかのような一人の若者と出会う。

物語の前半は、記憶を失った青年が、山道で出会った若者とともに
なんとか生きていこうとする姿が活き活きと描かれている。
ところが、記憶を少しずつ取り戻し始めると、陰鬱になることが増えていく。
そう、記憶を失う前の彼は、家庭崩壊や過酷な派遣労働などで、
全てにうんざりし、生きることを放棄しようとしていたのだった。

物語は、全体を通して、お金がないことと自由がないことがついて回り、
いつまでもトンネルを抜け出せないまま彷徨っているような感じである。
何をやるにも重たい心情の上に成り立っているようで、
朝の場面でも、昼の場面でも薄暗い感じがする。
読んでいるこちらまで、どんよりとした気持ちになっていく。

特に後半の、記憶を失う以前の回想シーンは惨憺たるものである。
そのメインは、派遣労働による住み込みでの工場勤務なのだが、
あまりの不自由かつ理不尽さに息苦しくなった。
それでも読ませてしまうのが、作者・桐野夏生のテクニックである。
不快感があるのに、先を知りたくて読まざるを得ないのだ。
ある意味、困る。

また、人の描き方は相変わらず秀逸。
人物が映像でしっかりと浮かんでくる。
惜しむらくは、エンディングが尻すぼみで、
読み終わった時、
「で、何だったの?」と思わざるを得なかったこと。
前半から中盤のテンポが良く、どんな展開をするのか、
どんな結末なのかと、かなりの期待を持たせてくれただけに、
物足りなさが残ったかなと。
それでも、読み応えのある作品なのは言うまでもなく、
結末はどうあれ、面白い作品ではあった。

なお、舞台のほとんどは沖縄で、どちらかといえば、
沖縄という土地が抱えている問題、つまり影の部分を

クローズアップして描いている。
それでいて沖縄の人や雰囲気を魅力的に描いている。

沖縄に行ってみたい。
kiroroに行くより沖縄に行きたい。
長い間そう思っている。
行く意味などを考え出すと、おそらく行かなくなるので、

ただなんとなく的な軽い気持ちで行ってみるべきかもしれない。
帰ってきてから、行った意味を考えればいい。
まずはビギンすることだ。
しかし、ひとりで行く気はしない。
「ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの」
確かにそうかもしれないぜ、モンゴル800。
しかし、一緒に沖縄に行きたい人ほど、
すぐそばにいないのが現実だ。
そういうもんだろオーライ!
全然オーライじゃないぜオーライ!


テーマ:オススメの本の紹介 - ジャンル:本・雑誌


先日、ある女性と約3年ぶりに話をした。
名前はMY(エムワイ)さん、とさせていただく。
年齢は30代半ば。目は細めで薄化粧。肌は完全に20代といえる。
私は女性の髪の色に関して、黒からブラウンと呼べる範囲ならば、
似合っていれば何色でもいいのだが、
MYさんほど黒髪が似合う女性に出会ったことがない。

私はこの日、家を出る時、長袖ボーターTシャツに、
カーディガンを羽織った。
しかし、家を出る直前に鏡を見た時、
ボーダーの幅が太いことに違和感をおぼえた。
首元から覗くTシャツ部分が、ボーダーに見えなかったからである。
細いボーダーのTシャツは洗濯物の中だったため、

やむを得ず、違う長袖Tシャツに着替えて出かけた。

3年ぶりに会った彼女が、コートを脱いだ時、私は衝撃を受けた。
長袖ボーターTシャツに、薄手のカーディガンを羽織っていたからだ。
しかも、ボーターの幅は細かった。
この偶然に、小さな興奮をおぼえた。
しかし、彼女にとっては、どうでもいいことだろう。
「ボーダーを着ようとしたけど着なかった」じゃダメなのだ。
着てなきゃダメなのだ。そこが運の分かれ目だ。
着ていれば、この「偶然」は、「運命」と呼ばれたに違いない。
いや、呼ばれない。

彼女は、唐突に3年前の話を持ち出した。
当時、「好きな海産物は何か」という話になった場面があった。
彼女は「一番好きなのは昆布です」と答えた。
この3年の間に、そのことを時々思い出しては、
「どうして昆布なんて答えたんだろう」と、
恥ずかしいやら、笑っちゃうやらだったという。

今回、彼女は、昆布と答えた理由を話し始めた。
「好きな海産物って、ほんとはアワビやウニなのかもしれません。
 けど、いくら美味しくても、しょっちゅう食べると、
 慣れてしまって飽きますよね、きっと。
 でも、昆布はダシに使ったり、ダシをとった後のを食べたり、
 毎日食べても飽きないんですよ」

彼女の言うことは理解できる。
ただ、昆布はダシに使われることが圧倒的に多く、
基本的に脇役である。

味噌汁を飲んでも、昆布を摂取している意識などない。
また、食べ方のバリエーションが少なく、
「最近いつ昆布食べた?」と聞かれても答えられない。
にもかかわらず、「好きな海産物は何か」の問いに、
「昆布です」と答えた彼女のセンスは、ハートをくすぐるものがあった。

もしかしたら彼女は、男性に関しても、
アワビ的存在より昆布的なタイプを
好むのかもしれない。
私は貝になりたいとは思わないが、私は昆布になりたいと思った。
とはいえ、「ここにアワビと昆布があって、
好きな方を食べていいと言われたら、どっちを食べる?」の問いには、
「アワビです」と即答して笑った。
彼女の笑顔を見ていたら、その回答に何の矛盾も感じなかった。
私は貝になりたいとは思わないが、
貝になるならアワビになりたいと思った。
って、オレはバカか。


この時、頭をよぎり、喉元まで出かけたセリフがある。
しかし、解釈の仕方によっては微妙な空気になると察し、
思いとどまった。そのセリフは、

「オレにとってのアワビは、MYさんだよ」である。

もし言ったなら、彼女は好意的に受け止めただろうか。
それとも、「はぁ」と対応に困っただろうか。
あるいは、「えっ?」と、何言ってるの?的な顔をしただろうか。
どうなったかはわからない。
でもわかったことがある。
MYさんと私の間にはボーダーラインが存在した。
そして、それを越えられないと感じたことである。

テーマ:日記 - ジャンル:日記


先日、このブログに時々コメントを寄せてくれる「迷犬チーズ」氏と、
彼の知人の「FOODAD(フーダッド)」氏と飲み行為をした。
FOODAD氏とは初対面であったが、
FOODAD氏迷犬チーズ氏とも、
ラーメンをメインにしたブログを開設しており、
ラーメンに関する意見交換会をやりませんかと、
小粋な提案があったことから、
飲み行為がカム・トゥルーした。

様々なラーメン話をしたが、最も印象に残ったのは、
ヘルシアのCMに出ている俳優の名前を思い出せなかったことである。
東大卒だとか、あの映画に出ていた、
クグエ内閣でも大臣をやっているなど、

プロフィール的情報は出てくるのだが、誰も名前が出てこない。
結局答えは出ず、「浜木綿子の息子」で落ち着くという、
ありがちな結末となった。


先週も、ある人と飲んでいた時、
映画「それでも僕はやってない」の主演俳優の名前が思い出せず、
非常にはがゆい思いをした。
思い出せない、とあきらめて別の話をするのだが、
心のどこかで、ずっと気になっていて、
「顔はすぐ出てくるんだけどなぁ」、「漢字3文字だよ、確か」など、
いつまでも離れられないのだ。

携帯電話のインターネットで調べればわかるのに、
あえてそれもせず、自力で答えを見つけるんだと、
もどかしい時間を過ごした。


ところで、FOODAD氏とは初対面だったが、
職業は同じであり、しかも同じ建物の中で働いていることが判明。
さらに、「職場から昼休みに行ける範囲のラーメンはほぼ食べた」
という徹底ぶりに驚いた。
早速、私は、「昼休みに行ける範囲で最もオススメの店は?」と質問。
帰ってきた答えは、「千寿(せんじゅ)ですかね」だった。

■千寿(札幌市中央区大通り西8丁目 旭ビルB1F)
千寿/味噌 
ラーメンにうるさい人にオススメされたら行かないわけにはいかない私は、
オススメされた翌日の昼休みに食べに行ってきた。
そうした有り難い生情報に対しては機動的に対応し、
「いやぁ、行ってきましたよ」と、普通の顔をして言いたいからだ。

今井美樹は、あなたへの愛こそが自分のプライドだと言ったが、
私は、オススメされた店に即座に行って、
普通の顔をして報告するのが
私のプライドだ。
行動によってやる気を見せることが、次につながっていくのだ。

店は大通り西8丁目の西向きのビルの地下にある。
車通りの少ないストリートの地味なビルである。
地下へ降りる階段は狭く、地下の通路も狭かった。
こんな辺ぴなところに店があるのか?という感じである。
ところが、店の外には4人が行列を作っていた。

