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3月後半は、送別会的飲み行為が続いた。
それなりの人数による団体での飲み行為は、
ほとんどがコース料理、かつ個室である。
料金的なお得感はある。
しかし、「これは美味しい!」と感激することは少なく、
「あれは美味しかったなぁ」と後で振り返ることもない。
店の名前すら覚えていないことが多い。
お得感では動かない男・クグエ氏にとっては、いささか寂しい。

ちょっとした高級感を演出するためか、間接照明である店も多い。
落ち着いた雰囲気で楽しい時間を、ということだろう。
その間接照明が逆に落ち着かない。
高級感では動かない男・クグエ氏にとっては、いささか残念である。

こうした飲み行為が続き、内臓も財布も打撃を受けた。
だから、あえて、送別会ではない飲み行為をしたくなる。
どういうわけか、内臓も財布も、さらにいじめてみたくなる。
私の中のM性が目を覚ますのだ。

というわけで、28日金曜日、
北24条西3丁目の「鳥一」(とりいち)へ行った。
豚串とつくねが絶品の店である。
平成14,15年頃には何度か行ったが、
その後、留萌に転勤し、すっかりご無沙汰になっていた。
昨年、札幌に戻り、この1年の間に2度訪問したが、
2度とも満席で、入口でグッバイするしかなかった。

鳥一・店

「鳥一」は、午後5時30分に開店、午後9時閉店である。

午後6時を少しまわると満席になっている。
終業時刻に職場を出て、すぐに地下鉄ライダーにならなければ
間に合わない時刻である。

今回は間に合った。
午後5時57分頃に店に着いたが、カウンターが5席空いていただけ。
ぎりぎりだった。
そして席に着く。
平成16年3月以来の「鳥一着席」である。

豚串、鳥串、つくねを注文した。
鳥一の串モノは大きいため、この程度の注文で十分である。
注文した時に「塩とタレ、どっちにします?」と聞かれた。
普段のクセで、反射的に「塩で」と答えた。
しかし、何か違和感があった。
鳥一という焼鳥屋の、この雰囲気の中で、
「塩で」と注文したことがあっただろうか。
その違和感が現実的なものとなったのは、
我々よりも先に注文していた客へ出された串が、
ことこどく「タレ」だった時だ。

少し悔やんだものの、そのうち、念願の豚串がやってきた。
「ヒア・カムズ・ザ・鳥一の豚串」の瞬間だった。
見た目だけでエキサイトした。
とにかくデカい。
1本で普通の豚串の4本分くらいはあるのではないか。
豚串というより、厚みもあるため、ステーキのようである。
「塩かタレか」という、小さなわだかまりは一瞬にして吹き飛んだ。
おそらく、暫定税率を延長か廃止かも、
この豚串を目の当たりにしたら、どっちでも良くなるのではないか。

↓豚串2本350円。このボリュームと味なら安過ぎ。
鳥一・豚串

一口食べる。
「いやぁ~、美味しい…」。それ以上、言葉を失った。
美味しすぎるがゆえに、首をかしげてしまった。
美味しすぎるがゆえに、ため息をついて、うなだれてしまった。
言葉を失い、首をかしげ、ため息。
不思議なことに、ひどくまずかった時の反応とほぼ同じである。

とにかく美味しい。
これまでの人生において食べた豚串の中でダントツの1位。
豚肉の命は脂だということを思い知る。
目に脂は見えているが、口の中では脂の食感がない。
脂の旨みだけが広がる。
豚肉自体も臭みがなく、やわらかい、最高の状態である。
そして、この豚串の良さがわかる女は、いい女だとさえ思う。

鳥一・つくね 鳥一・鳥串

つくねも、かなり美味しい。
やや薄味だが、噛めば噛むほど、肉のいい甘みが出てくる素朴な味。
他のどの店にもない味で、これもまた貴重度が高い。
鳥串も、もちろん美味しい。
その辺の鳥串とは比べものにならない。
ところが、豚串が美味しすぎるがゆえに、かすんでしまう。

なお、どの串も大ぶりなため、この他に注文したのは、レバ刺しのみ。
そのレバ刺しも、630円ですごい量が出てくる。
先週行った琴似「ふる里」のレバ刺しと同じくらいの値段で、
3倍くらいの量がある。
そして、困ったことに、これもまた美味い。

この店のおじさんとおばさん、相変わらず愛想が良くなかった。
愛想の悪い店は嫌いである。
ついでに言うと、
見た目エグザイルみたいな奴がやってる店も嫌いである。
ただ、不思議と、愛想は悪いが許せる場合もある。
鳥一も許せる店のひとつである。
それはどういう場合か、うまく説明できないが、
反応がきちんとあることと、食べ物が丁寧なことかもしれない。

「鳥一」は、開店してから結構長い年月だろう。
しかし、情報誌のようなものには一切出ない。
そのせいか、一般的な知名度は低い。
そんなところも好感をもってしまう。
「お通し」がないところもいい。
この焼き鳥を食べたくて、早い時間から、
遠くから近くから、根強いファンが連日訪れ、常に満席。
素晴らしい店である。

とにかく全ての肉が美味い。
おそらく、鳥一の方は、野球、特にバッティングが得意だろう。
どうしてかって。
ミートがうまいからです。
クグ丸です。

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テーマ:北海道のグルメ - ジャンル:グルメ


25日から、札幌飲み行為4daysである。
先週は、札幌飲み行為3daysだったが、
後先を考えずに食べて飲んだ影響から、この1週間ほど、
「胃もたれエヴリディ」かつ「胃もたれナイ・アン・デイ」だった。
そのため、今週はかなりセーブして飲んでいる。
それもあってか、4daysの合間でもブログを更新できている。

このブログで、読んだ本の感想を時々書いている。
しかし、記事の最後にある「拍手」が多くないことや、
反響がほとんどないことから、
積極的に本の話題を取り上げない傾向にあった。

ところが、この1か月くらいの間に、
「実は、本の感想の記事が楽しみ」、
「最近、本の話題が少ない」、
「あの時紹介していた本を貸してほしい」、
「過去に読んだオススメ作品も紹介してはどうか」など、
複数のご意見を頂戴した。

