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職場で私の向かいの席に座っている男が、
私に与えるストレスは大きい。
これまでも、このブログにおいて、
携帯電話のマナーモードの音が1日に数十回も鳴ることや、
パソコンのマウスについている「回転つまみ」を、
ほぼ一日中、「ガリガリガリガリ」と回していることを愚痴った。
2008.1.82008.1.232008.2.5の記事参照)
そして彼についたあだ名が「ガリガリ君」。

その後、上司がガリガリ君に対して、
「ガリガリ君のマウス、結構音がするな」、
「音がうるさくないマウス、備品の棚にあるぞ」など、
適確な指摘をしてくれたお陰で、今はかなり治まった。
しかし、マウスを取り替えたわけではなく、
ガリガリ回数を減らしたのだ。
こうした頑固さが、私との和解への道を閉ざしている。

携帯電話のマナーモード騒音回数も治まった。
どう始末をつけたのかは不明である。
ただ、パソコンの横には常に、
開いた状態の携帯電話が置かれている。
そして、しょっちゅう、携帯をいじっている。
そのうち、頬ずりしそうな気もする。

さらには、職場に一般客が来ている時でも、
携帯電話でメールをする。
彼ほど携帯モラルがない中年を知らないし、
携帯に依存し、縛られていることを
ダサいとは思わないのだろうか。

彼は、このほかにも、特異な性質がある。
例えば、「パソコンから目が離せない病」。
他の人からの決裁を受け取る時、
電話をしている時、食事をしている時、
そうした状況でも、常に目はパソコン画面を見ている。
つまり、目はパソコン画面に釘付けのため、
頭からつま先までの身体の軸の部分は動かさず、
腕だけが動いていると想像していただきたい。
異様である。

そのため、食事の時は、食べ物を一切見ていないし、
周りの人から、「お願いします」と、決裁を渡されても、
そちらに目をやることもなければ、返事もしない。

彼はそれで失敗もしている。
パソコン画面を見たまま、横に積んである書類の一部を取ろうとして、
書類を全て机から落としてしまったり、
パソコン画面を見たまま、コーヒーを取ろうとして、
過って自分の側にコーヒーをこぼし、
Yシャツとズボンを思い切り濡らしたこともある。
そのコーヒー事件の時は、午前10時頃だったにもかかわらず、
休暇処理簿に必要事項を記入した後、
誰に告げることもなく帰ってしまった。

「パソコンに目が釘付けなくらいで、
 そんなにいらつくなよ、クグエ氏」
と感じる方もおられるだろう。
なぜ私が、これほどまでに嫌悪感を表すのかというと、
彼が見ているパソコンの向こうには私がいる。
そして彼は、パソコンを見ながら、
「フッ」、「クフフフフ」と鼻で笑ったり、
「ゲッ!」と声に出して驚いたりする。
さらに、どうしてなのかはわからないが、頻繁に首をかしげる。
いずれも、私に対しての態度ではないと思いたいが、
これが一日中、さらに、毎日となると、非常に気に障るのだ。
こっちが首をかしげたくなる。
というか、ろくに仕事もしないで、
インターネットばかり見ているのだろう。

また、これは気の毒なことだが、彼は鼻が悪い。
常に、鼻がつまっているような状態にあると思われる。
そのせいか、鼻をかむ回数が多いのだが、
かなり大音量で鼻をかむ。
いつからこの部屋にBOSEのスピーカーを取り付けたのかと
探してしまうほどのサラウンドである。
そして毎回、明らかに鼻水が出ていない音がする。
つまり、乾いた大音量である。
さらに、その都度、鼻をかんだティッシュを開いて見る。
それをポケットに入れてしまう。
その一連の流れが、なんともつらい。

鼻づまり状態のため、息を吸う時は、
いわゆる「豚鼻(ぶたばな)」のような音が出る。
「いびき」みたいな音である。
これも気の毒なので責めることはできない。
ただ、あまりに回数が多いせいか、
私も変な興味をもってしまった。
自分も豚鼻ができるかな?と思い、
試しに2、3回、小さな音でやってみた。
すると、右斜め前に座る上司が、にこにこしながら、
「クグエさん、鼻の調子悪いの?」と聴いてきた。
変なところで敏感な反応はしないでいただきたい。
「豚鼻を試してみました」と答えるわけにもいかず、
「いや、大丈夫です」と短く答え、
私の豚鼻の音の余韻だけが残った。

ガリガリ君の動作は常にスローで、
表情は基本的にどんよりしている。
しかし、不思議と陽気そうな雰囲気を見せる場合がふたつある。
ひとつは、パソコン画面から印刷したものを
プリンタまで取りに行く時、「パチッ、パチッ」と指を鳴らすことである。
7、8歩の間に10回くらい鳴らしている。
一瞬、「ウエストサイド物語」を上映しているのかと
スクリーンを探してしまったり、あるいは、
ポール牧さんが来たのかと錯覚するほどだ。

腕を下げた状態で歩きながら指を鳴らす。
しかも、両手である。
ただ、気にして見てみると、右手は「パチッ」と鳴っているが、
左手での指鳴らしは、残念ながら、すかした音になっている。

もうひとつは、女性に話しかけられると、
ウハウハ・ボーイになることである。
例えば、同じ係にいるHBまゆみ(25歳・女・推定身長167㎝)が、
「あのぉ、ガリガリ君、ちょっと教えてほしいんですけど」と
話しかけると、
「なになになになに」と言って、パソコンから目を離して、
ウハウハした表情で身を乗り出す。
さらに、「そうそうそう」、「なんでなんでなんで?」、
「それでそれでそれで」など、

会話の中で、とにかく同じ言葉を繰り返す。
そのせいか、「ドリ・カムの曲の中で一番好きなのは何?」
と聞かれた時は、「LOVE LOVE LOVE」と答えていた。

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テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記


先週、サザンオールスターズが活動を休止する
というニュースが報じられた。
サザンへの敬愛の念が非常に強い私であるが、
それほどショックではなかった。
「それにしても涙が止まらない どうしよう」と
いうことはなかった。

なぜなら、1985年にリリースされた名作「KAMAKURA」以降、
アルバムリリースの感覚が大きかったため、
「リリース→休止」を繰り返しているイメージが
強かったからである。

とはいえ、わざわざ「休止」と発表したことは気になる。
とりあえず、解散ではなくて良かった。
これまでも、たくさんの名曲とパフォーマンスを
見せていただいたが、解散では寂しすぎる。
そこにあなたがいないのが寂しいのじゃなくて、
そこにあなたがいなと思うことが寂しいからだ。
それが大事である。

余談だが、「それが大事」という曲は、
負けないこと、投げ出さないことなど、
一番大事にしなきゃならないことが多すぎて、
あの歌詞のとおりに生きていたら疲れてしまうだろう。

サザンがデビューしたのは1978年。
当時中学1年生だった私は、大変ありがたいことに、
サザンのデビューから今に至るまで原体験している。
いつの時代の曲を聴いても、サザンの曲のクオリティは高く、
今もなお、時に興奮し、時に癒され、時に切なくなる。