ほとんどの人が注文していた味噌ラーメンを食べた。
味は、完全に「すみれ」系テイストの濃厚ラーメン。
いわば熱々・強烈なのだが、馴染みやすい味であり、
しかも最後まで飽きずに美味しく食べられた。
麺は固めでスープにばっちり合っている。
チャーシューも適度にとろとろで、余計な味がしなくて美味しい。
このように見事にバランスがよくとれている。

唯一、卵は味が濃すぎだった。

濃厚なラーメンにしては珍しく、スープを飲み干せそうだった。
胃腸へのダメージを考慮して少し残したが、
何も意識しなければ飲み干せた。
周りの男性客は、ほとんどスープを飲み干していた。
つまり、一口目、二口目は「剛」なのだが、
食べていくうちに「柔」を感じてくる。

客は近所のスーツ男が中心だったが、
近所ではないであろう女性客も3組いた。
強烈なのにマイルドなスープなので、
おそらく女性にとっては、すみれより食べやすいと思う。

混んでいるため、全く知らない人と
4人掛けテーブルに相席。
ラーメンの写真を撮ることに、ためらいを感じたが、
今日を逃したらしばらくチャンスはないと自分にプレッシャーをかけ、
コンセントレーションを高めて撮影した。
そのため、写真のピントや構図など、自画自賛で失礼ながら完璧である。

すみれ系が好きな方には、
堂々とオススメできる完成度の高いラーメンである。
店を出る12時50分頃でも、5人程度の行列があった。
しかし、回転が早いので、待ち人数のわりに早く食べられる点も好感。

■麺屋 橋(札幌市豊平区月寒東1条19丁目)
麺屋高橋/つけ麺 
かつての同僚であり月寒在住の、M井K介(エムイ・ケースケ)氏に

オススメされたラーメン店。
国道36号線を千歳方面に向かい、左に曲がったところにあるが、
曲がり角を誤ると、この辺りの裏道は複雑なため、
見つけるのに苦慮するので注意と覚悟をすべし。

店に入ると、魚ダシの強い香りがした。
強い香りというより、生臭いと感じた。
ここは漁港か?と錯覚したほどである。
一瞬、船やカモメを探したほどである。

これは相当に手強い魚ダシのつけ麺だろうなと考えていると、
他のことが気になり始めた。
寒いのだ。気づいたらダウンジャケットを脱げないまま。
下半身は風ですーすーしている。
2月なのに冷房をかけているのか?と本気で思った。

肝心のつけ麺であるが、店に入った時の生臭さが、
つゆにストレートに反映されていた。
私にとっては、魚ダシがきつ過ぎた。
というか、食べても食べても魚味しかしなかった。
1年前に、太平にある人気店「fuji屋」で、
あまりの魚ダシのきつさに、3分の1を残したが、
それに匹敵する生臭さだった。
生臭さに対する不安が、写真のややボケ具合に現れている。

ただ、美味しい雰囲気の要素はある。
魚ダシはきついが、カドがなく、まろやかである。
見た目も口当たりも、東苗穂の真(しん)のつゆにも、
eijiのつゆにも似ている、とろみ系和風濃厚醤油味である。
魚ダシがきついだけなのだ。

麺は極太で、ぱっと見はうどんのようだが、
コシがあって食べ応えがある。
しかし、水につけ過ぎるせいなのか、とにかく冷たい。
店も寒いが、麺も冷たすぎた。
そのせいで、食べ始めると、つゆの温度が急降下し、
途中からは冷麺状態だった。

また、チャーシューは作り込まれてはいるが、しょっぱ過ぎる。

このように、様々な点で行き過ぎているのだ。
単に私のバランス感覚との違いなのかもしれないが、
しっかりと作っていることがかいま見えるだけに、
微調整できないものかと惜しい気持ちになった。
それにしても寒かった。
「露店じゃないんだから」と心の中で思いながら食べ、
2月にもかかわらず、店を出た時、外が少し暖かく感じたほどだ。


■東一(札幌市中央区北2条西3丁目 敷島ビルB1F)
東一/味噌 
20年以上も
前から、札幌駅前通りを歩いていると、
この店の看板が目に入り、いつもなんとなく存在が気になっていた。
とはいえ、おそらく、ごく普通の札幌ラーメンなんだろうなと、
食べてみたいという気持ちの高ぶりは全くなかった。

2月5日午前11時30分頃、職場で隣りに座る中村NBRと
ラーメンの話になった。
昼休みに近い時間だったこともあり、どうしてもラーメンを食べたくなった。
そこで、ラーメン共和国まで足をのばそうと外へ出たが、
微妙な距離感と混雑を想像したら、
本来、左に曲がるべき交差点で、無意識のうちに右に曲がっていた。

その時、ふと「東一」のことを思い出した。
こんな機会じゃなければ行くことはないと思い、
訪問することを決意した。

何味がオススメなのかなど、全く予習をせずに来店したため、
メニューの最初にあった味噌を注文。
あっさりとした甘みのあるスープで食べやすい。
中太麺とのバランスもいい。
余計な具や、不必要な手の加え方をしていないのもいい。
要は、出過ぎているものがない非常にオーソドックスな味である。
「特徴がないのが特徴」という言い方もできる。

いわば、地方のラーメン店ではなく、
地方の食堂のラーメンにありそうな味である。

ただ、味が薄いというか、「熱」のようなものが物足りない感じがした。
そのせいか、「食べた」というより、「立ち寄った」的な印象が残った。
味は?と聴かれたら、「まあ普通です」と答えたくなる典型的な味。
見方を変えて見れば、毎日食べられるラーメンかも。
この近所で働く人達は、ラーメン店、というよりは、
社内食堂的な位置づけになっているのかもしれない。

客は、適度に次から次に来た。
なんとなく来ているのか、狙いを定めて来ているのかはわからないが、
なんとなく入ってしまおうかと思う気軽さがある店構えであることは確か。
面倒臭くなくていい、と思わせる雰囲気はある。
長く営業してきている店である。
根強い人気があるということだろう。

■けせらせら(札幌市北区太平7条5丁目)
けせらせら/塩 

塩ラーメンを食す。
鶏ガラベースの白湯スープは、
まろやかな甘みがあって非常に美味しい。
下調べや先入観のない状態で望んだこともあり、予想外の美味しさに、
一口食べたら、「あっ、これ美味しい」と、思わず口に出てしまった。

このラーメンへの照明を別の位置からあてて考えると、
マルちゃんの塩ラーメンのいいところを、
究極の手間をかけて抽出して洗練し、
それでいて親しみやすくしたような優しいスープである。
ほんとに雑味のない、柔らかいスープで、最後まで美味しかった。
ジャンル的には、永坊(南2西24)、三四郎(南8西13)と近いだろう。

スープがかなりイケていたためか、それに夢中になってしまい、
どんな麺だったのかがあまり思い出せない。
中太縮れ麺だったと思うが、飽きずに美味しく食べられたということは、
麺がスープにマッチしていたということだろう、
具もそれぞれ、クセのない味ながら、1食のラーメンを食べる上で、
欠かすことができないポイントとしての役割を果たしており、
まさに名脇役であったといえる。

この柔らか・まろやかスープなら、醤油味も確実に美味しいだろう。
次回に試してみたいが、いざ店に行ったら、
もう一度塩ラーメンを食べたくなるような気がする。
それぐらい美味しかった。


そして接客が素晴らしく良い。
これまでに行った全てのラーメン店の中でナンバー1かもしれない。
簡単に言うと、朗らかで謙虚で誠実である。
要は、「まずはお客さんありき」という気持ちが、
態度にも行動にも顔にも現れている。

店名「けせらせら」とは、「なるようになる」という意味のスペイン語である。
きちんと考え、手間をかければ、自ずといいラーメンができるという意味で、
真っ当な「けせらせら」なラーメンといえる。
開き直りや投げやりゆえの、けせらせらではない。

それに加え、「まずはお客さんありき」という気持ちが伝わってくる対応。
店の知名度は一般的にはまだ低いだろうし、北区東区以外の方は、
かなり遠く感じる場所にある。
しかし、リピーター発生度が高い店だと思う。
私もリピート確実である。

p.s 東大卒や浜木綿子の息子というイメージが強すぎて、
香川照之という名前のイメージが弱い。加瀬亮も同様。


テーマ:ラーメン - ジャンル:グルメ


内閣府が2月16日に発表した2008年10月~12月期の
国内総生産(GDP)速報値によると、
国内総生産は、年率換算で12.7%の減と大幅に落ち込んだ。
ふた桁のマイナス成長を記録するのは、
第一次石油危機時の1974年1月~3月以来だという。