そこで今日は久しぶりに本の話である。
紹介する本のタイトルは「鴨川ホルモー」。
第4回ボイルドエッグズ新人賞受賞、2007年本屋大賞6位など、
各方面で大きな評価を得た作品である。
鴨川ホルモー
作者は「万城目学」。「まきめ まなぶ」と読む。
先日までテレビドラマでやっていた「鹿男あをによし」の作者でもある。

私は、人に自信をもって薦められる本しか紹介してない。
実際、読んだものの、紹介しなかった本の方が圧倒的に多い。
この作品、その点において、紹介すべきかどうか微妙なところはある。

大きなあらすじとしては、
京都の大学生達による「ホルモー」という不可思議な戦いをベースにした、
甘酸っぱさのある青春小説である。

まず、「ホルモー」なるものが非現実的なため、
いまいちイメージができず、
喉元につかえたまま読み終わったというのが率直な感想である。
「ホルモー」とは何たるかは、少しずつ語られていくが、
1回読んだだけでは、ほとんど理解できなかった。
2回読んで、わかったような気になった。
おそらく何回読んでも、「わかったような気になった」止まりだろう。

次に、展開が遅く、画一的である。
あまり重要ではないところで間延びし、話がなかなか進まない感じがする。
そのため、ストーリーがぼやけ、ポイントがわかりにくくなる。
正直、どこまで読んだら面白くなるんだろう?と思いながら読んだ。
特に中盤の展開が良くない。
いらないところに厚みがあり、ちょっとイライラした。

以上の2点が良くないのは、本来は、致命的である。
しかし、良い点、というか、愛すべき点がいくつかある。

まず、登場する大学生の描き方が、背伸びしていなくて良い。
自転車で夜に友達の家に行って夜明けまで話したり、
淡い恋心あり、友情あり、貧乏あり、自問自答で苦悶ありと、
20歳前後の等身大の大学生という感じがする。

キャラづけや設定も面白い。
主人公がさだまさしの大ファンであること、
準主役の高村がホルモーに負けて、自らちょんまげを結ったという設定、
また、高村は、いつもズボンの中にTシャツを入れていること、
楠木ふみ、という女性が、
大木凡人のような髪型とメガネをしていることから「凡ちゃん」
と呼ばれることなど、こうした、ちょっとふざけた設定が、
何でもないところで、なかなかいい味を出す。
思いがけず10か所くらいは確実に笑えると思うし、
凡ちゃんの割れたメガネのシーンは、胸がキューンとなって泣けてしまう。

言葉使いや、文章表現も私好みである。
表紙の絵も、すごくいいと思う。
いわゆる「ジャケ買い」をしたくなる魅力がある。
また、京都の観光地的な地名はほとんどなく、
生活に根ざした地名ばかり出てくるのもいい。
京都に行ってみたいなと思えた。
とにかく、ほのぼのしていて、やるせなくて、最後は清々しい気持ちになる。
読後感はいい。

そう、読後感がいいのだ。
ほのぼのしていて、やるせなくて、最後は清々しい気持ちになるから、
この本を紹介したくなったのだ。
そして、この万城目学という作家、展開の良さと意外性を出すために、
削る箇所と書き足す箇所をもっと吟味すれば、
すごく面白い作品を書きそうな気がするから、
この本を紹介したくなったのだ。

事実、こうして感想を書いているうちに、
もう一度読んでみたくなってきた。

テーマ:紹介したい本 - ジャンル:本・雑誌


先週の金曜日、社会保険庁が「ねんきん特別便」の最終発送を終えたと、
主要新聞の1面で報じられた。
その「ねんきん特別便」が私のもとに届いた。

「ねんきん特別便」は、いわゆる
「宙に浮いた年金記録」の該当者と
思われる人に送られる「年金記録のお知らせ」である。
昨年の12月から発送しており、
最近ではニュースで取り上げられなくなっていたため、
年金記録の照合作業は落ち着いたのかと思っていた。
ところが、最終便にのって、私の年金記録が届いた。

私は日頃の言動とは裏腹に、
大学卒業後すぐに就職、その後、転職はしているものの、
前職の退職日の翌日に現在の職に就いている。
つまり、フリーターやニート的な期間が全くないまま、
サラリーをもらい、せこせこ働く人として、
常にどこかの会社組織に属していた。
常に「アイ・ビロング・トゥ・どこかの会社組織」だった。

そのため、私の意思に関係なく、年金は源泉徴収されていた。
支払っていない期間など、あるわけないじゃん、と思っていた。
ところが、ねんきん特別便に同封されていた年金記録には、
支払っていないことになっている期間が2年2か月あった。
前の職に就いていた期間であった。

私はショックを受けた。
私の心の中の年金記録と、社会保険庁が把握している年金記録は違った。
私の中のアイデンティティが崩壊した。

とりあえず、落ち着いて、
「ねんきん特別便」に封入されていた書類を見てみることにした。
ところが、すぐに平静ではいられなくなった。
ある書類には、同封した照会票に記入した上で、
社会保険庁に出向くか、「ねんきん特別便専用ダイヤル」に電話すること、
このどちらかを必ずすること、と書いてある。
また、ある書類には、同封した照会票に記入して郵送しろ、と書いてある。
つまり、同じような書類に、違うことが書いてある。

そうかと思えば、記載例がごちゃごちゃしていてわかりにくい。
証拠書類があれば添付しろとも書いてなければ、
「いつまでに」というのも書いてない。
結局どうしたらいいのかがわからないし、
社会保険庁は私にどうしてほしいのかもわからない。

なんだか面倒になってしまい、土・日は考えないことにした。
そして、月曜日になって焦り始めた。
このまま放っておくと、後々大変なことになる。
「一事がバンジージャンプ」となり、
橋からダイブすることになっては、人生が台無しだ。

そこでまず、「ねんきん特別便専用ダイヤル」とやらに電話することにした。
月曜の朝9時から何度もかけた。2時間おきくらいにかけた。
しかし、毎回聞こえてくるのは、
「ただ今、大変混み合っています。
 しばらく待って、おかけ直しください」のアナウンス。
電話は夜8時まで受け付けていると書いてあったので、
午後7時台にも電話した。
しかし、同じアナウンスが聞こえてきただけだった。

