ADMIN TITLE LIST
Selected category
All entries of this category were displayed below.

先週末は女子カーリングのオリンピック出場をかけた代表決定戦に
釘付けになった。
土曜日も日曜日も出かける用事があったため録画対応になり、
夜な夜な日付が完全にオーバーしていることも忘れて、
テレビと酒とミックスナッツで楽しんだ。
2017年に観たスポーツ番組で最も真剣に観た。
ちなみに今年の2位は2月の女子カーリング日本選手権だ。

女子カーリングは数年前から非常に関心をもっている。
ゲームとして面白いし、身体の使い方も興味深い。
コスチュームもいい。
下半身がしっかりしていなければ戦えないところもいい。
腰から膝までのできあがり方に惚れ惚れする選手もいる。
女子ゴルフが好きな理由と重なる点も多い。

何度かライブ観戦をしようとしたこともある。
予定が入っていたり、遠かったりで観に行けなかったこともあるが、
入場チケットが売り切れたことにより観られなかったことも複数ある。
キャパが小さいところで行われる競技なので人数制限はあるものの、
実は結構な人気スポーツなのかもしれない。

ロコ・ソラーレ北見はいいチームだった。
チームワークの強さが画面からも伝わったし、
普段着感覚をキープしつつの集中力も素晴らしかった。
吉田選手(姉)のサイズ感、シルエット感の良さを再認識し、
藤澤選手はダウンベストがほんとうによく似合うことを再確認した。

藤澤選手のダウンベスト姿はサイズ感が絶妙で、
着用時のシルエットのバランスが素晴らしい。
ダウンのふっくら感がちょうどいいのだ。
そして色が似合う。
寒色系向きの肌感だ。

ロコ・ソラーレ北見の選手は、
いい時も劣勢の時も常に表情が良かった。
観ている者に応援したくさせる雰囲気があった。

それに対して中部電力の選手達。
よく言えばクールで落ち着きがあるともいえるが、
情熱や迫力や覚悟が見えなかったし、
助け合う気持ちが伝わってこなかった。

ゲームセット後の選手間の握手でも、
小さく礼をしたり、一言かけるわけでもなく、
無表情で軽く手を合わせただけの若手選手もいた。
カーリングに対する姿勢が、
そういうちょっとしたところに出たような気も。
敗れたときこそ、そういうところをきちんとしなければ。
そんな態度じゃ日本代表として世界と戦っても応援してもらえない。

ロコの本拠地でやるハンデキャップはあったものの、
雰囲気に溶け込めていないようにも見えた。
実力差以上にロコの気迫に封じ込められたということか。

月曜の夜も録画した試合を再度観た。
ふと思ったのは、カーリング選手はボーリングも上手なのかということだ。
腕の使い方は異なるが、下半身が導く点や狙いを定めて投げる点など
スポーツの中では比較的近いところにあるのではないかと。

ボーリングとは通ずる点はあるが、セーリングとはまるで違うし、
サイクリングとも全く重ならない。
好きな曲はロンドン・コーリングという選手は皆無だろう。
ただ、試合の合間の食事はケータリングだったではないか。

それにしても、冬季オリンピックの予選を夏にやるとは。
室内リンクであれば季節に関係なくやれる。
ならば夏季オリンピックでも通用するのではないか。

夏季、冬季に関して、ずっと疑問なのがマラソンだ。
日本においてマラソンは冬のスポーツだ。
日本における主要なマラソン大会は冬に集中している。
真夏に30度以上もある中で行う競技なのだろうか。
というか、夏季、冬季は完全に北半球目線で決められている。
南半球の選手たちのもどかしさは救われないのか。

ロコソラーレ勝利の後のインタビューに泣けた。
画面には映らなかったが、NHKのインタビュアーが素晴らしかった。
質問内容、間、選手の反応を見ながらの対応など
きちんと下調べをし、選手に寄り添ったハートフルなインタビューだった。

強引にお涙頂戴にもっていこうとして、
会場の空気感や選手の醸し出す雰囲気とかみ合わなかったり、
無理矢理盛り上げようとしてノリをつくれなかったり、
かんだり、間がおかしかったり、同じような質問を繰り返したりなど、
うんざりするインタビュアーが多い中、
今回のNHKインタビュアーはプロとしてのベストな仕事だった。
そして、藤澤選手はダウンベストがほんとうによく似合う。

スポンサーサイト

ソチ・オリンピックが終わった。
夏季五輪はそんなに見ないのだが、
冬季五輪は、親しみのある競技が多いことや、
北海道出身者が多いためか、積極的にテレビ放送を見た。

今回は、選手達の好感がもてる言動が多かった。
まずメダルをかじる選手がいなかった。
どこかから、そうするよう言われたようだ。
別にかじっていいんじゃないの、という意見もあるようだが、
私は、人に見せたり、触らせたりするのにどうなのかなと
ずっと快く感じていなかったので良い傾向に思えた。