ただ、「隠れサザン」の時代もあった。
高校時代からバンド活動を始めた。
当時は、ザ・モッズやアナーキーのコピーをし、
その後は、オリジナル曲ばかりをやってきた。
速い8ビート系の性急なロックをやっていたことから、
バンドのメンバーも、周りのバンド仲間も、
サザンを聞いている人などいなかった。
「えっ!まじにサザン聴いてるの?」、
「クグエさんは、サザン聴いてるからなぁ…」と、
軽く揶揄された記憶もある。

7年前に出張で東京へ行った際、半日ほど時間を作れた。
その時、鎌倉や江ノ島へ一人で行ってきた。
江ノ電に乗って外の景色を見ていたら、江ノ島が見えてきた。
すると、心の中では自然に、
「♪江ノ島が見えてきた~」(勝手にシンドバッド)と歌っていた。
江ノ島からは、烏帽子岩(えぼしいわ)が遠くに見える。
すると、心の中では自然に、
「♪烏帽子岩が遠くに見える~」(チャコの海岸物語)と歌っていた。

鎌倉と江ノ島で過ごした何時間かは、
ずっと頭の中で、サザンの曲が流れ続けていた。
途中で、「はらぼー」と叫んだし、
帰る時には、「アリガトねー」と江ノ島に向かって言っていた。
今でも、とてもいい思い出である。
必ずや、もう一度行きたいと思う。

足寄に行った時も、
「おまえさぁ~」、「そうだべ」
、「なが~~い」など、
気づいてみると松山千春口調になっていた。
しかし、函館に行っても、GLAYの曲は歌わなかった。
なぜなら曲を知らないからだ。
さらに、私の場合、
絶え間なく注ぐ愛の名を永遠と呼ぶことができないからだ。

留萌でFM放送を担当していた2006年5月には、
「サザンオールスターズこの10曲」という特集を
やったことがあったし、
エンディングに「素敵な夢を叶えましょう」を流していた
時期もあった。

サザンは、ここでは語り尽くせないほど名曲が多い。
メロディの良さ、桑田佳祐氏のボーカル力は言うまでもない。
私が特にすごいと思うのは、桑田氏独特の言葉を
メロディに乗せるセンスである。
桑田氏の詞はわからないとか、適当だとか、
英語を多用する、などと言われてきたが、
きちんとストーリーがあるし、かなり計算されている。
実は、字足らず字余りのような部分がほとんどなく、
メロディと歌詞が芸術的なほどに一体となっている。
その点では世界一といっていいだろう。

私はミスチルも大いに認めているが、
この点が、サザンと決定的に違う。
ミスチル桜井氏のメロディと言わんとすることは素晴らしいが、
歌詞がメロディに心地よく乗っていなくて、
いまいちしっくりこない場合がよくある。
ミスチル桜井氏は、歌詞を詰め込み過ぎるタイプではないか。
そのため歌詞に無駄が多く感じるし、
面倒くさい表現をしたり、どこか無理矢理感が強い。
いずれミスチル桜井氏についても語りたいと思う。

桑田氏のメロディと歌詞の一体感。
「くどかれたいならそう言いな
 なにゆえ恋する二人なんだもの」(涙のアベニュー)、
「2月26日にはささやかな二人の絆」(素顔で踊らせて)、
「ねえどうしてなの なぜに泣けるの」(栞のテーマ)、
「彼氏になりたきゃどう言うの」(ラチエン通りのシスター)。
ふと思いついただけでも、名フレーズだらけである。
しかも、メロディとピタッと合っている。

前奏だけでやられる曲も多い。
「ミス・ブランニュー・デイ」の前奏の高揚感、
「C調言葉に御用心」の前奏の心地よさ、
「愛の言霊」の前奏の興奮。
ふと思い出しただけでも、聴きたくなってしまう。

前奏だけではない。
「シャララ」という曲は、私の中では隠れた年末ソング、
かつ、実は最もデュエットしたい曲だが、
歌部分が終わった後の最後の演奏部分(30秒くらい)は、
「今年も終わるんだねえ」という感じで、じーんとくる。

私にとってサザンは、歳をとるごとに、素晴らしさを感じている。
現に10代から40代まで、稀に50代まで通用する音楽である。
おそらく、それぞれの世代で、好きなサザンの曲があるだろう。
「TSUNAMI」であったり、「真夏の果実」であったり、
「メロディ」であったり、「希望の轍」であったりするだろう。
素晴らしい。
私の中では、サザンは日本におけるビートルズ的存在だと
言っても言い過ぎではないと思っている。

サザンを語ると尽きないので、この辺りで終えるが、
私の今の心境を、サザンの曲で表すならば、
「愛する女性とのすれ違い」だろうか。
未だに悩ましき私の毎日。
情けない大人にしかなれなかったが、
サザンの素晴らしさを理解できる大人になれて良かった。

テーマ:お気に入り&好きな音楽 - ジャンル:音楽


江別住民の間で最もポピュラーな居酒屋といわれているのが、
「とりしょう」という店である。
「とりしょう」の話を聴いたのは半年以上前だと思う。
江別在住のチャン森とチャン山が絶賛していたのが、
全ての始まりだった。

ススキノの飲み屋には一切興味を示さないが、
地下鉄ライダーやJRライダーとなって、
札幌郊外へ「ぶらり居酒屋の旅」をすることが
大好きな私にとっては、いつか行かねばと、
ずっと気になっている店だった。

クリスマスも大晦日も節分も、
「とりしょう」のことで頭がいっぱいだった。
4月の、とある日曜日の夕方、石狩浜海水浴場へ行き、
海に向かって、「トリショォォォー!」と絶叫したこともあった。
その帰り道は、ハマショーを聴いた。
それぐらいずっと気になっていた。

とりしょう/店

23日金曜日、それがついに実現した。
仕事が終わった後、JRライダーとなって江別方面へ。
JR高砂駅で下車、そこから徒歩15分くらいだっただろうか。
飲屋街ではない、普通のストリートに「とりしょう」はあった。

当初は、チャン森とチャン山とで、
そこはかとなく飲もうと思っていたが、
参加者が増え、結局10人以上に達した。
私の職場の関係者で江別市在住の、
ノッポロ長尾氏とアニー大友氏も緊急参戦した。

私は、この日、どこかの時点から完全に記憶を無くした。
その一因は、江口夫妻(当別町在住)による
「おかわりチェック」の早さではないかと思う。
私はジョッキを2杯飲んだ後、
いつものように焼酎ロックに移行した。
その後、コップの中の焼酎が減ったなと思いつつ、
誰かと話し、コップに手をやると、
既にそこには、なみなみとつがれた焼酎があった。
「これは誰かのマジックかい?」と、
私は、欧米人のように両手を広げて驚きを示した。
「セロ」が飲みに来てるんじゃないかと、
トイレに行くフリをして、店の全ての小上がりを探したくらいだ。

なんということはない。江口夫妻が、
コップの中の酒の減り具合を随時チェックし、
酒が減ったと見るやいなや、ついでいたのだ。
そうした夜の仕事ぶりには感謝と感心をするばかりだが、
ハイペースのまま飲み続けることになり、
私の記憶喪失の一因になっていることは確かである。
振り返ってみると、江口氏がいる飲み会における
私の記憶喪失率は著しく高いように思う。