というか、このタイミングで言うのもなんだが、
「マイナス成長」という言葉はおかしくないか。
「マイナス」というネガティヴな言葉と相反するような
「成長」というポジティヴな言葉が合体しているのだ。
意図するところはわかる。
用法としては、「ふられてバンザイ」(byマッチさん)と同じである。

しかし、「プラス衰退」とか「プラス後退」とは言わないだろう。
また、妥協して「マイナス成長」という言葉は受け入れるとしても、
「ゼロ成長」という言葉は受け入れがたい。
ゼロにも「成長」をつけなければならないものか。気休めか?
せめて「ゼロ維持」、「ゼロ・キープ」など言いようがあると思う。
その方が努力や必死さを感じられるのではないか。
あるいは、「ゼロ成長」より、「成長ゼロ」とした方が、
現実味を帯びて深刻さを感じられるのではないか。

けれども問題は、そんなことではない。
国内総生産マイナス12.7%の大きな要因は輸出の減である。
設備投資の落ち込みも要因である。
ただ、個人消費はマイナス0.4%に止まっている。
個人消費は、これから本格的に落ち込んでくるのかもしれないが、
とりあえず、それなりに保っている。
つまり、個人はそれなりに変わらずにお金を使っているのだ。

例えば、スープカレーを食べに行った際、
何のためらいもなくトッピングしたり、飲み物を注文する人を目にすると、
「金あるんだなぁ」と思ってしまう。
スープカレーを食べる人の70%くらいは、このタイプではないか。
ラーメンを食べに行っても、何の迷いもなくラーメン以外に
餃子やチャーハンを注文する人を目にすると、
「その金で、別の店でラーメン食べられるだろう」と思ってしまう。

どこにお金を使うのか、という価値観や性格の問題なので、
こうした人達を否定するつもりは一切ない。
微妙に一瞬、敗北気分になるだけだ。
むしろ、こうした人達は、利益を生みやすい部分に
お金を使ってくれる上客ともいえる。

ただ、私の偏った一方的な見方からすると、
節約するならば、
まず最初にカットするのは、
飲み物であり、餃子ではないのかと思うだけに、
世の中、言われるほど不況じゃないんだろうなと考えてしまうのだ。


今回の不況は、リーマンショックを発端として、
特に、自動車業界や電機業界へのダメージが大きく、
その影響が関係業界に及ぶ構図になっている。
しかし、こうしたことがなくても、
そんなに遠くない将来、国内総生産は減少していったはずだ。
なぜなら、日本の人口は減少が始まったのだから。
消費する人も生産する人も絶対数が減っていくのだ。
少子化に歯止めがかからないのだから仕方がない。

ところで、「少子化」というものが良くないかのように
論じられることに、どうも違和感をおぼえる。
みんなが望んだ結果が少子化社会なのではないか。
「余裕のある生活をしたい」、「欲しいものを買いたい」、
「自分の時間がほしい」など、
子供、自由、お金、苦労などをシーソーにのせて、
最もバランスがとれた結果がこの状態なのだ。

「働きたいし、でも預かってくれる施設がないから子供を産めない。
 そういうところにお金を使ってほしい」、
「お金がかかるから、二人は無理。
 もっと子供に手当があたるような制度を作ってほしい」。

テレビでそう話す母親達がいる。
結局、子供よりも、働くことやお金が優先なのである。
そういう世の中なのである。

30年前、40年前は、子供を預かる施設など、
今と比べものにならないくらい不十分だった。
児童手当的なものや休暇制度にしても
全く充実していなかった。
衣食住やレジャーにしても、今ほど恵まれてはいなかった。
それでも、子供はたくさん産まれた。

そう、なんらかんらありつつ、
子育て環境は、30年前に比べればとんでもなく良くなっているのだ。
様々な境遇の方がいるので一概には言えないが、
少子化は社会のせいではない。
個人主義と贅沢志向の産物にほかならない。
例えば子供を預けて、夫婦共働きができること。

しかも出産前と同じ職場で働けるなんて、
最高にラッキーなことだと思うが。

にもかかわらず、子供を産まないのは、
環境が整備されていないからだ、社会のせいだ、
などとほざく親がいる。
そういう人には、先日、料亭から出てきた森喜朗元首相のごとく、

「うるさい!」と一喝したくなる。

政治家が、テレビカメラを前に、マスコミに対して、
「うるさい!どけ!」などと言えば、
何様のつもりだ的イメージダウンに直結するが、
この森喜朗という人は、ああいう言動をしても笑えてしまう。
胡散臭さも極めれば、毒が薄まり、笑いのタネになるから
不思議である。
なお、森喜朗はまだしも、浜田幸一はもうテレビに出さないでほしい。
不愉快極まりない。彼を出演させるテレビ局の良識を疑う。

もちろん今後も、国として少子化対策、子育て対策に
取り組んでいくことは
必要不可欠だとは思う。

ただ、弱者的状況にある人に重点的に措置されるような仕組みに
してほしい。

望んで個人主義と贅沢志向を標榜し、少子化になった現在において、
今後、出生率の大幅アップなど不可能だろう。
ならば、少子化を打開するのではなく、
少子化がさらに進んでも持続していける社会をつくる方に

力点を置いていくべきなのではないか。


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先日、以前住んでいた南区澄川を、久しぶりに散歩をした。
この模様は、2月1日の記事「かわなみ食堂」において記したが、
その中で、澄川を「アド街ック天国」的に触れた箇所があった。
その記事を書いている時、現在住んでいる東区
元町(もとまち)界隈に関しても同じことができると思った。
そういうわけで本日は、自分で自分の企画に便乗し、
「アド街・元町」(アドマチ・モトマチ)をお送りする。

現在の札幌市東区は、かつて「札幌村」だった。
札幌村は、1955年(昭和30年)に札幌市と合併。
1972年(昭和47年)に札幌市が政令指定都市となって
区制が敷かれた際、東区が誕生した。

札幌村自体も合併した誕生した村だった。
その前身は、早くから開拓された「札幌元村」と、
その後に開拓された「札幌新村」。
現在の元町は、「札幌元村」の中心地であったことから、
この名称がつけられたらしい。

地下鉄東豊線は1988年(昭和63年)に開通。
その際、「元町駅」が設けられた。
元町駅のいいところは、地下から地上に出た時に見える景色が
こざっぱりとしていることである。
駅に直結しているスーパーがないこと。
背の高いビルやマンションがほとんどなく圧迫感がないこと。
環状通や札幌新道など交通量が多いストリートではないことなどが、
こざっぱり度を高めているのだろう。

今回は、元町駅から徒歩10分以内のオススメ・スポットを5箇所、
紹介させていただく。
ほとんどブログやホームページなどで語られていない、
地域性あふれる穴場店も織りまぜながらお送りしたい。

■運城飯店(札幌市東区北24条東15丁目 飯法師ビル1F)
運城飯店1 
地下鉄元町駅5番出口からすぐのところにある中華料理店。

「料理120種類食べ放題+飲み放題で3,000円」と
いうのが最大のウリだろう。
制限時間は2時間である。

まず文句なしに安い。
安いが、料理は本格的で、そこらの小綺麗な中華料理店より
ずっと美味しい。食べ放題的な手抜きはない。
インスタントさは皆無であり、全て熱々。
「まさに今、作りました」感が高い料理である。
食べ放題の場合、ひとつひとつの料理が適度に少なめなのも好感。
おかげで様々な料理を食べられるのが嬉しい。

この店のウリは、刀削麺(とうしょうめん)。
平たく分厚くモチモチの麺で、
食べていてプチ・ハピネスになれる逸品。

しかも、汁あり、汁なし、辛いの辛くないのなどバリエーションも豊富である。
運城飯店2 
ところで、街角の中華料理店にいるおばさんは、
ぶっらぼうな方が定番だが、
この店もそのカテゴリーに含まれる。
しかし、15分で慣れてしまい、むしろ喋りやすいタイプだと思う。

元町駅の近くには「中国日隆園」という中華料理店もある。
そこは「食べ放題+飲み放題2,500円」でやっている。
運城飯店より500円安いが、料理の質や本格度、特別感などを
勘案すると、運城飯店の方が2段階上である。

また、この界隈で知名度が高い玉林酒家(北43東16)と比べても、
玉林の対応の遅さ、粗雑さ
、やや高料金なことなどからすれば、
私は断然、運城派である。


なお、食べ飲み放題の制限時間は2時間であるが、
あくまでオーダーするのは2時間まで、ということで、

3時間いても特に何も言われず、オッケイオーライだった。
本格感あり、お得感あり、それなりに融通が利くなど、
重要視したい店である。
なお、駐車場がないせいなのか、いつもあまり混んでいない。
大繁盛する要素のある店だけに、もったいない気がする。

