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本日は、映画の感想文である。
これまで、映画やDVDの突っ込んだ話はしてこなかった。
なぜなら、私はあまり映画やDVDを見ないからである。
映画館に行くのは年に1、2回であり、
DVDも滅多にレンタルせずに、この数年を過ごしてきた。

特に洋画は、誰が誰だかわからなくなることが多く、

人の区別がつかなくなると、ストーリーもよくわからなくなるわけで、
結果、集中が途切れて最後まで見られないのだ。
ハリーポッターやロード・オブ・ザ・リングなど
子供でも見られる映画でさえ、
わけがわからなくなって、途中でリタイアした経験を持つ。


しかし、映画をあまりに見ないことは、
クグエ・カルチャーを底上げできないことにつながる。
「生活に幅を、人生に深みを、君には愛を」を標榜して
生きていくならば、決して望ましいことではない。
そこで、一昨年あたりから、思い立ったときに映画やDVDを見ようと、
自分の中で意識するようにしてきた。

振り返ってみると、この1、2年の間に見た映画作品にも、
「いいなぁ」と思うものがいくつもあった。
さらに、洋楽CDレヴューよりも、良かった本の紹介よりも、
映画・DVDの方が、読者の皆さんの受入範囲が広いのではないかと
思ったことから、
今回の記事に至ったわけである。

ただ私は、大ヒット作やメジャー作に食指を動かされない。

さらに、前記のとおり、洋画に対する苦手意識がある。
そのため、不完全キャラゆえの偏った傾向の作品を
チョイスすることになるだろう。
映画好きの方なら、今回紹介する3作だけで、
私がどういうタイプの作品が好きかが見えるだろう。
こういった点にご理解とご容赦をいただくことを願いつつ、
お送りさせていただく。


■かもめ食堂
2006年作品。ミニ・シアターのみの上映ながら、
口コミで話題が広がって大ヒットした作品。
「マイペースに生きる40歳女性のほのぼの映画なんだろ」的な
噛み応えのない作品かと勝手に思い込み敬遠していた。
ところが昨年終盤から、心身ともにダウン傾向で、
「刺激などいらん。安らぎをくれ!」状態だった私は、
ある日突然、この作品を見てみたくなった。

かもめ食堂 
主人公の女性(小林聡美)は、フィンランドで、
おにぎりをメインにした食堂を経営している。
ほとんど客が来ない店だが、焦ることなく、
あるがままに自然に振る舞う小林聡美の優しさに触れ、

次第に様々な人が来店するようになる。

来店する客は皆、個性的で、一風変わった人も多い。
かといって、驚くような特別な出来事があるわけではない。
単なる食堂日記である。
特別な言葉があるわけでもない。
徹底して食堂を経営する小林
聡美の日常を描いているだけである。
なのに、どういうわけか印象深い作品だった。

小林聡美の、ひとつ超えた感じの「きびきび」とした雰囲気が、
この作品の大きな軸になっている。
そのきびきびさが、暖かさと安心を与え、
特別な言葉も特別な出来事もないのに、ぐっと惹きつけるのだろう。

それと特筆すべきは、映画全体にわたり静かなこと。

ほとんどバックに音楽を流さず、日常の雑音も目立たないように
しているのが、逆に何気ない会話に厚みをつけたように思う。
そんな中、要所で井上陽水の「白いカーネーション」が流れる。
これが結構琴線に触れた。
この映画に相応しい最高の選曲だった。
特に、小林聡美が一人、プールで泳ぐシーンで使ったのは絶妙で、
切なくて優しくて、哀しくも愛おしくもあり、
非常に心に残るシーンだった。


どうしてこういう設定なのかなど、色々と疑問は感じてくる。
しかし、そのあたりは一切掘り下げず、淡々と物語は進む。
不必要にほじくらず、いい意味で無駄を省いた構成が、
この作品を端正なものにしたと思う。

ラストシーンも素晴らしい。
小林聡美のセリフで、すぱっと陽水の「クレイジー・ラブ」に
入れ替わる。

その潔さが、「まだ見ていたい」という気持ちにさせるとともに、
「いい映画だったな」という後味の良さを演出した。

■転々
テレビドラマをほとんど見ない私は、
全話を見るドラマは、年に2、3作である。
そんな私を夢中にさせたテレビドラマのひとつが、
2006年1月から放送された「時効警察」だった。
その頃私は、DVDレコーダーを持っていなかったため、
飲み行為等により見られない時は、当時の同僚、スミス西野氏に
録画をしてもらってまで見たほどである。

この映画は、「時効警察」と同じく、
監督が三木聡、そして主演がオダギリジョー。
さらに、岩松了、ふせえり等、時効警察キャストもちらほら。

転々 
大学8年生のオダギリジョーは、
三浦友和扮する貸金業者から84万円を借りていた。
なかなか返済できないオダキリに対して、ある時、三浦から、
「借金は帳消しにしてやるから、その代わり、俺がいいと言うまで、
散歩に付き合え」と言われる。
そして、何日にもわたって、東京のあらゆる箇所を散歩する、
というストーリーである。


設定が不可解だったり、「普通そんなことはしないだろう」的な場面は
数多くあれど、見ているうちに、理屈抜きで受け入れてしまい、
一緒に散歩しているような気持ちで見られた。
その大きな要因は、東京の下町や裏通り的な場所を、
田舎のマチっぽくフィルムに収めていることだろう。
「東京って、ほっとする場所だよね」と言いそうになる雰囲気があった。

また、時効警察にも共通するが、
本筋ではない、どうでもいいところに食いついて小さく笑わせたり、
例えば、映像のバックに映る通行人や店の看板などが、
どう考えても普通じゃなかったりと、
小ネタがさり気なく散りばめられているのも、ハートをくすぐった。
「わかる人だけわかればいい」と、開き直ったり、
投げやりになっているのではなく、
そこはかとなく、楽しんでやっていることが感じ取れるからいいのだ。