「後に続く人のために道を作りたい」的な発言をした人も複数いた。
金銭面や環境面で、練習することや海外で転戦することに、
とんでもなく苦労してきた人達のピュアな気持ちに思え、
五輪で活躍することの意味、重要さを表した真摯な発言だった。

上から目線の傲慢さを感じてしまう「夢や感動を与えたい」的な発言も
ほとんど聞かなかった。
これもどこかからチェックが入ったのだろうか。
それに代わって、「恩返し」や「感謝の気持ち」という言葉がよく聞かれた。
メダルをとることが恩返しだという人もいれば、
最高のパフォーマンスをすることが恩返しだという人もいる。
それは人それぞれだからいいのだが、
安易に使われすぎて、「絆」のように薄っぺらな感じに
ならなければいいなと感じた。

以前からストレートに、「とにかく金メダルを手にしたい」と発言してきた、
スピードスケート男子500mの長島圭一郎氏の潔さには
非常に好感を持っていた。
彼の本気ぶりは、少し天然な雰囲気もあるが、
それだけにメダルをとってもとらなくても、
熱い男のコメントが聞けると思っていた。

結果は6位と、彼からすれば相当不本意な結果だっただろう。
そして出てきたコメントが、
「金メダルが絶対の目標だったので申し訳ない。旅費を全部返したい」。
いいです、この責任感。
旅費返還にまで言及するほど大きな覚悟を持って
五輪に臨んだということだ。

スノーボード・女子ハーフパイプで5位に入賞した岡田良菜さんの
コメントも素晴らしかった。
「着地でミスをせず完走するというのもずっと自分の目標だったので、
完走して、ずっと練習してきたことが出せて満足です」
すごく共感できる。
きちんと完走することがいかに重要か。
こうしたベーシックな部分を目標に挑む選手がいるんだなと嬉しかった。

ハーフパイプは特にそうなのだが、大技にトライして、
着地でミスして、はい終わり、というのが少なくない。
5、6回に1回くらいしかできないことに一か八かでトライ。
その程度の確率なのにトライすることに、ひく。

「一か八か」は、「丁か半か」が語源であると聞いたことがある。
ならば確率50%のイメージだ。
確率50%ならまだいい。
それをやらなきゃメダルをとれないから、と言って、
5、6回に1回程度の確率のことに、
駄目でもともとの精神でトライするのは
逆につまらない。
トライではなく、投げやりに見えて、ひく。


岡田さんのパフォーマンスは、何度も何度も繰り返して練習し、
精度を高めてきたことが見えるものだった。
自分ができることを確実にやることこそ感動を与えると思う。
モーグルの上村さんも同様。
これまで見た彼女の滑りの中で一番良かった。

                 ◆

そして、どうしても黙っていられないのがフィギュアスケートだ。
私はフィギュアスケートが苦手である。
夏季も冬季もオリンピックにまだ出場したことがない私が言うのは
失礼だが、フィギュアスケートはスポーツという位置づけで
いいのだろうか。

フィギュアスケートは、タイムや距離というような明確な基準がなく、
基本的には印象や雰囲気で決まるような気がしている。
そういう意味ではスポーツよりも音楽や演劇に近いのではないか。
であれば、好みが完全に分かれてしまい、優劣は人によって異なる。

フィギュアスケートは、なんらかんら言いつつ、
結局は何回転のジャンプをしたか、何度ジャンプしたか、
ということばかりに重点が置かれる。
それでいて、着地でミスをしても、手をついても大して減点はない。
なんなのだろう、この矛盾。
ハーフパイプ、スロープスタイル、ジャンプ競技、
どれも着地で手をついたら致命的な減点となる。
なのにフィギュアスケートは違う。

フィギュアスケートにおけるジャンプは、
ロックバンド的に言えば、「早弾き」みたいなものだと思っている。
味があるとかキレがあるとか、カッティングが上手いというより、
とにかく早く弾けるというイメージだ。
その点で、キース・リチャードはフィギュア向きではない。

フィギュアスケートにおける凄まじい身体の柔らかさは、
ポップスで言えば、すごく高い声が出るようなものだと思っている。
ボーカルに強さや深みがあるというより、とにかく高音域なイメージだ。
その点で、ジョー・ストラマーはフィギュア向きではない。

私は、まずは良い歌詞とメロディがあってほしいのだ。
それとかみ合った的確なギターソロがほしいのだ。
そういう視点でフィギュアスケートを見ると、
圧倒的にキム・ヨナが素晴らしい。
身体のしなやかさやキレは格が違う。
要は、フィギュアが苦手な人が見ても退屈しないのだ。

逆に、ジャンプ自体はすごいが、
ジャンプとジャンプの間が場つなぎ的で、
ジャンプをするためだけの演目は退屈する。
また、演技が終わって、しばし立ち上がれないほどなのに、
立ち上がった途端、普通に滑ってコートを去るというのも、…だった。
演技が終わっても、演技が必要な世界だ。
やはりスポーツではないような気がする。