今日火曜日も同じ事の繰り返しだった。
携帯電話からではなく、公衆電話からもかけてみた。
もちろん、結果は同じだった。
それどころか、「しばらく待ってから、かけなはれ」のアナウンスが
流れた段階で、10円かかっていることがわかった。
しかも、20秒くらいで10円ずつ減っていく。
どういうことなんだ!これは。
社会保険庁は、電話会社とコラボを組んでるのか。
「NTT フューチャリング 社会保険庁」だとでも言うつもりか。

電話はつながらない上に、
つながらなくてもマネーは搾取される。
まさに、「前門の社会保険庁 後門のNTT」である。

というか、「しばらく待ってから、かけうどん」と言われて、
こちらは、言われたとおりに、しばらく待ってから電話している。
なのにつながらない。
「どれだけ待てばいいのですか?」。
社会保険庁は私に、チャゲアスになってほしいのか。
私は、少なくとも「東区のチャゲ」なんて言われたくない。

そもそも、「ねんきん特別便専用ダイヤル」を設けたなら、
対応できるだけのシーフードを用意してほしい。
いや、間違えた。
対応できるだけの「かいせん」を用意してほしい。

「ねんきん特別便専用ダイヤル」には見切りをつけた。
社会保険事務所に電話することにした。
ところが、こっちもやばかった。
札幌市内の社会保険事務所は、どこも話し中。
何度かけても話し中。
今日の夕食はビーフシチュー。

そこで、道内16の社会保険事務所の中で、
最も対応人数が少ないと思われた、留萌の保険事務所に電話した。
すると、一発でつながった。
やはり留萌というところは、私を土壇場で助けてくれる。

ただ、相手をしてくれた女性は、
こちらが質問するたびに、「少々お待ちください」を連発。
話していた時間よりも、
保留音を聞いていた時間の方が長かったかもしれない。
留萌の保険事務所とは10分くらい電話をしていただろうか。
公衆電話からだったが、300円以上使った。
今、一般電話ってそんなに高いのか?
それでも、いつまでに何をすべきかわかったので、とりあえず安心した。

これから2週間くらいの間に、私はどこかの社会保険事務所に行くだろう。
テレビを見ていると、年金記録の照合がうまくいかない例が多く流れている。
果たして、社会保険庁の職員に、私の話は通じるだろうか。
というか、その前に、電話が通じるようにしてほしい。

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フィギュアスケートの採点方法が腑に落ちない。
先日、女子フィギュアスケートの世界選手権で、
浅田真央選手が金メダルを獲得した。
「世界一」というのは偉業であるし、喜ばしいことである。
しかし、今回の世界一を素直に喜んでいいのだろうか。
思い切り転倒しても金メダルを獲得できた。
転倒せず、きちんとまとめた演技をした選手を押しのけてである。

現在のフィギュアスケートの採点は、雑ぱくに言うと、
技によって点数が決まっていて、技をやるごとに加算される方式である。
つまり、難易度の高い技をやればやるだけ点数が高くなる。
ここまでは、まだ「良し」としよう。
難易度の高い技をたくさんやることによって、
転倒という大きなミスまで帳消しになるのが納得いかない。

演技を点数で競う競技は色々とある。
例えば「体操」。
鉄棒から落ちたら、平行棒から落ちたら、点数は全く伸びないだろう。
例えば「スノーボードのハーフパイプ」。
転倒したら、事実上、その時点で競技終了のようなものである。

フィギュアスケートは、体操やハーフパイプとは競技の質が違う。
とはいえ、いいとこ取りで点数が加算されていくシステムは、
見ている側に緊張感がなくなり、ひいては、つまらなくなる。
転倒という大きなミスも、きちんと減点しなければ、
競技自体が大雑把なものになってしまう。
「ミスするなよ」と、ドキドキしながら見るから面白いのである。
「ハイリスク・ハイリターン」こそ、演技を競うスポーツの醍醐味なのだ。

難易度の高い技ばかりを注目するメディアも良くない。
難易度の高い技をやれば、それでいいのか?
「楽しければ、それでいい」思想にも通ずるような、
自己中心的で身勝手な、そういう危険をはらむ採点システムだと、
そこまで言わせていただく。

全体の流れや雰囲気のようなものを、もっと重視してほしい。
要は、誰の目から見ても、
「この選手より、この選手の方が上」と納得できるような
採点方法にしてほしい。

そもそも、転倒した人が、転倒しなかった人に勝つ、
この事実に私は、若者のように、語尾を上げて、
「なんか、おかしくねぇ?」と言うしかなくなる。

もちろん、フィギュアスケートは、
相当な体力と精神力がなければできないことは理解している。
プレッシャーと節制の中で練習しているのだろう。
それだけに、地下鉄琴似駅から、東区の自宅まで
歩き通せなかった私のような人に(321日の記事「琴似night参照)、
偉そうなことを言われたくないと思う方もおられるだろう。

そこで私は、22日土曜日、自宅のある北20条東19丁目から
地下鉄琴似駅まで(正確には琴似の「串鳥」まで)走ってみた。
念のために言っておくが、車で走ったのではない。
己の足で走ったのだ。

ところで、なぜ、そんな無益なことをするのか。

3月19日の琴似nightにおける帰宅方法は、
地下鉄琴似駅から地下鉄北24条駅まで歩き、

そこからシータクに乗ろうと思っていた。
しかし、酒酔いと土地勘の無さから遠回りをしてしまい、
最後は寒さに耐えきれず、
新川通(石山通)を超えることすらできなかった。

というか、新川通と石山通はつながっているが、
どこが分岐点となるのだろう。

それはそれとして、私は悔しかった。

寒さに負けたのではなく、自分に負けたからだ。
ただ、しらふで、道を誤らず、寒くなかったならば、歩けたのだろうか?
この疑問と正面から向き合うために、地下鉄琴似駅まで走ってみた。

なんて、カッコつけて言っちゃってる私だが、
最初は、北20条東19丁目から地下鉄北24条駅を超え、
新川通(石山通)とぶつかる地点、
住所でいうと北24条西14丁目、マクドナルドがあるところで、
引き返してこようと思った。

そのマクドナルドまで、30分で着いた。
ところが、「琴似nightの雪辱」と考えた場合、
ここで引き返しては、何の意味もないと思った。
日頃、意味を求めて行動しているわけではないが、
この日は、意味が必要だと感じた。