■渡り鳥(札幌市東区北23条東13丁目&北22条東16丁目)
渡り鳥/店 
焼き鳥中心の居酒屋である。
元町駅から西へ徒歩5分程度のところに「渡り鳥北23条店」、
元町駅から南へ徒歩5分程度のところに「渡り鳥東豊店」がある。
元町界隈在住の方なら、必ずや目にしている居酒屋だろう。

私は、元町に住む以前から、
「元町といえば渡り鳥」というイメージがあったほどである。
なお、本店はなく、元町オンリーで、しかも近場に2軒ある。
まさに地域性あふれる居酒屋である。
存在の仕方が、琴似の「ふる里」と同じである。

北23条店は、おばさん二人で切り盛り。
こちらは開店して28年。つまり、地下鉄が通る前からあったことになる。
東豊店は、北23条店より店が大きめ。
こちらは開店して11年とのこと。
渡り鳥/ビール 渡り鳥/鳥串
まあまあ安めの普通の居酒屋である。
料金的には、つぼ八クラスだろう。
焼き鳥は大ぶりで、普通に美味しい。
もつ煮込みは、クセがなく、いい甘みが出ていて美味。

飲み物の種類がかなり多い。
レアな酒はないが、どういうわけかサワーとソフトドリンクが豊富。
店員とジャンケンをして勝つと、
中ジョッキの料金で、大ジョッキを提供してくれるシステムがある。
ジョッキが、店のオリジナルなのも、どこか嬉しい。

店内は提灯があったり、造花やなんだかわからない置物があったりと、
もろに地方にある古い居酒屋の佇まいである。
気がねなく、くつろいで過ごせる店である。

■元町図書館(札幌市東区北30条東16丁目)
本家のアド街ならば、この辺りで、
公共的な施設のひとつも登場させるのだろう。
その線でいくならば、札幌高等技術専門学校、札幌開成高校、
札幌東郵便局などが妥当なところであるが、
残念ながら、思い入れどころか、私の生活における関連性がないので、
客観的説明しかできず、全く噛みごたえのないものになってしまう。
そこで登場するのが、元町図書館である。
元町図書館 
私が読んでいる本の6割くらいは、ここから借りているだろう。
昨年から札幌市の図書館では、インターネット予約が導入された。
自宅のパソコンで予約。本が用意できたらメールで連絡がくる。
それを元町図書館に取りに行く。
以前は、図書館に行って予約しなければならなかったことを考えると、
非常に便利なシステムである。
しかも、その本が、何人待ちなのかが自宅でわかるのがいい。

インターネット予約において若干困ることは、
順番待ちの本を予約しているため、
「返却に行った時に、予約していた別の本を借りる」というのが、
タイミング的にほぼ不可能なことである。
どんなことをしてでも、返却期限は必ず守ることを信条と
している私にとっては、それは致し方ない。
よって、ある時は返却のためだけに、ある時は借りるためだけに
足を運んでいる。

図書館の施設自体には何も特徴はない。
結構古めで、居心地が良くなる何かがあるわけでもない。
なお、名称は「元町図書館」であるが、
位置的には地下鉄新道東駅の方が近い。
本日の記事の最初の方で、
「元町駅から徒歩10分以内のオススメ・スポットを紹介」と書いたが、
徒歩10分で行くには微妙な距離である。
でも、だからって、特に問題はないだろオーライ!

■ローリエ(札幌市東区北24条東16丁目 北山ビル2F)

元町駅交差点のすぐ近くにある洋食専門店。
メインはハンバーグ、牛ステーキ、オムライスか。
エビフライが素晴らしい。
これまでに食べたエビフライの中で一番美味しい。
特大であり、エビ自体も食べ応えがあるが、衣も美味しい。

(ちなみに2番目に美味しかったのは、増毛の「山善」のエビフライ。
  そのためだけに増毛に行きたくなるパワーのあるエビフライだったが、
 なぜか平成18年に閉店。残念)

ランチは1,000円くらい。
夕食のセットは1,500~1,700円と、
単なる食事と考えれば、ちょっと高めの価格だが、

見た目よりボリュームがあり、味も十分に満足できるもので、
洋食にうるさい人から見たら、安いのかも。

オムライスの卵はふわふわ。
しかも、色も形も凄まじく美しい。

チキンライスは甘みも酸味も抑えた大人っぽい味付け。
デミグラス・ソースは、素材の味を感じるほど手作り感がある。
デミグラス・ソースもまた、甘ったるさは微塵もない渋い大人味。
スープとサラダは、特別の感じはしないが無難に良い。
ローリエ/オムライス+エビフライ 
これまで一度しか行ったことがない店だが、ぜひ再訪したい。
エビフライはまた必ず食べたい。
次回はエビフライとハンバーグのセットで決まりだ。
ただ私は、外食でハンバーグを食べて、美味しいと思ったことが
ほとんどない。

びっくりドンキーと円山の竈(かまど)のハンバーグ以外は、
自宅で作ったハンバーグの方が美味しいと思っている。
ハンバーグには詳しくないわりに、ああだこうだ言う、そんな私だが、
この店のハンバーグは、一度トライしてみたい。

店のシェフは、ホテル出身っぽい雰囲気で品あり。
それに対して店員のおばさんは、スーパーのレジにいそうなタイプ。
顔見知りの客と普通に世間話をしていた。
ただ、シェフの雰囲気とおばさんの釣り合いは微妙だが、
居心地は悪くなかった。
都会にある古い洋食屋的な味わいのあるいい店である。

■青龍(札幌市東区北22条東16丁目 おかだビル1F)
中華中心の定食屋的居酒屋である。
メニューの基本は、回鍋肉定食、野菜炒め定食、麻婆豆腐定食など。
これらの定食は、ライス抜きでも注文可で、
それを肴に酒を飲む客が多いようだ。
メニューは、ラーメンからカレ、カツ丼まで非常に幅広い。
そんな食事メニューだらけなのに、夜のみの営業で、
客は居酒屋として使っている人がほとんどである。
青龍/回鍋肉定食 
味は普通に美味しい。
その場で今料理したことがわかる、手作り的な美味しさである。
ただ、それ以外に、特徴的なことはない。
強烈な味でも、独特の味でもない。
しかし、長くやっていることを感じさせるプロっぽい味である。
なお、量は比較的多め。その割にはまあまあ低価格だと思う。

店の人はぶっきらぼうで、対応は微妙。
おそらく初めて行って、酒を飲まず食事オンリーならば、
「もう少し愛想良くしろよ」と感じるところはあるだろう。
しかし、いい意味で放っておいて、適度にドライなので、
全く気を使わず、まるで緊張感がなく過ごせる雰囲気がある。

それもあってか、いつも適度に客が埋まっている。
男女問わず、明らかに近所で、しかも常連っぽい人で混んでいる。
年齢層は高め。20代のカップルなど見たことがない。
しかし、20代の女性4人組が飲んでいるのは見かけたりする。
カウンターは、一人で来ているような50代の男性が多い。

この店の何が
凄いって、クリスマスやバレンタインや盆、
あるいは大雨や吹雪の日など、
外食人口が極端に減る日であっても、客が埋まっているのだ。
また、中華中心の定食屋的メニューながら、

夜しか営業せず、しかも22時には閉店するという、
強気なのか、わがままなのかわからないところも凄い。
青龍/店 
私の髪を切っているT氏(30代後半・妻子あり)は、
以前、元町に住んでいた。
2年前、私が元町に住み始めたことを告げた時、
彼が最初に言ったのは、「元町は、やっぱり青龍ですよ」だった。
外観は、ぱっとしない中華食堂のようで、入りにくい感じがするし、
常連だらけの店には抵抗感があるが、
一度行くと、またついつい行ってしまう、
そんな魅力のある元町限定有名店である。

これだけホームページやブログが普及した現在でも、
この店のメニューや雰囲気について触れているサイトは、
皆無に等しいのではないだろうか。

にもかかわらず、店はいつも混んでいる。
「メディア社会に踊らされるな!自分の足で見つけろよ」的な爽快感や、
「元町住民は知ってるけど、みんな知らないだろ」的な
ある種の優越感さえ抱きそうになる穴場店ともいえる。

でも、そんなちっぽな爽快感や優越感が何になるんだろう。
ただ、そんなちっぽな爽快感や優越感が、
親しみにつながり、愛着が生まれ、
ひいては、その地域自体を好きになるのかもしれない。
今日紹介した店の中で、「渡り鳥」は元町に住む以前に
行ったことがあったが、
ほかはここに住んだからこそ出会えた店(施設)である。
出会えたことに感謝、そしていつか、
「あの当時、元町に住んでいて~」などど言って、
いい思い出になっていくことだろう。