岸部一徳の起用の仕方がすごくいい。
ストーリーとは直接関係がないのに、かなりポイントになっている。
吉高由里子という若い女優も、なかなかいい働きをしていた。
そして、やはりオダギリジョーである。
ひょうひょうとして、とぼけた感じだが、
アーチスティックで、
かつ、どこか品と知性を感じさせるところを
以前から評価していたが、
そうした彼の個性が良い加減で表現されている。
声と語り口も素晴らしく作品にマッチしている。

全体的には和やかでコミカルな内容でありつつも、
後半は、家族や人生というものを考える場面があり、
胸がキュンとなったりで、さらりとほろっとさせる良い作品だった。

■腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
両親が亡くなり、東京から山に囲まれた田舎に
帰ってきた姉(佐藤江梨子)。

彼女は、女優を目指して上京したが、傲慢かつ自分勝手な素行から
全くうまくいかず、しばらく田舎で暮らすことに。
やがて姉の勘違いバカ女ぶりに、周囲の誰もが巻き込まれていく。
同時に、この家族の秘密が明らかになっていく、というストーリー。

   腑抜けども、悲しみの愛を見せろ 
すごく面白かった。
最初はぼけっと見ていたが、途中から釘付けになった。

誰一人まともではなく、誰一人救われない奇妙な物語だが、
ブラック・ユーモアと、それゆえの滑稽さが絶妙。
そこに閉塞感、不安定感、緊張感が絡み合い、
無駄なく、テンポ良く、
興味を緩ませることなく
最後まで引っ張っていく。


映像上の田舎の景色の美しさにも惹かれる。
長閑なのにもかかわらず、鮮やかに、シャープに撮っているところがいい。
そして、長閑であるがゆえ、東京かぶれの佐藤江梨子の
上滑りジタバタ感が際立って表現されている。

ラストの路線バスのシーンは、どこにもたどり着けない、
どこにも逃れられない、そんなどうしようもない雰囲気があふれ、
そこに、チャットモンチーの「世界が終わる夜に」が静かに入ってくる。
この作品にしっくりと、そして、ぴったりとはまる選曲であり、
エンディングのじわっと押し寄せる感情を高めた。

勘違いバカ女を無理なく演じている佐藤江梨子の凄さをはじめ、
鬱屈した薄暗い妹役の佐津川愛美、
煮え切らずいつもイライラしている兄役の永瀬正敏、
痛いほど健気で、奇妙なほどにお人好しの(永瀬の)妻役の永作博美と、
それぞれが、立場をわきまえた、バランスのいい演技をしており、
裏を返せば、役者起用が大正解だったともいえる。

特に、永作博美は気味が悪いほど熱演をしている。
永作博美の、ここ3、4年の女優としての評価はうなぎ登りである。
ただ私からすれば、見ている者を不快にさせるような嫌~な女性を
演じることが多く、また色気がないキャラにもかかわらず、
ラブシーンが多いなど、芝居とは理解しつつも、
痛々しく思えて受け入れられないでいた。
「もう少し仕事選べば。もう選べるポジションにいるんだから」と
彼女にいつか言いたいと思っていた。

ただ、彼女は、笑顔の裏側に潜む不気味さやいやらしさを演じるのが
持ち味であり、それに自分で気づいたからこそ、
各方面で高い評価を得ているのだろうし、
女優としての、ひとつのポジションを確立できたのだろう。
自分の特性に気づき、それを使う術を見つけた人は強いですな。


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テーマ:映画感想 - ジャンル:映画


今回は、クグエ@スカイウォーカーの選ぶ
「2008・ブック・オブ・ザ・イア」をお送りさせていただく。

2008年から、読んだ本をメモしておくことにした。
2008年が終わり、メモを整理してみると、
1年間で約40冊を読んでいた。

本日はその中から、この2年の間に発行された作品を対象に、
グランプリ1冊と入賞5冊を、
それ以前の作品を対象に、「過去作品賞」として3作品を
発表させていただく。
過去作品賞の3作は、いずれも文庫化されている。
また、入賞の5冊は、私の評価の高い順に掲載したのでご留意を。

それでは、どうぞ。


【グランプリ】
■湊かなえ「告白」
湊かなえ_告白 

新人作家、湊かなえの処女作がグランプリを受賞。
娘(4歳)を殺された女性教師の、犯人である中学生に対する復讐
が物語の軸になっている。
登場人物が皆それぞれに陰湿で身勝手で救いようがない。
そのため感情移入はしないし、嫌悪感をおぼえる箇所もある。
ところが面白かった。先を知りたい気持ちを止められなくなった。
処女作ということで、「新鮮さ」というメリットがあったり、
「過去作との比較でマイナス」というデメリットはないものの、
夢中に読ませる圧倒ぶりと引力は秀でていた。

【入賞】
■伊坂幸太郎「ゴールデン・スランバー」
伊坂幸太郎_ゴールデンスランバー 

全く身に覚えのない首相暗殺の容疑をかけられた30代の男の
逃走と、それを手助けする人々の物語。
ひとつひとつのエピソードはさりげないが、
中盤以降、それを生かして物語の深みが増していく。
その鮮やかさに感心しつつも、スリリングに展開し、
510ページの長編ながら無駄がなく、一気に読まされてしまう。
そしてラストシーンはあまりに切なく、なんとも言えない余韻が残る。
伊坂氏の成長というか、格が違うことを見せつけられた傑作である。

■道尾秀介「カラスの親指」
道尾秀介_カラスの親指 

詐欺をやって暮らしている二人の中年男(40代)と
20代男女3人が奇妙な巡り合わせで出会い、
ヤミ金組織に復讐をするストーリー。
シンプルな文章ながら、非常にこなれていて、
読みやすいのに濃縮さが感じとれる。
構成もそつがなく、緊張感を持ったまま
終盤のどんでん返しまで一気に引っ張られた。
最後には、じんわりとさせられる読後感が良い作品。

■今野敏「隠蔽捜査2 果断」
今野敏_果断 

堅物な46歳のエリート警察官僚の物語。
融通の利かなさから、周りからは「変人」呼ばわりされるが、
その堅物さが逆に、汚れた警察社会の歪みを切り裂いていく。
犯罪の裏にあるもの、警察組織の隠蔽、警察官僚の家族、
そうしたものがバランス良く描かれた人間ドラマである。
物語に入り込ませ、共感させ、一緒に呼吸させる、
まさに小説のお手本のような、非常にまとまりのある作品。
同時に、警察組織に対する批判などの社会性も兼ね備えている。