つまり、地下鉄琴似駅まで、いや、串鳥の前まで行かなければ、
何も解決しないと思ったし、
そこまでやらなければ、ブログに書けないと思った。
心のどこかで「FOR THE ブログ」という
いやらしい考えが
よぎってしまった。

また、解決できないことが多いこの世の中で、
自分が引き起こした自分の問題を解決できなくてどうする。
これは間違った自己愛かもしれない。
しかし、ラブ・イズ・ブラインドとは、よく言ったものだ。
私は、帰りのことも考えず、琴似を目指した。

さて皆さんは、走っている時の話がないじゃないか、
走るに至った経緯ばかり書いてるじゃないか、と感じられるだろう。
いかんせん、走っている時は、取り立てて何もなかった。
全く苦しむことなく、マクドナルドからは約20分で
琴似に着いてしまった。

八軒の渡辺鮮魚店とやらの前に、沢山の車と人がいたことと、
帰り道に、赤信号を避けて八軒東の裏道に入ったら、
道が斜めになっていたり、行き止まりに当たったりで、
ひとつ曲がり角、ひとつ間違えて、
5分間ほど渡辺真知子状態になったことくらいしか
語れることがないっす。

ところで、しらふで、道を誤らず、寒くなかったならば歩けたのか、
についてだが、
琴似の串鳥から我が家までは、おそらく8㎞弱だろう。
この距離からすると、「雪辱」という確固たる目的、
あるいはラブ的要素がなければ、歩けないと思う。
ハッピーナイトの後じゃ無理だろう。
「さよならと言えないでずっと歩く」なら可能だろう。

というか、たかがこんなことで、
琴似まで走って往復した私を、皆さんはどう思うのだろう。
しかし、人生のほとんどの時間は、
どうでもいいことに費やしているような気がする。



日本銀行総裁人事やガソリン税の暫定税率の問題で
国会が迷走している。
あまりに物事が決まらず、前に進まないため、
「何やってんだろうねぇ」と呆れている国民も多いだろう。

特に日銀総裁に関しては、
多くの国民にとって、直接影響を感じないため、興味も薄い。
「日銀総裁 戦後初の空席」という新聞の見出しが出ても、
「だから、どうした」と思った方も多いだろう。
私もそんな日本国民の一人である。

「日銀総裁なんて、どうせ財務省の天下りポストなんだろ、そうなんだろ」
という先入観と偏見と諦めを持つ私にとっては、
今回の迷走ぶりが、少し面白くも見てとれた。

自民党が最初に提案したのが「武藤新総裁」。
次が「福井総裁、武藤副総裁残留」、その次が「田波新総裁」。
いずれも、財務省(旧大蔵省)出身者である。
この人選は、自民党の案ではなく、財務省の案だろ、
と疑問を持たざるを得ない。
武藤がダメなら田波、というのは、
財務省の権益を守るための執念としか思えない。

それに対して民主党は、財務省出身者というだけで否決する。
感情のもつれに過ぎないとも思えてくる与党と野党の争いである。
こうなると、「つまらない争いをしてないで、歩み寄って早く決めるべき」
と意見したくなる方も多くいるだろう。
しかし、日銀総裁空席の不利益というものを、あまりわからない私は、
もっともつれてもいいので、もっと議論して、
人物本位で総裁を選ぶという当たり前の形に転換してほしいと思う。
今回は、その数少ないチャンスだと思う。

このようにもつれることを想像できず、
ぎりぎりになって人事案を提出した自民党、というか、
ヤスオ福田の指導力を批判する向きが強い。
それは新聞、テレビでも頻繁に言われているので、
私はそれ以上言及はしない。
もっとメディアで報じてほしいのは官僚のあり方である。

日銀総裁人事に、財務省官僚が大きく関わっていると仮定した場合だが、
官僚に優れた能力を持っている人は多くいるだろう。
まして、その幹部ともなれば、激しい競争の中で選ばれた人間として、
より優れた能力を持っている。

その能力の多くが、国民のために使われていない。
国土交通省にしても、厚生労働省にしても、防衛省にしても、
その能力が、組織を守ることにばかり使われている。
あるいは、特定の政治家を守るためだけに使われている。
特に防衛省は、国の防衛ではなく、
自己防衛の組織かと思わされることが多い。
こうした官僚のあり方が、今回の日銀総裁人事においても
根底にある問題だと思っている。

また、官僚の能力が、組織や政治家のためだけに使われていることは、
結局のところ、税金の無駄遣いにほかならない。
国民にとって大きな損失である。
こうしたことを忘れてはいけない。
政治家や官僚の体たらくぶりや不祥事の多さに飽き飽きしたり、
麻痺している方もいるだろうが、
粘り強く怒り続けていかなければならない問題である。

また、余談だが、
官僚は、例えば都内の一等地に激安料金で住居を借りることができる。
こうした優遇措置に対しても、
住んでいる家と同様、「かんしゃ」してほしい。

そして、
ガソリン税の暫定税率の問題である。
こちらの方は、国民にも直結してくる話なので、
日銀総裁人事よりは、関心が高いだろう。
と同時に、3月末で期限が切れるのに、
この期に及んで何をやってるんだと呆れている方も多いだろう。

ただ、与党と野党との間で決着がつかず、
問題が長引いていることによって、
逆に色々なことがわかったのも事実である。

「ガソリンが値下げになって良かった」だけで治まるものではない。
議決をしたばかりの国、都道府県、市町村の予算が大幅に不足する。
暫定税率の廃止によって、増税となるものもある。
さらに、道路特定財源は、事実上は、国土交通省特定財源だったのかなと
私のようなひねくれ者は考える。

色々と混乱は生じるだろう。
しかし、暫定税率というものを、ひいては道路特定財源というものを、
しっかりと議論する、またとない機会かもしれない。
そして、これだけ問題になると、国民も考える。
暫定税率を少しだけ延長、あるいは一時的に廃止してでも、
きちんとした徹底議論を望む。

この件に関しても、ヤスオ福田の評価は下降の一途をたどっている。
政治の停滞を招いた責任は確かにある。
また、道路予算を特定財源のままとすることにこだわっていたのに、
一般財源化も視野に見直すように指示するなど、一貫性がない。

しかし私は、良い点もあると思っている。
民主党の主張を聴き、国民世論を見て、考え直すというのは、
取りようによっては柔軟だし、
大局的に見れば、良い方向に向かっていると思っている。