テーマ:おいしい店紹介 - ジャンル:グルメ


ライブの予定がない。
というか、ライブができる精神状態と環境になっていないので、
予定を入れていない。

昨年終盤から、雪の斜面を滑り出したら止まらなくなり、
かといって、ブレーキをかける度胸もなく、
安全に転ぼうとする勇気もなく、
不安定な状態のまま滑り続けていたら、
今年に入ってから、スキー場の立入禁止区域に迷い込み、
立木に激突したような状況である。
その傷が癒えず、まだリハビリ途中にあるので、
ライブを組んでいない。

1月半ばから、あまりのダメージに、縮こまって毎日を送っていた。
何をしても、何を考えても、
やりきれない気持ちになるだけだった。
けれども、このままずっとこうしているつもりかい?
「なるようになる」ってお気楽モードにシフトチェンジするつもりかい?と、
もうひとりの自分が、心の壁をつつき始めたのが約1週間前。

このままここで黙ってるつもりなどない。
そんなんじゃやってられない。
後ろに引き下がるつもりもない。
ならば、前を向いて歩いていくしかない。
そんなふうに心の向きは変化した。

とはいえ、あからさまに距離を置き始めた人がいる。
腫れ物を触るように接する人がいる。
そんなのクソくらえだぜ。
胸を張って歩くぜ。
横から見たら、「人」という文字になるように歩くぜ。
どれほど権力があるのか知らないが、
「入」という文字になって歩くようになったら終わりだぜ。
肩書きとしてではなく、「人」として付き合ってもらえるようになるぜ。

「その人が越えられる壁しか用意されない」という言葉がある。
私は残念ながら、越えられない壁も用意されるのが現実だと思っている。
むしろ越えられない壁を前に、
そこで、どう折り合いをつけるのかが重要だと思っている。
壁を越えようとするのか、壁に穴をあけようとするか、
壁のない道に遠回りするのかはわからないが、
いずれにしても、私はこのままでは終わらないし、終われない。

自分にとって何が一番大切なのかを何度も考えた。
振り返ってみると、大切なことを増やしすぎて、
それほど大切ではないことまで、保ち、守ることだけで
いっぱいいっぱいだったように思えた。
完全な上滑り状態で、止め方がわからなくなっていた。
今はまず、一つ、二つのことに関して、
地に足のついた力をつける時なのだ。
山に登る力よりも、きちんと下山する力こそ必要なのだ。
そうでなければ、なるようになどならない。

いい意味で「なるようになる」のは、やるだけやった人だけである。
力を抜いた芝居をして、いい感じになるのは、
力のある役者について言えることであり、
力のない役者が力を抜いてやると、見るに耐えないものになる。
これはミュージシャンでも、作家でも言えることだろう。
力が備わっていない者の「開き直り」は、「投げやり」に映る。
これほど見苦しく、痛々しいものはない。

私は胸を張って、前を向いて歩く。
それを快く思わない人もいるだろう。
そういう人は、いつもの仲良しグループの飲み会で、
お高くとまってればいいさ。
せめて、挨拶したら、挨拶を返すくらいの常識は持ってほしいけど。
目に見える形で圧力をかけられても、理解はするだろうが屈しない。

ところで、ライブの予定はないが、
いつまでもライブをしないわけではない。
1月半ばから、週に1度はスタジオ・インしており、
家でギターを手にする時間も、ライブ直前と同じくらいである。
まさに、地に足のついた力を備えようと
内部活動をしている状況である。
具体的に言うと、昨年作った十数曲について、
バンド形式でできるように組み立て直している。
つまり、アレンジ作業をしている。
そして、それをやってるうちに、新しい曲も生まれている。

今は目立った動きはしていないものの、
音楽活動に対する気持ちの高まりはしっかりとある。
いつになるのかは未定だが、次のライブでは、
充電していたことを感じ取れるものにできると思う。

音楽と出会えて良かったと改めて思う。
私の音楽で世界は変わらないが、私自身は変わった。
「胸を張って歩くぜ」、「前を向いて歩くぜ」、
「そんなのクソくらえだぜ」、
「オレはこのままでは終わらないし、終われない」。
今日の記事に書いたこれらの言葉を最も強く思うのは、
スタジオで歌ってる時である。
恥ずかしながら、自分の曲に元気づけられているのである。
私は便利にできている。
それとも、「ひとり上手」と呼ぶべきか。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記


最近のブログの記事を振り返ってみると、
映画、ラーメン、カレー、本が題材となっている。
観たもの、読んだもの、食べたものに関しての話であり、
いわば広い意味で「鑑賞モノ」である。
(食べ物についても、芸術作品を味わうという意味において
 「鑑賞モノ」としたい。
あるいは「情報モノ」と言うべきか。
 とりあえず今回は、「鑑賞モノ」で統一)

これを、どういう切り口で表現するのか、
そして、どうやって自分を出すのかが重要なのだが、
それ以前に問題となることがある。
鑑賞モノは、相当に強い印象や特徴がない限り、
味にしても、その時感じたハート・ウェーブにしても、
3、4日経てば、かなりの部分を忘れてしまうのだ。

そのため、ブログで記事にする際、記憶の糸をたどるのだが、
「ほんとにこうだったか?」、「いや、違うよなぁ…」と
自問自答を繰り返し、糸をなかなか手繰り寄せられない。
そこで、昨年の後半あたりから、
鑑賞モノに関しては、鑑賞した2日以内に、
一言でもいいから、まず感じたことをメモしておくことにした。

特に、食べ物関係の記憶は消えやすい。
食べているその場で、「この味はすぐに忘れてしまうな」
と感じることもある。

そんな時は、店内にて、割り箸の袋や、財布の中にあったレシートに
メモをとることもある。
ただ、そこまでしても、退屈な味&雰囲気ゆえに、
全くテンションが上がらず、ボツにすることがほとんどである。

さて本日は、2009年に入ってから初のCDレヴュー。
これまた「鑑賞モノ」である。
しかし、他の鑑賞モノとは決定的に異なる点がある。
メモをとっておく必要や、記憶の糸をたどる必要がない。
なぜなら、そのCDを聴きながら文章を書けるからである。
しかも、今日までに何度か聴いてるわけである。
そのため、他の鑑賞モノの記事よりも労力は少ないのである。

今回は、新人から大ベテランまで4作品を取り上げた。
それでは、どうぞ。

■フランツ・フェルディナンド「トゥナイト」
フランツ・フェルディナンド/tonight 
イギリスのロックバンド、フランツ・フェルディナンドの3作目。
前作は、私の選ぶ「2005・アルバム・オブ・ザ・イア」において
第3位を獲得したこともあり、
大きな期待を持って、4年ぶりの新作を聴いた。


演奏に安定感が増し、ビートひとつにも洗練ぶりが窺える。
技術的クオリティの面では前作を超えるだろう。
しかし、技術的クオリティなど何の意味があるんだ?と思うことがある。
それがこの作品の最も簡潔な感想である。
サウンドの向上は見られるが、全体として退屈なのである。

このバンドは、鼻歌を歌えるようなキャッチーなフレーズや、
ドキッとするほどの必殺メロが最大のウリだった。
ところが本作は、その点がやけに乏しく、いかにも寂しい。
キラーチューンが1曲もない。
また、これまでに多用した、リズムを完全に変えてまで
思い切った展開をするという
意外性も影を潜めている。

また過去2作は、ギター、ベース、ドラムだけで、
よくここまでのポップでエッジの利いたサウンドにしたものだと感心した。
本作は、シンセ、キーボード、パーカッションなどを駆使している曲が多い。
それはそれで良いのだが、生かして切っていない上に、
個性を消してしまったように感じた。
特に後半の3、4曲は、別のバンドかと耳を疑うほど、
だらっとした、甘ったるいものとなっている。

私のハンバーグ感は、デミグラス・ソースで食べるのではなく、
ハンバーグ自体に味付けがされているタイプを好む。
タレをつけるなら、びっくりドンキーのハンバーグのように、
サラサラ和風ダレのようなのがいい。
このアルバムは、ハンバーグの味付けより、デミグラにばかり
力を注いだような作品である。
良く捉えれば、新境地、マンネリ打破、実験的ともいえるが、
ハンバーグ自体がこれじゃあ…、という感じである。
デミグラも、大衆的な味ではなく、妙に大人味で中途半端かなと。
もう少し聴き込めば、クセになってくるのかもしれないが。

余談だが、ジャケット写真にはメンバー4人が写っている。
殺人現場を撮すな!ここに入るな!的なフォトである。
メンバーのうち、ベーシストが死体役を演じている。
中ジャケならまだしも、表のジャケ写で死体役を演じるのを
よく引き受けたものだ。それともやらされたのか。
作品が思いがけず退屈だったので、そんなことまで気になった。