脈絡のない文章になってしまった。
言いたかったことは、キース・リチャードやジョー・ストラマーの
プレイスタイルは、フィギュアスケート向きではないということだ。

テーマ:ソチオリンピック - ジャンル:スポーツ


ライブまで一週間をきりましたので、改めてお知らせを。

■2013年3月2日(土)18:45
■スピリチュアル・ラウンジ
  (札幌市中央区南2西4ラージ・カントリービルB1)
ACTLSD/ギルチ/JuilliardNo Color Actor
         THE HEART OF STONE
adv:前1,000円→当1,500

開演時刻が変更になり、我々ザ・ハート・オブ・ストーンの出番も
19時20分に変更
になりました。
今回のライブはトークを少なめにして、曲で押していく予定です。
来られそうな方はぜひご連絡を。チケット、キープします。
よろしくお願いします。

           

ノルディックスキー世界選手権でのジャンプ競技に感動した。
金曜日の深夜は女子ノーマルヒルを、日曜日の深夜は混合団体を、
午前3時まで食い入るようにテレビ観戦した。
昨年のロンドン五輪は、女子バドミントン、フェンシング、
男女のマラソン程度しか見ておらず、
サッカーのワールドカップ予選は全く見ていない私だが、
ジャンプ競技の世界戦は夜を撤して見るのだ。

高梨沙羅選手が素晴らしい。ほんとうに素晴らしい。
素朴で、純粋で、誠実で、タフで、非常に好感を持っている。
もちろんジャンプの技術の高さは言うまでもないが、
アプローチの滑りだけでも見事である。
普通にスキーでゲレンデを滑っても相当上手だろう。

インタビューへの対応も実にしっかりとしている。
口調はまだ16歳のあどけなさがあり、それがまたいいのだが、
常に謙虚で、きちんとした態度で応じる。
それは彼女のハートの強さでもあるが、周囲の人間のアドバイスが
的確にされていることの表れでもあるだろう。

女子ノーマルヒルは、惜しくも銀メダルだったが、
自分の力をきちんと出せた喜びが表情にあふれていた。
その清々しさに目が潤んでしまった。
完全に娘を見る目線である。

混合団体の金メダルは快挙である。
私にとって、近年のスポーツでは、
駒大苫小牧の夏の甲子園優勝以来の興奮だった。
高梨選手以外の3選手も実にいいジャンプをした。
相当なプレッシャーだったと思うが、よくぞ克服したと思う。
竹内択選手も、伊東大貴選手も、いい表情だった。
ずけずけ感がなく、いい意味でストイックな感じがした。
小川コーチまで格好良く見えた。

25日夜には、BS放送で高梨選手の45分番組が放送された。
「私は地味で根暗なので、ほんとは表舞台の華やかなところには
 出たくない。でも、女子ジャンプがもっと注目されればと思うから
「私がこうしてジャンプをできるのは、先輩達が女子ジャンプの道を
 切り開いて、つないできてくれたから」など、
中年男を泣かせるインタビューが随所にあった。

最も胸を打たれたのは、インタビュアーの、
「まだ16歳なのに、色んなものを背負って大変ですよね」の問いに対して、
「色んなものを背負っているのは私だけじゃないです」と応えたこと。
泣ける。不意に泣けてしまう。自ずと泣けてしまう。

高梨選手は来年のオリンピックに向けて、
今後ますます注目も期待も高まるだろう。
しかし、まだ16歳。
既に世界のあらゆる場所で、様々な人の中でもまれてはいるが、
心身ともに大人への階段を上る中で、
考えすぎたり、迷ったり、気づいたら余計なものを背負ってしまうなど、
様々な壁にぶつかるだろう。

間違ってもバラエティ番組には出演させないでほしい。
願わくばCMのオファーがあっても辞退していただきたい。
とにかく競技に集中させてあげることと、
普通のティーンエイジャーとして生活を確保することを切に願う。
なぜだか親のような気持ちになってしまう。
どうか元気に過ごして、気持ち良く空を飛んでほしいと願うばかりだ。


テーマ:スキー - ジャンル:スポーツ


1月27日日曜日、大阪国際女子マラソン。
福士選手に注目が集まっていたが、終盤に失速し2着。
優勝は、ウクライナのガメラシュミルコ選手だった。

終盤まで福士選手がトップを走っていたので、
テレビカメラが彼女を中心に映すのはいい。
ただ、あまりに「福士」、「福士」と、
彼女のソロ・マラソンであるかのような放送はどうなのかとは思った。
それでも、女子マラソン界で最も視聴率を稼げる選手の一人なので、
世の中はこういうものなのだと、やむなく受け入れよう。

我慢ならなかったのは、優勝したガメラシュミルコ選手へのインタビュー。
インタビューをしたのは関西のテレビ局の女性アナウンサー。
最初の一言が、「優勝おめでとうございます」。
それに対してガメラシュミルコ選手は、「ありがとうございます」。
問題は次の言葉、最初の質問だ。
「ゴール手前で福士選手をとらえましたが、
福士選手はどんな選手でしたか」