とりしょうは、「お好み焼き」が特にオススメであると聞いていた。
そのため、とにかく、お好み焼きを食べることを、
最大のポイントにしていた。

とりしょう/もつ鍋 とりしょう/パン

「もつ鍋」も美味しいと聞いていた。
「もつ鍋」は、甘くてコクのある味噌味で、
日本酒の風味が利いた大人の味だった。
これを調子にのって食べ過ぎた。
さらに、パンとチーズが出された。
それは、地元江別の酪農学園大学の学生が作ったものだと
説明を受けた。
そうしたバックグラウンドを聞かされたり、
ご当地もの、ここでしか食べられないなどと言われると、
私は非常に弱い。
1切れでいいのに、2切れ食べてしまうのだ。

そのせいで、お好み焼きは食べられなかった。
目の前にあったが、腹がきつく、箸をのばせなかった。
持ち帰らせてくれないかと思い、
途中で、トイレに行くフリをして、
ジップロックを買いに行こうかと考えたほどだ。

↓お好み焼きは、非常に厚みがあった。右は我が家のジップロック。
とりしょう/お好み焼き ジップロック

そこから記憶がとんでいる。
それ以降で覚えているのは、
店から出た後、誰かの赤い自家用車に乗って高砂駅まで行ったこと、
JR車内で女性が隣に乗っていたこと、
地下鉄元町駅で下車し、改札を通って歩き出した時、
この日の飲み会に参加していただいた「サンジ後藤氏」に、
「クグエさん、こっちの方向じゃないよね」と言われたこと。
家に着いた時、12時を過ぎていたこと。
それだけである。
何を話したのか、ほぼ全部覚えていない。

恐ろしい。
私はおそらく暴言、失言の連続であっただろう。
翌日は不安と後悔に苦しんだ。
もう洗い流せない汚れを残したような気さえする。
私は、身体を洗い、それでも、洗い足りない気がして、
夕方、洗車をしてきた。
その夜、雨が降り出した。
空から仕打ちを受けた気がした。

テーマ:おいしい店紹介 - ジャンル:グルメ


アクセス数が10,000を突破した。
2007年8月20日にブログを開設以来、
ほぼ9か月を経て、10,000に到達した。

これは、見てくださっている皆様のお陰にほかならない。
ほんとうにありがとうございます。

一般のブログにあるようにリンクをはったり、
どこかと提携することもなく、
かなり好き勝手に、自由に、誰の手にもかからずに、
そしてエモーショナルに書かせていただいてるだけに、
見てくださっている皆様の器の大きさに感謝するばかりである。

実は、アクセス数は、あまり気にしていなかった。
むしろ、記事の下にある「拍手」の方を気にしていた。
つまり、拍手をアイ・ワナの気持ちが強かった。
そのため、アクセス数が5,000突破をした時の記憶もない。

ところが、今月に入ってから、10,000を意識し始めた。
なんといっても桁が変わるのだ。
次に桁が変わるのは、何年も先である。
それまでこのブログが続いているかどうかはわからない。
今日が129回目の記事だが、どこまでいけるものか。

「永遠」なんて語れない。
普段はうるさいだけのヴィジュアル系バンドが、
「永遠を誓うよ~」と大きなバラードを歌うのを見ると、
「なんだかなぁ」と思うし、
「永遠っていう言葉なんて知らなかったよね」と、
涙ながらに歌った女が、その女こそが、
永遠なんてないことを私生活で教えてくれたりする。

こんなふうに語っている私だが、たかがブログである。
決して、されどブログだとは言わない。
強いて言うなら、「たかがブログ、されどROCK ME BABY」だ。
意味など考えなくていい。
何でも意味をつけたがるから、何でもないことが面倒になってくる。
何かになろうと無理をすることもない。
むしろ、何にもなれない自分になりたい。

とにもかくにも、皆様どうもありがとう。
今後ともよろしくお願いします。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記


先日、「AR氏」と「チャン森(ちゃんもり)」と飲んだ時のこと。
二人が、このブログに関して口を揃えて言ったこと。
それは、本のネタはついていくことができないということだった。
なぜなら、文字の多い本は読めないからだという。
文字がたくさんある状態が受け付けないという。
AR氏とチャン森の期待には沿えないが、今日は本の話である。

本を読むにはエナジーが必要である。
私は、眠る前に読むのだが、すぐに眠気に襲われ、
3ページ程度しか読めずに終わることもざらである。
結局は、なんとか時間かを作って、一気読みをすることが多い。

図書館への返却期限直前ナイトは、
夜に読み始めて、気づくと眠っていて、
目が覚めると午前2時で、無理矢理また読み始め、
再度あえなく眠ってしまい、次に目が覚めると午前4時。
強引にまた読むが、もろくも眠り、
そんな繰り返しの中で朝を迎えることも稀にある。

ただ、そういう場合は、
そこそこ面白い本なので、とりあえず最後まで読み切りたい
という気持ちの時である。
面白くない本は途中で読むのをやめるし、
面白い本は夢中になるせいか、読むスピードが上がるため、
夜を徹する以前に、読み終えているものである。

さて、最初に紹介する作品は、
米澤穂信(よねざわ・ほのぶ)の2007年の作品「インシテミル」。
インシテミル

タイトルの「インシテミル」は、「inしてみる?」の意だろう。
どこに「in」するのか。
世間とは完全に隔離された、とある地下施設にインする。
なぜ、そんなところにインするのか。
時給11万2千円という、
とてつもなく高額なアルバイトをするためである。
どんなバイトなのか。
その地下施設で7日間、一日中全ての行動を観察される
というバイトである。

このバイトには12人が集まった。
ほとんどが20歳くらい。3人が30代、40代である。
時給11万2千円を24時間、7日間。
合計すると1,800万円程度になる。

地下施設に集められた12人には、いくつものルールが示される。
最も特徴的なルールは、「1人殺すごとに報酬は2倍」、
「殺人者を立証したら報酬3倍」などの異常なボーナス・システム。
初日に参加者達は、「何もしなければ1,800万円が
自動的に手に入るから」と、静かに過ごすことを確かめ合う。
ところが、2日目だったか、3日目に殺人が起こってしまう。

そこからは、誰が殺したのか、この中に殺人者がいる、という感じで、
ただならぬ緊張感のある日々を過ごすことになる。
果たして何人が無事生還し、それぞれがいくらを手にしたのか。
そんなストーリーである。

なかなか惹きつけられた作品だった。
翌日には、また誰かが殺され、誰かが疑われる。
生存している人々の間で派閥ができ、おかしな争いも起こる。
そんなふうに適度に早く展開していくため、
どんどん先が知りたくなる。
できれば、一気読みするのがベスト。

また、12人のバイトが登場するが、
うまい具合にキャラ分けができているため、
人数が多い割には区別がつき、わけがわからなくなることもない。

表紙のデザインはアニメっぽく、タイトルも軽い。
しかし私は、そこに逆に興味を持ったし、
本格ミステリとまでは言わないが、
純粋な推理モノ、謎解きモノという範疇入れられる内容である。

ただ、霊安室や死体描写のシーンが多いため、
この作品を読むシチュエーションによっては怖くなるし、
ちょっとした不快感をおぼえたことも触れておかなければならない。
とはいえ、最後まで惹きつけられた佳作であり、
推理モノが苦手な人も楽しめる作品だと思う。

続いては、昨年5月に亡くなった藤原伊織の代表作である
テロリストのパラソル」。
テロリストのパラソル
1995年の作品で、直木賞も江戸川乱歩賞も受賞している。
新宿で起こった爆破事件をめぐっての、
1960年代後半から今に至る様々な人間模様が描かれている。
展開の基本は犯人捜しに置かれているが、
根底にあるのは人間ドラマである。