■ブルース・スプリングスティーン「WORKING ON A DREAM」
B.スプリングスティーン/working on a dream 

前作「マジック」は、「2007・アルバム・オブ・ザ・イア」において
第1位を獲得した。
80年代半ばから彼の音楽と距離を置いていた私は、
20年以上にわたる非礼を詫びたいと思ったし、
同時に大きな感動をいただいたことに感謝した。

そして前作から1年3か月という短いインターバルで
新作がリリースされた。

前作「マジック」のツアーの合間にレコーディングしたらしい。
納得のいく素晴らしい作品を作り上げ、ツアーも好評を博した。
その勢いで、最高のメンバーにより、良い雰囲気の中で作られたようだ。

とはいえ、あまりのインターバルの短さに戸惑った。
贔屓のアーチストのアルバム・リリースの場合、通常ならばワクワクする。
ところが、本作のリリースを知った時、
最初に感じた気持ちは、「どうして?」だった。
「なんでもうリリースするの?」と懐疑的だった。

1月31日、タワーレコードに「レイザーライト」(イギリスの若手バンド)
の新譜を買いに行った。
ところが、ブルース・スプリングスティーンの新譜を目にし、
何曲か視聴しているうちに、
「2007・アルバム・オブ・ザ・イアで第1位に選んだアーチストを
 無下にはできない。
 彼の新作をバイ&リスンするのは、順位付けをした私のノルマであり、
 責任であり、宿命である」。
そんなふうに自分で自分に義務&圧力をかけてしまった。
結果、レイザーライトの新譜ではなく、本作をバイした。
そしてそれは、失敗だった。

基本的には前作の延長線上にあるような作品である。
個々の曲は決して悪くはない。ところが、全く新鮮味がない。
前作からこぼれた作品を集めたのか?と疑心暗鬼にもなった。
「少し力を抜いて好きなように、楽しんで、でも真剣に」。
そうした雰囲気は十分に感じ取れる。
しかし、前作であふれていた熱いハート、疾走感、緊張感
というものが伝わってこない。
怒り、憎しみ、悲しみ、優しさ、嘆き、喜び。
そうした思いの凝縮感に乏しく、
力が抜けてラフにやっている分、薄まったかのようである。

曲自体のパワーも気にかかるが、
やはり、前作からのインターバルの短さが、
いまひとつ盛り上がれない最大の要因だろう。
つまり、リスナーの飢餓感が生じる前にリリースされたことにより、
聴く意欲に乏しいのだ。
昼の12時にハンバーグ定食を食べ、
その日の午後2時30分に、同じハンバーグを使用したハンバーガーを
食べるようなものである。
勝手を言わせてもらえるなら、しばらくはアルバムを
リリースしなくてもいいので、ぜひ来札していただきたい。


■ザ・トルバドールズ「ザ・トルバドールズ」
ザ・トルバドールズ 
イギリスはリバプール出身の新人バンドのデビュー作。
UKらしいポップで、新人にしては相当手堅い出来となっている。
表面的&気分的に「ロックだぜ、ロックしかないぜ」と
言いたがるバンドとは
一線を画すような、
地に足の着いたサウンドづくりをしている。

ひたすらメロディとサウンドとコーラスで作り上げており、
知らずに聴くと、60年代のバンドかとも思うだろう。

この作品は、i-podでシャッフルで聴くよりも、
アルバムまるごとで聴く方がいい。
最初は物足りなく感じるが、続けて聴いているうちに、
ソフトでクールでポップな独特な世界観が心地よく感じてくる。

新鮮味はないが瑞々しい。
衝撃はないが感情の扉を開いてくれる。
ストーン・ローゼスのような圧倒力や怪しさはないが、
ストーン・ローゼスよりしなやかで聴きやすい。
現代のブリティッシュ・バンドいえば、
タイプは異なるが、ザ・クークスやレイザーライトと並べても
違和感も遜色もない。

本国イギリスでは、ポールウェラーが絶賛。
日本でも、なぜか大貫憲章が絶賛。
その実直ともいえるプロダクトが評価を高めているのか。
いずれにしても相当の力量があることは間違いない。
そして、その力を誇示するのではなく、
しなやかに表現しているのがいい。


問題は、この手の安心・安定のUK王道ポップは、
何気なく流れていると聴き入るのだが、
即効力が薄く、ピンポイントでの渇望はしにくい。
今はヘビーなローテーションで聴いているからいいが、
様々な音楽を聴いているため、時間が経ってしまうと、
目立たない位置づけになってしまいがちになるのだ。

だとしても、4曲目収録の「サレンダー」と5曲目収録の「ギミ・ラヴ」は、
半年後に部屋の隅で誇りをかぶる作品ではない、
卓越したメロディ・センスを感じさせる。


たまたま立ち寄ったショッピング・モール内のレストラン。
いくつかあるランチ・メニューの中から、ハンバーグのセットを注文。
「大量生産の業務用ハンバーグだよなぁ」と思いながら口に入れると、
思いがけず手作りで、肉汁出まくり。
そんなアルバムだった。

■ザ・イーグルス「LONG ROAD OUT OF EDEN」
ザ・イーグルス/long road out of eden 
2007年10月にリリースされたイーグルスの最新作。
スタジオ録音のアルバムとしては約28年ぶりである。
イーグルスに関しては、ほとんどベスト盤しか聴いておらず、
特にこの10年は、ホテカリ、デスペラ、テキイージーの3曲しか
満足に聴いていない状態である。
イーグルス検定試験があるとすれば、予選落ちしているだろう。

そんな私だが、このアルバムは、リリースされてから
ずっと聴いてみたいと思っていた。
きっかけは、たまたま聴いていたラジオから流れたことだった。
もろアメリカンな大人のロックであり、
海辺のワインディング・ロードを想像させるサウンドに心地良さを感じ、
ぜひフル・アルバムで聴いてみたかった。

落ち着きと安定感のある優れた作品である。
曲もフレーズもベーシックで、聴いていてほっとする。
余裕と貫禄が音からひしひしと伝わってくる。
同時に、「BGMで流しっぱなしもオッケイオーライ」的な
ライトタッチな肌触りも窺える。

非常に印象に残ったのが、イーグルスは、
こんなにギターが前に出る
バンドだったのかということ。
完全にギター・ロックである。

オーソドックスなフレーズを、実に味わい深く弾いている。
ただ、曲によってはギターがしつこい。
ちょっとした隙間があると、チョロっとしたギター・フレーズを
必ず入れてくる。
全体の印象は「サラリ」なのだが、よく聴くと、くどいのだ。

このアルバムは2枚組である。
「BGMで流しっぱなし」状態なら気にならないのだが、
じっくりと通して聴くと、似たような曲が多く、

また、不必要に間延びしている曲があるため、
途中でおなかいっぱいになってくる。
2枚組にしないで、1枚に凝縮した方が、
今だからこそのフレッシュさやパワーを感じられたと思う。

現代的エッセンスもところどころに見られる。
マルーン5っぽかったり、ジェームス・ブラントっぽい曲もある。
90年代の矢沢永吉サウンド的なアーバン・ナイトを想起させる曲もある。
しかし、余韻として残るのは、やはりイーグルス・スタンダードである。
何年経っても、どんな曲をやっても、
イーグルスはイーグルスになるのだ。


延々と批評したが、結局は、「いやぁ、イーグルスっていいよねぇ」
の一言で全て済むアルバムではある。
7年ぶりに食べたカリー軒(月寒中央通2丁目、R36沿い)の
ハンバーグが、「とことん普通で、やっぱり美味しい」と感じたように。

テーマ:洋楽 - ジャンル:音楽


寒い季節は、昼食の際、職場から出ないことが多い。
2008-2009冬は、そんな時、読書をすることが多い。
昼休み中の職場内は、節電対策により、
全ての照明が消されている。
文字が見えにくく、結構読みにくい。
天気の悪い日は、窓際の席に移動して読んでいる。

このように職場での読書環境は良くないが、
意外に読めるものである。
ただ、集中が高まり、物語の中に入り込めたところで
昼休みが終わることが多い。
たまに午後から仕事を休んで帰ろうかと考える時もある。
しかし、そうやって帰ったとしても、きっと読書はしないのだ。
ある程度のストレス状態と、ある程度の不自由環境にあるから、
読書欲求が高まるのだろう。
人間の精神は複雑なものだ。

さて本日は、1月中に読んだ本の中から3冊を紹介。
いずれも2008年に出版された作品である。
では、どうぞ。

■五十嵐貴久/相棒
   五十嵐貴久/相棒 
最初に念のため申し上げておくと、
右京さん&薫ちゃんの「相棒」とは全く無関係である。


時は幕末。ところは京都。

第十五代将軍 徳川慶喜は、大政奉還の協議をするため、
西郷隆盛のもとへ向かう。
その道の途中、徳川慶喜暗殺未遂事件が起こる。
この犯人捜しに抜擢されたのが、
新撰組副長 土方歳三と海援隊隊長 坂本龍馬。