ただ、ヤスオ福田はイメージが良くない。
もう少し具体的に言えば、見せ方が良くない。
危機感も緊迫感もあるだろうが、飄々と見えてしまう。
聴く耳を持つ人なのに、信念が無いように見えてしまう。
結局のところ、政治センスがないのかな、とも思えてしまう。

いずれにしても、目先のことにとらわれず、
しっかりとした議論をしてもらいたい。
時間がないからと、ぐだぐだの状態で、
数の力だけで決着がつくのだけは勘弁してほしい。

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月曜、火曜、水曜と、札幌飲み行為3DAYSだった。
ライブを3日連続でやるより体力を使う。
とりあえず3日間くらいは酒を飲みたくない。
胃が相当やられている。
空腹感が全くない。
動きたくないし、頭の回転も鈍っている。
悪循環極まりない。

体力を要し、体調を悪くするにもかかわらず、なぜ飲むのだろう。
というか、体調が悪くなるまで飲んでしまう私が悪いのか。
わかってくれとは言わないが、そんなにオレが悪いのか。

月曜、火曜は、一件で切り上げてきた。
しかし、家に帰ってから、だらだら飲んでしまい、
台無し気分でロックンロール状態だった。
ふられてもいないのに、ふられ気分になったようだった。


仕事上の知り合いであるKTO氏(4月からは係長)は、
自らを「加藤コバーン」と名乗っている。
90年代を代表する世界的ロックバンドである「ニルヴァーナ」の
ボーカル&ギターの「カート・コバーン」をモチーフにしたものである。
カート・コバーンの妻は、「コートニー」という。

そういうわけで、19日水曜日はコートニー(琴似)まで飲みに行った。
札幌西部地区最大の飲屋街を有する琴似である。
琴似の飲み屋といえば、「ふる里」である。
「ふる里」の支店へ行った。
我々が着いて15分後には満席になった。

ふる里・ジョッキ

なぜ琴似まで行ったのか。
この日の飲み行為メンバーは、職場の親しい面々だった。
GT
氏、AY氏、中村NBR、山下MSTYKさんと私の6人だった。
このうち、GT氏、中村NBR、山下MSTYKさんは、琴似在住である。
そして、GT氏、AY氏、YKさんは、
人事異動により3月いっぱいで今の職場を去る。
つまり、送別会でもある。
さらに、GT氏はこの日が誕生日だった。
それに加え、札幌駅界隈や大通り界隈での飲み行為には飽き飽きしていた。
以上の理由から、琴似開催となったわけである。

特にGT氏におかれては、「送別+誕生日」ということから、
「ケーキでも買うか?」、「何かサプライズをやるか?」など、
それなりに話題となり、微妙に盛りあがっていた。
GT
氏も、心のどこかで少し期待をしていたかもしれない。

琴似に出かける前、中村NBRに聴いた。
「中村さん、サプライズ、何やるの?」
すると中村NBRは、にやっと笑いながら言った。
「何もやらないことが、逆にサプライズです」

私は笑うしかなかった。

ふる里支店の後は、琴似の「歌屋」へ行った。
この同僚達のいいところは、
「歌ってくださいよ」とか、「歌わないんですか?」など、
一切言ってこないことである。
「歌いたければ勝手に歌っちゃえばいいじゃん」的な、
いい意味で、放っておいてくれるのが非常に有り難い。
気を使ってくれないので
居心地がいい。

私は1曲も歌わなかった。
ライブで歌を歌っちゃったりしているのに、
ライブの後にカラオケに行っちゃったりもしているのに、
1曲も歌わなかった。
歌うことはどうでもよく、YKさんを相手に、
「オレは文字フェチ」、「眉毛の描き方がどうした」など、
最低なバカトークを繰り広げていた(と思う)。
おそらく明日からYKさんは、私との距離の置き方を変えるだろう。

このメンバーは、カラオケの最後には「サライ」を歌う。
みんなでマイクを回しながら歌う。
しかも、全員起立し、男も女も肩を組み、横に揺れながら歌う。
バカなことをしていると感じる方もいるだろう。
ところが、この日のように、送別も兼ねていると、
意外と寂しい気持ちになり、
ちょっぴりジーンとしてしまうから不思議である。

歌屋を出たのが、午後11時頃だっただろうか。
ここで私は地下鉄に乗って帰ろうと思っていた。
ところが、地下鉄琴似駅を通り過ぎ、
「地下鉄に間に合う時間まで」ということで、
琴似の串鳥へ行ってしまった。

串鳥で焼酎を飲み、バカトークをし、時計を見た時は、
午前12時30分だった。
地下鉄はその日走るのを既にやめている時刻だった。
次に時計を見たのは、店員に「すいません、閉店なので…」と
言われた時だった。
時刻は午前1時10分だった。

琴似から我が家(東区の札幌開成高校の辺り)まで、
シータク代は4,000円程度は覚悟しなければならない。
私は、行けるところまで歩くことにした。
地下鉄琴似駅から、二十四軒方面へ行き、
北24条通りに出て、ひたすら東へ行けばいい。
西区を歩ききり、新川通を超え、マクドナルドを過ぎ、
地下鉄北24条駅までは歩けるだろうと思っていた。

ところが思うようにはいかないものだ。
二十四軒で左に曲がって北24条通りに出るのを忘れてしまった。
気づいたら通り過ぎていた。
ここで気を取り直して戻ればいいのだが、それができない。
引き返す勇気がない。
前に進みながら、いい道を探ろうとする。

しかし、酔っていてはどうしようもない。
ふと横を見ると、競馬場があった。
新川通に出たいのに、競馬場があるせいで、
遠回りをしなければ行けない状態になった。
その後、JR桑園駅まで行ってしまった。
どんどん行きたい方向からずれていった。
JR桑園駅から新川通に出て北へ。
完全に逆戻り状態である。
疲れより、焦りより、とにかく寒かった。
エルムトンネルの西側の入口の交差点、札幌工業高校のある辺りで、
寒さに負けて、シータクを止めた。
いや、寒さに負けたのではない。自分に負けたのだ。
わかってくれとは言わないが、そんなにオレが悪かった。