これはひどい。ひどすぎる。
ここでもまず福士なのか。それはないだろう。
優勝者への敬意が全くない。
失礼にもほどがあるし、無神経で不謹慎。
この質問に対して、ガメラシュミルコ選手は明らかに戸惑っていた。
そして、福士選手の名は出さず、淡々と自分のレースを振り返っていた。
ガメラシュミルコ選手がいたたまれなかった。
その後すぐにインタビュー・シーンを打ち切って、カメラは福士選手へ。
やり過ぎだろう。

ここまでのことは、福士選手自身に何らの責任はない。
過酷な練習を積み重ねてレースに臨み、精一杯走ったと思う。
ただ、レース後の福士選手の異様ともいえる陽気さは何なのか。
照れ隠しみたいなものであり、表面的なものなのかもしれない。
また、あれが彼女の人気の大きな理由だとも思う。
しかし、レース後の態度から感じられるあれだけのエネルギーを
レース中に使い切れないのが残念に思う。

スポーツのインタビューでは、イライラすることがよくある。
例えばオリンピックでは、家族を持ち出し、
泣かせの方向へ導こうとするパターンがよく見られる。
日ハム戦のヒーローインタビューでは、
質問と応答の関係になっていないことも多い。

「今日はどんな気持ちでマウンドにあがりましたか」の次の質問が、
「今年は大黒柱としての期待もあると思いますが、
 どんな気持ちで試合に臨んでいるのでしょう」のように、
同じ応えにしかならないような質問を繰り返したり、
選手が、「ファンの声援のおかげで打てました。
明日からも一生懸命がんばります。ありがどうございました」と
言った後に、
「では、最後にファンの皆さんにお願いします」と投げかける。
選手はどうしたらいいのだろう。
選手の話は聞かず、流れも読まず、台本を読むだけなら、
アナウンサーじゃなくてもできる。
鈴木福くんでもできる。

テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ


まずは、次のライブのお知らせを。

■日時 201254日(金)1830スタート
■場所 スピリチュアル・ラウンジ(札幌市中央区南2西4)
■料金 前売1,500円 当日2,000円/ドリンク代別途500
■出演 快楽亭ブラック/3MOON/鹿野ケンジ/またたび/
      THE HEART OF STONE

実はチケット代が安くはないので、観に来ていただける方は、
ぜひ事前に我々に声をかけていただければ思います。
優待できます。よろしくお願いします。

今回のライブも前回と同様、古い曲(1520年前の曲)と最近の曲を
組み合わせたセットリストになるだろう。
ただし、3曲くらいは前回のライブとは別の曲を用意すると思う。

この2年くらいのライブは、ライブまでの調整や当日の状況によって、
良い面も、良くなかった面もあるが、
大きな視点で言うと、ライブをやるたびに良くはなっていると思う。
次のライブは、その前のライブよりも良いものにする。
そういう気持ちを繰り返して活動を続けているのは
悪いことじゃないだろう。
大好きなことと長く付き合っていくには、がむしゃらなだけじゃダメで、
ときに距離を置き、たまに変化させ、ちょっと無理する日々もありつつ、
楽しむことを忘れてはいけない。

そういうわけで、次のライブでは、
また少しの成長を見せられるのではないかと思っています。

よろしくお願いします。

                  ◆

さて、先日まで水泳のロンドン五輪代表選考レースが開催されていた。
それを見ていてふと考えたのが、世界で水泳競技に力を入れている国は、
それほど多くないのではないかということだ。
強豪国は米、豪、ジャパンのほか、欧州の国々であり、
アフリカ、中央エイジア、南米などの国々は、
あまり見かけないイメージがある。イメージだけかもしれないが。

プールは室内にあるが、水泳の原点はやはり海だろう。
なんとなく水泳の強豪国は、圧倒的に海がある国のように思える。
日本は面積的に小さな国かもしれないが、海に面している距離は結構長い。
世界地図を見ていると、アメリカと大して変りないように見えるし、
おそらく世界トップクラスの延長距離ではないだろうか。

ところで、水泳が夏季五輪の種目であることに誰も疑問を持たないだろう。
ただ、室内プールで競技をやるのであれば、冬だってできる。
しかし、そんなことで議論するのは時間が惜しい。
それよりマラソンだ。
マラソンは、夏季五輪の種目でほんとにいいのだろうか。
なぜ30度くらいまで気温が上がる季節にやるのか。
記録とか勝負とか以前に、身体に悪すぎる。

日本では、マラソンや駅伝の大きな大会は、
11月から3月に集中している。
なにせ、ニューイヤーになったその日に社会人の駅伝があり、
その翌日には大学生が箱根の山を登るのだ。
どう考えてもウィンタースポーツである。
ならば、冬季五輪の種目に変更してもいいのではないか。