幕府を守る立場の土方と、大政奉還を唱える龍馬という、
立場も性格も相反する二人が、幕府の命令によりタッグを組むことに。
しかし二人は、互いを信用できず、
探り合っては揉めるばかりで、犯人捜しは難航する。

ところが、同じ目的に向かって、同じ行動をとると、
何かが通じ合ってくるのだろうか。
二人は次第に、トム&ジェリーよろしく、仲良く喧嘩しているように
なってくる。
そして最終的には互いを認め、協力し、この作品のタイトルどおり
「相棒」と呼べるところまで仲を深めていく。

二人は犯人捜しのために、西郷隆盛、桂小五郎、岩倉具視など、
幕末スター達に話を聴きに行く。
しかし、ただ話を聴いているだけで、ぐさっと入り込んでいかない。
そのため、犯人捜しというミステリ部分に着目すると、
劇的な場面や、興奮シーンに乏しく、淡々としたものに感じる。

また、犯人は誰なんだ?と読者を引きずり込んではくれるものの、
最も盛り上がるべきところで、あっさりと犯人が
判明したような気がして、肩透かし感は否めなかった。

ただし、幕末の事情を記した物語として読むと興味深い。
幕府と各藩の上下関係のようなものが見えたり、
新撰組というのは、立場上、そんなに上じゃないことなど、
さりげなく面白く描いてる。
幕末のことをもっと知りたい気持ちになったし、
歴史モノのわりには、読みやすかった。
作者である五十嵐貴久の作品は初めて読んだが、
とりあえずもう一冊、現代ミステリを読んでみたい気になった。

■恩田陸/猫と針
恩田陸/猫と針 
出演者は30代後半の5人(男3人・女2人)。
彼らは高校時代の同級生。
彼らの同級生が亡くなり、5人で葬儀に参列。
10数年ぶりに再会した彼らは、参列後、酒を飲み始めた。

話題は、亡くなった同級生が他殺だったのでは?との疑問に。
その後、トイレに行ったり、携帯に電話が入るなどして、
5人のうちの誰かが、常にそこにはいない状況が繰り返される。
そして残った者で、そこにいない者の話をする。
ミステリ作品であるがゆえ、当然、陰口めいた話になってくる。


次第に、5人それぞれが抱えている厄介事が、
亡くなった同級生と微妙に関わっていることが明らかになっていく。
場は不穏な空気に包まれていき、
疑惑が渦巻いていく、というストーリー。


この作品は、5人の会話のみで構成されている。
いわば舞台劇ができるような台本形式になっている。
5人それぞれの過去と現在をうまく絡め、
誰もが怪しい状況を築いていく書きぶりはさすが。
短い時間のうちに、「そこにいない者の話をする」という
シチュエーションは、読み手の緊張感も高めてくれる。
そして、どんな結末が用意されているのかと、
気持ちは引き寄せられた。


ところが、である。
結末がぼやっとしていて、よくわからないのだ。
あれだけ引っ張ったわりに、終盤が淡々としていて、
これで終わりなのか?と腑に落ちなかった。
しかし、設定は面白いし、心理的サスペンスとして楽しめる。
また、作品が短いこともあり、一気読みできる。

■吉田修一/さよなら渓谷
吉田修一/さよなら渓谷
東京郊外の小さな町で起こった幼児殺人事件。
その犯人ではないかと容疑をかけられた母。
彼女と事件の関係が物語の軸になるのかと思いきや、
主人公は、彼女の隣りの家に住む30代の夫婦である。

幼児の母は、警察の事情聴取において、
隣の家の夫と男女の関係にあったと供述。
この夫の妻も、警察に対し「二人はデキていた」と説明。
一気に、夫は共犯、あるいは教唆をしているのではないかと
注目が集まっていく。

そんな中、ある週刊誌の記者が、夫の過去を洗い始める。
すると、大学時代に、ある事件の加害者だったことを知る。
さらに、妻の過去にも不穏なものがあることに気づき、
とんでもない現実にぶち当たる、というストーリー。

加害者、被害者とも、過去の事件によって背負うものの重さと、
周囲のしつこさと自らの引きずり意識に、息苦しくなる箇所もある。
全てから解放されようと、自由になろうと、
幸せになろうと望んでたどり着いた生活は、
あまりに辛く切ないものだった。

文章自体は非常に読みやすい。
テンポ良く、それでいて丁寧に描いているためわかりやすいし、
先を知りたい欲求を高める書きぶりにもなっている。
そのため、すぐに読み終わった感がある。
実際、面白かったし、引き込み力もあった。

ただ、内容の重さ、複雑さのわりに、さらっとした感触だった。
「この先が面白そうなのに」というところで終わった感じがした。
作者・吉田修一の前作、「悪人」における負の沈殿ぶりが
壮絶だったので、本作への期待が高かったという事情もあるが、
他のエピソードなどを交えて、もっとえぐってほしかったかなと。
良くも悪くも、はみ出し感がなく、まとまり過ぎたかなと。

「あんな事件を起こした俺を、世間は許してくれるんです。
 
許すというか、理解しているのが分かるんです。
 だから、俺も自分で自分を許そうとしました。
 許さなければ、許してくれる人達の中に入れなかったんです」
夫のこの言葉が非常に印象に残った。

そう、「許すとは?」ということが、この物語の根底にあるのだ。

そして、「許すこと」と「幸せになること」の狭間で、
非常に切ないエンディングを迎える。
こうして感想を書いていたら、
さらっとしていながらも、なかなか深みのある作品だと、
今になって思えてきた。

誰しも、どうしても許せないことがあるかもしれない。
「許さない」という気持ちは、時にはパワーにもなる。
しかし、多くの場合、許すことなしには、
本当の意味で前に進めないのかもしれない。
許すことは、ある意味、成長することなのかもしれない。
だから、許すことはとても勇気のいることなのだ。

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年齢を感じることのひとつが、
ルーカレーを食べた時の胃もたれ頻度が増えたことである。
何年か前までは、体調が悪かったり、食欲がなかったり、
何を食べたいかわからない時でも、ルーカレーなら食べられるほど、
スムーズでライトな食べ物のように思っていた。
それが今では、普通の体調の時でさえ受け入れられない日があるのだ。

嫌いな食べ物は?の問いに対し、
「カレーライス」と答える人は、かなり稀だろう。
日本において、年齢、性別、業種、立場、血液型などを問わず、
最も受け皿が大きい食べ物がカレーライスだといってもいい。
いまや「おふくろの味」アンケートをやったら、
カレーライスは相当上位にランクインするはずだ。
まさにカレーライスは、現代の日本の国民食といってもいい存在である。

そんな国民的ポピュラー料理を受け付けない日が
年々増えてきていることは、いささか寂しい。
しかし、「なんとなくカレーライス食べたいよなぁ」と思うことはある。
特に昼食時に欲する場合が多い。

私は、札幌駅の近くで働いている。
寒くなってからは、職場内で昼食を済ませることが多いが、
時々、「トゥデイはカレーライスしかないよね」と、
ピンポイント指定でカレー欲求が生じる日がある。
そんな時、コンビニや弁当屋のカレーライスで済ませようとは全く考えず、
寒くても面倒でも外に食べに行こうとするのだ。
カレーを受け入れる胃は弱ってきても、
カレーに対するエナジーは弱っちゃいないぜオーライ。

札幌駅界隈は、カレー専門店が多い。
ただし、ピンキリである。
今回は、ピンもキリも含めて、
札幌駅から徒歩10分以内の場所にあるルーカレーの店を紹介する。

■印度(中央区北2条西3丁目 敷島ビルB1)
印度 
1970年に開店した、札幌におけるカレー専門店の草分け的存在。
独特の甘みと微妙な塩気を感じるビーフカレー主体の店。
ルーは緩めで、スパイスも遠慮がちで、どちらかといえばあっさり系。
しかし、他店にはない味であり、家庭でも出せない味である。

ただ、特別感は大きいわけではなく、
しみじみと良さを感じるわけではなく、
忘れた頃に強烈に欲するわけでもない。
時々、なんとなく行ってしまうのだ。
この「なんとなく」引き寄せるパワーこそ、
店が長く続いている秘密ではないか。
その意味では大変重要な要素だと思う。

結果、おそらく、年に4、5回くらいは食べている。

注文してからカレーが出されるまでの早さは賞賛に値する。
ゆえに、スピーディ&シンプルにカレー欲を満たしたい時にはもってこい。
それは決して失礼なことではないだろう。
「スピーディ&シンプル」+「なんとなく」は、
味に加え、お手軽感や客の回転を考える上で、
店側にとっても客側にとっても、完全なプラス要素である。