シータクは、やはり落ち着かなかった。
狭い車内での知らない人との微妙な空気、
そして、著しく早いペースで料金メーターが上がっていく。
家まであと1㎞くらいのところで、私はシータクを降りてしまった。
,300円くらいの料金を支払って降りてしまった。

家に着いたのは午前3時だった。
飲んだ後、メチャクチャな帰り方をしただけで何もない。
しかし、こんなバカな一日も、何かにつながっていく。
無駄なんて何もない。
と、本気で思ってみたい。


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今日3月16日、私は東千歳バーベキューへ行ってきた。
鶏の半身の炭焼きを提供している店である。
2月23日にも、東千歳バーベキューを目指し、車を走らせた。
しかし、前日の猛吹雪によって、国道274号線が通行止めになっており、
長沼町で引き返してきた経緯がある(詳しくは2月24日の記事にあり)。

しかし、私はくじけなかった。
この3週間の間、再挑戦のタイミングを図っていた。
東千歳バーベキューへ行くことは、年度末までの最大目標だった。
目標というより、夢だったと言ってしまおう。
この熱い思いが、ドリームズをカムトゥルーすると信じていた。
そして、再挑戦する日が来た。
それが今日だった。

東千歳バーベキュー・店

昨日の夜から、「あの道を走り、あそこで曲がる、
店に着いたら、こんな感じで、これを注文する」など
イメージ・トレーニングまでした。
というか、しようと思わなくても、
気づいたらイメージ・トレーニングをしていた。

さらには、家に帰ってから、東千歳バーベキューを絶賛したブログ記事を
書いているところまでイメージ・トレーニングをしてしまった。
そして今、そのイメージのままの行動をしようとしている。

そう、東千歳バーベキュー COME TRUE である。
ずっと心に描いた未来予想図は、思ったとおりにかなえられた。
そして、メチャクチャ美味しかった。
ほんとうに美味しかった。
一口目、「おお~、これは美味いね」、
二口目、「これは、まじに美味いって」、
三口目、「いや、ほんとすごいよ、これ」と、
興奮のあまり、似たようなことばかり立て続けに言っていた。
それだけエキサイトさせるパワーのある食べ物だった。
しかし、3分もすると、夢中で食べるあまり、会話を全くしなかった。
それだけ集中させるパワーのある食べ物だった。


↓4つあるが、2つで1人前。1人前は800円。
  量が多く感じるが、美味しさも手伝い、成人男性なら1人前を容易に食べ切れるだろう。
   成人女性でも、飽きない限りはいけるだろう。写真で見ても美味そう。
東千歳バーベキュー

生の鶏の半身を、炭の上の網に置いて焼いただけの商品である。
味付けは塩とコショウのみである。
しかも、店の方が塩とコショウをドバトバとかけ、
「肉は適当に裏返して10分くらい焼いてください」と言ったきりで去り、
あとはDO IT YOURSELFだった。
にもかかわらず、炭焼きの香ばしさ、味付けのバランス、
肉の柔らかさ、甘み、そうした全てが見事に融合していた。

「炭で焼けば、どんな肉でもそれなりに美味しいんじゃないの?」
と思う無かれ。
このバーベキューには、そうした短絡的なことは言えないサムシングがあった。
そのサムシングは、良い炭を使っているからかもしれないし、
炭と網の間の距離が絶妙だからなのかもしれない。
また、一見、適当に思える塩とコショウの量も、
実は計算し尽くされているのかもしれない。
ここまでは、いずれも「かもしれない」である。

はっきりと素晴らしさを語れるのは、鶏肉である。
見た目で鮮度の良さがわかるくらいに輝いている。
また、ぬるぬる感が全くない。
そして、特筆すべきは、内臓の処理と血抜きの完璧さである。
そのため、骨付きの大ぶりの鶏の半身にもかかわらず、
食べられない部分が少なく、嫌な味のする箇所が全くない。
また、筋(すじ)が全くない。
さらに、肉の厚さが絶妙である。
そのせいで、炭焼きにもかかわらず、しっかり中まで火が通っている。
この鶏肉の処理には、相当の労苦と工夫が見受けられ、非常に感動した。

東千歳まで足を運んだこと、畑の中にぽつんと存在すること、
知る人ぞ知るような店、倉庫の中の油まみれの壁と天井、
そうした特別な状況は、実際の味にプラスされる要素である。
だか、しかし、そうした要素を除いても、
鶏肉を焼いたものとしては、これまでで一番美味しかった。
そう言っていい。
そう言い切っていい。

東千歳バーベキュー・野菜炒め

東千歳バーベキュー経験者が口を揃えて、「必ず食べるべし」と言う、
野菜炒めも食べた。
1人前200円。2人で1人前でいい。それくらい量がある。
これも美味しい。
具はキャベツともやしだけ。そういえば、ポンポチらしきものも入っていた。
味付けは塩と塩っぽいサムシングだと思う。

家で食べる野菜炒めに味は近いが、決定的にサムシングが違う。
だが、そのサムシングがわからない。
ただ、はっきり言えるのは、キャベツ自体が美味しいことである。
炒めなくても、相当美味しいキャベツだと思う。

髪の毛や衣服には、かなりの臭いがつくし、
下手をすれば、天井から油が落ちてくる、とも聴いていたため、
店に入る前にウインドブレーカーを着用し、
頭に巻くためのタオルを用意した。
確かに煙と油の空気にまみれる。
しかし、ちょっと喚起の悪い焼鳥屋や焼肉屋程度だと思う。
ただ、店を出た後、すぐに手を洗いたくなる。

東千歳バーベキュー・メニュー

それにしても美味しかった。
また必ず行きたい。
そして、今後も知る人ぞ知る存在であってほしい。

千歳市の東のはずれ、由仁町との境界に近い国道234号線沿いに、
ぽつんとある店である。
辺りは、畑なのか田んぼなのか、とにかく土地だらけで、
農家、あるいは酪農家が点在しているようなところである。
ちょっと見方を変えれば、アメリカっぽくもある。
バーベキューということもあり、
テキサスのようなところであると言ってしまおう。
そうした全てが素敵に思える。
すてきさテキサス。

↓国道234号線を苫小牧方面から岩見沢方面に走っていると、左の看板が出てくる。
   看板の左側は、右の写真のように、坂をくだって店がある。すてきさテキサス。
東千歳バーベキュー2 東千歳バーベキュー1