仮にニセコ冬季五輪が開催されるとしたら、
マラソンは伊達市でやればいい。冬場でも車で2時間だ。
大豪雪地帯とほとんど雪がない地域が車で2時間とは、
北海道はやはり素敵で神秘的なところだ。

テーマ:日記 - ジャンル:日記


7月に入ってからの札幌は、なかなか晴れない。
完全な日照不足だ。
曇りがちなだけではなく、
連日、もしかしたら雨が降るのでは、という雰囲気がある。

天気予報も、あてにならない。
特に、週間予報など意味がない。
意味がないどころか、混乱させているだけだ。
政局よりも混乱している。
例えば、2日後は晴れの予報だったのに、
翌日には、その日が雨の予報になっている。
そして、その日がくる。
結果的に、くもり時々晴れだったりする。

この天気と予報の不安定さは、心までも不安定にする。
特にこの時期、休日となれば
山登りのチャンスをうかがっている私にとっては、
ビッグなストレスである。

私は、少しでも雨が降る可能性があったり、
雨はなくとも、雲で山がまるで見えません状態だと、
山登りは簡単に断念する。
そのため、予定が立てられなかったり、予定を変更することの連続だ。

休みは限られている。
それに、何かと忙しい。
会期中の国会議員よりは忙しいだろう。

そうなると、晴れは望めなくても、
時間を捻出して、山に出かけるしかないのだ。

今シーズンは2回しか登っていない。

チャンスは5回くらいあった。
うち2回は天候不良で断念、
うち1回は起床した時、あまりの疲れに断念した。

やはり、山登りはいい。
心を覆う嫌なものが取れていくような、
気持ちがさっぱりと清められるような、そんな感じがする。
それに最近じゃ、「山ガール」なる女子も増えてきたとか言うじゃないか。

先日は、恵庭岳に登ろうと出かけた。
前記の天候不良で断念したときは、いずれも恵庭岳がターゲットだった。
恵庭岳は支笏湖の北側にある、鋭角的な形をした剛健な山である。
家を出た時は、恵庭岳の姿がうっすらと見えていた。
ところが、国道453号線を南下するにつれて、もやが激しくなった。
国道でこの状態なら、恵庭岳など完全に雲の中だろうと思い断念。
道を引き返して、定山渓方面へ向かい、札幌岳に登った。

1007札幌岳1
終始、薄曇りの天候だった。
頂上からは、遠くに雲の上から頭を出した羊蹄山が見えた
札幌岳は、その行程において、眼下の景色が見える箇所はない。
頂上について初めて景色が見える。
昨年登った印象では、倒木が多く、また、道が荒れていて、
あまり印象は良くなかったが、
今回は、すごく良いコンディションだった。
途中には、こんなに美しい林道もある
1007札幌岳2

今シーズンは、ほかにシャクナゲ岳に登った。
シャクナゲ岳は、
共和町蘭越町の境界辺りにある。
6月半ばに登ったのだが、
笹が道を覆うわ、雪解け水で道はべちゃべちゃで、散々な状態だった。
二度と来るか!と怒りさえもおぼえたが、

途中にこんなに美しい沼があったりするから困る
100619長沼

なお、札幌岳でも、シャクナゲ岳でも、山ガールは見かけていない。
札幌岳で見かけた女性は、50代と60代のみ。
シャクナゲ岳では、女性はおろか、男性にも一人も会わなかった。
土曜日であったにもかかわらずだ。

ほんとに山ガールは増えているのだろうか。
昨年、20代、30代の女性登山者は、たまに見かけた。
しかし、現在、山ガールという言葉でイメージされるような
カラフルさはなかったり、ブーツなどの本格度にも乏しかった。
50代、60代の「山おばさん」の方が、よっぽどカラフルだし、
結構いいジャケットやブーツを着用している人を目にする。

おそらく、「山ガール」とは、ファッション・オンリーだったり、
ライトなアウトドアを楽しむタイプと、

実際に山に登る行動派に分けられるのだろう。
そして行動派の割合は少なく、
しかもメジャーな山を、熟練した男の導きの中で目指すから、

マイナー路線の私は出会えないのかもしれない。

ところで、20代、30代の女性登山者が「山ガール」ならば、
40代の私は「山オヤジ」になるのだろうか。
屈辱的な呼ばれ方だ。
「中年」と呼ばれるのは、全くその通りであり、差し支えないが、
「オヤジ」と「おっさん」と呼ばれるのは、極めて抵抗がある私にとって、
「山オヤジ」は、かなりのダメージだ。
というか、千秋庵じゃあるまいし。
笹の葉かついで、鮭しょって出てくるわけでもない。
笹の葉かついで、鮭しょって出てくるのは熊である。
そんな熊に襲われる山オヤジにだけはならないよう気をつけたい。

テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ


ワールドカップ・サッカーが盛り上がっているようだ。
普段は、まるでサッカーを見ない私も、それなりに楽しんでいる。
選手をほとんど知らないような国同士のゲームであっても、
世界一をかけた戦いは熱く、レベルの高いプレーは楽しめる。