■道尾秀介「ラットマン」
道尾秀介_ラットマン 

30歳の男3人と20代の女性による4人編成のアマチュアバンド。
ある日、この女性の死体がスタジオの倉庫で発見される。
その真相が、主人公の男の過去とともに明かされていく。
後半は二重、三重に仕掛けが絡められ複雑になっていくものの、
わかりやすく描く筆力は素晴らしい。
そして、これぞミステリといえる逆転の構図に感服する。
作者・道尾秀介は、本作と「カラスの親指」の2作がランクイン。
その巧みさは抜きん出ており、2009年も彼の作品に注目したい。

■米澤穂信「インシテミル」
米澤穂信_インシテミル 

時給11万2千円という高額アルバイトは、閉鎖された地下施設で、
7日間にわたって全ての行動を観察されるというものだった。
さらに「1人殺すごとに報酬は2倍」などのボーナス・システムが
設けられた。このバイトに集まったのは12人。
やがて誰かが殺され、誰かが疑われ、派閥ができて争うなど、
昼もなく夜もない緊張と恐怖の中で時間はゆっくりと過ぎていく。
非現実的な設定なのだが、行動や心理は妙に現実的で、
その辺りの不思議なバランス世界も、惹きつけられた要因である。

【過去作品賞】
■桐野夏生「柔らかな頬」(1999年作品)
桐野夏生_柔らかな頬 

旅先の支笏湖で、娘(5歳)が行方不明になった事件をきっかけに、
娘の捜索と自らの心の奥にあるものと対峙する母親の物語。
とにかく心の描写の描き方が秀逸。
特に人間の嫌らしい部分を丁寧に拾っている。
そこに不快感もおぼえるが、見事だという気持ちが上回った。
小樽市朝里小平町(留萌管内)がポイントとして登場するが、
そこに住む人の様子も含めて、地域の描写も巧みであり、
この作品を読んだ後に、朝里の海岸を見に行ったほどである。

■梨木香歩「家守綺譚(いえもりきたん)」(2004年作品)
梨木香歩_家守綺譚 

時代は約100年前。京都の田舎町で物書きをしながら細々と暮らす
30代と思われる男性の何気ない日常を、その季節の草木を
織り交ぜながら、穏やかに、そしてユーモラスに綴っている。
また、河童、人魚、小鬼を登場させるなど、

ファンタジー部分も多いが、不自然さはなく、妙に馴染んでいる。
この4年の間に3度読んだ。昨年3回目にしてやっと良さがわかった。
しなやかですっきりとした文章から伝わる暖かさと和やかさは見事。
再び読む日があるだろうと思われ、ぜひ家に備え置きたい一冊である。

■矢口敦子「償い」(2001年作品)
矢口敦子_償い 

2001年に刊行された作品で、何年も重版されていなかったが、
とある新宿の書店が、店員による手書きの作品紹介を添えて
大プッシュしたところ話題を呼び、2008年に大ヒットした作品。
ホームレスの男(36歳)が偶然に出くわした放火事件と殺人事件。
それらの事件には関連性があり、同一人物による犯行ではないかと考え、
真相を探っていく。しかし、真相が見えてくるに従い、
過去への後悔と、どうにもならない現実に直面していく。
読みやすいと同時に、適度な重厚感と緊張感が保たれているのが良い。

以上が、クグエ@スカイウォーカーの選ぶ
「2008・ブック・オブ・ザ・イア」である。
総括すると、2008年は湊かなえ「告白」と
伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」の一騎打ちだった印象がある。
構成力、人間描写、文章としての素晴らしさ、雰囲気など、
選考のポイントは色々あれど、
最後の決め手は、どれだけ物語の中に引き込んだかだった。

本は、ただ単に読みたくなるから読んでいるだけで、
何かの目的のために読むわけではないのだが、
堅苦しいことを言わせていただけば、
様々な作品を読んでいると、感受性と想像力を試されているような
気持ちになることがある。
私にとって、失いたくない性質の最たるものが、
感受性と想像力だといってもいい。

本を読むことにより、
それまで知らなかった感情、世界、人生に触れる。
それによって、何かに気づいたり、発見したりして、
またひとつ別の角度から、毎日の風景を見られればいいと思う。
ところが時々、全く何も感じない作品に当たる。
そんな時は、自分の感受性に不安を感じてしまう。

テレビは一方的、受動的に見せ過ぎる。
「行間」というものがない。
だから想像力が及ばない。
もしかしたら、本の醍醐味は行間にあるのかもしれない。

我々の日々の生活にも行間がある。
事実行為や結果だけではないところに、
ほんとうの気持ちや、大切なことがあるのかもしれない。
それに気づくことができれば、
人生はより豊かなものになるのかもしれない。


テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌


金曜日に髪を切った。
その際、いつも髪を切ってくれるT氏が言った。
 「まあ、時間が解決しますよ。
 それに世の中を見れば、運が悪い人や不幸な人って
 たくさんいるし、上を見ればキリがないし」

その時、ふと思った。
運が悪い人や不幸な人と比較して安堵するなんてことは
したくないし、しない。
そこは全く響かなかったのだが、
「上を見ればキリがないし」という言葉がハートを刺激した。
私は、誰かをうらやましく思うことが、
ほとんどないことに気づいたのだ。
尊敬し、敬愛し、素晴らしいと思う人はたくさんいるが、
憧れることはないのだ。

何が上なのかはわからないが、
例えば地位や名誉を手にした人、
健康で、家族にも恵まれ、順調な人生を送っている人、
とんでもなく財力のある人、
とにかくやりたいことをやっている人。
そういう人達と入れ替わりたいだろうか。
入れ替わりたいと思わない。
うまくいかなかったり、失敗しても、
自分の能力とセンスで、自分の人生を歩みたい。

ならば、今のダメージ状態も受け入れるしかないのだ。
ダメージを受けても、たとえ引き替えに失うものがあっても、
自分の能力とセンスに従いたいと思うのだから。
そう考えたら、いい意味で諦めがついた。