主人公は、40代後半のアルコール中毒のバーテンダー。
東大をドロップ・アウトし、
その後は定職につかずフラフラと生きてきた。
簡単に言えば、ダメ人間である。
しかし、ボクシングが強かったり、
ホットドックを作るのがメチャクチャ上手だったり、
セリフがキザだったりと、
生活ぶりのわりには大層カッコ良く、思わず、
「こんな40代後半の中年なんかいねぇーし」と、
リアリティ面で突っ込みたくなる。
そして、登場人物が皆、彼を優れた存在として扱っている。

こうしたキャラクターづくりは、小説や映画ではよくあることであり、
それが主人公を魅力的にすると思うし、演出としては必要だろう。
必要だろうが、私は、ダメ人間はダメに描き、ダメな中に
魅力を表現してほしいタイプなので、深く感情移入はできなかった。
できなかったが、それを差し引いても見事な作品である。

何が見事かって、とにかく文章がいい。
内容も展開も計算されていて素晴らしいが、
それ以上に文章の良さが際立つ。
ひとつひとつの文が短く、切れ味があり、いいリズムを作っている。
セリフの内容、掛けあいも絶妙である。
文章がいいので退屈しないし、読み飽きない。

タイトルも良い。
タイトルの理由が最後の方でわかる。
それがちょっと切ない。
犯人が起こしたテロは、爆破テロではなく、
恋愛テロだったのだと私は受け取った。
切ない、つうか、哀しいっすね。

最後は、麻生幾(あそう・いく)の2007年の作品、
「エスピオナージ」。
エスピオナージ
エスピオナージとは、「スパイ」の意。
ロシアから潜入しているスパイを追う公安警察の話である。
「捕縛」、「諜報」、「追尾」、「外事警察」など、
少しばかり馴染みの薄い警察用語が連続するが、
それが逆にリアリティを感じさせる。

スパイを追うということで、
表向きには活動しない警察官の話であるため、
情報量は少ないと思われるにもかかわらず、
とにかく、丁寧に綿密に調べあげ、それをスリリングに描いている。
そこに感心するし、全編を通して緊迫度は高く保たれている。
その点だけで、この作品は評価できる。

しかし、捕まえられそうで捕まえられない。
失敗に終わっても、意外に切り替えが早い。
そのうち、標的が違う人に変わっていくなど、
重みがあるのか軽いのかがわからなくなるところや、
堂々巡りをしているように感じられる箇所があるのが残念。

また、登場人物が多く、しかも、とびとびで登場する人もおり、
「あれ?これ誰だっけ?」とか、
「あれ?この人こういうキャラだっけ?」と、
ずっと前のページに戻って確認することもあった。
登場人物がわからなくなってしまうのは、
キャラが立っていないというより、堂々巡り的展開のせいだと思う。

ただ、変なテクを使わず、正面突破的な強さがある作者だけに、
もう少し、重みと軽さのバランスをとり、
すとんと落としてくれるような的確な区切りをつける工夫をすれば、
かなり面白い作品を書きそうな予感はする。

私は、小説が映像化されるのは、どちらかといえば否定的である。
文章としての良さやリズム感が、映像では楽しめないからである。
映像ではストーリー偏重になってしまい、
ハートの部分が見えにくくなる。

しかし、時々「これは映像化した方が伝わる」と感じる作品がある。
福井晴敏氏の「亡国のイージス」や「終戦のローレライ」は、
小説として大きな評価を得たが、
船の機械設備に関する執拗な説明や登場人物の多さに、
途中で何がなんだかわからなくなり、
わからないところは無視して、ストーリーだけを追って読んだ。
その結果、読み終わった後は、「無駄に長くねえ?」と、
語尾を上げて言わざるを得なかった。
そして、映画化されてやっとわかったようなところがあった。

それと同様に、この「エスピオナージ」も、
映像にした方がわかりやすいし伝わると思う。
言葉では、難しくややこしいところがあった。
素材は良いだけに、緊迫感のあるいい映画になると思うが。

以上3作品を紹介した。
本ネタは、ブログに掲載するまでに、最も時間を要する。
そのせいか、読み始めたものの面白くなさそうな本は、
見切りをつけて途中で読むのをやめる、
そのタイミングが早くなっている気がする。
とはいえ、ブログに掲載するために読んでいるわけではないし、
「本を読むと、こういうメリットがある」という、
いわば、手段として読んでいるわけではない。
単に面白い話に、魅力的な言葉に、素晴らしい文章表現に
出会いたいだけだ。
そして、いい本に出会って満足するだけではなく、
その感想をここに記し、皆様に見ていただけるというのは、
大変ありがたく嬉しいことなのです。

テーマ:読んだ本の紹介 - ジャンル:本・雑誌


先日久しぶりに、札幌市外に出かけて仕事をする機会があった。
上司と2人で職場の車で移動。
札幌から千歳へ行き、その後、恵庭、北広島、江別と移動した。
恵庭から江別まで続く石狩南部の道は、
起伏がほとんどなく、農地が結構多い。

いつしか私は無意識のうちに、
窓から見える石狩平野をアメリカに重ねていた。
愛と自由を求めながら走った。
どこでもないどこかへ行きたかった。
地図にない道を走りたかった。
しかしそこには、アメリカなどどこにもなかった。
そこにあったのは、島松や野幌だった。
私はピーター・フォンダにはなれなかった。
せいぜい頑張っても、ピーター本田どまりだろう。

「これは映画じゃないんだ、現実を見よ」と、
自分に言い聞かせ、私は国道を走った。
この道路も、「ロード・スペシャル財源」で作られた道路なのか?
と考えながら走った。

北広島から江別に向かう道道沿い、
野幌総合運動公園を過ぎた辺りに、
「野幌食の村」というところがある。
長屋状態で、店が3、4軒連なっている。
そこに、美味なる中華料理屋があると、
江別市在住の「チャン山(ちゃんやま)」から
情報を入手していた。
その店が、今日紹介する「明珠酒家(みんじゅしゅか)」である。

「野幌食の村」は、単なる空き地に、
なんとなく長屋がある感じの佇まいで、
知らなければ、ちょっと入店する気にはならない雰囲気である。
見た目は仮店舗のようである。
この道を何度か通っていても、存在を知らない方は多いだろう。

口コミ重視、「金としがらみだけで作られた情報誌なんか捨てろ」と、
日頃から豪語している私であるため、
誰の手にもかかっていない人が「美味しい」と絶賛した店には、
どうしても行ってみたい。

↓長屋の一番奥にあり。詳しくは「明珠酒家HP」
明珠酒家/店

外観は仮店舗のような店構えだったが、

入ってみると至って普通の中華料理店だった。
店は結構広い。そして、それなりに混んでいた。
ランチメニューは15種類くらいあっただろうか。
全て800円くらいだったと思う。
私は、どれを注文するか迷っていた。

その時、「決まりましたか?」と女性の声。
声フェチである私にとって、その声はどこか心地よかった。
顔を上げると、45歳くらいの女性。
アクセントからして、中国人の方だろうと思った。
そのフェイスもボディも、何か私をくすぐるものがあった。
私の中では、どこかなまめかしく感じたのだ。
(一般的な視点では、特になまめかしくはないと思う)