ただ、マス・メディアにおける盛り上がりに、
なんとなくのっかってしまっていることは否定できない。
ワールドカップだけの「にわか視聴者」と呼ばれても仕方ない。
しかし、「にわかファン」と呼ばれるのは心外だ。
ファンというものとは質がちがう。

「仁輪加(にわか)ファン」と呼ばれるなら本望だ。
「仁輪加」は、日本最高のロッキン・ブギー・バンド「サンハウス」が
1976年にリリースしたアルバムである。
  サンハウス/仁輪加

この怪しく異様な和風サイケデリックなジャケットのデザインの
意図はわからない。
特に、左上の赤い顔は何なのかと思う。
サンハウスを知らない状況なら、まずジャケ買いはできないだろう。
ところが、中に詰まった音楽は圧巻だ。
私は紛れもなく、「仁輪加ファン」だ。

それはそれとして、街角インタビューなどで、
サッカーのにわかファンが、本田がどうした、俊輔がどうしたと語る。
にわかファンに呼び捨てにされ、好き勝手なことを言われる。
私はそれが嫌で、ワールド・カップを目指すのをやめた。

世界サッカーにおける日本サッカーの立ち位置は、
ある程度安定したような気がする。
ところが、ファンはどうなのだろう。
すぐにブーイングするファンが多いのはなぜなのか。
親指を立てて下に向けることでしか気持ちを表せないのか。
うまくいかないシーンでは、どういうわけか頭を抱える。

いまだにモノマネっぽいというか、
サッカーとはこうあるべきという変な意識に囚われているというか、
私から見れば、全然自由じゃない。
そして、オリジナリティがない。

しかし、それらはまだいい、群がって交差点で騒ぐのに比べれば。
私は、騒ぐことより、群がるのが気に入らないのです。
アナウンサーやコメンテーターは言う。
「今の若者は、発散できるものがないんでしょうね」
「今の若者は、自分を表現できることがないんでしょうね」
全然違うと思う。
自己中心的で勝手なだけだ。
しかも、群がらなきゃできないのです。
荒れる成人式と同じである。

あと言っておくが、「今の若者」に限った話ではない。
仮に、今より規制が弱かった1980年代ならば、
当時の若者はもっと暴れたのではないだろうか。
1980年代の若者だって、
自分をどう表現していいのか苦悩し、苦闘して生きてきた。
そして2010年、完全に中年になった1980年代の若者は、
今だって自分をどう表現していいのか苦悩し、苦闘している。

何かの小説に書いてあったことだが、
45歳という年齢は、あらかた人生の勝負がついてしまっていると。
仕事のこと、家庭のことなど、
自分の将来は、ある程度決まってしまっていて、
その運命の中で、流れに逆らわず生きていくのがいい、
みたいなことを書いていた。

全否定はしない。
しかし、オレのとはちょっと違うな。
世の中年よ。1980年代の若者よ。
人生を楽しみたいなら、勝負はこれからだ。
誰かのコピーのような人生など送っていいのかロック・ミー。

テーマ:2010年 FIFA World Cup - ジャンル:スポーツ


フィギュアスケートの採点が、どうにも解せない。
高橋DSK選手の銅メダル獲得は素晴らしいこと。
しかも、彼は手術をして、昨シーズンを棒に振りながらも、
オリンピックで結果を残したというドラマもある。
称賛に値する快挙だと思う。


ただ、高橋DSK選手のことは別として、
フィギュアスケートという競技は、「転倒」に極めて寛大である。
転倒してもマイナス3点らしいではないか。
250点がメダル圏内という状況でのマイナス3点である。
転倒による心の動揺などで、その後の演技にも影響するだろうが、
だとしてもリスクが小さすぎる。

スノーボードも、モーグルも、スピードスケートも、

転倒したら、その時点で、事実上ジ・エンドである。
例えば、國母選手のハーフパイプは、50点満点の競技において、
最後の最後に左手をついたことで、5点くらいマイナスされたはず。

フィギュアスケートは、それらの競技とは質が異なるのは理解するし、
選手は決められたルールの中で、精一杯戦っているのだから、
何ら責めることはできない。
とにかくルールが解せない。
転倒した人が、転倒しなかった人より順位が上にいくというのは、

何か見ている側の「楽しめる緊張感」を削ぎ、
つまらなくするような気がする。


靴ひもがちぎれて、中断しても可ということも今回知った。
織田選手がどうこうではない。
ルールがあまりにルーズ過ぎる。

他の競技では考えられない。
フィギュアはレクリエーションじゃあるまいし。

フィギュア競技の楽しみ方は人それぞれだが、
私は、何回転するかなんて大して興味はない。
演技の質やパワーや雰囲気を総合的に観戦している。
何回転するかでしか優劣を見い出せないとしたら、
イマジネーションの小さい競技だなと思う。
それとも、
フィギュア競技を素直に楽しめない私の
イマジネーションが不足しているのか?