もしかしたら、誰だって、いつだって
リセットできるのかもしれない。
私がとても幸運なことは、リセットする以前の「セット」が
存在していることだ。
落ち着いて考えてみると、やりたいことがたくさんある。
やり残していることもたくさんある。
時間はかかるだろうし、試練も多くあるだろうが、
誰かになりたいのではなく、自分になりたいと気づいたので、
このダメージを悔いてもどうしようもないのだと諦められた。

大きな勘違いなのかもしれないけど…。


テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記


職場の同僚、中村NBRに聞いた。
「中村家はスーパー銭湯に結構行くの?」
「スーパーセント?」
「5%とか6%っていう意味じゃないから」
「なんすか?スーパーセントって」
「レジャー施設っぽい銭湯っていうか、
 風呂以外にも食堂とか床屋があるみたいな」
「生鮮食品とか冷凍食品が売ってるとか」
「そのスーパーじゃないんだよ」

ほんとに「スーパー銭湯」というものを知らず、
しかも、食いつきが悪い中村NBRに見切りをつけた私は、
同じ質問をM美にしてみると、彼女はこう答えた。
「ほとんど行かないですね」
M美も食いつきが悪かった。

「ああ、そう。温泉もあまり行かない?」
「そうですね。化粧をおとして、またするのが面倒で…」
ここで中村NBRが口をはさんだ。
「化粧、全然濃くないよね。
 化粧をおとしても、そんなに変わらないよね」

「眼力(めぢから)に影響が出るんですよ」
「眼力(めぢから)ねえ…。違うのかねえ…」
「それが結構違うんですよ!」
そんなことで男が女を見る目は変わらないと思うが、
女目線の美意識は男と異なるのだろう。

大打撃の雨の中にいる私にとって、
こうした彼らとの会話は、傘になってくれる。
恐らく私に気を使っている部分もあろうが、
特にM美は、雨が降る前と変わらない普通の雰囲気を
自然に醸し出すセンスを持っている。

彼女なら、雨で化粧が落ちても大丈夫だろう。
そして、いい嫁になることだろう。

私は大打撃を受ける前から、確実に弱っていた。
そのうち、とんでもないダメージを与えられるような、
漠然とした不安と恐怖があった。
自分のキャパシティを超える荷物を抱え、

よろめきながら歩いていた。
負のオーラを自ら感じていた。
それを気づかれないように、
目立たない道の端っこばかり歩いていた。

油断すると、道を踏み外してしまいそうだった。
いや、時々踏み外してもいた。
しかし、道の横には歩道があったり、草むらがあったため、
ダメージは小さかったのだ。

良い時をプラス10、悪い時をマイナス10とすれば、
この2、3か月の間、ずっとマイナス4くらいのところにいた。
「ゼロに戻すんだ」と、自分を奮い立たせて、
無理矢理マイナス4をキープしている状態だった。
がんばってもマイナス4から上昇しない虚無感と、
もがいてもマイナス4から抜け出せない閉塞感が、
私の中の何かをむしばんでいったのかもしれない。

そんな毎日の中で、たまたま道を踏み外した時、
そこは歩道や草むらではなく、今回は崖だった。
巡り合わせやタイミングでこうなったのか、
自分自身の弱り方が崖を導いたのかはわからないが、
なんとかキープしていたマイナス4は、
一瞬にしてマイナス10まで急降下した。

そして今日もマイナス10の位置にいる。
気持ちは重たい。
目線を変えれば、マイナス10の世界に安住し、
それなりに生きていくことはできるだろう。
しかし、ゼロに戻したい気持ちがある。
ゼロに戻れば、運やタイミングで、プラスに転じるはずだ。

そのためには、自分に力が備わってなければならない。
崖を登るのには相当な時間とエネルギーが必要だが、
崖でしか見られなかったものと、
崖でしか感じられなかったことを力にして、
焦らずじっくりと登りたい。
もしかしたら、マイナス10からマイナス9への上昇は、
マイナス4をなんとかキープしているよりも、
レベルは低いものの楽しいかもしれない。
まあ、それほど単純でも容易でもないけれど。


また、自分ではマイナス4だと思っていた状況が、
実はゼロだったのかもしれない。
それを認識できず、焦ったり憂鬱になっていたのが、
マイナスを呼び込んだのかもしれない。

なんてことを書いたが、
どうなったらプラスで、どうなったらマイナスかなど、
本当はわからない。
レベルなんてものも、本当はよくわからない。
共感し合えること、感謝できること、笑えること、
嬉しくて泣けること、達成した喜びを感じられること。
結局はそういうことなのかもしれない。

崖下を歩いている今も、足を踏み外さないよう注意している。
いわば二次災害が起こらないよう張りつめている状態だ。
だから毎日へとへとになっている。
歩いていく過程では、

一旦踏み外して、休んでおかなければ、
翌日から歩いていけない時もあるだろう。
そういう時は、道の横にスーパー銭湯があってほしい。


テーマ:日記 - ジャンル:日記


精神的ダメージは体力も奪うのだろう。
昨日、一昨日と、身体的にはさほど動かしていないのに、
疲れてヘトヘト状態で帰宅した。
特に一昨日は、エナジー完全喪失で、
帰宅後ずっと横になっていた。

そんな私に、ロック知人TNKタナカ氏から、
「そんな時は、大きな浴槽につかるといいですよ」と
メッセージが届いた。

TNKタナカ氏はバンド仲間であり、高校の同級生である。
つまり付き合いは長いし、親しい間柄でもある。
にもかかわらず、彼とは実際の会話でもメールでも
敬語で言葉を交わしている。
お互いを「さん」付けで呼んでいるほどだ。

彼の「大きな浴槽」のアドバイスに対して私は、
「それもいいかもな」と思い、
昨日、帰宅後すぐに、家から150mのところにある
古い銭湯へ行ってきた。

スーパー銭湯ではなく、ベーシックな銭湯へ行ったのは、
10年ぶりくらいである。
近所にありながら、初めて訪れた。
銭湯自体も、浴槽はタイル貼り、
シャワーのお湯が出るところは金属で、水量も少ないなど
レトロ感満載で、タイムスリップ感を味わった。
一番大きな浴槽のお湯も、必要以上に熱かった。