ちなみに、「印度」は、北2条店のほか、北5西5に駅前支店がある。
どちらかを選択できる状況にあるならば、迷わず北2条店に行くべき。
北2条店の方が雰囲気がいい。
どことなく老舗のカレー専門店然としたムードを感じられる。
それに対して北5条店は、雰囲気がチープである。
なんとなく無愛想で、カウンターの内外で温度差を感じる。
そうなると、味も北2条店の方が美味しいように思えるわけである。

■おの(中央区北5条4丁目 アピア内)
おの 

ベーシックな洋風カレーといった感じ。
クセがなく食べやすい味。ただ、個性がない。
良く言えばまとまっているが、
この店じゃなくても、どこかにあるよね的な味でもある。
もしかして業務用のカレーか?とも感じられるほど。
実際どうなのかは不明。

また、具がダイレクトすぎるかなと。
下処理が足りないというか、工夫がないというか、
とにかくそのままな感じなのだ。
チキンカツカレー(写真)がウリであるらしい。
カツに手作り感があるのはいい。

しかし、特徴も個性もなく、全くもって普通のチキンカツである。
もしかして業務用のチキンカツか?とも感じられるほど。
実際どうなのかは不明。

なお、この店の最大の特徴はバタバタぶりである。
店内は狭く、特にカウンターの後ろはかなり狭い。
にもかかわらず、席の後ろからカレーを出し、
席の後ろから食べ終わったものを下げるため、終始落ち着かない。
なぜスタンドカレー店なのに、
前出し方式ではなく、後ろ出し方式なのか甚だ疑問。

また、食器を下げる際、食器の扱いが粗末でうるさい。
特に男性店員(以前からいる)は無頓着過ぎる。
椅子を足でカウンターに引っ込められた時は、店を出たくなった。
この様を気づいていない他の店員も微妙。
皆、自分の役目だけに必死で、全体に目が行き届く人がいない。
それほど忙しいとは思えないだけに、どういうことなのだろう。

この店は、アピアの食堂街エリアにあり、
周囲にスパイシーなカレーの香りを漂わせていることから、
それに引きずられて入店させる力はあるだけに、
対応がスマートになれば、もっと繁盛すると思う。
というか、アピアに出店してから何年も続いているので、
それなりにお客さんは入っているということだろう。
料金設定はちょっと高めか。
味、価格、雰囲気を総合的に勘案すると、ESTA(エスタ)にある
リトルスプーンに行った方が確実に良いような気が…。


■カフェ・エッシャー(中央区北2条西3丁目 札幌第1ビルB1)
エッシャー 

この店は文句なしに美味しい。
札幌市内の全てのルーカレーの中でもトップクラスだと思う。
玉ねぎの甘みがまろやかなカレー。
最初に感じるのはキャッチーな旨みだが、
後味は重厚感のあるスパイシーさであり、
それでいて、味の抜けもいい。
つまり、親しみやすい味なのに本格的なのだ。

特に、「なすと挽肉のカリー」(写真)が美味しい。
最初は、これをオーダーすべき。
ほっとする味なのに、家庭では出せないような深みとキレがあり、
外食カレーらしい特別感を堪能できる。
ごはんもやや堅めで非常によろしい。

店はビルの地下の片隅にひっそりとあり、隠れ家的佇まい。
店内は、カウンターと席の配置や淡い照明のムードは、
さながら昭和のスナックのようである。

なお、こうした回転の速いカレー店は、
スーツ姿の男性客が圧倒的に多いが、
毎回行くたび、ひとりで来ている女性客を見かける。
確かに、他店に比べれば、女性ひとりでも落ち着ける雰囲気がある。
ただ、タバコ無法状態は、せめて昼の12時台は改善を促したい。

■カレー研究所(中央区北5条西2丁目 ステラプレイス6F)
カレー研究所 

まず値段が高い。
最も安いメニューが、ビーフカレーとチキンカレーの900円。
美味しいのならこの値段でもいい。
残念ながら、この値段の価値には到底及ばない
マックスバリューならぬ、ミニマムバリューである。

ランチタイム・メニューは、飲み物がついて950円。
どういうことすか、これは。
ランチタイム・メニューでありながら、
さして必要でもない飲み物をつけられて通常料金より高いのだ。
そして通常メニューは、ランチタイムでも同じ価格である。
しかもランチタイムに行くと、
ランチタイム・メニューばかりを大きく掲げ、
通常メニューは目立たなくしている。
このことを注文した直後に発見し、
食べる前にテンションが下がってしまった。

初めて行ったので、どれが定番、主流メニューなのかと聞くと、
店員は絶句した。そして戸惑った。
結局、「どれということはない」と、曖昧な回答をされた。
○○カレーを注文される方が多いです」、
○○カレーがうちの基本の味です」など、
その店員の主観と独断でいいから手引きをしてほしかった。
こうした行き届かなさに、またテンションが下がった。

味自体もパンチのないものだった。とにかく味気なかった。
ルーの味、具の味、量など小さくまとまっている感じで、
全てに物足りなかった。
途中からは、カレーを食べてるのかどうかさえ
わからなくなりそうだった。

料理が出てくるまでも遅い。
ルーカレーの店は、待ち時間と食べる時間を合わせて
20分以内でなければいけない。
ここは、カレーが出てきた時は、着席後20分が経過していた。
そのせいで、客の回転が悪い。
値段が高いから、回転が悪くてもやっていけるのだろうか。
ステラプレイス内という立地条件の恩恵か。
いずれにしても、ステラプレイスのオープンから継続している店である。
この手のカレーや、こうした雰囲気が好きな人もいるということだ。
実際、年齢を問わず女性客やカップルは多かった。

なお、大丸デパート内にも、パセオにもカレー屋はあるが、
この店と同様に、高料金・パンチなし・雰囲気微妙は共通。
店側がどうのこうのより、私と相性が合わないということで治めよう。

ただ、店名どおり、カレーのこと、店のあり方など、
本気で研究してほしいと思った。
しかし、今後研究をしても、その結果を私はわからないだろう。
なぜなら、おそらく最初で最後の訪問だと思ったからだ。

■コロンボ(中央区北4条西4丁目 札幌国際ビルB1)
コロンボ 

何度食べても美味しい。
ほのかに酸味があるすっきりテイストながら、
スパイスのキレに奥行があり、後に引く旨みがある。
ルーから様々な味がするため、ルーも噛んで食べたくなるほど。
まさに全国に誇れる札幌のルーカレーといえる。

私のオススメは、ポークカレー。
ポークのバラ肉を大きめに切った状態でカレーにインされており、
臭みを取り、旨みだけを残した肉の味加減が絶妙。
チキンよりも、ビーフよりもルーに合っているように思う。
ポークカレーは750円だが、バリューはマックスである。
ちなみに、人気があるのは、日替わりカレーだろう。

ルーはかなり緩めで、ほぼライスにしみ通るが、
ルーにパワーとインパクトがあるため、
しっかりとライスに味が絡む。
極論をいえば、ここのカレーは、具なしでも十分にいける。
「かけカレー」でもいいくらいだ。
それぐらいルーが素晴らしい。

しかも、ルーはおかわり自由。
ライスも結構多めであり、昼食で食べる場合は
少なくしてもらってるほど。

注文からカレーが出てくるまでの早さがすごい。
カツ系でなければ1分以内だろう。
店員の手際も良く、テンポがいいし、活気もある。
スタンドカレー店のお手本のような振る舞いである。
平日の12時台は、1時間の間に1席で客が3回転している
のではないか。しかも、客はスーツだらけである。
また、平日の昼間にいくと、背の高い綾戸智絵のような女性が
仕切っている。この綾戸フェイスにも注目していただきたい。

平日の昼間に行くと激混みで、
かつ隣の客と肩が触れそうなほどに狭いことから、
写真など撮れる状況ではない。
そこで、写真を撮るために、日曜の午後1時に訪問してきた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
以上が、札幌駅界隈のルーカレー事情である。
考えてみれば、仕事中の昼休みに食べるから、
こうして店に行くのかもしれない。
夕食や土・日には、外でルーカレーを食べることなどない。
なぜなら、家でそれなりの味のカレーを作れるからだ。
実際、ルーカレーは、家で作ったのが一番美味しいという方は
結構いるはずだ。

こうした中、「みよしの」のカレーの根強さには驚く。
先日、澄川を散歩した時に思ったのだが、
澄川も、中の島も、平岸も、地下鉄駅付近の店は、
この20年で8割ぐらいは変わっただろう。
その中で、「みよしの」だけは、ずっと同じ佇まいで存在している。
今更ながら、「みよしの」は凄いと思う。
しかし、「みよしの」の凄さは、
カレーではなくギョウザによるものではないかと、
ここまで書いてから気づいたので、これで終わらせていただく。

テーマ:北海道のグルメ - ジャンル:グルメ



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