この話を、職場の同僚、中村NBRにしてみたが、反応は薄かった。
「決められてることだから、仕方ないんじゃないすか」
みたいな感じだった。
さらに、「真央ちゃん、どうすかね?金、いけるんじゃないですか」
などと、私の真摯な問題提起を、向こうへ追いやるように、
別のトークを始めた。

「それよりも、安藤選手の化粧は、
 もっとナチュラルにしないとやばいんじゃないか。
 あと、安藤選手は、前回のオリンピック前後から、
 常に自信なさげで、負け顔になっている」と私が言うと、
中村NBRは、私と安藤選手は顔的に同じジャンルだと返した。
ああいう顔、好きなんじゃないですか?と、おちょくられた。
否定できなかった。
というか、「まあ、そうだね」と肯定してしまったこのオレ、ロックミーベイベー。

別の知人に、私は言った。
「國母選手の言う、”リアルなスノーボード”とか、
 ”自分のスタイルを貫く”とか、よくわかんないよね。
 とりあえず、漠然としたカッコよさげな言葉を使ってるみたいな」
「でも、クグエ氏も、言いそうな言葉だよね」
またしても否定できなかった。
ただし、私がそういう言葉を使うとき、70%はシャレである。

とはいえ、自分を一番わかっていないのは、
自分ではないかと思えた。
反省してま~す、ロックミーベイベー。


2月17日に、このブログのアクセス数が50,000を突破した。
2007年8月20日がスタートなので、ちょうど2年半。
特別な思いも、さしたる目的もなく始め、
ここまで続いてきたのは、ページを開いてくださる皆様のおかげに
ほかなりません。

ほんとうにありがとうございます。

ただ、続けていくなかで、不安が大きくなっていることがある。
アクセスしているのは、この広い世界の中でごく僅かな人だけである。
書いているのは、日本の片隅の狭いところに住み、
街の人混みに簡単に埋もれるように生きている、しがない男である。
ほとんどの方は、このブログにおける話題や言い回しに関するセンスや、
ユーモアや、ジョークを、それなりに理解してくださっていると思う。

ところが、そうではない人もいる。
そうではない人がいること自体は問題ではない。
理解できないセンスがあって当然である。
それならば、見なければいいだけのことだと思うのだが、
それでは気が済まない人がいるようだ。
このブログを、私のマイナス材料を見つけ出すツールに
しているような気配を、極めてごく一部だが感じている。

特定の人を中傷することは書いていないし、
持論にしても、デンジャラス・ラインには及ばないよう、
特にこの1年は、意識してかなり控えているが、
どんなことを書いたとしても、悪意を持って強引にこじつければ、
不適切扱いに持っていくことはできてしまう。
そうした得体の知れない圧力につぶされる恐怖を感じている。

アクセス数は多くなくとも、世の中に公開されているのだから、
それなりの覚悟、というか、相応の危機管理意識は必要だと思うが、
あら探しのように、責め、おとしめる材料に使うのは、ちょっと卑怯かなと。
というか、そんなによろしくないこと書いてますかね?

ナーバスになった私は、
いつのまにかタイトルから私の名称を省き、
ひっそりと、プロフィールの名前も「ストーン・クレイジーKSW」とし、
匿名性を高めた。高めざるを得なかった。
面倒くさい人に検索されてしまうことへの、とりあえずの自衛策だ。
ところが、コメント欄の返信における名称は従来どおりにしており、
いかにも詰めが甘い。
この点も、寂しいことだが、匿名性を高めていきたい。

考えすぎなのだろうか。
警戒し過ぎだろうか。
当面は慎重に対応して参ります。

    ◇     ◆     ◇

今日の昼休みは、バンクーバー五輪のスノーボード・ハーフパイプを見た。
スポーツは、生放送で見なければテンションがあがらない。
結果を知っていて、録画放送を見る気にはならないし、
ハイライトの放送を見ても、かなりダイジェストされ、
競技の流れや、選手間の機微が見えなくてつまらない。
また、日本人選手を中心に編集するため、
素晴らしい外国人選手のパフォーマンスを見られない。

スノーボード競技を見ていて思い出したのが、
前回のオリンピックの女子ハーフパイプには、
今井メロさんという選手がいたなと。
そして、「夢・感動・ファンタジー」と、ラップをやっていたなと。
今回の五輪でも、女子スケートの中学生、高木選手がヒップホップダンスと、
やはり、あちら方面のジャンルは支持があるのだなと思った。

ところで、國母選手の騒動は、
結果として、ハーフパイプへの関心を高めたのではないか。
彼の身なりや言動については、コメントしない。
ただひとつ言わせていただくと、
國母選手への批判が多かったのは、國母選手に対して、というよりも、
一般社会で、ああいう身なりや言動をしている人を
好ましく思っていない人が結構いて、
その代表として、國母選手がターゲットになった面も大きかったのかなと。