銭湯からの帰り道は、暖まった身体と冬の夜の寒さの
バランスがぴったりとマッチし、すこぶる気持ちのいいものだった。
「ああ、タナカさんは、この気持ち良さを伝えたかったのかな」
と思った。
実際、浴槽に入っている時より、気持ち良かった。

お湯で色々なものが洗い流されるわけではない。
しかし、TNKタナカ氏のさりげない優しさが染み入り、
心の中のアカは少し取れたような気がした。
帰り道、舞い落ちる雪が頬に落ち、溶けて流れ落ちた。
こんな年齢になっても、
友達は大切だと改めて思う、LIFE GOES ON。


テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記


非常に落ち込むことがあった。
自分の心の奥底に潜む弱さに、
自分でも驚くほど情けなくなった。
外に出るのも怖くなり、
この週末は自主自宅謹慎していた。

恥ずべきプライベートなことなので、
具体的な内容はここに記さないことで
ご勘弁、ご了承いただきたいが、
ここで踏ん張らねば、
坂道を転げ落ちてしまいそうな漠然とした不安がある。

しかし、そういうことは誰しも経験することだろう。
いいこともあれば悪いこともある。
ただ、悪いことは連鎖しやすい。
ひとつの悪いことが、別の悪いことを導き、
それが繰り返されると、ドミノのごとく心は倒されていく。
だから、ドミノを食い止める「仕切り」を入れなければならない。
その「仕切り」は、ダメージを正しく受け入れることと、
なんでもない日常を取り戻すための欲望なのかもしれない。

日常は、マイナスが生じて、それをゼロに戻すことの
繰り返しをしているかのようだと感じることも多い。
ただ、ゼロに戻そうと何かをする中で、
別のプラスも得られたりもする。
だから、つまずいても前を向いて歩こうとする。
ところが、前進することに疲れてしまい、
無意識のうちに自分に負けてしまうことがある。
人生とは、こうした精神のバランスを保つための方法を
勉強することなのかもしれない。
結局は、自分というものを知る旅なのだ。

まずは、今ある日常に改めて感謝したい。
非日常な状況で、非日常な心境におかれると、
自分には守りたいものや、大切なものが、
結構あるんだなと思い知る。
ぱっとしない一日も、
「なんだかなぁ」と思いながら、ため息するだけではなく、
時には、ぱっとしない一日に乾杯するくらいの、
大きな心が必要なんだな。


テーマ:日記 - ジャンル:日記


飲み行為の幹事をやるのは、できれば避けたい
という方は多いだろう。
私は、人数が少ない飲み行為の場合は、
幹事をやらせてほしいと思うことが多い。
なぜなら、行ってみたい店に行けるからだ。

それなりの額のマネーをペイするのに、
安易に大型居酒屋チェーン店や、
小綺麗なだけで特徴のない店だと、
非常にもったいない気がするのだ。
せっかくの機会を、みすみす無駄にしているように
思えるのだ。
「白木屋じゃなくても、ほかにたくさんあるだろうって」、
「どうして、安易にアランにするかね」などと、
ひとり愚痴ることも、しばしばである。

10人以上となれば、
人数的にも、それぞれの好みの面からも、
ある程度、無難な店にしなければならないのは仕方ない。
しかし6人前後ならば、選択肢は増えて、融通がきくのだから、
安くて特徴的な美味しいモノがある店や、
行ったことがない店にトライしたいじゃないか。
やっつけ仕事のような店選びをするのは言語道断である。

身近な話でいえば、職場での小規模な飲み行為の際は、
ぜひ幹事をやらせてほしいと思っている。
ところが、全く幹事をやらせてもらえない。
「幹事やらせてほしいな」と出しゃばるのは胡散臭いし、
「オレ、幹事やるよ」と立候補しても、
1971年以降に生まれた世代からは、
「いやいや、申し訳ないっすから」などと言われ、
そこで食い下がるのもみっともないので引き下がる。

中村NBRや山下MSTやM美など年下諸君は、
行ったことがない店にトライするので、
なんらの意見はなく、常に納得するが、同年代連中がひどい。
考えることを拒絶したかのように、
この広い札幌で、ごく狭い範囲での店選びをする。

ただ、私が幹事をやる場合、ひとつ難点がある。
予約を伴う店の場合、当然、予約者の名字を聞かれる。
その際、「クグエです」と言っても、
一回で「クグエさんですね」と返されることなど、
3年に一度くらいである。

「ご予約の方のお名前は?」
「クグエと申します」
「クメさんですか?」
「いえ、クグエです」
「クヌメさんですね」
「いえ、ク・グ・エです」
「クズエさんですね」
「ああ、そうです」
こんな調子である。
途中で、どうでもよくなり、認めてしまうのだ。

このように名字が伝わらないのは、
どうしようもないこととはいえ、非常に面倒くさい。
そのため、平気で偽名を使うことがある。
中村NBRが参加しない飲み会なのに、
「中村」で予約したこともあれば、
例えば、焼き鳥のテイクアウトにおいて事前に電話注文をする際、
「山下です」と告げ、あとで店に焼き鳥を取りにいったときも、
「山下で予約してました」と平気で言っている。

ただ、中村NBRや山下MSTに迷惑はかからないものの、
どこか後ろめたい気持ちがある。
そのため、彼ら以外の名字を使うこともあるが、
なんという名字で予約したか、わからなくなり、
店に行ってから、しどろもどろになったことがある。
「なんて名前で予約してましたかね?ああ、これかぁ」と、
予約した自分の名字(偽名)を店で確認するという
不可解な状況になったこともある。
聞き取りにくく、かつ珍しい名字を持つと、
意外な苦労があるのです。


テーマ:日記 - ジャンル:日記


今日は成人の日だった。
成人式のあり方や、式参加者の意識など、
毎年のように問題が指摘されている。

成人式会場での目立ちたがり行動は、
「僕はまだ子供なんです」と宣言しているかのようで、
とりわけダサく、みすぼらしいものである。
「こういう場で、こういうことにしか頑張れないのかな」と、
そのちっちゃさを哀れに感じるほどである。
しかしそれは、ごく一部の人間である。