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このブログを始めてから、今回が100回目の記事である。
ひとつの節目である。
そこで昨夜は、節目にふさわしいことを書こうと意気込んだが、
節目にとらわれるあまり、伏し目がちになってしまい、
たちまち睡魔に襲われ、立待岬へ行った夢を見た。
私は100回という節目を前に、
睡眠という欲望にあっさりと負けてしまったというわけだ。

しかし、これまでの人生における敗北に比べたら、どうってことはない。
いや、敗北などしていない。
敗北感は味わっているが、敗北はしていない。
というか、勝ったか負けたかなど、誰かが勝手に決めればいい。

100回目というだけで、意識し過ぎたのが良くない。
自分にとっては100回でも、
読まれる方にとっては、特別な気持ちはないだろう。
それでいい。
分かち合うには、まだ歴史が浅すぎる。
なんて言っちゃったりしてるが、
ほんとは、少しだけ分かち合いたがってるのも事実である。

それはさておき、7か月で100回に達したのは、
読んでいただいている方、
また、公開・非公開、直接・間接に関わらず、
コメントや意見をくださる方のおかげである。
非常に嬉しい限りである。
改めて感謝申し上げます。

ブログをやっている目的も目標も明確にはない。
ただ、「何を書いてるんだろう、この人は」という、
ある種のくだらなさと、クスッと笑える何かを記せたらとは思う。
焦らず、気負わず、続けさせていただきたいと思う次第である。

さて、この10日くらいの間に雪解けが一気に進んだ。
春が近づいている。
それが、なんとなく嬉しく感じたりもする。しかし。
日の入りが遅くなり、暖かくなってきて、
わけもなく何か楽しいことが待っているような気がして歩いてたら、
ふと、何も変わっていないことに気がついて、
坂道の途中で立ち止まり、それ以上歩くのが面倒になったりする。
疲れて歩けないのではなく、虚しくて歩けない。
やりきれなくて歩けない。

こんな気持ち、うまく言えたことがない、ないやいやい、ではあるが、
こんな気持ち、わかる方もおられるだろう。
こんな気持ちで春を迎えるのも人生である。
しかし、焦ることはないし、気負うこともない。
黙っていても、雨はやがて星になって、傘がいらなくなる。
きっとそうだろう。

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意識して納豆を食べるようにしている。
ボディ&ソウルが、激しく納豆を欲しているわけではない。
「決して嫌いな食べ物ではないので、健康管理のために」
との思いから食べている。
それだけだ。
ただ、それだけのことだ。
いや、それだけだろうか?

そこで私は、私自身の納豆に対する思いについて考えてみた。
考えた結果、「嫌いなわけじゃなくて、まあ好きだけど、
愛っていうのとは違う」と言う女の気持ちと似ていることに気がついた。
そう発言した女は八重歯であることにした。
私の好みの女性は、八重歯であることが多い。
八重歯が愛おしすぎて、顔を覚えていないこともあるほどだ。
八重歯を中心に世の中が回ってもいいとさえ思っている。
そんなことを考えていたら、何か寂しくなった。
そこで私は、しっとりしたジャズを聴きながら納豆を食べた。
流れる曲はもちろん、ナット・キングコール。

私の納豆の食べ方は、ユニークだと言われる。
私は、納豆に塩とコショウをかけて食べることが多い。
塩は、食塩でもいいが、アジシオがベスト電器。
コショウは、白コショウは不可で、必ずブラック・ペッパー。
できればGABANのがいいに決まってるだろうが!!
GABANな言い方、いや、野蛮な言い方ですみません。

そして、納豆とごはんは、別々に食べる。
ごはんの上に納豆はのせない。
つまり納豆は、私にとってはサラダ的な位置づけである。

このことを、職場の近くの席に座る同僚達に話したところ、
一様に、「どうして、アジシオ&ブラック・ペッパーなのか」と疑問の声。
私はやや傷ついた。
「アジシオ&ブラック・ペッパー」というユニットを作って、
音楽活動をしようかと思っていたほど、
お気に入り、かつオススメの食べ方だっただけに、
私のハートエッジに痛みが走り、ガラスの心はひび割れた。

その疑問の声に続いて、
納豆の食べ方について意見交換となった。
その中で特徴的だったのが、
このブログでも、すっかりお馴染みの中村NBRと山下MST。
二人とも、「納豆+生卵」を醤油で味付けするとのことだった。

山下MSTは、ごはん、納豆、生卵、醤油を全て混ぜるという。
それに対して、中村NBRは、生卵と醤油で卵かけごはんをつくり、
その上に、牛丼のように納豆をのせるという。
これが、二人の間に亀裂を生じさせた。

「全部混ぜたら、ただの飲み物になるだろうが!」、
「納豆を上にのせても、口に入れたらすぐに混ざり合うじゃねえか!」など、
中村NBRと山下MSTは、激しい舌戦となった。
ある意味、食に対するプライドをかけた戦いでもあった。

そんな時、中村NBRが、
「海苔を巻いて食べたら、さらに美味しくなる」と発言。
これに対して、山下MSTが、
「あっ、それ、わかるような気がする」と、
いきなり歩み寄りの姿勢を表し、あっさりと二人の溝は埋まった。

ちなみに、山下MSTによると、彼の奥さんは、
卵の黄身だけを混ぜるという、更なるこだわりもあるという。
さらに、山下MSTは、
「卵かけごはんに納豆を混ぜるんじゃないんですよ。
 納豆と卵と醤油を混ぜてから、ごはんと混ぜるんですよ」と主張。
私は、「それがどうした」的な対応をしたが、
山下MSTは、「この人はわかっていない」的な、
ある意味、してやったりの笑みを浮かべていた。
おそらく、焼酎の水割りを作る際、
焼酎を先に入れるか、水を先に入れるか程度の違いはあるのだろう。

どちらにしても、すき焼きの際の生卵にさえ抵抗がある私にとっては、
卵かけごはんに納豆というのは到底あり得ない。
しかし、すき焼きの生卵には抵抗がない方は、
試してみてもいいかもしれない。

このほかにも、納豆+キムチ、納豆+野沢菜などの意見があった。
おそらくほかにも、納豆と組み合わせのいいものや、
意外に美味しい味付けがあるだろう。
私は、アジシオ&ブラック・ペッパーのほか、
ポン酢で食べるのも好きである。