何が良くて、何が悪いとは言わない。
ただ、ファッションで人を判断するのは、当たり前のことだと思う。
でも、そんなことどうでもいいぜ。
ピースフルに一日を過ごしたいだけだ、ロック・ミー。


日本ハム・ファイターズがリーグ制覇を成し遂げた。
道民の一人として、とても嬉しいし、
楽しませていただき、感謝したい気持ちである。
シーズン前は、ダルビッシュ以外に確実性のある投手がいないことや、
打撃力の弱さなどから、下馬評は低かった。
それを覆しての優勝は、非常に価値のあるものだ。

北海道にチームが根づいたと、よく言われる。
確かにその通りだろう。
チームの勝敗や選手の活躍が、
日々の生活の潤いに、仕事の活力になっている方も多いだろう。
球場に足を運んでいる観客を見ても、老若男女、非常に幅広い。
特に感じるのは、中高年、特に女性の数が多いことである。

そうした中、辟易するのは、
中高年の女性が、選手を「クンづけ」で呼んでいるのを
しょっちゅう耳にすることである。
「クンづけ」される選手は、キャラや年齢などにより、
ある程度限定されるだろうが、「藤井クン」、「糸数クン」など、
親しみや愛情を込めて言っているとはいえ、
私の違和感指数は増してしまう。

選手をアイドル的に扱っているのも気になる。
選手ごとに異なる応援グッズはカラフルで、
今年は、選手の似顔絵や写真を掲げながら応援するファンも目立った。
いわば、中高年女性にとって、日ハムの選手は、
ヨン様みたいなものなのだろう。

ただ、こうした現象は、人気が向上したこと、
あるいは娯楽として定着したことの表れともいえる。
それはそれで素晴らしいことだ。
しかし、お祭り的すぎやしないか。
札幌ドームは、日ハム・レジャーランドであるかのようである。
とはいえ、レプリカ・ユニホームを着て、
楽しんで応援している姿を見ると、全てを許せる。

私なら、上半身はレプリカ・ユニホーム、下半身は普段着という恰好は、
自分のプライドとセンスが邪魔をしてできない。
下半身もユニホームというトータル・コーディネイトならば、
考える余地はある。
しかし、そこまでやると変な中年に見られてしまう。
「気合い入ってるね。素晴らしいです」と称賛する人よりも、
「下もユニホームだよ、あの人」と鼻で笑い、軽侮する人の方が
間違いなく多いはずだ。

同じユニホームを着て、同じ声援をし、同じ動きをする。
私は、右向け右のような軍隊性や不自由さを感じて参加できないが、
それが球場のムードを盛り上げているのは事実。
私は誰を責めているわけではない。
こういう状態になることは基本的に望ましいことだと思っている。
ちょっとフェスティバル化しすぎかなと心配になるだけである。

それにしても、試合開始は午後6時にもかかわらず、
なぜ、その時点で、あれほどの人が集まれるのか。
特に外野の応援団席は、全ての試合で埋まっている。
仕事はしていないのか。
仕事をしていたとしても、年間何十試合も早退できるものか。
また、妻のある者は、奥さんに嫌みを言われないのだろうか。
それとも、奥さんに嫌みを言われ、
屈辱的な恰好をさせられると喜ぶ性癖の持ち主が多いのだろうか。

日ハムはこの後、クライマックス・シリーズ、
それを勝ち抜けば、日本シリーズとなるわけだが、
仮に日本シリーズを制覇しても、
盛り上がりというか、ファンの喜びは今がピークなのではないか。
勝ったり負けたりの積み重ねの末、
やっと手にしたレギュラー・シーズン制覇の重みは、
短期決戦のそれとは違うだろう。
また、日本一に向けた夢が、楽しみがつながっている。

それに対して、日本シリーズを制覇することは嬉しいが、
手にした瞬間、その先はないのである。
あと1勝で日本一!と、頂点が近づくほど、
今年の日ハム観戦が終わるという寂しさも大きくなっていくだろう。

仕事も趣味も恋も、そういうところがある。
目指すところへ向かって、進んでいる時が最も楽しいのだ。
最初のうちは、山の傾斜や距離感がつかめない。
それでも、ひたすら登っていく。
やがて8合目あたりで頂点が見える。
目標がはっきり見えた。道は目の前にある。
そこを登り詰めていけばいいのだとボルテージは最高潮に。
そして、頂点にたどり着く。
達成感に喜びを感じる。
しかし、達成感の向こうにある未来のビジョンを描けなくなる。
一気に退屈になり、これから何を楽しみに生活していけばいいのかと
思えてくる。

では、どうしたらいいのか。
私は、そう聞かれたら、
「嫌みを言われて、屈辱的な恰好をさせられると喜ぶような性癖を
身につければいいのでは。別の意味で頂点にいけるかも」
とアドバイスしたい。



| HOME | Next

Design by mi104c.
Copyright © 2017 トゥナイト今夜もRock Me Baby, All rights reserved.