私は、もう何年も前から、
今の若者達の方が、自分たちの若い頃よりも、
平均すると、きちんとしているのではないかと感じている。

「今の若い人は口の聞き方わからないから」、
「今の若い人は会社の付き合いを大事にしないから」などという
話をする人がいる。
でも、そうだろうか。
むしろ、私と同世代や上の世代の方が、
そういう人が多いような気がしている。

ろくに人の話を聞かない自分ありきの管理職や、
返事をする時も、決裁を受け取る時も、
食事をする時も、パソコン画面から目を離せない同僚がいる。
エスカレーターをふさぐのも、歩道を横一列でふさぐのも、
行列に割り込むのも中年の方が多いように思う。
そして、人の話を聞くとき、常にポケットに手を
突っ込んでいる総理大臣がいる。

ただ、若者にひとつだけ注文をしたいことがある。
「まあ、平成生まれ初の成人式っていうことでぇ、
新しい時代って感じなんですけどぉ、
20歳っていうことで、大人の自覚とか
責任とか持っていかなきゃって思うんでぇ、
がんばっていきたいっつうか、
選挙にも行きたいと思うんですけどぉ、
まずは、世界的な不況をなんとかしてほしいっていうかぁ、
若者にもチャンスがある世の中にしてほしい思うんですけどぉ、
やっぱ世の中のために貢献できるっつうかぁ、
自分らもやるんでぇ、そう思うんでぇ、がんばるんでぇ…」

語尾を結んで話してほしいのだ。
句読点の「。」をつけて喋ってほしいのだ。
この「いつになったら終わるのよ!」的トークに、
私は非常に敏感である。
特にこの話し方が目立つのがスポーツ選手である。
若手プロ野球選手、若手Jリーガーなどの、
「~するんで」、「~と思うんで」発言の多さと、
語尾を結ばないインタビューにはうんざりする。
最近では、箱根駅伝に優勝した東洋大学の学生も、
インタビューの際この調子だった。

というか、このことも若者に限った話ではない。
ベテランスポーツ選手も、なかなか語尾を結ばない人が多い。
スポーツ選手だけではない。
議会答弁でも、職場における誰かの説明でも、
句読点の「。」が、いつまでもつかない場合が多い。
「読むんじゃなくて、話せ!」ということだ。
何を言いたいのか、よくわからなくなってしまう。
正直、わからなくするために、そうしているとしか思えない。

なんというか、何にしても、
若者のダメぶりを語れば、結局は大人に返ってくる。
成人の日は、20歳の若者が大人の自覚を感じる日ではなく、
大人達が改めて大人の自覚と責任を
考える日ではないだろうか。


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このブログにおいて、ごく一部の読者から、
ディープなリアクションをいただけるネタが、
洋楽CDレヴューである。

ただ、万人ウケはしていないだろう。
しかしそれは、洋楽がダメのではない。
私の文章がダメなのだ。

私は、どんなネタであっても、
パーソナリティとオリジナリティがあるものにしたい。
それを最も重視している。
「クグエ氏じゃなくても、誰か書けるでしょ」的なものにはしくたくない。
ネタが何か、ではない。
私らしい切り口で、私らしい堀り下げ方をしなければ意味がない。
と同時に思うのは、どんな方も読み切れるものにしたいことだ。

複数の人に同じテーマで文章に書かせると、
面白い文章にできる人と、つまらない文章になる人がいるだろう。
また、例えば上手な芸人は、視点もタイミングも絶妙で、
普通のことを言っても面白いものだ。
ところが下手な人は、ネタは良くても面白くできないのだ。
このことは、センスや才能によるところが大きいが、
我々アマチュアレベルなら、「内容ではなく見せ方なのだ」
ということを意識しているかどうかで、
結構な違いが出てくるものと思うし、
自分ありきなのか、相手ありきなのかで、かなり違う。

なんてことを言いながら、今回の記事は、
わがままともいえる洋楽CDレヴュー中心の内容である。
12月29日に、「2008・アルバム・オブ・ザ・イア」を発表した。
この音源に関して、多大なる協力と支援をいただいたのが、
ロック知人、スミス西野氏とダーオ小田氏である。
その二人に敬意を表する意味で、今回はまず、
彼らにとっての「2008・アルバム・オブ・ザ・イア」トップ10を
発表させていただく。
選考対象は、概ね2007.11.1から2008.11.30に
リリースされた洋楽アルバムである。

スミス西野氏の「2008・アルバム・オブ・ザ・イア」
2_beck/modern guilt 
①ベック「モダンギルト」
②レディオヘッド「イン・レインボウズ」
③ザ・クークス「コンク」
④ザ・ミュージック「ストレングス・イン・ナンバーズ」
⑤オアシス「ディグ・アウト・ユア・ソウル」
⑥プライマル・スクリーム「ビューティフル・フューチャー」
⑦トラバドールズ「ザ・トラバドールズ」
⑧ザ・ティン・ティンズ「ウィ・スターティッド・ナッシング」
⑨フレンドリー・ファイアーズ「フレンドリー・ファイアーズ」
⑩コールド・プレイ「美しき生命」

(スミス西野氏のコメント)
「順位を考えているうちに、
何が何だかわからなくなってきましてね、
結局、聴いた回数順にしたって感じですね。
まあ私は、アルバムの全曲を聴くのは最初の2、3回で、
あとは気に入った曲しか聴かないんです。
なので、選んだアルバムの中には
事実上3曲しか聴いてないのもありますね。
でもその3曲が素晴らしくて、
3曲入りアルバムでも十分だったみたいな。
でも、
こういう聴き方の弊害がありましてね。
実はこんないい曲があったのかって、何年か後に気づくんです。

2008年は激戦でしたね。
私がこよなく愛するザ・キュアもかすむくらい、
いいアルバムがありましたからね。
ポール先生(ポール・ウェラー)、R.E.M、
ニック警部(ニックケイヴ)なんかも候補でしたが、
ばっさりいきました。

えっ?私の妻と私の妹の確執ですか?
まあ相変わらずですね。
でも受け入れてる、っていうか楽しむようにしてますよ(苦笑)。
正月も、妹夫婦とは、実家に帰る日をずらしました。
えっ?はい。もちろん妻派です」