飲食店においては、徹底してビジネス・ライクを求め、
無愛想さと余計なフレンドリーさには抵抗が強い私だが、
彼女の前では素直になれるような気がした。
無意識のうちに、彼女のノリになれるような気がした。
要は、相性が合うような気がした。

普段は、隙を見せたくないかのように、そそくさと注文する。
そんな、観月ありさの曲の題材にされたようなシャイ・ボーイの私だが、
この時ばかりは、「中華飯と青椒牛肉定食で迷ってまして…」と、
初対面の女性に悩みを打ち明けるかのようにつぶやいてしまった。
すると、なまめかボディは、
「麻婆豆腐が一番オススメ、ぜひ食べてみてください」。
ここまで具体に、はっきりと言われると、もうそれしかなかった。
この言葉を信じた。
信じてみたかった。
私も上司も、麻婆豆腐定食を注文した。

料理を待っている間にも、客は次から次に来た。
目立たず、微妙な佇まいの店舗だけに、
こんなに混むのかと、正直、驚いた。

やがて、麻婆豆腐定食が、私の目の前に置かれた。
持ってきたのは、先ほどの45歳くらいの、なまめかボディ。
やはり不思議な魅力があった。
と思ったのも束の間、
麻婆豆腐定食が自分の前に出されたその瞬間から、
これは間違いなく美味しいだろうと感じた。
一瞬にして、興味は料理に移った。

↓麻婆豆腐定食800円。スープも美味しい。
明珠酒家/麻婆豆腐

まず見た目である。
何が違うのかはわからないが、
「あん」の色やとろみ、豆腐との絡み方で、
イケてるか、イケてないか、なんとなくわかるものである。
この「あん」は、完全にイケてた。
とにかく重厚感があり、本格度が高い感じがした。
また、ラー油なのか、油が皿に沿うように浮いていた。
これが逆に、熱々感とコクを感じさせた。
そして、山椒が振りかけられており、
その香りがたまらなく良かった。

ひと口食べて、これは凄いと思った。
味に厚みがあった。
味が濃いのではない。深いのだ。
そして、食べ進んでも飽きない。
どうしてこういう濃厚さを出せるのかと考えながら食べた。
スパイスの使い方のせいなのか、
コクのあるスープカレーのような味わいもあった。

この麻婆豆腐は、量も多かった。
私は半分でも足りたくらいの量だ。
それでも、残すにはもったいなさすぎた。
腹はいっぱいだったが食べきった。
そして、最後まで美味しかった。
素晴らしい作品だった。圧倒された。
これまでに食べた麻婆豆腐の中で、最も美味しかった。
仮に豆腐が入ってなくても、800円を払ってもいいほど、
「あん」が絶品だった。

食べている途中、なまめかボディが、
隣のテーブルの客に料理を持ってきた際、こちらを向いて、
「麻婆豆腐どうですか?」と話しかけてきた。
そうした場合、普段なら、意表を突かれた感じを隠すこともなく、
「ああ、あのぉ、美味しいです」と、
ちょっと距離を作って答える私だが、
この時ばかりは、料理の美味しさと、なまめかボディに酔い、
「すっごい、美味しいっすね、ほんと」と、
即座に勢いのあるリアクションをした。

おそらく、この店の、中華飯など「あん」が使われる料理は、
きっとどれも美味しいような気がする。
また、隣のテーブルの客が食べていた青椒牛肉も美味しそうだった。
この店に再訪することは間違いないだろう。
穴場的な場所に、なんとなくあるという雰囲気もいい。
そして、なまめかボディにも、また会ってみたい。
ただし、念のために断っておくが、
彼女にラブ的な好意を持ったわけではない。
言い換えれば、「わざと不合格になった」のではない。
つまり、「こいにおちた」わけではない。
クグ丸です。

テーマ:北海道~美味しい物~ - ジャンル:グルメ


この世の中に、「飲み会でのコース料理に否定的な人ランキング」が
あったとしたら、私はかなり上位にランクインするだろう。
「プライドとホットペッパーを捨てることから店選びは始まる」が
モットーである私にとっては、
「3,500円料理7品飲み放題」のようなセット料金設定の飲み会だと、
いまひとつ盛り上がらない。

なぜなら、別に食べたいと思わない料理まで出されるからである。
既に40歳を過ぎた私は、食べられる量に限界がある。
情けない話だが、私は見た目以上に胃腸が高齢化している。
特に、油が多いものや、塩っ気の強いものだと、
すぐに満腹感をおぼえるし、その場で胃がもたれ始めてくる。
もたれ合いのようなメンバーで飲んでいると尚更である。

「そこまで言うなら食べなければいい」と思う方もいるだろう。
しかし、意固地になって何も食べないのは、
胃よりも心が寂しく感じる。
また、料金負けするという、せこい考えも浮かぶ。
この場合もまた、胃よりも心が寂しい。
つまり、なんらかんら言いつつ、食べることは食べるのだ。

また、コース料理においては、
飲み放題メニューの酒が安っぽいことが多い。
特に焼酎の場合はひどい。
どこに問い合わせれば、
こんなにアルコール・オンリーの味しかしない焼酎を
手に入れられるのかと聞きたくなる。
私はロックで飲むため、とりわけ感じる。

そして、飲み放題の焼酎の場合によく見られるのが、
瓶で出すのではなく、
飲み終わる都度、コップ交換をする方式である。
銘柄がわからない。何を入れられているのかわからない。
コップ3杯までは、それが非常に気になる。
しかし、4杯目からは味はどうでも良くなってくるので、
結局、なんらかんら言いつつ、飲むことは飲むのだ。

ただ、コース料理否定派だからといって、
人数が10人以上であれば、やむを得ないことだと、
全く抵抗なく受け入れる。
問題は、人数が5、6人の場合である。
確かにセット料金にした場合の便利さとお得感はわかる。
しかし、5、6人だもの、好きなものを食べ、飲みたいものだ。
その程度の自由は手にしたい。
それに、CD1枚の価格を完全に超えるマネーを支払うのだから。

ならば、私が太っ腹になればいいのかもしれない。
「割り勘の時、オレは千円多く払うから単品でいこう」と、
これまで何度も言いかけたことがある。
しかし、言いかけただけで言ってない。
和を乱したくないからだ。
面倒くさい人になりたくないからだ。

幹事をやらせてくれないかなぁとは思うことも多い。
しかし、周りがやってくれちゃったりする。
なのに、「オレにやらせてくれ」と出しゃばるわけにはいかない。
そこで時々、幹事が動く前に、
「Hey Boy!この店に行かないか?」と、
とりあえず店指定だけはするという手法をとったりもする。

先日、間接照明を施したアーバンな雰囲気の居酒屋に行った。
私にとって、ちょっと苦手なタイプの店である。
人数は7人。私より年下が2人、年上が4人だった。
幹事は以前の職場の先輩、T氏だった。
T氏は、これまでの経験から、セット料金否定派だと認識していた。
予想どおり単品注文パターンだった。有り難かった。

しかし、往々にしてあるのが、
食べ物を注文する段階で、年上連中が若手に対して、
「適当に頼んで!」と注文を丸投げしてしまうことである。
ここに大きな危険がある。
若手は、刺身盛り合わせ、串盛り合わせ、ポテトフライなど、
無難なものを、しかも大目に頼んでしまうのである。
何でもありの居酒屋の刺身や串など全く求めていない。