また、忘れてはいけないのが、納豆はカレーとの相性もいいことだ。
スープカレーの店でも、時々見かけるメニューである。
ひきわり納豆と鶏の挽き肉に加え、
オクラ、えのきなど、ネバネバ・ヌルヌル系のものが入っている場合が多い。
特に、プルプル(南2西9)の「ナット・挽き肉ベジタブル」は、
やみつきになる美味しさである。

私も、それをマネして、自宅で作ったことがある。
スパイスの量を多めにしたら、納豆の臭みが前に出ず、結構美味しくできた。
その後も何度か作った。

ある日、オクラなどの量を増やせば、よりヘルシーになると考え、
思い切ってネバネバ食材の量を多くしてみた。
しかし、味のバランスが悪くなり、全く美味しくなかった。
あまりの不味さにショックを受け、
それ以来、そういうカレーを作るのをやめた。
つまり、そのカレーは、二つの意味で「おくらいり」となった。

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9日、名古屋国際女子マラソンが行われた。
女子マラソンの北京五輪最終選考を兼ねた大会だった。
最大の注目は高橋尚子選手だった。
結果は27位と完敗し、北京五輪出場は絶望となった。
彼女自身、記者会見でも言っていたが、これが今の実力だろう。

この大会の出場者は、豪華な顔ぶれだと言われた。
それは、高橋尚子選手のほかにも、
アテネ五輪や世界選手権、また、国内の主要なレースで
優勝している選手が複数いたためだろう。
そして、混戦になると言われていた。

しかし、女子マラソンに熱い思いがある私にとっては、
(これまでも女子マラソンの記事を書いている→2007.9.102007.11.19
「豪華な顔ぶれ」というより、「著名な選手が多い」という認識だった。
つまり、知名度はあるが、強烈に強い選手はいないため、
レース自体は、原裕美子選手があっさりと勝つと予想していた。

期待は、加納由理選手だった。
なぜなら、事務員の制服を着て、昼休みのセイコーマートで、
おにぎりとヨーグルトを買っていそうな可愛いOLっぽいからだ。
そしてそのうち、セイコーマート・カードのポイントをためて、
そのポイントで、ジップロックと交換しそうな、
そんな庶民的な雰囲気もあるからだ。

高橋尚子選手と弘山晴美選手は、明らかにピークを過ぎたと感じていた。
坂本直子選手は、過去の実績はあれど、
4年ぶりにマラソンを走って勝てるほど甘くはないと思っていた。
大島、大南、嶋原あたりは、実力的にトップ5は困難と見ていた。

勝ったのは、中村友梨香という21歳の選手だった。
結果として、有無を言わせぬ強い勝ち方だった。
ラスト10㎞で一気にピッチを上げ。
強引なまでに2時間26分を切った走りは素晴らしかった。

レース前半は、選手が皆、勝ちを意識するあまり牽制し合ったのか、
非常に平凡なタイムで展開した。
「このままのタイムで勝っても代表になれないだろう」と、
歯がゆさと疑問の中で見ていた。
それだけに、2時間26分を切りたいという意地を見せた
中村選手の後半の走りはすごかった。

北京五輪の代表は明日(10日)発表される。
大阪国際女子マラソン2位の大友選手よりタイムは劣るが、
きっと中村選手が選ばれるだろう。
レースは違えど、少しのタイム差より、優勝と2位の差の方が
大きく影響するだろう。

女子マラソンの北京五輪代表は、土佐礼子、野口みづきと、
メダルを勝負できる二人がいることだし、
あとは、そこそこ安定感のあるベテランより、
一発があるかもしれない、若い選手が一人選ばれるのもいい。

私が期待した加納選手は3位。大健闘だと思う。
私が勝ちを予想した原選手は4位だった。

今日の夜のテレビ・ニュースで、
レースの後に開かれた表彰式の模様が少し映し出された。
ホテルの大きな会場で、1位から6位までの選手が壇上に並んでいた。
選手は皆、その日のために用意したと思われる、
カジュアルでありながら、ちょっと値がはりそうな私服になっていた。
その中で、原選手だけは、上下ジャージだった。
「走ること以外は何も考えていない」というようなストイックさを感じ、
原選手のすごさを再認識した。

9月10日の記事(初期の記事のせいか、拍手が「1」しかない)でも
触れているが、
女子マラソンの選手というのは、
レースの厳しさや練習の過酷さのせいか、
普通の人にはない、一線を越えた雰囲気を持っている選手が目立つ。
高橋尚子選手も然りである。

高橋尚子選手は、これまでの実績のみならず、
マラソン愛、根性、執念、明るさ(ちょっと微妙な明るさだが)などは
素晴らしい。称賛に値するものである。
それに、常に見ている者への感謝も忘れない。
日本マラソン界や陸上界のみならず、
日本スポーツ界の歴史に残る人だろう。

ただ、今回のレースを走るにあたり、
「あきらめなければ夢は叶うということを伝えたい」と、
殊更にアナウンスしているのが非常に気になった。
大上段から言っているような印象を持ったからだ。

こういうことは、見た側が勝手に感じることである。
見た側が、「あきらめなければ夢は叶うことを教えてもらった」と
言うべきものである。
彼女の走りから感じるものは、人それぞれでいい。
なのに、走る側が求めるというか、
悪く言えば、走る側が押しつけるのは、どうかと思う。

「俺達のライブを見て、何かを感じ取ってほしい」と言う、
へなちょこミュージシャンもそうだし、
「中年を元気づけたい」とか、「みんなに勇気を与えたい」など、
そうした大上段なセリフこそ、大きなお世話である。

重ねて言うが、高橋直子選手は、素晴らしいマラソン選手である。
これからも貴重な人材であり、貴重なキャラである。
それだけに、「志」がおかしな方向に向かわないことを祈る。
ただ、彼女は、マラソンなしに「高橋尚子」はあり得ないということは
わかっていると思う。
よって、安っぽいタレントの道に進むことはないだろう。

それにしても、これから彼女は、マラソンとどう関わっていくのか、
そして、やがて来る「引き際」が、ぐだぐたにならないことを
わたし祈ってます。
敏いとうとハッピー&ブルーでした。

テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ



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