オダ氏の「2008・アルバム・オブ・ザ・イア」
1_oasis/dig out your soul 

①オアシス「ディグ・アウト・ユア・ソウル」
②ザ・ヴァーヴ「 FORTH」
③AC/DC「BLACK ICE」
④コールド・プレイ「美しき生命」
⑤ザ・ヴァインズ「メロディア」
⑥ザ・クークス「コンク」
⑦ザ・キラーズ「DAY&AGE」
⑧ブルース・スプリングスティーン「マジック」
⑨R.E.M「アクセラレイト」
⑩レディオヘッド「イン・レインボウズ」


(オダ氏のコメント)
「2008年は作品が充実してたんじゃないかなあ。
でも、バイして失敗したのもあったね。
HMVで試聴してからバイしてるんだけど、
家で聴いてみたら、あれ?みたいなのはあるよね」


さて、私の「2008・アルバム・オブ・ザイア」は、
概ねこの1年間にリリースされた洋楽アルバムのみだった。
もちろん、邦楽や古い作品でも、何度も聴いたアルバムがある。
それを、「クグエ・ミュージックアワード2008」として
ここに発表したい。

■邦楽ベストアルバム賞
  奥田民生「FANTASTIC OT9」
  奥田民生_FANTASTIC OT9
  (講評)
  21世紀に入ってからの奥田民生のアルバムの中で最も良い。
  円熟味を増し、達成感も伝わる素晴らしい作品だった。  
  常に音楽に囲まれて生活している人ならば、
  少し変わったことでもやりたくなるだろうに、
  そうしたトライは内包させて、表向きはベーシックに。
  それでありながら、新鮮に感じるところもあり、
  深い味わいのある傑作だといえる。
  
■邦楽グッドアルバム賞
  チャットモンチー「生命力」
  チャットモンチー_生命力
  (講評)
  演奏はまだまだ緩い。ところがそれを凌駕する曲の良さがある。
  特に歌詞が素晴らしい。奇抜な言葉を使ってるのではない。
  普通の言葉を巧みにメロディにのせ、特徴的な場面を作り、
  きちんと物語にしている。
   そして、歌が上手い。というか、伝わる歌い方なのだ。
  感情と滑舌と抑揚のバランスがいい。
   映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」のラストに、
  このアルバム収録の「世界が終わる夜に」が流れる。
  面白い映画だったが、その曲が流れて、映画の良さが増した。

■邦楽
新人賞
    パフューム「GAME」
  パフューム_GAME
  (講評)
  2008年はパフュームの年といっていいだろう。
  アルバム「GAME」はヘビーローテンションで聴いた。
  シュールながらキュートで、
  手を伸ばせば届きそうなキャラ設定が功を奏した。
  ただ、テレビでの露出が増えるほど、
  アラが目立ってきてるので、
  これからは見せ方について工夫の余地あり。
  それに、ライブが口パクでは、やはり飽きてしまうな。
     
■過去作品賞
  KTタンストール_EYES TO THE TELESCOPE   

 ◇エリック・クラプトン「フロム・ザ・クレイドル」
 ◇KTタンストール「EYES TO THE TELESCOPE」
 ◇ボブ・マーリー「ONE LOVE」
 ◇
くるり「TOWER OF MUSIC LOVER」
 ◇AC/DC「BACK IN BLACK」

 (講評)
  私は、i-podに収録する曲を、月に2回くらい入れ替えるが、
  上記の「エリック」から「くるり」のアルバムは、
  1年を通じて、i-podからはずせなかったほど、
  いつもそばにあった作品。
  AC/DCは10月以降かなり聴いた。
  歴史に残るロックバンドだけに、年賀状でも反響もあった。
  フルチューン氏は「AC/DCの新作はいいっすよ」と、
  高校の同級生の赤井氏(元ロッカー、現少年野球の監督)は、
  「いまさらAC/DCはないだろう」とのこと。

ところで私は、80年代の後半から
90年代の半ばくらいまでにヒットした、
いわゆるJ-POPをほとんど聴いていない。
米米クラブやチャゲ&飛鳥が大ヒットをとばした頃である。
自分のバンドの音楽で精一杯だったのと、
その当時は、ビートルズやザ・クラッシュなど、
かつての王道ロックを聴いていたため知らないのだ。
というか「歌謡曲なんて最悪」と思っていた絶頂期
だったからである。

そのため当時の曲は、誰かがカラオケで歌ってるのや、
過去の映像が流れる番組で見て、後になって知ったのだ。
そして、今になって、ちょっと気になっている。
なかでも、山根康広の「GET ALONG TOGETHER」。
この曲を昨年の暮れに、カラオケで歌ったところ、
不覚にも気持ち良かった。
曲を完全に知らないので、イメージだけで歌ったのに、
思いの外、曲に入り込んでしまった。

特に「こんな僕ではあるけれど」というところと、
「冷たい雨の中傘もささずに 二人海まで歩いたあの頃」
というところが、なぜかピタッときたのだ。
あのメロディには、この歌詞しかない、みたいな感じである。
私はこの曲を、何らかの場で人前で歌いたい。
それもアコースティック・ギター1本で歌いたい。
いや、歌い上げたい。
なんとなく自分の曲のように歌える気がするのだ。

このことは、今日のバンドの練習の後の雑談中に、
メンバーのオダ氏とミチにも話した。
二人とも絶句していた。
なぜ今、山根康広なのか。
そして、この結婚式ソングを、
どんな場で弾き語ろうとしているのか。
自分でもわからない。
私はいったい、どこへ向かおうとしているのだろう。
これをクリアしたら、
中西保志「最後の雨」にトライしたい。
私はいったい、何がしたいのだろう。

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久しぶりに風邪にてこずっている。
大晦日の夜から怪しくなり、年越し、元旦と右肩上がりで悪化。
そして、1月2日は寝ているだけのナイアンデー。
3日の夜は古い友人達との飲み会があったため気合いで回復。
しかし、翌4日には、気合いだけでは風邪が治らないことを
思い知らされ、またも寝ているだけのナイアンデー・アゲイン。