この日もそんな状況だった。
注文を30代の2人に完全に託してしまった。
淡々とオーダーが聞こえてくる。
40オーバーの人は、誰も個人的な注文をしない。
私は、ホッケとつぼ鯛が食べたい。
それだけ食べられればいい。ほかには何も望まない。
私は迷った。葛藤した。悩んだ。
個人的注文をすることにより、場の空気を凍らせてしまわないか。
乾杯して、談笑しているこの流れを止めることにならないか。
私は苦悶した。
「クモ~ン!」と絶叫しそうだったが抑えた。

しかし、若手が「なんとかステーキ」と
「なんとかの甘酢あんかけ」を注文した時に、
何かがはじけて飛び散った。
それが「あり」で、ホッケとはダメだと
いうことにはならないだろう。
私は間違っていない。
世論調査をしても、私に「イエス・アイ・ドゥ-」の意見の方が
圧倒的に多いはずだ。
民意を得られると確信した私は、
意を決して口をはさみ、ホッケ&つぼ鯛を注文した。

すると、「結構頼んでるから、いらないんじゃないの」、
「自分が食べたいだけだろう」的な、
冗談か本気か判断しかねる微妙な意見が帰ってきた。
たかが、ホッケとつぼ鯛を注文するだけで、
これだけ大変な思いをしているのだ。
それにしても、面倒くさい人達だ。
それとも、私の方が面倒な人間なのか。

私はなぜか、ホッケが先に出てきて、
程なくして、つぼ鯛が出てくるだろうと勝手に思っていた。
確かに勝手な思いだった。
ホッケとつぼ鯛は同時に出てきた。
勝手な思いにもかかわらず、誤算だった。
両方とも、私の前に置くわけにはいかない。
つまり、独占はできないと思った。

そこで、つぼ鯛を自分の前に置き、ホッケは隣の人の前に置いた。
私は念願のつぼ鯛を食べた。
全ての情念を注ぎ込んで食べた。
食べているうちに、ゴキゲンになった。
食べたいものを食べられるって、なんて幸せなことだろう。
そのせいで、焼酎が進み、トークも炸裂した。

とはいえ、つぼ鯛独占もいけないだろうと思い、
きれいに半分だけ食べて、「どうぞ」と別の人に回した。
そして、ホッケに手を伸ばしてゲットしようとした。しかし。
ほっけは、手の届かない遠い位置に移動されていた。その時。
「なんとかステーキ」や「なんとかの甘酢あんかけ」が出されてきた。
置き場がなく、つぼ鯛を置いていた私の前に置かれた。
このタイミング、この流れ、全てが悪い方向に展開している。

私はくじけそうになった。しかし諦めなかった。
「なんとかステーキ」を手にして、
「これと、ホッケと交換してください」と、
ホッケ・フロントにいる上司に交換依頼をした。
ところが、帰ってきた言葉は、
「こんなホッケでもいいの?」。

目にしたホッケほっけは、全体的に箸がつつかれ、
ホッケのかけら、いわば、ホッケフレークが散乱した状態だった。
シンプルに言えば、汚く荒らされた状態だった。
私はショックだった。
勇気を振り絞って注文したオレのホッケなのに…。
人事評価が落ちることも辞さない覚悟で注文したオレのホッケなのに…。
しかも、食べ方が汚い。汚すぎる。

私はテンションが下がるのを必死にこらえた。
気持ちをリセットし、ホッケを再注文しようと考えた。
しかし、どの人の前にも、
食べていない沢山のつまらない料理がある。
再注文しようものなら、ブーイングの嵐、
最悪、デモにまで発展するのではないかと不安になった。
さらには、左遷させられるのではないかと考えた。

それでも私は、「ホッケアゲイン」を試みようとした。
「ホッケアゲイン」こそが、私の生きてる証。
「ホッケアゲイン」なくして、
2008年上半期は乗り越えられない気がした。
左遷と引き替えでもいいと思った。
いや、そもそも、昇格だ、左遷だと、
人にジャッジされるような人生でいいのか。
人の目ばかりを気にして、妥当だと思えぬ指示に従い、
職場を離れれば、あの娘はおいらに気がないにもかかわらず、
なんとかつながっていたいと思い悩んだり。
そんな、人にジャッジされるような人生に何の意味があるのか。
自分でジャッジする人間にならなければいけない。
そうでなければ、自分がわからなくなる。

私は、ホッケアゲインのために店員を呼んだ。
周りの上司らに聞いた。
オレ「なんか注文ありますか?」
上司1「もう、これだけあるからね」
上司2「何を注文するの?」
オレ「ホッケをワンスモア」
年下「さっき頼んだじゃないですか」
上司1「食べきれないんじゃない?」
上司2「もう、漬け物くらいでいいって」

そんな上司らの言葉は、もうどうでもよかった。
勝手に言わせておけ。
自分の人生は自分で決める。
私は、店員にはっきりと言った。
「漬け物お願いします。以上です」
つくづく私は情けない。

テーマ:日々のできごと - ジャンル:ライフ


私と同じ課で働く人々の中で、
私がブログをやっていることを知っているのは、
25人中5人である。
あまり知らせていないのは、
ストレートに受け取り過ぎたり、想像を膨らませすぎたりして、
筋違いの意見をされたりすると面倒だからだ。
意見をされるのはいい。歓迎する。
ただ、毎日フェイスを合わせる人から言われると面倒である。

ブログをやっていることを知っている5人は、
準レギュラーである中村NBR、山下MST
いい距離感で反応、対応してくれるM上(エムカミ)氏と
SK
氏(しんかい氏)。
それに「Nっち」(エヌッチ)である。

私が想像するに、山下MSTM上氏、
しんかい氏(漢字では「新開」と書く)の3人は、
週に1、2回のペースで、ブログを見ているように思う。
ところが、中村NBRNっちは、全く見ていないようだ。
中村NBRからは昨日、
「そういえば、ライブやるんですよね。
 あれっ?もう終わったんでしたっけ」と言われる始末。

こんなにエキサイティング、かつエモーショナルなブログなのに、
非常に残念である。
決して、クグエ’Sカルチャーを理解できない2人ではないはずだ。
ミズリーながらも、自分の求めるものに向かって生きている、
そんな人間’Sブログなのにもったいない話だ。

そのくせ中村NBRは、
先日、函館在住のKMT氏や、網走在住の「ナベさん渡邊」氏が、
札幌に来たついでに私の職場に寄って、
ブログの話題をしていった際、
「中村NBRは、どんな人なんだろうって、
 ちょっと見られているような気がするんですよ」と、
自意識過剰的側面を見せたりする。

そして、ブログの存在を知っていながら見てくれない、もう一人。
それが「Nっち」(32歳・女)である。
エヌッチは独身。TK係に属している。
短めのストレートヘアー、あっさりとしたフェイス、
大人しく、さらっとした雰囲気。
いつも膝丈くらいのスカートを履いていて、
職場内ではサンダルをペタペタさせて歩く。
余談だが、昨年まで私の職場にいた田中M子(32歳・女)と、
独身であること以外は全て正反対である。

今年の3月までの約1年間、私とエヌッチは背中合わせの席にいた。
しかし、ほとんど会話をしたことがなかった。
今年の冬の、とある昼休み、
エヌッチが、ラーメンやスープカレーの美味しい店の話を、
バイトレディとしているのを耳にした。
その手の話への食いつきがいい私は、
それをきっかけに、時々エヌッチと会話するようになった。
そして、エヌッチお薦めの店にも行ってきた。

4月から私の席が変わり、エヌッチとは疎遠になっていた。
確かなことは、エヌッチはまだブログ見ていないということだった。
そのエヌッチが婚約したという話を昨日聞いた。
私は驚いた。
千歳市に向かって車を運転している時に上司から聞いた。
驚きのあまり、意味もなく無意識にウインカーを出してしまった。

なぜそこまで驚いたのか。
エヌッチは、恋愛的な雰囲気を全く見せない人だった。
女性同士でも、コイバナ(死語)をするような感じに見えなかった。
男性の影も全く見えなかった。
エヌッチには失礼だが、
エヌッチと結婚というものが結びつかなかった。

ただ、エヌッチとのこれまでの会話の中で、
ひとつ気になることがあった。
それは、エヌッチお薦めのラーメンやスープカレーの店は、
ことごとく電車通りの西側(西15丁目の通り)界隈に
あったことだ。
エヌッチは白石に住んでいるのに、
なぜに電車通り界隈ばかりなのかと感じていた。
しかし、その真意を私は全く尋ねなかった。
尋ねることは野暮だと思ったし、仲井戸麗市はチャボだからだ。

エヌッチの婚約については、まだ公表を控えているらしい。
したがって、エヌッチを知っている方は、
この記事を読んだことで、「婚約したんだって。おめでトゥー」などと
言ってはならぬということだ。

エヌッチの婚約は大変喜ばしく、おめでたい。
ただ、突然かつ意外すぎて、不思議な気持ちになった。
例えるなら、話をしたことがないマンションの隣の住人が、
黙って引っ越した時に感じる、「なんとなくプチ敗北感」に
似ているかもしれない。

今、エヌッチは、少し風邪気味のようだ。
喉の調子が悪いのか、ゴホッ、ゴホッと時々聞こえる。
結婚相手も風邪気味で、家に帰ったら、
二人でゴホッ、ゴホッとしていることだろう。
なぜなら、「せきを一緒にする」からだ。
クグ丸です。

テーマ:ダメ人間日記 - ジャンル:日記


昨年の秋以降、ライブに4度出演した。
21世紀に入ってから、音楽活動をしていなかった私にとっては
奇跡のような状況である。
1年前でさえ全く想像できなかったことだ。

今回のライブ以前の3度のライブの後は、
「いやぁ、終わったね。お疲れさんだったよね」的な達成感と
ある意味、少し音楽から離れたいような脱力感があった。
ところが今回は違う。
もっとやりたい、もっとやれる、という気持ちが強い。

過去3度のライブは、
「なんか久しぶりなのに、申し訳ないですねぇ」
という遠慮や甘え、照れがあった。
今回は、もうブランクがどうのこうのと言えないと思ったし、
全て新曲をやるということで、違う段階に入ったと感じていた。

おそらく私は、新しい曲に快感をおぼえたのだろう。
新しい曲が果たして通用するのか、
きちんと唄って、演奏しきれるのかと不安だったが、
ステージの上でギターを弾き、歌い出した途端、
なんの戸惑いも迷いもなくできた。
そして、ライブが終わった直後から、
自分で自分の「つづき」が見たいと思った。
クグエロックの、その先を見たいと思った。
ついに私は覚醒したのだろうか。

この先、どう展開していくのかはわからない。
今ある曲をもっと練り上げて、よりよいものにしたいと
思っているのは自分でもはっきりわかる。
わからないのは、小栗旬という俳優のどこがいいのか、である。

早速私は、新しい曲のギター・ソロを考え始めた。
色々なフレーズを試し、何度も何度も同じ箇所を弾いた。
そのうちに煮詰まり、テレビの電源を入れた。
木村拓哉が、教師から総理大臣になるとかいうドラマが
始まるところだった。

あきれるほど薄っぺらい内容のドラマだった。
立候補を決意するまでの苦悩、選挙運動の過酷さ、
選挙運動を通して変わっていく主人公の政治への思い、
そうした、選挙を描く上で最も重要な部分が全て省略されている。
掘り下げが浅いため、表面的に、どんどん展開した。

また、未だに木村拓哉は、木村拓哉という人しか演じられない。
その役を演じられないのだ。
そんなはがゆさと苛立ちの中で、最後まで見てしまった。
そんな自分に苛立った。
結局、踊らされたのは私だった。

こんなふうにして、私の毎日は続いていくのだろうか。
虚しくて、やりきれなくて、
でも、安っぽい娯楽に逃げ込んで、酒など飲んで紛らわして、
それでも、あきらめきれなくて、
自分に甘えて、自分を許して、しょうがないさと嘆いてる。
そして、そんなことを歌にして、ちょっと満足したりして。
これをマスターベーショナルと言わずして、何と言うのか。
こんなことでは、小栗旬以下である。
べつに、「旬な人」になりたいとは思わない。
落ち込んで、しゅんとなりたくないだけだ。

テーマ:ドラマ感想 - ジャンル:テレビ・ラジオ


5月10日、札幌スピリチュアル・ラウンジでのライブは
無事終了した。
まずは、見に来てくださった方々、
見に来られないまでも、「いいライブを!」と
連絡をくださった方々に
感謝したい。
どうもありがとうございました。

ライブ前は不安だらけだった。
ライブの前々日の8日は、仕事が一段落し、夜は飲み会だった。
ライブが間近ということもあり、
1次会で帰宅し、身体を休めるつもりが、
日付をまたぐ時刻にまで及び、
さらには、カラオケにまで行ってしまった。

手羽家・手羽先 手羽家・イカ刺し
↑手羽家の手羽先とイカ刺し。これ以上美味しい手羽先を私は知らない。

手羽家(中央区南1西5)の手羽先とイカ刺しの美味しさに
思いのほか、いも焼酎が進み、しかもロックで飲み通した。
その後のカラオケでは、
職場の同僚、中村NBRと山下MSTの爆発ぶりに引っ張られ、
必要以上に声を張り上げた。

しかし、盛りあがりつつも、みんな疲れていたせいか、
部屋の使用時間を30分程度残してカラオケは終了。
それが、0時15分頃だった。
「地下鉄で帰れる人は、この辺りで帰るか?」と
話になったのが30分前。
それだけに、「何でこのタイミングで終わるのよ?」と疑問を
なげかずには
いられない非常に中途半端な時刻での終了だった。
私は、3月下旬なみの寒さの中を1時間歩いて帰った。

↓カラオケボックスでの山下MST(左)と中村NBR(右)。二人ともソファに上がっている。
  山下MSTの唄いっぷりが少しカッコ良く見える。唄っていない中村NBRは何をしているのだろう。
080508カラオケ1 080508カラオケ2

翌日、つまり、ライブの前日の9日は、
普通に仕事をした後、夜8時からスタジオミルクで最後のリハ。
私はこれまで、酒を飲んだり、カラオケをやったりして、
喉が多少ガラガラになることはあっても、
翌日の唄には影響しなかった。
唄うとなれば、喉が開いた感じがして、声が出せた。