5日から仕事だっため、またも気持ちを奮い立たせ、
朝8時に家を出た。
ところが、外気に触れた途端、とんでもなく身体がだるくなった。
地下鉄環状通東駅まで15分歩くことを想像したら、
家に引き返そうかとの考えが頭をよぎった。
頭をよぎり終わると同時に、シータクがきた。
私は反射的にシータクを止め、地下鉄駅まで乗車してしまった。
朝、通勤のためにシータクに乗ったのは、生涯初だろう。

職場では、年始の挨拶の後は、極力、誰とも話をせずに過ごした。
というか、話をするのが億劫で、ひたすら寡黙に仕事をしていた。
早く家に帰って、横になりたかった。
しかし、やるべき仕事があったので、終業時刻までいた。
さらに、5日の夜は、このブログで「2008・ラーメン・オブ・ザ・イア」を
発表すると予告していたため、そのプロミスは守らねばと、
帰宅後、3時間ほど眠った後に、
テンションをあげて、パソコンに向かった。
5日のブログの更新は死にものぐるいだったのだ。

その反動が
6日、7日に及んだ。
職場では寡黙に、帰宅後はほぼ横になって過ごした。
7日は出席を予定していた飲み行為も断わった。

風邪をひくと、何もかもが面倒になる。
何かを考えようにも、具合の悪さに塗りつぶされて、
何も考えられないし、何も手につかない。
テレビ番組が、無節操にうるさく感じ、
映像もヒステリックに思えて耐えられなくなる。
本を読んでも、内容が頭に入ってこない。

音楽を聴いても煩わしい。
食欲もない。
腹はすくものの、何を食べたいのかわからず、
何かを口にするが、何を食べても美味しく感じない。

とにかく精神的に何も受け付けなくなるのだ。
しかし、これまでの経験を踏まえて考えてみると、
私の場合、メンタル的にやられる時は、
フィジカル的にやられている時が多いことに気づいた。

もしかしたら、フィジカルあってのメンタルではないのか。

フィジカルはメンタルに優先する。
言い換えれば、メンタルをやられても、
フィジカルで克服できるかもしれないとさえ思った。

ところが風邪が良くなったら、そんなことも忘れてしまうのだ。
忘れちゃいけないことまで忘れてしまうのだ。
今日(8日)は、夕方から調子が良くなってきた。
帰宅後は、酒を飲みたいと思ったほどだ。
そして今、ウイスキーを飲んでいる。

道尾秀介/カラスの親指 
さて本日は、本の紹介である。
紹介するのは、道尾秀介「カラスの親指」。
2008年中に読んだ最後の作品である。

ここでいう「カラス」とは、玄人の詐欺師のこと。
「親指」は「父親」という意味だろう。
親指=お父さん指、人差し指=お母さん指、
という意味合いだろう。

主人公は詐欺をやって暮らしている二人の中年男(46歳)。
二人は、ある時、スリをやっている女性(20歳くらい)と知り合う。
やがて、女性は家賃を払えず、住むところを追われ、
中年男二人と共同生活を始める。
そのうち、女性の姉とその彼氏も一緒に住み始める。

皆、知らない者同士だったが、彼らには共通点があった。
それは、過去にヤミ金組織のせいで、家族が殺された、

あるいは家族が自殺に追いやられたことだった。
彼らは、そのヤミ金組織に復讐をすべく行動に出た。
というストーリーである。


読みやすさ、読み応え、ともに兼ね備えたいい作品だった。
作者、道尾秀介の文章は中だるみがなく、
緊張感を保ったまま、飽きさせずに読ませてくれる。
また、会話がいい。
会話に個性があり、リアリティがあり、含蓄もある。

文章はシンプルである。
ただ単純にシンプルなのではない。
そぎ落としてシンプルにしたのが、

内容の濃縮さから感じとれるのだ。
つまり、そぎ落として薄っぺらくなるのではなく、
逆に厚みを増しているように思えるのだ。

ヤミ金組織への復讐、共同生活をしている5人の関係、
それぞれの過去、それらを簡潔に伝えつつ、
ジューサーミキサーにかけて深みを増し、
結末まで一気に引っ張られる。

最後に、予想がつかなかったどんでん返しがある。
4年前に読んだ、
「葉桜の季節に君を想うということ」(by 歌野章午)以来の
大どんでん返しである(この作品も非常に面白く、
過去5年に読んだ本のトップ10に入る)。

正直、「そりゃ、ねえだろ」的な気持ちも少しあったが、
恨むべきか、信じるべきか、
そんな微妙な状況で、
結局は信じることを選んだ、という内容だったせいか、
いい意味で、騙され気分になれた。
読後感が非常に良い。

最後のどんでん返しの前にも、話は二転三転する。
しかし、複雑になりそうなところを、
あっさりとわかりやすく書いている。
それは、物語の前半から中盤にかけての「仕掛け」の部分を、
読者にさりげなく違和感をおぼえさせ、心のどこかで気にさせつつ、
後半一気に引っ張ってひっくり返す作者の技術によるものだろう。

この作品の中で書かれていることだが、
親指(お父さん指)は、他のどの指とも、くっつけることができる。
中指(お兄さん指)も薬指(お姉さん指)も、
他のどの指とも、くっつけることができる。
くっつけられないのは、
人差し指(お母さん指)と小指(赤ちゃん指)である。
ところが、人差し指に親指を沿えると、人差し指と小指はくっつく。
つまり、お母さんと赤ちゃんがくっつくには、
お父さんの力が必要なのだと。

このストーリーは、そうやって生きてこられなかった人達の話であり、
「変わること」、「許すこと」、というのが
大きなテーマになっているのかも。
読む方の心境によっては泣ける作品である。

「いつまでもこのままじゃだめなんだ」、「変わらなきゃ」というのは、
私が私に対してよく言ってる言葉でもある。
でも、現実は「今日もダメだった」と思うことばかりである。
面倒だったり、億劫だったり、
覚悟が足りなかったり、思いが足りなかったりで、
その一歩が踏み出せないことが多い。
それでも、それなりに生きている。生きていけている。

やっぱり日本は平和なのだ。
そして、まだまだ私は甘いのだ。


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