しかし、リハを始めて1時間くらいしてから、
何かが喉にひっかかる感じがして、
声が思うように出なくなってきた。
そして疲れていた。
喉を痛めないようにとセーブして唄い、
それと同時に眠たくなってきた。
「これは、早く帰って、休んだ方がいい」と思い、
スタジオの使用時間を30分程度残して終了。
家に帰ってから夕食を食べ、疲れたなぁと横になったら、
そのまま眠ってしまった。

そして、ライブ当日の朝。
声を出してみると、荒れている感じがあり不安になった。
さらに不安だったのが、非常に寒気を感じていたことだった。
ライブ会場入りするまでの間、家で、ほとんど横になって過ごした。

喉の調子が悪く、寒気がするにもかかわらず、
私はなぜか、自転車でライブ会場へ向かった。
単純に、地下鉄で行くより、自転車の方が楽だと思ったからだ。
それにしても、42歳にして、ギターを背負って、
自転車でライブに行くのは、いささか侘びしい気もした。
しかし、そんな侘びしさが、クグエロックの根源でもある。

とはいえ、10日の札幌の最高気温は9.4度。
自転車でライブ会場に向かっている時、
あまりの寒さに引き返そうかと思ったくらいだ。
しかし、一旦走り出したら戻りたくないと思う。
そんな不器用さも、クグエロックに宿っている。

ライブ会場に着いてすぐ、リハになった。
リハは30分の時間を与えられていた。
ステージに上がり、照明を浴びても寒気は治まらなかった。

声の具合を確かめながら、1曲唄った。
ところが、高音域の部分が細い声になり、しかも伸ばせない。
全く厚みのある声が出せない。
急激に不安になり、曲の途中で打ち切った。
もう1曲唄った。
やはり、喉に何かがつっかえている感じで、声に厚みがない。
これ以上唄っても、悪くなるだけだと思い、
リハは2曲を途中まで歌っただけの10分間で終了した。

3,000円のチケットを買ってもらい、
忙しい時間をぬって来る人や、別の町から来る人もいる。
私は、それに応えられるだけのことをできるのか。
不安とともに、緊張も増した。

この時点で、ライブ開始までは2時間半程度の時間があった。
喉の不調と寒気による不安から、
暖かいところで、身体を休めることにしようと思った。
しかし、一旦家に帰るには手間と時間がかかる、
かといって、この街の真ん中で、ゆっくり休める場所もない。
そこで私は、歩いて10分のところにある
自らの職場で待機することにした。

休日の職場は寒かった。
職場に仕事で来たわけでもないので、
電気を使っちゃいけないだろうと思い、
照明もつけず、目を閉じて、ただじっと座っていた。
そのうち眠ってしまった。
1時間半ほど経ち、寒気がして目が覚めた。
声を出してみたが、相変わらず何かが引っかかる感じがあった。

会場に戻った。
最初のバンドのライブが始まった。
私はその次である。
最初のバンドのライブを見ているうちに、
不安も緊張も消えている自分に気づいた。
どんどん「無」に近づいた。
妙に落ち着いていった。

自分の出番がきた。
ステージに上がっても、「無」の状態だった。
どういう感じでライブを進めるか、何を喋るかなど、
一切「無」の状態だった。

「こんばんは、クグエと申します。
 東区から来ました。
 最後までよろしくお付き合い願います」と言って
ライブはスタートした。

080510ライブ1

演奏した曲は、次のとおり。
1 見慣れた街を抜け出して
2 破れた傘が捨てられない
3 君はもういないのさ
4 壊れたままの砂時計
5 心配いらないぜ

お客さんの多くは、KENZI氏を見に来た方だったが、
誠実にやれば大丈夫だろうと、
その点での気負いみたいなものは全くなかったため、
いつも通りの雰囲気で喋り、そして唄った。

ライブが始まっても「無」の状態だった。
寒気は消え、かといって暑くもなく、
緊張も不安もなく、脳に反応するままに唄い、喋った。
いい意味で、余計なことを考えず、
スタジオで練習していた程度にはできた。
良いところも足りないところも、私の実力がそのまま出たと思う。
だから私は満足だった。

今回は、「この曲は、こういう内容の歌詞なんだ」と、
曲の説明を多くした。
ほかに喋ったことは、
今日は自転車でこの会場に来た。
その点で、20代前半の頃と何も変わっていないこと。
このライブの主催であるスタジオミルクとの関わり。
ブログをやっていること。
そのブログは辺見えみりのブログよりは確実に面白いこと。
しかし、辺見えみりのブログは見たことがないこと。
辺見えみりが、前の旦那と離婚した直後に食事をともにする、
その感覚がわからないこと。
その感覚を仮に理解したとしても、
それをブログに載せる神経がわからないこと。
だから、私と辺見はうまくやっていけないであろうこと。
などである。
ほかにもあったが、覚えていない。

080510KENZI
↑KENZI氏。プロは違うなと感じた。とにかく楽しそうにやっていたのが良かった。

この日のライブのメインであるKENZI氏も素晴らしかった。
とてもリラックスした雰囲気で、気持ち良さそうに唄っていた。
何が素晴らしいかという細かいことではなく、
これで食ってきた人は違うなと思わせるパフォーマンスだった。
また、歌声、水分のとり方、体型などから、
かなり節制した生活をしていることも感じた。

KENZI氏のライブは、後半に進むにつれて盛り上がった。
40前後の男達が女達が、一緒に唄っていた。
特に、アンコールでやった「LEOSTAR8」は圧巻だった。
ステージの上のKENZI氏も、ステージの下のオーディエンスも、
どちらも楽しそうだった。
皆それぞれに自由に、心から盛りあがっていた。
お互いがこの日を楽しみにしていたんだなと思わせる、
とても暖かいライブだった。

080510ライブ3

私も、「無」で臨めたせいで逆に曲に集中でき、
曲の中にある虚しさを、悔しさを、寂しさを、小さな希望を、
全てマイクロフォンに注ぎ込めた。
新しいギターの音も心地よかった。
このギターにして良かったと、ライブ中にも感じた。

スピリチュアル・ラウンジの新保氏からは、
「これからは、新曲でいった方がいい」。
深川市から見に来た青年からは、
「17年ぶりにクグエさんを見たが、
 やっぱりクグエさんらしい曲だった」。
心の師であるAR氏からは「3曲目が良かった」。
一目置いている後輩「ちゃん森」からは「4曲目が良かった」。
このような暖かい言葉をいただき、大変嬉しく思う。
また、この日のライブの機会を与えたくださったスタジオミルクに、
大変感謝している。
そして、見に来てくださった方々、
激励メール等をくださった方々、ほんとにどうもありがとう。

ライブ前の寒気は、今思えば、
プレッシャーからくるものだったのだろう。
このライブのために、8年ぶりに真剣に曲を作り始め、
しかし、歌詞が作れず、イメージどおりギターが弾けず、
不安だらけだった。
また、閉塞感と虚無感に苦しみ、
うまくいかないことを嘆いていた。

そんな私でありながら、私の音楽活動を囲む人々は暖かく、
この新しい曲達を、もっといいものにすべく、
活動をしていきたいと思ったし、そのエネルギーをもらった。
そして、新しい曲を聴いてほしい人がいる。
私の音楽活動の道は、まだまだ続いている。
それはとても幸せなことだと思う。

テーマ:バンド活動♪ - ジャンル:音楽



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